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カテゴリ:mandala-integral
図書館で受けとって、なんだ、この本ならウチにあるじゃないか、と一人で苦笑い。納戸のどこかにしっかり保存している(どっかで段ボール箱の下敷きにでもなっているだろう)。この本は忘れることはできない。犯罪的な一冊である。わかった風なことを書いてはいるが、嘘が多い。間違った理解を世に流布せしめた本としては、糾弾されてしかるべき本だ。この本の以前から、この著者はおかしいなぁ、と首をかしげていたが、この本ではその極を極めた。 この人にこんなこと言われたくないなぁ。「ニューエイジ」ってなんですか。「ニューエイジのあらゆる<基準>」っていったいなんですか。「ピッタリくると思う」とはどういうことですか。「ラジニーシのグループ」っていったいなんですか。「ニューエイジ系の人が数多く集まった」とはどういう根拠で言っていますか。 ケン・ウィルバー「グレース&グリット」(上)1999/10 春秋社にはこんな一節がある。 ケンの著作が大きな衝撃を与えているのは、単にアメリカ国内だけのことではなかった。サム(引用者注・シャンバラ出版社長)の言うには、ケンは日本で熱狂的に読まれているけれど、「ニューエイジ」派とみなされているらしい。そう聞いてケンはひどく憤慨した。ドイツでは正統派の著作として扱われ、アカデミズムの世界で大きな流行になっているそうだ。「グレース&グリット」(上)p393 勝手にトランスパーソナル心理学の理論家という称号や、ニューエイジ派などというイメージを作ったのは、ケン・ウィルバーを初期的に日本に紹介したこの人物だ。自分が精魂込めて紹介した人から「ひどく憤慨」されたのだから、なんと哀れなことではないか。このひとつとっても、この人物の仕事の全体が最初の最初から怪しい。ひどくいい加減に他人を枠にはめて自らの価値基準に合わせようとする。「意識のスペクトル」を国内に紹介したときでさえ、すでにケン・ウィルバーは別なところに行っていた。 ラジニーシの考え方は、いわゆる「永遠の哲学」と呼ばれる伝統の考え方となんらかわらない。永遠の哲学は英語ではperennial philosophy といって、昔は「久遠の哲学」と訳されていた。最初にこの言葉を使ったのはライプニッツで、近年ではこれと同名の「永遠の哲学」という本を出したオルダス・ハクスレーがいます。宗教の超越的一体性を説くこの考え方を基盤に、グルイズムという伝統的な形態を背景にして、セラピーという新しい修行的要素を加えたのがラジニーシです。56p いかにも分かった風なことを語っているが、では、なぜそれだけ「目新しくもない」Oshoのサニヤシン達にすり寄って、あれこれ情報をかき集めるような行為をし続けていたのだろう。この人の言っていることには、このまま納得はできない。この本がでる直前に、私はあるOshoのセンターで本人にであっている。よくもまぁ、これだけ印象の悪いところに、のこのこ半日もかけて出かけてくるものだと、呆れたものだ。直接話しても、70年代に会って以来の私の印象はなんら変わらならかった。 さまざまな東洋系の思想の大半は、基本的にいわゆるグルイズムという形をとっている場合が多い。東洋にはグルイズムという伝統があるんですね。これはグルと呼ばれる導師と、チェラと呼ばれる弟子の間に絶対的な関係性を結ぶやり方なんです。修行にあたってイニシエーション(通過儀礼)と受けた修業者は、グルの下で、その絶対的な支配下におかれます。p52 まぁ、わかった風なことを良く言いますなぁ。東洋系の大半は、弟子を「チェラ」と呼ぶなんて、あまりに杜撰な言い方だ。中国も日本もベトナムもスリランカだって東洋ですよ。もちろん、チベットもインドも東洋だが、チェラなんて言い方をしているのはごく一部。ましてや「絶対的な支配下」なんて言葉は、一方的な決め付けのなにものでもない。すくなくとも、私は著者いうところのグルイズムとやらの傾向を自分のマスターのなかに感じたことはない。いくら誤解とはいえ、この人物からなんどもなんども言われなきスティグマを貼り付けられたことは、忘れることはできない。 ところが、リチャード・プライスが1972年にラジニーシのアシュラムに行って、エンカウンターなどのセラピーを受けていた・・・・・・ p56 この著者の言っていることは、ことごとくめちゃくちゃなのだが、リチャード・プライスがインドにいったのは1977年以降のことである。