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2009年4月1日

地球人スピリット
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2009.03.01
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カテゴリ:バック・ヤード


「ジャーナリズム崩壊」
上杉隆 2008/07 幻冬舎 新書 234p
Vol.2 No.536 ★★☆☆☆ ★★★☆☆ ★☆☆☆☆

 さっき読んだ「インターネットは誰のものか」を図書館に返しに行きながら、本の内容はともかく、このタイトルだけが何度も頭の中でリフレインしていた。この「インターネット」という文字の部分を他のものにしたらどうだろう。例えば月亭可朝のことを思い出した。

 ♪ボインは 赤ちゃんが吸うためにあるんやで~ お父ちゃんのものと違うのんやで ~♪

 ボインは誰のものか? これは永遠の問題だ。赤ちゃんのためにあるのか、やっぱりお父ちゃんのためにあるのか。いやいやお母さん本人のためにあるのではないだろうか。それとも、ひょっとすると下着メーカーの社員の生活のためにあるのかもしれないし、画家が素晴らしい芸術作品を描くためにあるのかもしれない。日曜日の午後だからか、頭の中では、こんなことを延々と考えながら、図書館まで行った。

 では、たとえば「国家」は誰のためにあるのだろうか。国民のためにあるのだろうか。政治家のためにあるのだろうか。天皇のためにあるのだろうか。海外から見た場合に、まとまりがあったほうがいいからあるのだろうか。それとも、人類の成長の過程で、必要不可欠だから存在しているのだろうか。

 消防署は誰のものだろうか。家が焼けて困っている人のためにあるのだろうか。延焼しては困る隣人のためにあるのだろうか。消防士の家族の生活のためにあるのだろうか。行政として形態を整えておきたいから、消防署は存在しているのだろうか。

 そんなことが、延々と頭の中を回る。夕べの寝不足がすこし祟っているようだ。飲み過ぎかも・・・・。消防署のことなら、割と答えは簡単だ。これは火事で被災が拡大しないために、地域のひとのためにあるはずだ。目的性がはっきりしている。「消防署は誰のものか」という問題なら、これは割と答えはすっきりでそうだ。

 では「国家」はどうだろう。国家は必要なのだろうか。必要かどうかはともかくとして、元に存在している(らしい)。アメリカとかイギリスとか、オランダやカナダや中国やベトナム、というのと同じように、日本という国家はあるらしい。いや、ある。私は「日本人」だ。日本という国家の中に生きており、日本という国家に守られている(はずだ)。

 では、「チベット」という国家はあるのだろうか。ないのだろうか。「チベットは誰のものか」と、連想が拡大していった時に、私の連想ゲームはすこしづつ混迷し始めた。チベットは、チベットに生きている人々のためのものではないのか。中国の他の地域の仕事にあぶれた人々が観光業で生活を成り立たせるためにあるのではない、のではないだろうか。

 それに比べれば、「ボインは誰のものか」という命題のほうが、もうすこしすっきりした答えがでそうだ。これはやっぱり、月亭可朝の歌が正しいのではないか。ボインはやっぱり赤ちゃんのものだ。赤ちゃんはお母さんのボインがなかったら、悲しいだろう。いまは他のミルクや代替の飲料があるだろうが、やはり、ボインは赤ちゃんにとっての、母親の愛の源だ。

 でも、赤ちゃんが大きくなってしまったり、ひょっとすると、赤ちゃんに恵まれないボインだってある。その時、ボインは誰のものだろうか。お父ちゃんのものだろうか。かもしれない。しかし、お父ちゃんに恵まれないボインだって、世の中にはあるかもしれない。その時のボインは誰のものだろうか。

 ニューハーフの人々においては、ホルモン剤に依存したり、なにかの外在物を注入することによって、ボインをつくる場合があるらしい。その場合、そのボインは、赤ちゃんのためではなさそうだ。たぶん「お父ちゃん」のためでも、ないかもしれない。むしろ「女性」としてのアイディンティティ確立のため、その人自身のためにあるのかもしれない。

 さて、インターネットは誰のものか。米軍の世界戦略のためのものか。グーグルのためのものか。新しいビジネスを模索する人々のためのものか。情報を求める世界中の人のものか。世界中の人々と知り合いになりたい人のためにあるのか。利用方法、評価方法によって、意味合いはいろいろ多岐にわたりそうだ。

 保育園なら、幼児のためにあるのだろうし、幼児を預かってもらって働きたい両親のためにあるのかもしれない。老人ホームなら、年老いてから子供たちの迷惑になりたくない高齢者のためにあるかもしれないし、病院なら、心身の不調に悩む人々のためにある、と当然のように推定できる。

