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カテゴリ:mandala-integral
「自我の終焉」絶対自由への道 <1> さて、クリシュナムルティ読み込みの重い腰を上げなければならない。なにはともあれ、クリシュナムルティ関連本の読書リストを作っておいた。そのうち7~8割は在庫があるので、なんとか読むことはできそうだ。 Oshoは「私の愛した本」の中では、この「自我の終焉」と「大師の御足のもとに」、そして「生と覚醒のコンタリー」シリーズに触れている。「大師の御足のもとに」については、クリシュムルティ本人が書いたものではないとしていて、ススナガ・ウェーラペルマ「気づきの探究」 の中でも大きなテーマのひとつになっている。誰が書いたものであろうと、当ブログにおいて細かく判断することは、その当の本を手に取るまでは保留としておこう。ただ、この本、現在リクエスト中ではあるが、今のところ、図書館ルートではなかなか読めそうにない。 クリシュナムルティが日本で一般的に知られるようになったのは、この本が1980年に出版された頃からであろうか。それ以前は、今東光の「最後の極道辻説法」のなかに”クリシナ・ウォルテ”という名前で登場してきたのが目立つくらいだ。もっとも、Oshoの本を読んでいた人々は、Oshoの本を通じて、クリシュナムルティのことを知った人も多いはずだ。むしろOshoが日本社会に紹介したのをきっかけに、クリシュナムルティ本の翻訳が一挙に始まったということもできるだろう。時間経過的にはそれははっきり言える。 この経緯はほとんど同時にスタートしたグルジェフ+ウスペンスキー本の紹介の始まり方と、同じプロセスを経ているように見える。少なくとも、75年頃からのOshoサイドから見ていれば、そう見えたのだった。 これは彼が光明を得た後の最初の本だった・・・・・そして最後の本でもある。ほかにもたくさんの本を著したが、それらは同じことの貧しい繰り返しにすぎない。彼は「最初にして最後の自由」以上のものは、ひとつも生みだすことができなかった。Osho「私が愛した本」p35 OshoはOshoのアルファベットで物事を語るので、割り引いて聞かなければならないことも多々あるが、ここでは「彼が光明を得た後の・・・」というくだりである。クリシュナムルティが光明を得たとされるの何時だったのだろう。 クリシュナムーティが長年にわたって探究していた「真理」、あるいは「真の実在(リアリティ)」を実際に発見したのは1927年ではないかと思われます。31歳になった頃か、32歳頃になった頃と思われます。というのは1927年6月30日に、神智協会の総会の演説の中で彼は次のように言っているからです。 あるいはまた、一つの質問についてこう答えている場面もある。 質問 あなたは「真の実在」を悟られました。そこで「神」とはどのようなものか話していただけないでしょうか。 クリシュナムルティ 私が「真の実在」を悟ったということを、あなたはどうして知っているのでしょうか。私が悟ったということを知るためには、あなたも悟っていなければなりません。これは単なる懸命な解答ではすまないのです。何かを知るためには、あなたもそれにならなければなりません。あなた自身もその経験を持たなければなりません。従って、私が「真の実在」を悟ったというあなたの言葉は、当然何の意味もないのです。私が悟ったかどうかということは問題ではありません。私の”言っていること”が真実なのではないでしょうか。たとえば私がもっとも完璧な人間であったとしても、もし私の言っていることが真実でなければ、どうしてあなたは私に耳を傾けたりするでしょうか。明らかに私の悟りは、私の言っていることとは何の関係もありません。また、他人が悟ったという理由からその人を崇拝する人は、実際は権威を崇拝しているのです。それゆえ、その人は決して真理を発見することができません。悟ったことを理解したり、悟った人を知るのは少しも重要なことではないのです。p389 クリシュナムルティの言葉は平素な単語を用い、単層でシンプルなアルゴリズムで組み立てられているが、やはりクリシュナムルティのアルファベットが使われているので、よく噛みしめることが必要だ。 ウスペンスキーなどは、ひとが真実に至るには、「スクール」が絶対に必要だ、と何度もなんども強調している。ウスペンスキーのアルファベットはグルジェフのそれと同一ではないが、その影響化にあると見ていいだろう。ここでは光明を得たマスターが絶対に必要であり、その元にあるスクールのワークに参加して、努力することが絶対に必要だ、と何度も何度も強調している。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017.02.16 04:21:57
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