だいたいにおいて、アシュラムができたのが1974年なのだ。いかにも全部自分は知っている、というようなスタイルをとるこの人物の言動はすべて眉唾で読まないと、うっかり騙される。 1977年にプライスは、妻のクリスティンと子どものジェニファーと一緒にヒンズー教の托鉢僧になると言って友人たちを驚かせた。彼はそれを冗談のように言った。正式に托鉢僧の地位を許されるには二つの方法がある。一つはプーナに行って直接にラジニーシと誓約を交わすものであり、もう一つは彼に手紙を書くことだ。それに対する返信によってマーラ(ネックレス)を手にいれ、新しい名前をもらうのだ。プライスは後者を選び、ギート・ゴヴィンドという名前をもらった。しかし彼はその名前を使わなかったし、家族もオレンジ色の衣裳を着たことはない。人びとは本気でやっているとは思わなかったが、その後彼はしばらくの間プーナに勉強に出かけたのだ。「エスリンとアメリカの覚醒」p296 と、こちらではちゃんと1977年になっている。「ヒンズー教の托鉢僧」などというのは、他人が聞いたら誤解しそうな悪い冗談だろうが、すくなくともサニヤシンになっても、名前も使わず、オレンジの色を着なかったところを見ても、すくなくとも彼は「絶対的な支配下におかれる」なんて状況にはならなかった証拠である。それは勧められる程度のことであり、したくなければしないだけのことである。 著者も時としてかなりいい加減だが、このプライスという人物もどれだけのものなのだったのだろうか。「プーナに勉強に出掛けた」のでは、そもそもその旅は間違いだったのだ。Oshoのところは、「勉強」をするところではない。自己と向き合うところなのだ。なんで、あれ、最初から、上げ足を取りにインドにいって、ひとつやふたつのネガティブ情報を得て、アメリカに帰ったということだろう。まぁ、ご苦労様です。それぞれの旅ですからね。 ニューエイジの流れの人からは嫌われてしまった。p58 まぁ、だから、ニューエイジの流れの人、とは誰のことか、いまだによくわからないのだが、別に最初からニューエイジの流れの人とやらに好かれようとして、Oshoは生まれてきたのではないのではないかな。著者がそう見るのは勝手だが、執筆力があることを良いことに、いい加減な推測話を際限なく続けるこの人物はまったく困ったチャンだなぁ・・・。鼻つまみもん。誰かキチンと対応してあげればよかったのになぁ。周囲の善意を悪用してしまったのがこの人物だ。 やはり基本的にはグルイズムが問題なんです。p58 はいはい、それがあなたのなんとかの一つ覚えだというのは分かったが、まずそういうなら、まずは隗より始めよ。自分からやりなさい。あいも変わらずこの本も平河出版という似非密教グルの経営する出版社から出ている。この著者の足元と口元は、全然バラバラだ。 このひとは、この後に、グロフの流れにもぐりこんだのか、ホロトロピック・セラピーのセラピストになったようだ。この人にはアサジョーリのお言葉の一つでもプレゼントしておこうと思う。 他者を心的な高い場所や深みに導こうとするセラピストは誰でも、自分自身がこれらの心的な高みや深さに到達していなくてはなりません。現代のサイコセラピストは、自分自身の心のなかでの上昇と下降の訓練をするところから始めなくてはならないでしょうし、それによって人間のなかの多様な構成要素と、人間の生活の背景にある原動力も体験しなくてはならないでしょう。「サイコシンセシス」p460 瞑想は、主導的な治療技法の一つとなり得るものです。筆者がよくなじんでいる、新しい体系はいずれも、この方向への発展を求めています。しかし、この発展が起こるかどうかは精神療法の訓練、および精神療法の実践の、根本的な再構成にかかっています。サイコセラピストが瞑想の研究を続けることは非常に大切なことです。私たちは、ただ瞑想が体系的な技法へと発展し続けること、そして人間が最高の心理的可能性を発展させる終着点の方へと進むことを助けることができることを望むだけです。「サイコシンセシス」p466 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.05.19 23:29:53
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