【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

地球人スピリット・ジャーナル1.0

地球人スピリット・ジャーナル1.0

Keyword Search

▼キーワード検索

Recent Posts

Calendar

Free Space

2009年4月1日

地球人スピリット
・ジャーナル2.0


へ引越しました。

2008.07.10
XML


「夫・力道山の慟哭」没後40年未亡人が初めて明かす衝撃秘話
田中敬子 2003/07  双葉社  単行本  223p 
Vol.2 No.0175
★★★★★

 没後40年だから当然なのだが、戦後まもない日本の混乱期が舞台となっているので、なんとも古い話のように聞こえてしまう。だが、小泉純一郎が北朝鮮を訪れて、拉致事件が公になったあとの時代背景の中で語られていることを思い出し、なんとも迫力ある内容だ、と感動した。

 力道山の奥さんになった敬子さんは、警察署長の娘で日本航空のキャビンアテンダントだった。力道山の人気絶頂のさなか、知人の紹介で知り合い、ホテルオータニで出席者3000人という破格の披露宴で祝福され、結婚した。

 特に車は大好きでした。日本に1台しかない種類のベンツに好んで乗っていました。そして結婚の記念として、ロールスロイスも購入していたのです。数ある車のコレクションの内、石原裕次郎さんに渡ったといわれる跳ね上げ式のドアが採用されたベンツ300SLクーペ(ガルウィング)も気に入っていました。p119

 この記述からみると、力道山は車のコレクションを持ってはいたが、ロールスロイスは一台だけだったようだ。しかもそれは結婚の記念に購入したものだった。その、半年後に力道山は暴力団員との喧嘩での傷がもとで他界してしまう。

 手術室へ運ばれるときに、「敬子、先生に言っておけ。どんなに金がかかっても、どんな薬を使ってもいいから・・・・。死にたくないんだ、最善の治療をするように先生にお願いしておけよ」って言うんです。麻酔が効いてきたんでしょう、だんだんうわごとみたいになって。ストレッチャーで運ばれていく主人の手を握りながら、「わかりました、大丈夫ですよ」って励ましたら、「おれは死にたくない」と・・・・。
 それが力道山の最期の言葉になるとは夢にも思いませんでした。手術後には「手術は成功したから大丈夫です」と先生から聞いていたからです。p27

 夫人は、たぶん生涯で唯一の本を書くにあたり、力道山の思い出をありとあらゆる角度から、夫人でなければ描けない形で書き遺した。そして、不思議なのは、その力道山の中の何を書きたかったのか、と言えば、そのタイトルが著すように力道山の「慟哭」であった、ということだ。

 戦後日本のスーパーヒーローとして栄華をきわめ、これから事業家としての後半生の計画を練り上げている最中に、自らを襲った不幸。力道山の「慟哭」とは、「俺は死にたくない」という叫びであったのだろうか。

 私にはそうは思えない。力道山の「慟哭」、という言葉を借りながら、本当は、ここで慟哭しているのは、夫人、その人ご自身ではなかっただろうか。

 一度も力道山の試合を見たこともなく、結婚して幸せを感じたのもつかの間、半年後に夫を殺害され、その後に生まれた乳飲み子を抱えた23歳の女性。そして、右も左もわからない状態で残された借金の山を処理しなければならなかった夫人は、なんどもなんども「慟哭」したに違いない。苦労に苦労を重ねたあげくに、借金を返し終えた後、ようやく安堵して、この本の執筆に取り掛かられたことだろう。

 力道山は生前、「朝鮮半島がスイスのようになればいいなあ」ということを口にしていました。
 いま思えば”遺言”だったのでしょうか、一切、知られていないことですが、スイスの国にはこだわっていたようで私にだけはよく語っていました。朝鮮戦争によって2つになった祖国が統一されたあかつきには、東西どちらの陣営にも属さない中立の道を選んでほしいと願っていたのかもしれません。
p201

 現・北朝鮮で生まれ、日本にきて相撲で関脇まで昇進しながら、自ら廃業し、やがて未知なるアメリカにわたってプロレスラーになった力道山。自らの出自を隠しながら「日本人」として「毛唐」たちをバッタバッタと空手チョップでやっつけた。戦後日本の最初のスーパー・ヒーローと言っても間違いではない。

 天皇陛下の次に有名とさえいわれた力道山は、韓国においてもスーパーヒーローだったし、北朝鮮においても、金日成の次に愛されていたという。もちろん金正日よりは人気があったとか。その力道山本人の心境は、本人でなければわからないが、夫人から見れば、いまだに力道山の「慟哭」が聞こえてくるのは、どうもその祖国の現状に関係している、と感じておられるようだ。

 「慟哭」という言葉は、英雄・力道山には、決してふさわしくはない。他の第三者なら、力道山を評するに、決してこの言葉を選ばないだろう。夫人その人だからこそ、選べた一言である、と思える。

 ふと思えば、10数年前の麻原集団事件を振り返ったとき、最後に私が選びとった言葉は、林郁夫裁判を記録した佐木隆三の「慟哭」だった。時期も同じく半年違いで出ていたこの二書を思い浮かべる時、魂が飛び出さんばかりに泣き叫ぶ人間たちの姿に、人生というものの陰影を強く印象付けられる。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2008.07.10 22:21:32
コメント(0) | コメントを書く
[スピリット・オブ・エクスタシー] カテゴリの最新記事


PR

Freepage List

Profile

Bhavesh

Bhavesh

Archives

2024.10
2024.09
2024.08
2024.07
2024.06
2024.05
2024.04
2024.03
2024.02
2024.01

Category

Comments

BHavesh@ Re[1]:アガルタの凱旋(12/15) subaru2012さんへ ああ、久しぶりにこの…
subaru2012@ Re:アガルタの凱旋(12/15) Miles Davis / Agharta 1 <small> <a hre…
Bhavesh@ Re:禅と戦争 禅仏教は戦争に協力したか(11/16) 現在、日曜早朝座禅会に参加している禅寺…
Bhavesh@ Re:セックスから超意識へ<1>(11/13) Oshoの記念碑的1968年のレクチャー。当時…
把不住y@ Re:編集雑記(07/25) 新ブログはここです。 <small> <a href="…
Bhavesh@ Re:グルジェフ・ワーク 生涯と思想(01/12) 武邑光裕、の名前を検索していて我が読書…
abhi@ Re:編集雑記(07/25) お疲れ様。 新ブログ立ち上げたら教えてく…
Bhavesh@ Re:極秘捜査 警察・自衛隊の「対オウム事件ファイル」(03/03) 私は、最近になって 、そう2015年頃になっ…
Bhavesh@ Re:オウムからの帰還(03/01) この記事は我ながら、切れ味が悪い。大嫌…

© Rakuten Group, Inc.