 だけど、インターネットって、本当は、ボインほどはっきりとした目的をもっているものではないし、病院や保育園ほど必要不可欠、というほどのものでもなさそうだ。なきゃぁないで、特に必要とされるものではなかったかもしれない。いや、いままで人類はインターネットなんて必要としないで来た。これからだって、インターネットなしで人類は成長していくことだって可能なはずだ。この辺は、人類の発祥と同時に一時も消滅することのなかったボインの確たる存在感とは多いに違う。

 車は誰のものだろうか。高速道路は誰のものだろうか。自動車産業は誰のものだろうか。ハイブリッド車は誰のためのものだろうか。ETCシステムは誰のためのものだろうか。自動車保険はだれのためのものだろうか。安全運転は誰のためのものだろうか。運転免許はだれのためのものだろうか。駐車場は誰のためのものだろうか。ガソリンスタンドのセルフサービスは誰のためのものだろうか。

 同じようなコピーがとぎれなく頭の中に溢れてくる。とめどがない。インターネットは誰のもものか。結論はない。インターネットは、彗星のように現れてはみたが、いつかは消えていくかも知れないものだ。かつての蒸気機関車のように、突如現れて、突如消えていく可能性がある。蒸気機関車が電車や車に置き換わったように、印刷やジャーナリズムや郵便は、インターネットに置き換えられつつある。

 だが、ほかの外在物のように、いつかはインターネットも次なるものに置き換えられてしまう時がきっと来るにちがいない。インターネットは人類が創り出した道具だ。自らが創り出したものであるならば、インターネットは人類のものであるべきだ。でも、人類が創り出した道具の中には、モンスターテクノロジーもある。コンコルドのような音速ジェット機は、実現可能であっても、騒音や経費の問題で、自らの存在を維持できなかった。

 あるいは、原水爆などはどうだろうか。人間が創り出して、人間のために使われるべき道具であるべきだった核エネルギーは、つねに人間の存在そのものをおびやかすものに成長しはじめている。北朝鮮のテポドン2号を、北朝鮮だけの罪にしてしまうことには、多くの人類が違和感を持つだろう。「テポドン2号は誰のものか」。

 インターネットは地球人のものである。これが、当ブログの結論だ。結論とはちょっと早すぎる。仮定だ。いや仮定というのもちょっとさびしい。祈りだ、と言ったほうがよいかもしれない。インターネットは道具であるが、強欲な人間たちのおもちゃや凶器となってはいけない。人類、というより、ひとりひとりの地球人のための、分かち合いのための道具であるべきだ。

 だから、独占したり、悪用したり、誤用したりすることよりも、より公平に、地球の隅々まで、まずはデジタルデバイドを減らす工夫をすべきだろう。中国の内地の人々や、北朝鮮の人々、アフリカの人々や、あるいは先進地域の都市部にあったとしても、インターネットの利益を享受できていない人々がまだまだいるはずだ。その人々にまずはコンテナとしてのインターネットを届けるべきだろう。

 そこからどんなコンテンツが生まれるかは、実は、まだまだ未知数だ。届けてみないと分からないことがまだまだある。そして、そのコンテンツが相乗効果で、さまざまなクリエイティブな作用を醸しだしはじめれば、そこから、あらたなる地球人としてのコンシャスネスが生まれてくる可能性があるはずだ。当ブログはそれを信じたい。それは仮定であり祈りでもあるが、預言でもあるはずだ。

 「ジャーナリズム崩壊」というこの本、最近よくテレビで拝見する著者・上杉隆という1968年生まれの「ジャーナリスト」のプロフィールが分かった程度で、あまり感心するところは多くなかった。「ジャーナリズムは誰のものか」という大きな枠組みの問題意識の中で、この本のテーマを見てみると、次なるものが見えてこない。インターネットの秩序が崩れ始まろうが、ジャーナリズムが崩壊しようが、もし、それが必然なら、それはそのままレット・ゴーさせてしまっていいのではないか。

 しかし、それを言えるのは、もっと明確な答えをしっかり持ちえたあとででなくてはいけない。「命は誰のものか」、「地球は誰のものか」、「人生は誰のものか」、「私は誰なのか」。これらの問題意識につながる糸口が見つかるなら、私はこの手を本ももう少しまじめに読みたいと思う。だが、ジャーナリズムのためのジャーナリズム論や、テクノロジーのためのテクノロジー論になら、あまり時間は割きたくないと思う。割こうと思っても、人生が与えてくれる時間は無限ではない。有限の時間のなかで、より有意義なテーマを見つけて絞り込んでいきたいと思う日曜日の午後だった。



Om Mani Padme Hum







Last updated  2009.03.02 23:19:10
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