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地球人スピリット・ジャーナル1.0

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2009年4月1日

地球人スピリット
・ジャーナル2.0


へ引越しました。

2009.01.14
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カテゴリ:mandala-integral
<1>よりつづく


「トランスパーソナル心理療法入門」 <2>
諸富祥彦・編著 2001/07 日本評論社 単行本 280p
Vol.2 No.515  ★★★★☆

 当ブログが始まったきっかけはいくつかの要素があった。

1)一時夢中になったもののSNSに物足らないものを感じはじめ、ブログという機能も登録してみたが、なかなかネット上の自我を形作ることができず、またアップすべきテーマも見つけることが難しかった。

2)たまたま家族の運転手としてついて行った図書館の新刊本コーナーに結構おもしろそうな本があることに気づき、図書館通いが始まる。そのうち、図書館ネットワークがグレードアップし、自宅から様々な図書をインターネットを通じて検索できるようになった。

3)世の中、どんな本が流通しているのだろうと、手当たり次第、図書館から借りだして読んでいるうちに、読書メモをする必要を感じ、折衷案で読書ブログのようなものがスタートすることになった。

4)テーマも方針もないまま読書をすすめたが、結局、自分がもともと関心を持っていたテーマに絞られていった。そしてそれらについて想定以上の書籍が流通していることが分かりはじめた。

5)読書の面白さとともに、読書の限界も分かってきた。ブログの面白さが分かってきたが、ブログの限界(特性)も分かってきた。次なるステップを模索する段階になってきた。

6)1500冊あまりに目を通してみて、そこからもっと深めてみるべきテーマが見つかってきた。ブログやインターネット上の機能についてやや理解が深まり、リセットして、再スタートすべき点があることに気がついてきた。

7)ブログであれ、読書であれ、始まりがあれば終わりがある。長い沈黙(失語)の後に当ブログが始まったことを考えれば、次第次第に言葉が失われ、長い沈黙に帰っていくべきであろう、というイメージがある。終わりというより、ひとつの円環の完成である。

 この本の編・著者である諸冨祥彦の「トランスパーソナル心理学入門 」1999/08は、初期的に当ブログに登場し、最初期から関心のある一冊だった。途中から、この本の兄弟本ともいうべきこの「トランスパーソナル心理療法入門」という本があることがわかったが、なかなか読むチャンスがなかった。その後、読む気になってリクエストしてみたが、他に借りだされていて、自分の番になるのが結構時間がかかった。そして、ようやく手元にやってきたのだった。

 この本に目を通していて、最後の最後まで気がつかなかったが、この本は、諸冨を編集者としているものの、14人の研究者たちによる共著である。それだけこの本が一冊の本としての統一性があるということにもなろうが、また、「トランスパーソナル」という概念にものごとをすべて押し込めてしまおうという意図の表れでもあり、「入門」というより「包括」したため、さまざまなことが落とされたということでもある。

 私が、え?この本、諸冨が書いているの? と疑問を持ったのは、第15章の「唯識仏教とトランスパーソナル心理療法」というところまで来て、これを書いているのは実は14人目の執筆者の岡野守也であることに気がついてからであった。つまり、1~14章はわりと流し読みで気を入れて読む気になっていなかった、ということだろう。

 岡野守也については、「トランスパーソナル心理学」1990/01以来、気にはなっているが、追っかけをしたことはない。特に近年におけるもろに仏教用語を前面に出した一連の著書については、目を通してからではないと判断できないが、目を通すだけの価値があるように思われる。

 唯識は、さらにその底に「アーラヤ識」という心のもっとも深い領域を想定する。「アーラヤ」は、「蔵」を意味するサンスクリット語で、すべての存在、生命を形成する基になる種子が蓄えられた領域である。

 仏教は古代インドの世界観を受け継いだところがあり、生命はこの生だけで終わると考えず、生まれ変わり死に変わる「輪廻」があると考えている。そして唯識は、アーラヤ識が輪廻の主体であると捉えている。仏教を含むインド思想では、ある行為はかならず後に影響力を残すと考えられており、行為と残存影響力の両方を含めて「カルマ(業)」と呼ぶ。アーラヤ識は、カルマの種子を蓄えた蔵であり、その働きによって、人間は生命を維持し、それに執着するというのである。アーラヤ識とは、「命と命でないものを分けた上で、命に過剰にこだわる心の働きである」といっていいだろう。

 人間の心に奥底=深層にマナ識、アーラヤ識という領域があり、その相互作用によって、自分と自分の命への過剰な執着が生まれると捉えられている。すなわちアーラヤ識が自我に執着するマナ識を生み出し、マナ識が自我への執着を通してアーラヤ識を見たとき、命が他とのつながりによってある時期現れて消える流れのようなものではなく、固定的な「自我の所有する命」というふうに見えるというのである。このアーラヤ識とマナ識のいわば悪循環が、他のすべての煩悩の源泉となる。

 しかし、アーラヤ識はいわば種子の貯蔵庫であるから、それ自体は善でも悪でもなく中性であり、ふつうの人間の現状は、そこに貯蔵された種子からマナ識を経由して意識に煩悩が生まれ、そのカルマの種子がまたマナ識を経由してアーラヤ識に蓄えられ、そこからまた煩悩が芽生え・・・・という悪循環を繰り返しているが、そこに覚りの種子を植えれば、やがて覚りが芽吹いてくることも可能だとされている。

 唯識では迷いから覚りへ突然飛躍するとは考えておらず、非常に長い時間がかかるとされているが、しかし長い時間をかけて修行することによって、迷いの心理構造である八識は、表層から深層まで智慧の心理構造に変容することが可能だというのである。  p275






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Last updated  2009.01.15 15:12:17
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