「白洲次郎の青春」
白洲信哉 2007/08 幻冬舎 単行本 271p
Vol.2 No.0221 ★★★★★
30代後半になった白洲次郎の孫が、80年前に23歳の白洲次郎が愛車ベントレーを駆って友人ロビンと二人ででたヨーロッパ12日間の旅の跡を、最新のベントレーでたどる。企画の勝利。たんに過去をさかのぼるだけではなく、今後の自分の人生につなげようという気迫が伝わる。啓発される一冊。
23歳、青春真只中だった祖父の面影を探すのも悪くないと思った。彼らはケンブリッジ大学クレア・コレッジをその年に卒業していたので、今風にいうと「卒業旅行」のようなものだったのだろうか。旅の足となったベントレーの最高速度は時速136キロメートル。
当時としてはまちがいなく最高級モデルであったが、季節は冬。80年前の舗装などされていない悪路を、しかもオープンカーで走ることを思えば、旅の過酷さが想像される。
18世紀、欧州は「旅の時代」と言われ、富裕な英国人の子弟が、フランスをはじめとする欧州諸国に、「グランド・ツアー」なる遊学の旅へと競って出掛けたという。この旅も伝統や慣習を大事にする貴族の親友ロビンの提案によるものだったのかもしれない。p49
当時のベントレーと、WAKUI MUSEUMに届いたベントレーでは、外装に違いがあり、エンジンも乗り換えられている。だが、ダッシュボードやハンドルは当時のままだという。そして、ナンバープレート「XT7471」ももちろん、当時のままだ。この車、現在でも実動するというからすごい。
祖父は留学から帰ったあと、いくつかの会社の役員を務め、戦争中には敗戦を予測して、東京郊外の鶴川に隠棲して農業に励んでいた。そして戦後、知遇を得た吉田茂さんに請われて、いろいろな立場で日本復興のお手伝いをする。
しかし祖父は、財界人でもないし、政治家でもない。白洲次郎というのは、「肩書き」がない人なのだ。地位に恋々とせず、頼まれれば信念に従って行動するというのが祖父の信条だった。
ただ、人の人生はそんな単純なものではない。買い被りの面も多々あるようにも思う。そしてこのようなたくさんのメディアに取り上げられていることを知ったら、おそらく「いい加減にしろ」と怒鳴ったはずだ。世間もまたあのような癇癪持ちを持てはやさなかったであろう。p270
万年不良少年・白洲次郎のダンディズムもカッコいいが、その祖父を醒めたクールな視点から見つめる孫・白洲信哉にも、たしかにカッコいいDNAが受け継がれているようだ。1985年、83歳で亡くなった白洲次郎の遺書はたった二行、
「一、葬式無用」
「一、戒名不用」。
この言葉をもって、当ブログ「スピリット・オブ・エクスタシー」108エントリーの締めくくりとする。