|
全て
| 目次
| 2nd ライフ
| ネットワーク社会と未来
| マルチチュード
| アガルタ
| シンギュラリタリアン
| 地球人スピリット
| マーケットプレイス
| ブログ・ジャーナリズム
| OSHOmmp/gnu/agarta0.0.2
| mandala-integral
| レムリア
| スピノザ
| ブッダ達の心理学1.0
| シンギュラリティ
| agarta-david
| アンソロポロジー
| バック・ヤード
| チェロキー
| 環境心理学
| osho@spiritual.earth
| スピリット・オブ・エクスタシー
| 22番目のカテゴリー
カテゴリ:agarta-david
ジブランの代表作「預言者」は何人にも翻訳されている。この本の巻末にも紹介されているが、「プロフェット」1972小林薫・訳、「預言者」1984佐久間彪・訳、「生きる糧の言葉」1985岩男寿美子・訳の三冊がある。さらには、この本には紹介されていないが「預言者アルムスタファは語る」1993堀内利美・訳があり、これら四冊すべてが今私の手元にある。一冊一冊メモしようかな、とも思ったが、残りのエントリー数も限られてきたので、次の機会に譲ることにしよう。 堀内訳が、この本に紹介されていないのは、この本とほぼ同時の1993年に出版されているからであり、ひょっとすると、その後には、その他の翻訳もあるかもしれない。最近では、「よく生きる智慧 完全新訳版『預言者』」2008.12柳澤桂子・訳がでた。 これほどに、ジブランと言えば「預言者」と、すぐでてくるのだが、他にもいくつかも著書があることは、日本においてはあまり知られていない。Oshoは「私が愛した本」の中で、ジブランの本のうち9冊にふれているが、この本の巻末の解説で小森健太郎は、ジブランには16冊の本があると推測している。正確なリストは、英語圏にもないようだ。 さて、いたって詩情を理解しない無粋な当ブログではあるが、ざっと読んだ場合、やはり「預言者」の「完成度」は相当に高いと思われる。10代で下書きを完成し、亡くなる40代までジブラン自身が手を入れ続けたというだけに、これ以上いじれないというほど、すでに出来上がっている感じがする。 それに比して、この本に紹介されている、「狂人(きぐるいびと)」、「先駆者(さきがけびと)」、「漂泊者(さすらいびと)」の三冊は、それぞれに、星新一のショートショートみたいで、ちょっとひねりのきいたSFみたいに読みやすいが、決して文章的に過剰な装飾はない。素朴で、ジブランの生地レバノンの風が吹いてくるような、土地のかおりがただよってくるような、不思議なリアリティがある。 私がどうして狂人になったかとお訊ねか。それはこういうわけだ。多くの神々が生まれるよりさらに昔のある日のこと、深い眠りから覚めた私は、自分の仮面が----7つの人生の間にこしらえ、かぶってきた7つの仮面が----みんな盗まれているのに気づいた。仮面をつけぬまま、私はごった返す通りを駆け抜けながら叫んだ。「泥棒だ、泥棒だ、いまいましい泥棒だ」 p11 ここで最初からドキッとさせられる。実は、当ブログでは、転生魂agarta-davidの7つの人生が底流として流れているからだ。もし、この7つの仮面が「盗まれて」しまったら、計りしれない惨事ということになろう。しかし、よくよく考えてみれば、この7つの仮面は、本当は「盗まれなくては」ならないのだ。 男も女も私を見て笑った。私を恐れ、家へ駆け込む者もいた。 私は狂人になれるだろうか。7つの仮面を盗まれてしまったら、8つ目の仮面を急いでつくるのではないだろうか。当ブログは、仮面のひとつであるかもしれない。だからこそ、当ブログは、この仮面をそろそろ脱ごうと思う。泥棒がやってくることさえ、待ち望んでいるかもしれない。 そして私は、自分の狂気の内に自由と安全とを見いだした。それは、孤独なるがゆえの自由、理解されないがゆえの安全だ。なぜなら私たちを理解する者は、私たちの内なる何かを隷属させるからである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.06.06 16:49:23
コメント(0) | コメントを書く
[agarta-david] カテゴリの最新記事
|
|