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カテゴリ:osho@spiritual.earth
「ダンマパダ」 永遠の真理 四番めは、共有感(エンパシー)を感じられる者たちだ。共感(シンパシー)とは人が友好的であり、敵対関係をいだいていないことを指す。が、共有感を感じることは、ただ友好的であるにとどまらない----人はある種の合一、一なる状態を感じる。共有感を感じるとは、コミューンとともに感じ、人びととともに感じ、起こっているこを感じることだ。人は出会い、混じりあい、溶けあい、ひとつになる。 五番めの輪は門人たち、サニヤシン、ただハートで感じるだけではなく、自分をゆだねることができる者、巻き込まれる用意がある者たちのものだ。かれには危険を冒して賭ける覚悟ができている。かれはすすんでみずからをゆだねることができる。なぜならかれは、大いなる、狂気のような愛----狂おしいまでの愛----が自分のなかに湧き起こってくるのを感じ取っているからだ。かれらはサニヤシン、門人たちだ。 そして六番めは、到着しはじめた者、達人たちだ。かれらの旅は終着点に近づきつつあり、もはやただサニヤシンであるにとどまらず、シッダ(成就者)になろうとしている。かれらは旅の最終地点に到りつつあり、結論に一歩あと一歩と近づいている。わが家ははるか彼方ではない。あとほんの数歩だ。ある意味で、かれらはすでに到着している。 そして七番めの輪はアルハットとボーディサットヴァたちからなる。アルハットとは、到達したのだが、他の者たちの到着を助けることに興味がないサニヤシンたちだ。仏教にはかれらをあらわす特別な名前がある。それがアルハット(阿羅漢)----到達し、そして究極へと消え去ってゆく孤独な旅人たちだ。ボーディサットヴァは慈悲心を持ったアルハットといってもいい。かれらは踏みとどまり、うしろをふり返り、いまだ暗闇のなかでつまづいている者たちに呼びかけつづける。かれらは助力を惜しまぬ、人類の奉仕者だ。 ボーディサットヴァは二番めのタイプの人だ。かれは関係のなかでくつろぎを感じる。じっさい、かれは独りでいるときよりも、かかわりあっているときのほうがはるかに心地好い。かれは愛を選ぶ傾向がある。アルハットは瞑想を選ぶ傾向がある。アルハットの道は純粋な瞑想の道であり、ボーディサットヴァの道は純粋な愛の道だ。純粋な愛には瞑想が含まれ、純粋な瞑想には愛が含まれる。ただし、純粋な瞑想は愛をただ風味として、芳香として含むだけで、それが中心勢力となることはない。一方、純粋な愛のなかには瞑想が香りとして含まれるが、それが中心になることはない。 世界にはこの二種類の人びとが存在している。この第二のタイプ----愛の道にしたがう者たち----はボーディサットヴァになる。第七の輪はアルハットとボーディサットヴァからなる。p346お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.05.21 11:17:13
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