|
全て
| 目次
| 2nd ライフ
| ネットワーク社会と未来
| マルチチュード
| アガルタ
| シンギュラリタリアン
| 地球人スピリット
| マーケットプレイス
| ブログ・ジャーナリズム
| OSHOmmp/gnu/agarta0.0.2
| mandala-integral
| レムリア
| スピノザ
| ブッダ達の心理学1.0
| シンギュラリティ
| agarta-david
| アンソロポロジー
| バック・ヤード
| チェロキー
| 環境心理学
| osho@spiritual.earth
| スピリット・オブ・エクスタシー
| 22番目のカテゴリー
カテゴリ:スピリット・オブ・エクスタシー
力道山の奥さんになった敬子さんは、警察署長の娘で日本航空のキャビンアテンダントだった。力道山の人気絶頂のさなか、知人の紹介で知り合い、ホテルオータニで出席者3000人という破格の披露宴で祝福され、結婚した。 特に車は大好きでした。日本に1台しかない種類のベンツに好んで乗っていました。そして結婚の記念として、ロールスロイスも購入していたのです。数ある車のコレクションの内、石原裕次郎さんに渡ったといわれる跳ね上げ式のドアが採用されたベンツ300SLクーペ(ガルウィング)も気に入っていました。p119 この記述からみると、力道山は車のコレクションを持ってはいたが、ロールスロイスは一台だけだったようだ。しかもそれは結婚の記念に購入したものだった。その、半年後に力道山は暴力団員との喧嘩での傷がもとで他界してしまう。 手術室へ運ばれるときに、「敬子、先生に言っておけ。どんなに金がかかっても、どんな薬を使ってもいいから・・・・。死にたくないんだ、最善の治療をするように先生にお願いしておけよ」って言うんです。麻酔が効いてきたんでしょう、だんだんうわごとみたいになって。ストレッチャーで運ばれていく主人の手を握りながら、「わかりました、大丈夫ですよ」って励ましたら、「おれは死にたくない」と・・・・。 戦後日本のスーパーヒーローとして栄華をきわめ、これから事業家としての後半生の計画を練り上げている最中に、自らを襲った不幸。力道山の「慟哭」とは、「俺は死にたくない」という叫びであったのだろうか。 私にはそうは思えない。力道山の「慟哭」、という言葉を借りながら、本当は、ここで慟哭しているのは、夫人、その人ご自身ではなかっただろうか。 一度も力道山の試合を見たこともなく、結婚して幸せを感じたのもつかの間、半年後に夫を殺害され、その後に生まれた乳飲み子を抱えた23歳の女性。そして、右も左もわからない状態で残された借金の山を処理しなければならなかった夫人は、なんどもなんども「慟哭」したに違いない。苦労に苦労を重ねたあげくに、借金を返し終えた後、ようやく安堵して、この本の執筆に取り掛かられたことだろう。 力道山は生前、「朝鮮半島がスイスのようになればいいなあ」ということを口にしていました。 現・北朝鮮で生まれ、日本にきて相撲で関脇まで昇進しながら、自ら廃業し、やがて未知なるアメリカにわたってプロレスラーになった力道山。自らの出自を隠しながら「日本人」として「毛唐」たちをバッタバッタと空手チョップでやっつけた。戦後日本の最初のスーパー・ヒーローと言っても間違いではない。 天皇陛下の次に有名とさえいわれた力道山は、韓国においてもスーパーヒーローだったし、北朝鮮においても、金日成の次に愛されていたという。もちろん金正日よりは人気があったとか。その力道山本人の心境は、本人でなければわからないが、夫人から見れば、いまだに力道山の「慟哭」が聞こえてくるのは、どうもその祖国の現状に関係している、と感じておられるようだ。 ふと思えば、10数年前の麻原集団事件を振り返ったとき、最後に私が選びとった言葉は、林郁夫裁判を記録した佐木隆三の「慟哭」だった。時期も同じく半年違いで出ていたこの二書を思い浮かべる時、魂が飛び出さんばかりに泣き叫ぶ人間たちの姿に、人生というものの陰影を強く印象付けられる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.07.10 22:21:32
コメント(0) | コメントを書く
[スピリット・オブ・エクスタシー] カテゴリの最新記事
|
|