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地球人スピリット・ジャーナル1.0

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2009年4月1日

地球人スピリット
・ジャーナル2.0


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2008.07.19
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「ビートルズ売り出し中!」PRマンが見た4人の素顔
トニー・バーロウ /高見展 2008/01 河出書房新社 単行本 391p
Vol.2 No.0199 ★★★☆☆

 ビートルズの歴史の決定版は決して出版されることはないだろうと本人が序章で書いているのは、もっともな話である。当時を経験しているだけでは必ずしも正しく記憶されているとは限らないし、事象についてどれが正しいと断定できないこともあるからだ。
「解説」p387

 著者はビートルズのマネージャーに引き抜かれて、ビートルズの広報担当を務めることになった。だから売出しの時期から、そのエプスタインが死亡し、グループが解散したりした経緯も、側近としてつぶさに見つめてきた立場にある。その彼がようやくこの本を書くことになったのは、40年ほど経過しあとの2005年。

 最晩年、ブライアンは自身の悪癖リストにドラッグおよびアルコールの乱用を加えることになり、この二つへの耽溺が1967年に彼を死を招いた。初めにブライアンが違法ドラッグを試したのは、ボーイズの仲間に入りたかったからだった。彼らはマリファナからLSDの実験へと移行して、ブライアンは仲間だからと誘われるとプレッシャーに勝てず、幻覚を起こして頭を分裂させるこの遊びに加わった。p134

 ビートルズ日本公演が66年の6月。そしてレノンのサイケデリックRRが67年4月。ブライアンが死亡するのは67年の8月。

 新しいアルバム「サージェント・ペパー」のレコーディング・セッションが終了したことが、とくに色鮮やかなパーティを開く理想的な口実を提供した。ビートルズは、このパーティがとびきりワイルドで、ルルを除くほとんどの客が大量のドラッグ、とにくサンフランシスコ直送、その日イチ押しのLSDをやったと報告した。p134

 ビートルズのサイケデリックスは67年に一つのピークを迎えるのであり、その象徴は、あのRRとブライアンの死だ。

 (1965年)10月26日、ジョンの燦然と輝くロールスロイス・ファントム・ファイブ(いわく「エルヴィスのとまったく同じ型だけど、ぼくのはスモーク・ウィンドーになっているんだ」)で、ビートルズはバッキンガム宮殿を訪れ、エリザベス女王からMBE勲章を授与された。p254

 この時のRRと同じ車かどうかはまだ確認できないが、すくなくともバッキンガムに乗りつけたのはサイケデリックRRではなかった。

 ブライアン主催による最後の2回のパーティは、「サージェント・ペパー」を祝って催された。(中略)ジョン、ジョージ、リンゴは夫人同伴で出席した。ジョンは鮮やかな黄色の地にジプシーの幌馬車風デザインとカラフルなサイケデリック調唐草模様が細かく描かれた新しいロールスロイスで現れ、大きな話題を呼んだ。p343

 「鮮やかな黄色の地にジプシーの幌馬車風デザインとカラフルなサイケデリック調唐草模様が細かく描かれた」という表現がまた素晴らしい。こうひとくちには、なかなか言えない。

 ポールはこのパーティには現れなかったが、それからほどなくして、彼はLSDを4回服用したことを公の場で発言する。p344

 レノンは、後年のインタビューで、LSDで「1,000回ほどはトリップした」と発言している。だから、ここでポールは自らの体験を4回「も」やったという意味ではなく、「わずか」4回「しか」やらなかった、という弁明をしているのである。次第にメンバー間の溝が深まりつつあった。

 ジョンとポールが私生活のうえでもこの時期にパートナーを代えて出直したのは偶然ではないと、ぼくは確信している。ビートルズとしてのレコーディング活動が終わりに近づいていた頃、4人は仕事上の人生のあらゆる面において、ただならぬペースで加速度的に進化を遂げていた。p368

 ブライアン・エプスタインの死をきっかけに、著者は、ビートルズのマネジメントから離れることになる。メンバーたちも新しい会社アップルを立ち上げ、レノンもポールも、新しいガールフレンドと次なるステージへと移行しつつあった。

 ぼくはビートルズの解散を不幸だと思ったことは一度もない。あれは、縄でつながれていた4つの芸術的魂を解放してそれぞれの道を歩ませるめの前向きな動きだったのだと思う。実態としてのビートルズは、1966年のツアー時代の終焉とともにファブ・フォーであることをやめていた。それ以後は、どちらかといえば、ビートルズとして営業する会社のようになっていた。p380

 ビートルズのメンバーがブライアンの死の知らせを受けたときのことも書いてある。

 ビートルズはウェールズ北部のバンゴアで知らせを受けた。彼らはそこでマハリシ・マヘシ・ヨギの超越瞑想法の講習を受けていた。誰よりもショックを受けたのはジョンだった。記者に話す声に、彼の胸のつかえがそのまま聞こえるようだった。p347

 この本には側近しか語りえないような内幕情報がボロボロとでている。






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Last updated  2008.07.19 16:14:46
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