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地球人スピリット・ジャーナル1.0

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2009年4月1日

地球人スピリット
・ジャーナル2.0


へ引越しました。

2009.02.25
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テーマ:私のPC生活(7395)
カテゴリ:バック・ヤード

地球人スピリット・ジャーナル2.0につづく

<1>よりつづく

「ウェブは資本主義を超える」「池田信夫ブログ」集成 <2>
池田信夫 2007/06 日経BP社 /日経BP出版センター 単行本 245p
★★★★☆

 最初は一ヶ月に数百ページビューしかなかった私のブログは、いまや最大1日3万ページビュー、1万5000ユーザーを超えるようになった。もうこれ自体が立派なメディアである。資本と情報を集中的に管理する工業社会の枠組みが崩れるという変化が、メディアに反映しているのだ。
 資本主義が300年続いたとすれば、それに続く時代はまだ始まったばかりであり、真の変化はこれから起こる。具体的に何が起こるかは予測できないが、集権型から分権型へという方向は今後も変わらないし、不可逆だろう。その過程で、既存の大企業やマスメディアの一部は没落するかもしれないが、一人の王が死ぬことは、次の王の誕生を意味する。したがって葬儀は祝典でもある。The king is dead.
Long live the king!   p3

 個人メディアとして一日3万ページビューは最大限に多いと言えるだろう。糸井重里がかかわる「ほぼ日刊イトイ新聞」はアクセス数は日に35万、とか言われているが、必ずしも個人メディアとしてのブログではない。あるいは、芸能人や有名人が書いているブログは、さらに凄いことになっているかもしれないが、アクセスやページビューのカウンターが上がりつづけることが必ずしも、自らが「メディア」として存在しているという証拠にはならないと思う。

 かくいう当ブログは、開設してから半年間は一日平均3アクセスだった。ほとんどなにも書いていなかったのだからしかたないが、現在は一日平均数百になっており、数百しかない、とは思わない。ある意味十分すぎるとさえ思っている。ネット社会が双方向性という特性を持っているとすれば、数百の訪問者があることは嬉しいが、それら数百の訪問者達のページまでこちらが出向いて、すべての情報を受け取ることはまず不可能だろうし、意味も感じない。

 「80対20の法則」が働いているとして、数百のうちの20%の数十人だけであったとしても、その人々としっかりしたコミュニケーションができていれば、「6次の隔たり」でもって、地球人すべてとつながりうる可能性があるのだ。あえてアクセス数を誇ったり、アクセスを過大評価することはあってはならないと、私は思う。

 しかしそれはすこしやっかみもあるかもしれない。アクセス数が数万、数十万になったら、それを体験したことのない人間には考えられないような感覚がでてくるかも知れないので、それはそれ、その可能性は当ブログにおいても残しておきたいものだ。

 さて、「ブログを考える50冊」をリストアップしながら、「池田信夫ブログ」を思い出し、初読時はかなり走り読みだったので、ひょっとすると読み残しているところがあるのではないか、と再読してみた。やはり初読だけではわからないニュアンスがあり、お、これは★5つだな、いや、★フルカラーだ、★レインボー!だ、などと思いつつ、三分の一ほどまできたが、最後まで読み通したところで、結局は、初読時と同じ★4つにとどまった。

 かなり以前から私はRSSリーダーを活用し、一時はMaxの100ブログを登録していたが、試行錯誤を繰り返すうちに、結局はその半分くらいで推移するようになり、そのリストのなかのトップから数えて片手の中に、この本の著者のブログは登録されている。

 私が見つけてきたブログのなかでは、この著者のブログは、各段に読みごたえがある。こういう密度の高いものがブログと呼ばれるものであるかもしれない。そして一度はゆっくり目を通そうと思っているうちに、結局は読まないで日時だけが経過してしまっている。

 なぜか。一つは、あまりに情報の密度が高いこと。つまりこちらの要求レベルを超えて、枝葉末節に入り込むことがあること。次に思いつくことは、面白いことは面白いのだが、こちらの最終的なテーマと、目的がずれていること。三番目に、著者が最初から自らのページビューについてふれているように、どこか独善的であり、かならずしも双方向性を望んではいないのだ、ということを感じたことだ。

 科学、テクノロジー、インフラとしてのインターネット、そしてその中に一個人が参加する場合、ブログという形態は極めて魅力的だ。いくらリナックスやオープンソースが魅力的だと言ってもそのカーネルを解読して、そのコミュニティに参加しようということは、私には無理だ。せいぜい今書いている楽天ブログの機能を使いきる程度の「テクノロジー」を理解する程度が関の山だ。

 コンテナとしてのブログをどのように使いきるのか。その場合、さまざまな利用方法が試みられてしかりべきだが、ジャーナリズムという表現形態は、とても魅力的だし、ブログという新進のメディア・ツールには則しているように思う。しかし、それだけでいいのか、という疑問がどこまでも残る。テクノロジーとジャーナリズムの融合としてのサイエンス・ジャーナリズムとしてなら「池田信夫ブログ」も悪くないのだが、それ以上の、なにかもっと別なものを求めようとすると、やはりこの本は★4つが正しい評価となってしまう。

 それでは、ブログというテクノロジーを使い、ブログというジャーナリズム・ツールを用いて、真のコンテンツであるターゲットにすべきものは何か。テクノロジーがテクノロジーを生み出し、ジャーナリズムがジャーナリズムを論じている、という蛸が自らの足を食べているような図式から抜け出すには、その視線を意識、コンシャスネス、スピリチュアリティに向けなければならないのではないか、と思う。

 テクノロジーは、超天才たちが一度発見し発明してしまうと、私のような凡人でも、その恩恵に浴することができる。アートやスポーツの達人と並ぶ優れたジャーナリストが活躍すれば、啓発された通常の人間は日々の生活を変えていくことができる。しかし、コンシャスネス、スピリチュアリティというものは、誰かが発明し、活躍したからと言って、「私」自身にとってはなんのメリットもない。2500年前にお釈迦さまがお悟りをお開きになったからと言って、もう私は何もしなくてもいい、というものではない。キリストが磔になったからと言って、あとはこの世に天国がきました、と浮かれている場合でもない。

 テクノロジー、ジャーナリズム、スピリチュアリティは、当ブログの三大柱だが、それぞれに特性がある。この三本柱が見事に融合している著者やその本というものは限りなくすくない。テクノロジー、ジャーナリズムまでなら、この「ウェブは資本主義を超える」はなかなか面白い。現役のブログから発生した本としては、記録され繰り返し読まれ、語られるべき一冊であろう。しかし、惜しむらくはスピリチュアリティへの展開がない。かすかにオープンソースやマルチチュードに触れるあたりにその萌芽があるが、著者はその芽を大きく育てようとはしていない。









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Last updated  2009.04.10 07:19:40
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