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カテゴリ:スピリット・オブ・エクスタシー
著者はビートルズのマネージャーに引き抜かれて、ビートルズの広報担当を務めることになった。だから売出しの時期から、そのエプスタインが死亡し、グループが解散したりした経緯も、側近としてつぶさに見つめてきた立場にある。その彼がようやくこの本を書くことになったのは、40年ほど経過しあとの2005年。 新しいアルバム「サージェント・ペパー」のレコーディング・セッションが終了したことが、とくに色鮮やかなパーティを開く理想的な口実を提供した。ビートルズは、このパーティがとびきりワイルドで、ルルを除くほとんどの客が大量のドラッグ、とにくサンフランシスコ直送、その日イチ押しのLSDをやったと報告した。p134 ビートルズのサイケデリックスは67年に一つのピークを迎えるのであり、その象徴は、あのRRとブライアンの死だ。 ポールはこのパーティには現れなかったが、それからほどなくして、彼はLSDを4回服用したことを公の場で発言する。p344 ジョンとポールが私生活のうえでもこの時期にパートナーを代えて出直したのは偶然ではないと、ぼくは確信している。ビートルズとしてのレコーディング活動が終わりに近づいていた頃、4人は仕事上の人生のあらゆる面において、ただならぬペースで加速度的に進化を遂げていた。p368 ブライアン・エプスタインの死をきっかけに、著者は、ビートルズのマネジメントから離れることになる。メンバーたちも新しい会社アップルを立ち上げ、レノンもポールも、新しいガールフレンドと次なるステージへと移行しつつあった。 ぼくはビートルズの解散を不幸だと思ったことは一度もない。あれは、縄でつながれていた4つの芸術的魂を解放してそれぞれの道を歩ませるめの前向きな動きだったのだと思う。実態としてのビートルズは、1966年のツアー時代の終焉とともにファブ・フォーであることをやめていた。それ以後は、どちらかといえば、ビートルズとして営業する会社のようになっていた。p380 ビートルズのメンバーがブライアンの死の知らせを受けたときのことも書いてある。 ビートルズはウェールズ北部のバンゴアで知らせを受けた。彼らはそこでマハリシ・マヘシ・ヨギの超越瞑想法の講習を受けていた。誰よりもショックを受けたのはジョンだった。記者に話す声に、彼の胸のつかえがそのまま聞こえるようだった。p347 この本には側近しか語りえないような内幕情報がボロボロとでている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.07.19 16:14:46
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