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カテゴリ:バック・ヤード
「英知の辞典」 <19> OSHO
芸術 ART 私の全アプローチは、科学は召使であり、宗教が主人だというものだ。宗教が究極の価値にとどまらなければならない。宗教は科学に対立しない----科学が宗教に到る道を整える。そして芸術は主人と召使を仲介する者となるべきだ・・・・家の管理人に。 芸術は橋だ。誰かが何不自由ない暮らしをし、何でも必要なものが手に入るとき、芸術がなくてはならないものになる。こんなふうになぞらえてみるといい----科学は肉体であり、芸術は心(マインド)であり、宗教は魂である、と。肉体的な要求が満たされたとき、心は何かを求めはじめる----よい音楽、絵画、芸術、彫刻、小説、詩などといったものを。肉体が満たされたとき、心は新たなものを求めはじめる。体の要求が満たされて初めて心の要求が起こってくるのであって、けっしてそれ以前ではない、。それはより高い要求、心の要求だ。 ベートーベン、ワーグナー、モーツァルトを求めること、あるいはシェークスピアやミルトンを求めることはより高い要求だ。パンを求めるのは低いほうの要求だ。イエスが「人はパンだけで満足することはできない」と言うとき、彼はこのことを言おうとしている。確かにパンは必要だ----彼はパンなしでも満足できると言っているのではない。誰にもそれはできないし、イエスですらパンを必要としている----だが、それだけでは充分ではない。 パンを手に入れてしまえば、いったんあなたの胃袋が満足したら、心のなかには新たな要求、より高い要求が起こってくる。あなたは美しい音楽、詩、歌、ダンスを欲しがるようになる。ほかにすることがあるだろうか? 肉体が満たされると、心理的な要求が起こってくる・・・・。 だから階層(ヒエラルキー)がある----科学が基礎であり、芸術は寺院の建物であり、宗教は黄金の尖塔だ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.02.12 00:13:05
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