地球人スピリット・ジャーナル1.0

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2009年4月1日

地球人スピリット
・ジャーナル2.0


へ引越しました。

全108件 (108件中 11-20件目)

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チェロキー

2007.12.04
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カテゴリ:チェロキー


「アトランティスの暗号」10万年前の失われた叡智を求めて
<再読i>コリン・ヘンリ・ウィルソン /松田和也 2006/09 学習研究社 単行本 487p
初読★★★★★

 リン・ウィルソンは、なかなか細かいところまで書いているので、急いで読もうとするとなかなか読みこなせない。でも、それなりのスピードで読む進めると、これがまたなんとも面白い。ついつい時間をかけたくなる。このスピードの図り方がわかってくれば、もっともっと彼の一連の本が読みやすくなるだろう。

 この本を読みこなして、コリン・ウィルソンの説得力に納得することができるなら、それをアトランティスと呼ぶかどうかはともかくとして、10万年前の古代文明の存在をおのずと認めたことになる。それが、ムーであったり、レムリアであったり、アガルタであったり、あるいは他の呼び方であろうと、やはりその存在は否定しがたいということになる。

 の川は射手座の近くで黄道と交わっている---直角ではなく、60度だ。ところで、天体望遠鏡で二つの惑星が交差して見えるとき、これを合(コンジャクション)と呼ぶ。2012年12月21日、太陽は天の川とコンジャクションする。しかもこのとき地球から太陽を見ると、その延長線上には銀河中心が位置しているのである。この中心にはブラックホールがあるといわれるが、ともかくこれがマヤの大周期が終わるときの天体配置なのだ。

 13バクトゥンの周期の終わりにこれが起こることをマヤ人は知っていたのか? 彼らの信じがたい暦と計算技術を見る限り、大いにありうることだ、とジェンキンスは考えている。
 コットレルによれば、マヤ人自身の与えた日付はカトゥン13、アハウ(至)であり、これは2012年12月21日かもしれないし、あるいは単にアハウで終わる13周期の7200日目を意味するのかもしれない。これは256年ごとに起こり、それならば2048年ということになる。
 コットルに言わせれば、マヤ人は今のわれわれよりもはるかに賢明であったので、たぶん2012年に関しても正しいだろうという。

 だが私自身は懐疑的だ。私はマヤ人がわれわれよりもはるかに賢明だったというコットルやアルグエリェスの意見に与(くみ)することはできない。車輪やアーチですら発明できなかった彼らの知性には、ヴィジョンや融通性が欠けていると思うからだ。
 天文学に関しても、彼らは金星を「双子」と呼んでいる。つまり、明けの明星と宵の明星が同じものであることを知らなかったわけだ。さらに、大量殺戮---あの人身供儀---を許容する傾向は、ナチスの強制収容所と同じ倫理観の歪みだと本能的に感じるのだ。
p194

 Aセンションと言われる一般の「流行」の存在はともかくとして、その日にちの特定には、このマヤの暦が一役買っているのは間違いない。ウィルソンが懐疑的であるように、私は、これら一連の動きには、なんともいえない不合理性ばかりが目について、まともに受け止めることはなかなかできない。

 日にちを特定することは、例えば、古い話しでいえば1970年の6月23日があったし、88年8月8日なんてものもあった。あるいは1999年7の月、なんてまことしやかにささやかれた日時もあった。あるいは2000年1月1日、という決め方もあった。なにごともなかった(かどうかはともかくとして)から、こうして語ることができるのだろうが、私は日にちを決めてその日をオメガ・ポイントとして人々を煽る動きには、それこそ与(くみ)したくない。

 Paritoshoがいうように「ことの正誤でも善悪でもなく、ただ思考の枠組みを広げるためにAセンションという言葉を流行らせたいと思います。」という程、優雅に構えていていい話なのだろうか。単に「思考の枠組みを広げる」なんて取り組みで間に合うのだろうか。「ことの正誤でも善悪でもなく」などという言葉も、なんとなく、誤魔化しくさい。

 ネット株取り引きも、消費者教育の一環だから、おおいにその「枠組みをひろげるべきだ」などというような、ある種いい加減な言論に通じるところがあるような感じがする。賢い消費者はその仕組みを利用する力はあるかもしれないが、圧倒的多数は、その仕組みの被害者になる可能性が高い。

