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地球人スピリット・ジャーナル1.0

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2009年4月1日

地球人スピリット
・ジャーナル2.0


へ引越しました。

2008.05.05
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カテゴリ:osho@spiritual.earth

 

「ダンマパダ」 永遠の真理
OSHO 沢西康史・訳1994/4 瞑想社
Vol.2 No.0067★★★★★

 
付箋をつけて、過去に何度か開いた記憶があるのだが、玉川リストにこの本がある限りは、もういちど開かなくてはなるまい。そう思って、久しぶりに読んだダンマパダだが、かつて付箋をつけたところ以外のところに、どんどん新しい付箋がついていく。あれ、以前、この本を読んだことがあったのだろうか、と、新鮮な気分になる。しかし、まぁ、ひととおり目を通し終わってみれば、いつものようにたゆたうOshoの世界がそこにはある。

 
新しいコミューンの第一の同心円は、ジャーナリストのようにやってきた者たち----先入観のある人びと、自分が知っていると思い込んでいる人たち、ひとことでいえば、愚か者たちのためにある。

 第二の同心円は、探求者たち----先入観がなく、ヒンドゥー教徒でもなく、イスラム教徒でもなく、キリスト教徒でもなく、いかなる結論も持たず、開かれた心でやってきた者たちのためにある。かれらはもう少し深くまで見ることができる。神秘なるもののなにかがかれらのハートをかき立てる。かれらは心という障壁を乗り越える。なにかこのうえもなく重要なことが起こっていることに気づく。それがいったいなんであるのか、ただちに正確にわりだすことはできない。が、漠然とではあるが、なにか価値のあることが起こっているのに気づきはじめる。かれらにはそれに参加するほどの勇気がないかもしれない。その問いかけは実存的というよりは、むしろ知的なものかもしれない。その一部になることはできないかもしれない。だが、かれらは気がつく。むろん非常に曖昧として、混乱してはいるが、確実に気がつく。なにか眼に見える以上のことが進行している。

 つぎの第三の輪は、共感を寄せる者たち、深い共感のなかにある者たちのためのものだ。かれらは少しならコミューンとともに進むことができる。踊り、唄い、参加する用意がある。かれらはたんなる探求者であるにとどまらず、もしも探求がそれを求めるなら、みずからを変えることもいとわない。かれらはより深い領域を、もっとはっきりと自覚するようになる。

 四番めは、共有感(エンパシー)を感じられる者たちだ。共感(シンパシー)とは人が友好的であり、敵対関係をいだいていないことを指す。が、共有感を感じることは、ただ友好的であるにとどまらない----人はある種の合一、一なる状態を感じる。共有感を感じるとは、コミューンとともに感じ、人びととともに感じ、起こっているこを感じることだ。人は出会い、混じりあい、溶けあい、ひとつになる。

 五番めの輪は門人たち、サニヤシン、ただハートで感じるだけではなく、自分をゆだねることができる者、巻き込まれる用意がある者たちのものだ。かれには危険を冒して賭ける覚悟ができている。かれはすすんでみずからをゆだねることができる。なぜならかれは、大いなる、狂気のような愛----狂おしいまでの愛----が自分のなかに湧き起こってくるのを感じ取っているからだ。かれらはサニヤシン、門人たちだ。

 そして六番めは、到着しはじめた者、達人たちだ。かれらの旅は終着点に近づきつつあり、もはやただサニヤシンであるにとどまらず、シッダ(成就者)になろうとしている。かれらは旅の最終地点に到りつつあり、結論に一歩あと一歩と近づいている。わが家ははるか彼方ではない。あとほんの数歩だ。ある意味で、かれらはすでに到着している。

 そして七番めの輪はアルハットとボーディサットヴァたちからなる。アルハットとは、到達したのだが、他の者たちの到着を助けることに興味がないサニヤシンたちだ。仏教にはかれらをあらわす特別な名前がある。それがアルハット(阿羅漢)----到達し、そして究極へと消え去ってゆく孤独な旅人たちだ。ボーディサットヴァは慈悲心を持ったアルハットといってもいい。かれらは踏みとどまり、うしろをふり返り、いまだ暗闇のなかでつまづいている者たちに呼びかけつづける。かれらは助力を惜しまぬ、人類の奉仕者だ。

 ボーディサットヴァは二番めのタイプの人だ。かれは関係のなかでくつろぎを感じる。じっさい、かれは独りでいるときよりも、かかわりあっているときのほうがはるかに心地好い。かれは愛を選ぶ傾向がある。アルハットは瞑想を選ぶ傾向がある。アルハットの道は純粋な瞑想の道であり、ボーディサットヴァの道は純粋な愛の道だ。純粋な愛には瞑想が含まれ、純粋な瞑想には愛が含まれる。ただし、純粋な瞑想は愛をただ風味として、芳香として含むだけで、それが中心勢力となることはない。一方、純粋な愛のなかには瞑想が香りとして含まれるが、それが中心になることはない。

 世界にはこの二種類の人びとが存在している。この第二のタイプ----愛の道にしたがう者たち----はボーディサットヴァになる。第七の輪はアルハットとボーディサットヴァからなる。p346








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Last updated  2008.05.21 11:17:13
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