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カテゴリ:osho@spiritual.earth
「ボーディダルマ」 <4> それらの状況はどの伝統やどの経典にも言えることだが、しかし、それにしてもOshoはボーディダルマに手厳しい。私たちが知っているボーディダルマは、もっともっとエピソードに満ちた寡黙な人だ。ましてや苦行につぐ苦行、面壁九年のボーディダルマには、どちらかというとボーディサットヴァというよりアラハトのイメージさえ持ってしまう。 Oshoはここで、アラハトを徹底的に擁護する。禅の開祖とさえいわれるボーディダルマはコテンコテンにやっつけられる。私はこれを読んでいて、Oshoが禅からZenへと移行していく、ひとつの分水嶺がここにあると感じる。 当ブログでの読書は気ままな濫読なので、とくに準備もなく進めているのだが、玉川信明の「和尚(ラジニーシ)、禅を語る」リストの参考本を読む進めていくうちに、偶然に、「信心銘」(74/10)、「一休道歌」(78/4)、そして、この「ボーディダルマ」(87/7)が読みかけとして残った。この三冊を眺めてみると、それぞれ時代背景を反映しており、ブッダム(仏)、サンガム(僧)、ダンマム(法)に対応しているかに見える。 74年当時、Oshoは請われるままにレクチャーし、しだいにネオ・サニヤスという仕組みを生み出しつつあった。それは、ブッダムとしての自らの表明にウェイトがかからざるを得なかったはずだ。それ以後、78年のOshoは、すでに数万人のサニヤシンたちに囲まれながら、次なるコミューン、つまり、サンガムを盛んに模索していた。あとから考えれば分かるのだが、Oshoは結局、このブッダムとサンガムを、彼なりのユニークな形でほどいてき、ついにそれを霧消させる。 87年当時のOshoは、この「ボーディダルマ」を読む限りにおいて、ダンマムについてかなり突っ込んだ指摘を続けている。いわゆる歴史や伝統に妥協してしまった「禅」を超えて、もっとピュアな瞑想そのものの「Zen」に進もうとしている。「オショウの講話タイトル:年代順」を見る限り、このボーディダルマへの指摘を契機として、「最後の講話録・ZENシリーズ」へと移行しているように見える。そして、ついには、その「ダンマム」も、OshoはOshoのやり方で離れていく。
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Last updated
2010.07.19 22:16:07
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