 Aセンションの正誤や善悪はともかくとしても、
1)古代大陸や古代高度文明の存在
2)時間的期日の決定方法
3)地球人以外の高度文明の存在
4)その意志の伝達方法(チャネリング)
などが、もっと合理的に検証されないことには、うかつにはこの話題を「流行」させたい、と、私は思わない。

 ウィルソンのこの本を途中まで<再読>しながら、この手の本にしては、やはり私にとっては説得力のある本だとつくづく思う。具体的には、未来のことなんかホントはだれにもわからないのだ。この世の終わりが来る前に、自分がこの世での生命がなくなってしまうほうが確率が高い。Aセンションのことを考えるのもひとつの機会ではあろうが、みんな一緒に、という幻想より、確実にやってくるはずの自己の死と向き合うことのほうが、今の私にとっては差し迫った問題だ。

<再読ii>につづく







Last updated  2008.05.06 22:56:46
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2007.12.01
カテゴリ:チェロキー


「ビッチェズ・ブリュー / マイルス・デイヴィス」 
発売日:2005/10/19
No.V087★★★★★

 楽を聴いた時の感動を、文字にしておくのはどうしたらよいのだろう。「アガルタ」と一緒に借りてきた。いやぁ、よかった。サンタナとのいろいろな絡みがあったことを本で読んだりしながら聞いていた。

 これからこのブログでは、もっと音楽やらなにやら本以外のこともメモしておこうと思っている。それらはどのように記録されるべきなのか、今のところよくわからないが、次第にわかってくると思う。まず本日は満足満足。







Last updated  2007.12.01 22:06:27
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カテゴリ:チェロキー
前から続く

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「マイルス・デイビス/アガルタ」
<ディスク 1>1:アガルタへのプレリュード 2:マイシャ
<ディスク 2>1:インタールード~ジャックジョンソンのテーマ
No.V086★★★★★

 無量。ようやくたどり着いた。アガータ、という夢にでてきた言葉がアガルタというものと繋がるとは思っても見なかった。アガルタというものがあったとして、そういうジャズ・アルバムがあるなんてことも知らなかった。マイルスのアルバムのデザインを横尾忠則がしていると知ってぜひこのアルバムを見てみたくなった。友人がようやく手持ちのLP版を探してくれてプレゼントしてくれた。超嬉しかった。さっそく義弟のステレオで聞こうとしたら、なんとプレイヤーが故障していて聞けないことがわかった。その後、とおく離れてはいるが、図書館にCD版が入っていることが判明した。さっそくリクエストしたが、全然私の番には回ってこなかった。

 ガルタ、私にとっての、その幻の曲が、ようやく私の番に回ってきて、聴くことができたのだった。ふー。もう、なんも言わん。感無量。ここが私の地下都市への入り口じゃ。 







Last updated  2009.03.28 21:16:45
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カテゴリ:チェロキー


「マイルス・デイヴィスとは誰か」 「ジャズの帝王」を巡る21人
小川隆夫 /平野啓一郎 2007/09 平凡社 新書 235p
No.912★★★★★

 「ビッチェズ・ブリュー」を聞きながら、この本を読んでいる。なんとかの一つ覚えよろしく、「アガルタ」つながりでマイルス・デイヴィスまできたところで、この本に出会った。マイルスとのつながりのある、他のミュージッシャン達とのエピソードを交えながら、マイルスその人の人間と業績を浮き上がらせていく。まず一人目はチャーリー・パーカー。

 40年になって、パーカーはカンザスシティに一度戻っている。そしてジェイ・マクシャンの楽団で再びニューヨークに進出し、42年1月からハーレムで評判の高い「サヴォィ・ボールルーム」で演奏するようになった。このときの模様はラジオで全国に実況中継されている。そして<チェロキー>の驚くべき演奏が、その放送を聴いた多くのファンとジャズ・ミュージシャンの心を捉えた。p12

 <チェロキー>といきなり来たのでびっくり。なるほどこちらからのつながりもあったか。この本は整形外科医にしてジャズ・ジャーナリスト小川隆夫と作家・平野啓一郎の共著である。平野は、梅田望夫との対談集「ウェブ人間論」の中で、SF映画のことに触れていた。そのことがなんだか気になって、結局あれから一年経ってみれば私もすこしはSFをかじり始めているのだった。今度は、この本において、マイルスを初めとして、ジャズの手ほどきをしてくれるのだろうか。

