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カテゴリ:agarta-david
![]() 「意識のスペクトル」(1) 意識の進化 すでに原書は30年前に書かれたもので、下書きはさらにその数年前に完成している。当時まだ20代前半の著者の処女作にあたるもので、実にその天才ぶりが発揮されていると言っていい。ここから始まるケン・ウィルバー・ワールドについては、私はすっかり乗り遅れたというか、最初から拒否感がさきにきて、ちっとも楽しい思いはしたことがない、という悲しい思いでの一冊となっている。 そもそも、ウィルバーは1983年当時から、すでに自らをトランスパーソナルな流れとの関係を断とうとしているのに、日本においては、ニュー・エイジ・ムーブメントやトランスパーソナル心理学のもっとも良質な理論家、という位置づけで紹介されており、この本が出版されるころも、著者たちはすでにそのことを知っていたのにもかかわらず、旧態以前とした紹介の仕方をしてしまっている。 もっとも日本においては、ニュー・エイジもトランスパーソナルも、言葉としては定着していないし、翻訳者たちの立場もまだまだ曖昧なものだった。一読者として、その辺の間隙を突くほど、読書センスもなかったし、読書にそれだけエネルギーを注ぐ立場にはなかったが、どことなく感じた違和感は、いまでも残り、ケン・ウィルバーそのものより、日本に紹介されるプロセスがいまいち納得ができなかったと言っていい。 しかし、それはもともとケン・ウィルバーがもっていたあやうさでもあり、この処女作のいまさらながらの読書をもって、全部その理由を解明できるものではない。もうすこし一連の著書を読みこむことによって、その当時の自分がどのように感じ、どのように生きようとしていたのか、自分なりに分かってくるかもしれない。 この「違和感」という奴は、この読書に限らないのだが、自分の人生のなかで、いくちかの場面ででてくるようだ。最近、自らのなかをじろじろみていたら、あちこちにそのような出来事が転がっていた。あまい思い出したくないことが多かったので、すっかり忘れていたが、いや、結構これは重要なことだぞ、と思いだした。今後、ひとつひとつ自分なりに反芻してみようと思う。 そんなことを思い出させてくれた、一冊(いや二冊)。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.12.05 09:41:49
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