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2009年4月1日

地球人スピリット
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へ引越しました。

2008.10.27
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カテゴリ:スピノザ


「悟りへの階梯」チベット仏教の原典『菩提道次第論』
ツォンカパ /ツルティム・ケサン 2005/06 UNIO /星雲社 単行本 415p
Vol.2 No.348 ★★★☆☆

 「菩提道次第論」は、チベット仏教を代表する尊者ツォンカパの主著であり、晩年の著作として師の最終的な考えです。また、それが基本的ににはインドから師資相承されてきた教えであると考えるなら、インド大乗仏教の最終的な考えですし、チベット仏教の諸宗派においてこの教えを受けておらず、根本としていない者はありません。邦題は、その題名をほぼ直訳した「悟りへの階梯」としました。あとがき414p

 ツォッカパの最終的な最高な境涯を示したばかりではなく、チベット密教、チベット仏教の最高峰、あるいはゴータマ・ブッダ以来の仏教の完全な完成形、というほどの持ち上げ方である。これだけの名著を、良く理解できないばかりか、これはちょっと違うんじゃないか、などと首をかしげている私のような者は、自らの愚鈍さを天下に示しているだけで、ひたすら恥ずかしいの一語に尽きる。

 とにかく、一回目を通しただけではよくわからず、また、今後だって、また読んでみようか、などと再チャレンジする意欲が湧いてくるかどうかさえ自信はない。しかし、松本史朗 「チベット仏教哲学」などに目を通してみると、それぞれ立場はあれど、必ずしもツォンカパ聖哲人は、完全無欠で、批判の余地はない、などというものでもなさそうだ。当ブログとしては、まったく無邪気な取り組みではあるが、まずはツォンカパについては、批判的に取り組もうと思う。つまり、教えを乞うという立場からではなかなか情熱は湧いてこないが、それを乗り越えていかなくてはならない、という意味で、ツォンカパをしっかり学んでおかなくてはならない、という立場からスタートしようと思う。

 「道次第大論」の典拠は、上記のとおりアティーシャこと、ディーパムカラ・シュリージュニャーナの「菩提道灯論」である。アティーシャの略伝は本論冒頭の記述からも知ることができるが、「道灯論」はわずか三頁ほどの小著である。「同論」は「道灯論難語釈」によると、尊師ボーディバドラの甘露のような口訣をアティーシャが承けていたのを、西チベット、ガリの王チャンチュプオと比丘ツルティム・ギャルワの二人がたびたび祈願したのにちなんで、師の口伝と経典などに基づいて著作された。 「序説」p9

 アティシャの「菩提道灯論」は、おなじツルティム・ケサン訳の「解脱の宝飾」のなかに添付されていたので、今後必要になるとすれば、短文なので、全文こちらに引用させてもらうことも可能であろう。いずれにせよ、おなじアティシャの解説でも、Oshoの「アティシャのハート瞑想」などと並べてながめてみる時、チベット密教(仏教)経典の哲学的研究者ならぬ、現代人としての一瞑想者でしかない読者としては、そのあまりの違いに亜然とする。

 ツォンカパによる一連の活動を、チベット仏教における「宗教改革」とよぶ人々もあるが、「宗教改革」とはいっても、日本の、いわゆる「鎌倉新仏教」と同一の次元でとらえることは的外れである。ツォンカパによる「宗教改革」はあくまで宗教のプロたる出家僧侶を対象にしたものであり、ともすれば堕落しがちであった彼らを、戒律をはじめ、ただしい仏教の道にみちびくための行動にほかならず、宗教のアマたる民衆にまで対象を広げたものではなかったからである。ツルティム・ケサン/正木晃「増補チベット密教」p061

 たしかにアマ・プロ論でいえば、カウンセラーやコンサルタントを自称し、時には瞑想指導などを行なって、その対価を得ている自分をアマと見るか、プロと見るかは微妙なところだが、戒律をまもったり、生涯を一つの道に徹することを、内外から監視される立場にない、という意味では、私は宗教の「プロ」ではない。さらにいうなら、「宗教」という「産業」(田中公明いうところの)にもかかわっている者でもない。思えば、このあたりのスタンスの違いが、当ブログがいまいちツォンカパに感情移入できない理由のひとつに関わっている可能性もある。

 p324ページの「菩提道次第の伝承図」は興味深い。「教主シャーキャムニ」から三派にわかれた系統図は、約1400年経過ののち「主尊アティーシャ(982--1054)」において統合され、一人おいて、さらに「カダム・ラムリム派」、「カダム・シュンパ派」、「カダム・タクガク派」の三つの系統に別れたとされている。

 この三派が、それぞれおおよそ10代の師弟を経て、また再統合されたのが「尊者ツォンカパ・ロサンタクパ」においてであり、その後、さらに約20代の師弟関係を挟んで、現在のダライ・ラマ14世につながっている、とされている。実に実に長い長い系譜である。

 まったくの余談となるが、本書のなかで、それぞれのテキストがナンバリングされており、「1」からはじまり、「4-2-2-2-3-3-3-2」まで続いている。この一覧表だけで、実に17ページが費やされている。

 途中においては、「1-3-3-0-b-2」とか、「2-4」とか、「3-1-3-2-5」とか表記されているのだが、だんだん長くなると「4-2-2-2-1-1-2-2-1-2-2-3-2」などという表記が多くなる。最長のものとなると「4-2-2-2-3-3-3-1-3-3-2-6-1-2-2-1-3-1-1-2」なとどいう文字列の列挙ということになる。

 本書の趣旨とは全く違うが、私はこれらの文字列をながめていて、一種の光酩酊のような不思議な感覚を味わった。これらの単純の文字列の連続のなかに、なにごとかの幻覚作用があるのではないだろうか。私は実は、ある文字列について不思議な印象を持っているのだが、そのことをまざまざと思い出したのである。私にとっての特殊な意味合いを持つその文字列はこの17ページの中にはなかったが、なにやら、このような形で、ヒミツを説いていく鍵がみつかるかも知れない、というインスピレーションを受けたことをメモしておく。

 さて、この書き込みにおいて、当グログにおける17番目のカテゴリ「スピノザ」が満願の108に達することになる。思えば、その経緯は右往左往の連続ではあったが、スピノザの「エティカ抄」から始まって、このツォンカパの「悟りへ階梯」へと至る道も、ユーモアに富んでいて、まんざら意義なしともしない。

 いままで、この「スピノザ」「環境心理学」カテゴリに入れてきた書き込みは、今後「インテグラル」カテゴリにほおり込んでいくことになる。いよいよ「OSHO@Earth.Spirit 0.3 」「インテグラル」「アバター多火手」の三つ巴が始まる。この三者が同時に108に達し、最後の「21th カテゴリ」になだれ込んで、「観音のマントラ」も108に達し、現在17万のアクセス数が21万に達しようとする頃、幻身たる7つの身体もホロ見えて、当ブログにとっての究極、大団円への運びとなることだろう。







Last updated  2009.02.20 01:54:17
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