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地球人スピリット・ジャーナル1.0

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2009年4月1日

地球人スピリット
・ジャーナル2.0


へ引越しました。

2008.09.20
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カテゴリ:スピノザ




「ダライ・ラマ『死の謎』を説く」 輪廻転生−生命の不可思議
14世ダライ・ラマ 1994/07 クレスト社 単行本 235p、 
徳間書店 文庫 1999/03 235p、角川学芸出版 文庫 2008/07 215p
Vol.2 No.314  ★★★★☆

 

 偶然だが、当ブログにおける「環境心理学」と「スピノザ」の両カテゴリがちょうど75エントリーで並んだ。「環境心理学」はもともと、1991年の国際シンポジウムの後追いをしようと始まったものであるが、途中で減速し、途中から108に達してしまった「アンソロポロジー」カテゴリの後継エントリーの受け入れ先に変貌してしまった。

 かたや「スピノザ」はもともとスピノザの「エティカ」一冊をまるまんま読んでみようという試みであったが、スタート時点で頓挫し、その後は、西洋哲学やより抽象性の高い分野のエントリーのほおり込みBOXと化してしまっている。

 現在、当ブログは、チベット関連本の読み込みの途中であるが、チベット本にも様々な色合いがあり、FreeTibetの標語とともにより外向きのエネルギーと、「密教」をキーワードとするより内向きの志向がある。ここからは、これらのチベット本をより外向きのものは「環境心理学」に振り分け、チベット本でもさらに内向きのエネルギーをもつ本は「スピノザ」カテゴリに振り分けていこうと思う。

 さて、この本、1994年発行の本だが、なかなか人気のある本らしく、ごくごく最近にも新しく文庫本化されている。一問一答式でダライ・ラマが話したものがアンソロジー的に簡潔にまとめられている。各章にある取材者の<解説>めいたところが(取材者は否定)、やや余計な感じもするが、当時からのダライ・ラマのスタイルが一貫していることがこの本でもよくわかる。

 われわれチベット人の社会は、数千もの転生ラマを有している。こうした転生ラマたちの場合、輪廻転生が常に健全な形で起こっているとはいいがたい。ときとして、転生ラマの輪廻転生が偶然に、いわゆるカルマの必然を伴わないで、起こってしまうことがある。その輪廻が本物か否かを問わず、一人の転生ラマ、チベット語でトゥルクだが、そのトゥルクが死ぬと、人々は生まれ変わりを欲することになる。それが、このような不必要な転生を実現してしまう。p95

 歴史の流れは逆流はできないものの、「あのまま」チベット社会が存続していたとしても、その社会自体が抱えていた問題も、さまざまな形で噴出していたということができる。

 来世を生きるために自己を鍛えるには、かならずしも師が不可欠なわけではない。むしろ、初期の段階においては、あえて師なしで取り組むことを勧めたい。
 師に頼らず、一人で自己を鍛練するについては、ふたつの有意義な点を指摘することができる。まず、一人で学び、修養を積めば、よりよき師を見分けるに充分な知識と経験を得ることができる。次に知識と経験が十分に備わっていれば、死の教えに簡単に満足してしまわずにすむ。
 したがって、一人で励み、それがある程度の高さにまで至ったなら、はじめて師を求めればいい。修行の第二段階に入るための。
p140

 当ブログは、大きくわけて、「時輪タントラ」と「秘密集会タントラ」に次第に突入しつつある。しかも今のところ、チベット密教という道においては、あえて師を求めようとはしていない。しかし、師なしでも、文献的には、かなりのものがすでに公開されている。上のダライ・ラマの言葉があるかぎり、このままいけるところまで入ってみようとすることも、必ずしも悪くもなさそうだ。

 私自身、ダライ・ラマ個人として、私自身の未来には何ら関心はない。ダライ・ラマという制度にも関心はない。ダライ・ラマという制度になんらかの有用性を認めてきただけのことである。だからこそ、この制度は生き残ってきた。
 もし、人々がダライ・ラマの制度が過去の遺物となり、時代にそぐわないと判断すれば、それはそれでいい。自動的にこの制度は消滅するだろう。私はその存続にいかなる努力もする意志を持たない。もし、私のこの生命があと数十年ばかり続き、もし、人々がダライ・ラマの制度を不必要と感じるようになったなら、それはそれまでのことである。
 私は最後のダライ・ラマとなることに、いかほどの痛痒も覚えないだろう。私は一個人の仏教徒であるのみだ。
 人間は本来すばらしい知性と情感を有している。このふたつが相携えて働くなら、正しい方向に向かって進むなら、人類愛や慈悲心がそこには湧き出てくるはずである。本当に大切なことはそれだけだ。
p228

 最後に取材者の大谷幸三の文章だが、カルマパに触れたところがあったので転記しておく。転生のカウント数に疑問があるが、どの代を始祖とするかによって、カウントの仕方が違うかもしれない。

 1993年3月、インド、シッキムのルンテク寺院に座する活仏、カルマ・パの即位式が行われた。と言うより、行われるはずであった。
 カルマ・パは、ダライ・ラマよりも古い系譜を持つ、由緒ある活仏である。ダライ・ラマと前後してカルマ・パもインドに亡命し、以来、数十年、ルンテク寺院を本拠としてきた。
 カルマ・パの即位式はダライ・ラマが主催する集団灌頂儀式(密教で行う頭頂に水を灌ぎかける儀式)、カーラチャクラ法要と同時に行われることになっていた。ところが、新しく19世カルマ・パに認定された少年は会場に到着しなかった。中国当局が少年の出国を認めなかったからだと噂されたが、真偽のほどはわからない。
 そしてしばらくして、この少年の19世カルマ・パ即位について異論が唱えられはじめた。少年が実際の転生かどうか怪しいというのだ。異論を唱えたグループは他の候補者を立て、今も論争が続いている。
 この事件が物語るのは、活仏の転生はきわめて精神的な出来事であり、政治勢力が関与した瞬間に、その神秘の霊力は色あせるということである。活仏を活仏たらしめているのは、チベット人の信仰であって、権力の後ろ楯などではない。
p217






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Last updated  2010.08.02 05:56:49
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