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地球人スピリット・ジャーナル1.0

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2009年4月1日

地球人スピリット
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2008.08.23
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カテゴリ:アンソロポロジー


「清帝国とチベット問題」多民族統合の成立と瓦解
平野聡 2004/07 名古屋大学出版会 単行本 p322,
Vol.2 No.0247
★★★★☆

 
ふと裏表紙を見ると、わざわざ「サントリー学芸賞 思想・歴史部門 第26回受賞作品(2004年)」とワープロ文字を打ち込んだラベルテープが貼り付けてある。図書館独自の作業だろうが、当時よほど話題になったのか、あるいは図書館にこの手の本の強い支持者がいるのか。いずれにせよ、地味でまじめな研究だから、なかなか一般の興味をひくことは難しいのかもしれない。値段もちょっと高めの6000円。よほどのファンじゃないと手がでない。

 
「サントリー学芸賞」とはいかなるものか定かではないが
、「人文科学、社会科学の芥川賞」とも称される、ともあるから、知る人ぞ知る賞ということになるだろう。政治・経済、芸術・文学、社会・風俗、思想・歴史の四つの部門があり、「思想・歴史」の部門の歴代の受賞者リストを見ると、なるほど地味目の学者たちの名前が並んでいる。

 本書は1970年生まれ当時34歳の新進学者の、学位取得論文に多少修正したものというから、きわめてしっかりしたまじめな一冊といえる。まじめな研究だけに、ちょっと量も多く肩が凝るが、学問的に言えば、空白になっていた部分を埋めたというような功績もあるらしい。

 激しくも美しい気候風土の中で独自の社会と文化を花さかせた人々が、何故によりもよって被抑圧者の救済や幸福という理想を掲げる共産主義者の支配下で巨大な悲劇に見舞われたのだろうかという衝撃とともに、高校生の筆者はチベット問題の存在を知ってしまった。そして1989年、大学入学の直前にラサでのデモ行進が武力鎮圧され、大学入学直後に64事件(第二次天安門事件)が発生し、どちらも経済発展という飴と思想統制という鞭によって収拾されたのである。筆者はこうした状況を眺めながら、チベット問題を考えることは、実は中国という国家のあり方や、政治とは何のためにあるのかという問題そのものを考えることにつながるのではないかという発想を抱くようになった。p320「あとがき」

 1989年の天安門事件は世界中の目と耳をそばだたせた。あれ以来、中国内外の中国へのまなざしは大きく変わった。中国もまた内国問題を対外問題へとすりかえる手法に大きく転換した。反日政策への加速もその一環と言われている。当時の騒動を高校生の目でとらえ、大学入学後も決して直線的に進んだ研究ではないにせよ、こうしてひとつの大きな成果になるわけだから、私のような単なるチベット・ミーハーがうろうろきょろきょろしていたのとはわけが違う。

 巻末にも長く詳しい注があり、「引用文献一覧」があるが、一般図書館に収まっているような文献とは趣が違い、学術論文として発表されたものが多数含まれているようだ。もちろん日本語以外のタイトルが多くある。

 モンゴルや新疆における藩部統合と照らし合わせてチベットだけがひとり「独立」状態を享受でき、とりわけ新疆と比べて清軍の圧迫にさらされない状態でありながら、同時に清帝国の統合の一部分として強く認識され、かつそれが19世紀前半を通じて総じて不変だったのは何故なのか。筆者は次のように考える。p181

 事実を知れば知るほど、真実というものが導き出される。中国共産党が「国内問題」として「内政不干渉」という煙幕を張って、権力の横暴の限りをつくさないように、内外の多くの人々が目をみはる必要がある。インターネットによるような情報開示や自由な発言は勿論であるが、キチンとした事実関係に対する認識の積み上げや、説得力ある国際世論の形成も絶対的に必要だ。

 正木晃の「裸形のチベット」の読書案内においても、この「清帝国とチベット問題」は、チベットと清の関係について詳細に論じている、として筆頭に紹介されている。

 「チベット仏教と清帝国」、「『中華世界』と清帝国」、「新帝国の統合における反華夷思想と文化政策」、「尭舜に並び超える『皇清の大統一』」、「『自治』論の時代」、「英国認識とチベット認識のあいだ」とはこび、最終的に「結論」として、筆者は次のように切り出す。

 近現代「中国」の国家統合における最大の問題点の一つは、何故儒学思想と漢字の優越性が周辺民族にも認識されたことを前提とする「中国王朝・中華帝国」と諸朝貢国の関係が20世紀の中華民国・中華人民共和国へと結びつかず、これに対して儒学と漢字を共有せず「東アジア世界」に属するとは言えないモンゴル・チベット・トルコ系ムスリム」が「漢民族とその文化を中心とする中華民族」の不可分の一体として組み入れられ、宗教的・民族的な緊張が続いてきたのかということである。そして、モンゴル・チベット・トルコ系ムスリムの存在は、従来多くの場合「中国」の「周辺」「辺境」として把握されてきたため、彼らが如何なる経緯・論理ゆえに「中国」国家に組み入れられてきたのかという問題に対する認識は一部の歴史研究者を除けば深められることはなく、そのことがなおさら「中華世界の多様性・包括性」なる言説と民族問題の尖鋭な現実との間に横たわる断層を深くしてきたことは否めない。p261

 慧眼ならず、歴史研究者ならざる身なれば、チベット問題の本質とは、なかなか理解できないことは仕方無い。しかし、現代地球でおきている非道理に目をつぶりつづけることは、隣人に対する広い愛を標榜する地球人スピリチュアリティには、おおいに反する。

 他の本で、どこに書いてあったかメモ忘れしてしまったが(たしか「アジアの試練 チベット解放は成るか」ではなかったか)、 オリンピック開催と、その後の10年後の国家の在り方について興味深いことが書いてあった。1936年にベルリン・オリンピックを開催したヒトラー・ドイツは、1945年に消滅した。1980年にモスクワ・オリンピックを開催したソビエト連邦は、1990年に共産党一党独裁を終焉せざるを得なかった。

 他の二国の例と比較することが正しいかどうかは定かではないが、今回2008年に北京オリンピックを開催した中国共産党。かつての独裁国家とは背景も地域も違っているが、ものごと全体が見えてくると、「チベット問題」とはすぐれて「中国共産党問題」なのではないか、と思えてくる。今後国際社会が目を据えて注目していかなければならない問題のひとつに、このテーマが加わっていることは間違いない。






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Last updated  2008.08.23 11:43:35
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