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テーマ:ニュース(99457)
カテゴリ:バック・ヤード
<1>からつづく 前回この本を読んだのは、ちょうど奥付に書いてある発行日2007年11月30日だった。通常この手の本の発行日は一か月ほど遅れて表記されているので、すでに数週間前から店頭に並んでいたのだろうが、この手の本には特に目を引かれる私だから、見つけてすぐに手に取ったことを思い出す。 そして、その場で立ち読みしながら、この本を巻頭から巻末まで三回ほど目を通した。買うべきか買わざるべきか迷ったが、結局買わなかった。あの時、買っていたら今回再読することはなかっただろうし、買わなかったからこそ、買わなかった、という自分の行為は正しかったかどうか検討のために、すでに図書館に収められていた分から借りてきて再読してみた。 結論としては、立ち読みでは★4つけていたが、今日は★3つに下がってしまた。つまり、私はこの本を買わなくてよかった、と結論づけた。いや、今回読み通した段階では、正直言って★2つでもいいのではないか、という失望感さえ持った。しかし、この本のタイトルに免じて、そこまで酷評するのはやめよう。 非常に魅力あふれるタイトルではあるが、矛盾がいっぱいあって、理屈が通らないことがたくさんある。まず、著者がいたずらなマスメディアに対するカウンターカルチュアルな意識を持ち続けていること。パブリック・ジャーナリズムといいながら、シロートでもプロにまけないことができますよ、という生きがりばかりが目につき、片ひじが突っ張りすぎているように思う。 ジャーナリズムがジャーナリズムを論じているのでは、マッチポンプでしかない。消防士が放火して消火活動に出動しているようなものだ。著者は、ジャーナリズムの、本当の意味でのターゲットを見失っている。なんだかんだ言っても、結局はコンテナとしてのジャーナリズムにこだわってしまっているのだ。もし人々に伝わるべきニュースがあるとするなら、お昼のNHKニュースだろうが、電車の中の噂話だろうが、どこかの国から飛んできた風船紙爆弾でも、なんでもいいのだ。市民が書いたから市民ジャーナリズム、パブリック・ジャーナリストが書いたからパブリック・ジャーナリズムなんて、区分けは、ある意味、茶番だ。 「東京視点」の閲覧数は1日2万件を超すような盛況を呈してきたのですが、内側は自転車操業もいいところ、・・・(攻略)。p42 著者はもともとジャーナリズムを学び、キチンとしたジャーナリズムにも籍をおいた人なのだから、この手のジャーナリズム観を持っている人は、通常のジャーナリズムに戻ったほうが、私はいいと思う。93歳のむのたけじが「戦争絶滅へ、人間復活へ」のなかで「朝日を辞めるべきではなかった」p69と述懐していることを私は重く受け止める。マスメディアにはマスメディアにしかできないことがある。 ここで著者がここで「閲覧数は1日2万件を超すような盛況」と書いていることに憐みを覚える。2万だろうが、200万だろうが、部数を誇るなら、やはりマスメディアとなんら視点は変わらないと私は思う。私のブログ・ジャーナリズム観は、読者は200人で十分だ、というところにある。万人受けする記事などを、個人が、ボランティアで書いたりすべきではないのだ。それでは荷が重すぎる。責任感が強いのもいいが、それでは、すぐに燃え尽き症候群になってしまうのは、あたり前だ。 マスメディアと個人メディアの違いは、ユークリッド幾何学と、非ユークリッド幾何学の比較にも求めることができるのではないだろうか。マスメディアの尺度はあまりの大まかで、直線を長く引きすぎる。それでは、球面を表現できない。描いたとしても、無骨な6角形や8角形でしかない。ホンの短い、線とさえ言えない短い点が、無数につながってこそ円は形作られる。そして縦横に広がってこそ球体となる。個人にしかできないことがある。個人のつながりでしか表せないことがある。そのことを著者は見逃している。 今では極端な話、携帯電話一つで取材して原稿と写真を瞬時に送ることができます。新規に携帯電話を購入するのであれば、「1円」で足りることもあります。わたしは地方出張する時ではPHS{ウィルコム」の携帯端末を利用しています。これ1台でネットを閲覧することができますし、パソコンとほとんどおなじワープロや表計算の機能や、デジカメ・録音機能も付いています。料金はは定額制なので1ヵ月1万円もかかりません。p33 だから、パブリック・ジャーナリストよ、ほとんど無料で良質な記事を書け、というのはおカドちがいだ。この言葉を言うなら、まずはプロのジャーナリストたちに言うべきだ。そしてNHKの視聴料とか、新聞の購読料を値下げせよ、と要求すべきだ。 わたしは地方取材に出かけるとき、軽バンの車内を「PJニュース」の移動支局に変身させます。変電機、パソコン、カメラなどの取材道具や、寝袋やマット、コンロや食料といった野営道具も積み込めば、立派な支局になります。p152 だからこんなことは、すべて朝日の新聞記者やフジテレビのプロデュサーや共同通信のジャーナリストたちがやればいいことであって、コスト削減して、もっともっと良い記事を安く配信すればいいだけのことなのだ。パブリック・ジャーナリストになにもこんなビンボーな体験を強いる必要はない。 個人メディアのジャーナリストたちは、コタツに入ってぬくぬくとせんべいでもかじりながら、パジャマのまま、パソコンの前に向っていればそれでいい。なにも何万人も大向うを唸らせるような記事など書くべきではない。せいぜい数人数十人に伝わる程度でいい。誤字脱字それもOKじゃないか。もし、そこに真実があれば、地球の裏側まで伝わる。もしそこに真実がなかったら、何億人に伝わったとしても、単なるガセネタでしかない。 コンテナ、コンテンツにこだわり過ぎだ。真実はどこにあるのか、もう一度、よくよく見直したほうがいい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.02.25 22:47:12
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