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カテゴリ:アンソロポロジー
ある意味で、本書は、チベット・ファンの期待を裏切ってしまう可能性がある。しかし、事実を知らずに、ただ「かわいそう!」と単純な動機から同情するだけでは、チベットを救うことはできない。私たちに何ができるのか? それを考えるためには、なににもまして、事実を知ることだ。そこからしか、真の意味では、なにごとも始まらない。p9 しかし、それはもっともなことだろうと思う。それはチベットに限らない。アジアのほかの国や地域や民族についてであれ、あるいは中東やアフリカ、あるいはいずこの先住民たちについてであれ、ものごとを知ろうとしたら、それはただごとではない。地理も歴史も言葉も文化も、深くゆっくりと理解しようとしなければ、決してわかるものではない。 世にチベット本は数あまたあれど、日本語文献として、当ブログがめくってきたチベット関連本の中では、正木晃が関わる本は、ベストと言っていいのではないだろうか。この本もまた今年のFREE TIBETの動きを丁寧に反映しながらも、決して緊急避難的なジャーナリステッィクな好奇心を満たすためにだけ書かれているのではなく、真実のために事実を知ろうという姿勢を推奨する一冊だ。 現在のチベットのことを考えると、単にこの60年ほどの中国共産党とのつきあいだけではなく、清やモンゴルとの長いつきあいを思い出さなくてはならない。モンゴルについては、同時代人として優れた研究をしている杉山正明を思い出す。 21世紀という「とき」の仕切りに、はたしてどれほどの意味あいがあるものなのか、わたくし個人にはよくわからない。しかし、人類社会もしくは地球社会という空前のあり方のなかで、生きとし生けるものこぞって、ともども生きていかなければならない時代となった。たしかに、「いま」は、これまでの歴史とは画然と異なった「とき」に踏み込んでいる。かつてあった文明などといった枠をこえて、人類の歩みの全体を虚心に見つめ直し、人間という立場から共有できる「なにか」をさぐることは、海図なき航海に乗り出してしまったわたくしたちにとって、とても大切なことだろう。それは、一見、迂遠な道におもえるが、実はもっともさだかで有効なことではないか。「疾駆する草原の征服者」 杉山正明 p374 「遊牧民から見た世界史」 1997/10 日本経済新聞出版社 「逆説のユーラシア史」 2002/09 日本経済新聞出版社 「疾駆する草原の征服者」 2005/10 講談社 「モンゴル帝国と長いその後」 2008/02 講談社 いや、チベット密教こそ、新たなる21世紀以降の「地球人スピリット」をリードしていく先見性を持ち得ている。そのような視点があればこそ、チベット人ならぬわが身でありながら、なぜにこれほどまでチベットに魅力を感じ続けるかの意味が解けてくる。
Last updated
2008.08.31 11:12:04
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