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カテゴリ:mandala-integral
恵果から空海に与えられたこの二つの曼荼羅は、正しくは「両部曼荼羅」というが、天台密教を大成した五大院安然によって、「両界曼荼羅」と呼ばれるようになった。そのため真言宗の学者は、現在でも両部曼荼羅の名を用いることが多いが、現在では美術史家の間で、両界曼荼羅が広く用いられ、文化財の指定もこの名前で行われているので、本書でもこれからは、両界曼荼羅の呼称を用いることとしたい。p6 言葉の定義は難しいが、当ブログでは、ごく最近より、「胎蔵マンダラ」「金剛界マンダラ」で統一し始めている。「両部」なのか「両界」なのかは、混同があるようだが、好みとしては「両部」である。が、今のところ、こまかくはこだわらないことにする。 空海より先に帰朝した最澄は、密教を伝えたことが評判になり、高尾山に日本最初の曼荼羅壇を築いて灌頂を授けたが、このとき制作されたのも金剛界曼荼羅であった。このようなことから考えて、最澄は胎蔵よりも金剛界を得意としていたようである。 日本密教史黎明期における有名なお話である。ここにおいての「胎蔵マンダラ」の存在の意義だが、インド後期密教やチベット密教のように「金剛界マンダラ」高しとし、「胎蔵マンダラ」を軽視する(無視する)傾向をよしとするのか、今こそ「胎蔵マンダラ」を再認識し復権することが求められているのか、当ブログにおけるニワカ勉強では理解できない。 胎蔵マンダラと金剛界マンダラの、さらなる進化形に両部不二(双入不二とも)マンダラと呼ばれるものがある。いずれが高しと即断することはできないが、正木晃は別書で次のように書いている。 私は、21世紀のキーワードとも言われる共生を、両部不二ほど、心身に深く体得させてくれる智恵はほかにない、と考えている。いくら口で、「共生のために、お互いの違いや多様性を認め合いましょう、尊重し会いましょう」といわれても、なかなか身につくものではないが、両部不二にはその可能性が十分に秘められているのではないか。 ちょっと長すぎる引用をしてしまったが、ちょっと前から気になっていた部分だったので、この場にメモしておく。原理主義やグローバリゼーションの意義を一元化して一刀両断というわけにはいかないし、また、「日本の」両部不二とことわるところに、当ブログとしてはすぐにはうなづけないところがあるが、何らかの方向性を提示しようとする姿勢は理解できる。さて、では両部不二マンダラである「時輪タントラ」とはどうか、という風に話しは展開していくことになるのだろうが、今はあまり話しを発展させないでおく。 この「両界曼荼羅の誕生」を読むには、著者自らが述べているように、田中公明の「曼荼羅イコノロジー」や「超密教 時輪タントラ」を参考しなければならない。中国・日本のマンダラに特徴的な「両界マンダラ」を理解するには、チベットのマンダラや、インド密教最後の形態とされる時輪タントラと、注意深く比較検討される必要があり、また、日々専門家たちの研究も進化しつつある。 金剛界曼荼羅を説く「金剛頂経」は真言八祖の一人、龍猛(ナーガルジュナ)が南天鉄塔で感得、つまり霊感によって発見されたものと言われる。南天鉄塔については、古来から種々の説が唱えられてきたが、高野山の密教学を近代化した栂尾祥雲(とがのおしょううん)は「秘密仏教史」において、南天鉄塔のモデルは、南インドのクリシュナ河(キストナ河ともいう)流域にあるアマラーヴァティー大塔であるとの説を唱えた。「はじめに」ii 南天鉄塔、で思い出すのは、佐々井秀嶺のことである。本文に南天鉄塔のことが出るたび、彼のことを思い出しながら読んでいたら、やっぱり、最後にはでてきた。 なお本書執筆中の2004年2月、著者はインドで開催された国際会議「仏教と仏蹟巡礼」に参加し、はじめて佐々井秀嶺師に会うことができた。佐々井師は、ブッダガヤのマハボーディ寺院を仏教徒の手に取り戻す運動などをして、政府から逮捕や布教禁止処分を受けたが、現在はインドに帰化し、ラジブ・ガンジー首相(当時)からアーリヤ・ナーガルジュナの名を贈られた。なおこの法名は、南天鉄塔で「金剛頂経」を感得した龍猛にちなむもので、師は、インド憲法の父、B・R・アンベトカルが被差別カーストの仏教改宗を宣言したマハーラーシュトラ州ナグプル郊外のマンセル遺跡こそ、南天鉄塔の故地であると信じて運動を進めている。このように南天鉄塔の伝承は、現代インドの仏教復興にも生きているのである。「あとがき」219 さて、本書とは直接的なつながりはなにもなく、すでに過去にできていたものではあるが、個人的には思い入れが深い二つの図形を下にアップしておく。二つは、伝統的なルールに則ったものではないが、個人的には「マンダラ」と名づけられているもので、おのおの別々の経緯をたどって作られたものだ。思えば、片や金剛界、片や胎蔵、と見てみれないこともない。この二つは、自らの中にある混沌とした雑片を整理するために、ささやかなコスモロジーを与えようとして、書かれていたものだ。 今後、このふたつの「マンダラ」が内なる観想によって、どのように変化していくのか、純化していくのか、渾然としていくのか、それとも新しき「両部不二」を生み出すのか、個人的にはかなり興味深く見守っている。ここにこそ、今後の当ブログのエンディングがある、と言っても決して大げさではない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.08.22 23:26:36
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