 ンタナにとって69年が飛躍の年だったように、マイルスにとってもこの年は一大転機を迎える年になった。「ビィチェズ・ブリュー」(ソニー)の録音である。この作品で、彼はロック・ファンの音楽観に変革をもたらし、ロック系のミュージシャンにも強い影響をおよぼすようになる。(マイルスへのオマージュ)p129

 何はともあれ、それぞれのミュージシャンつながりでアルバムの紹介などがあるので、その20人のリストをピックアップしておく。

1)チャーリー・パーカー-----最初にして最大の”師”
 「チャーリー・パーカー・オン・サヴォイ~マスター・テイクス」
 「マイルス・ディヴィス・アンド・ホーンズ」

2)ディジー・ガレスピー-----目標としたトランペッター
 「ザ・チャンプ」
 「クールの誕生」

3)ソニー・ロリンズ-----グループに入れそこなったテナー奏者
 「サキソフォン・コロッサス」
 「バグス・グルーヴ」

4)ジョン・コルトレーン-----過剰なる”ビバップの亡霊”
 「至上の愛」
 「カインド・オブ・ブルー」

5)シュガー・レイ・ロビンソン-----パーカーに替わる兄貴分
 「バグス・グルーヴ」

6)テオ・マセロ-----マイルスのテープにはさみをいれた男
 「スケッチ・オブ・スペイン」
 「イン・ア・サイレント・ウェイ」

7)ビル・エヴァンス-----クラシックとモード・ジャズの関係
 「ポートレイト・イン・ジャズ」
 「1958マイルス」

8)ハービー・ハンコック-----”黄金のクインテット”の弁証法
 「ヘッド・ハンターズ」
 「マイルス・スマイルズ」

9)トニー・ウィリアムズ-----リズムという名の魔物
 「ライブ・アンダー・ザ・スカイ’79」
 「セヴン・ステップス・トゥ・へヴン」

10)ウェイン・ショーター-----こいつがいればオレは何もいらない
 「ウェザー・リポート」
 「ネフェルティティ」

11)ジミ・ヘンドリックス-----ロック/ギター/黒人
 「バンド・オブ・ジプシーズ」
 「バンゲア」

12)キース・ジャレット-----もう一度共演したかったピアニスト
 「サムホエア・ビフォア」
 「アット・フィルモア」

13)ジョン・マクラフリン-----ロックのアクセス・ポイント
 「内に秘めた炎」
 「ジャック・ジョンソン」

14)カルロス・サンタナ-----マイルスをロックで演奏する
 「魂の兄弟たち」
 「ゲット・アップ・ウィズ・イット」

15)カールハインツ・シュトックハウゼン-----同時代の”クラシック”
 「コンテクタ」
 「オン・ザ・コーナー」

16)ウイントン・マルサリス-----可愛い造反分子
 「ウイントン・マルサリスの肖像」
 「デコイ」

17)マイケル・ジャクソン&クインシー・ジョーンズ-----80年代アメリカで黒人であるということ
 「愛のコリーダ」
 「ユア・アンダー・アレスト」

18)ジョー・ゲルバード-----絵画における共同制作者
 本「マイルス・デイビスの絵画」画集
 「アマンドラ」

19)プリンス-----帝王と貴公子の幻の共演
 「パープル・レイン」
 「ドゥー・バップ」

20)マーカス・ミラー-----プロデューサー時代からサンプリング時代へ
 「ライブ・アンド・モア」
 「TUTU」







Last updated  2009.02.11 09:35:50
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2007.11.29
カテゴリ:チェロキー
<初読>よりつづく


「空洞地球/ポーソロゴスの図書館ミコスからのメッセージ 人も地球も光りだす!アセンションの真相 <再読>
ダイアン・ロビンス /ミズモリケイ 徳間書店 単行本 287p
★★★☆☆

 ーソロゴス図書館は、エーゲ海周辺の地下都市にあるとされる。その図書館長ミコスからのメッセージである「超シャンバラ」を<再読>するにあたっては、こちらも<再読>する必要があるだろうということで、手にとった。初読時となんらイメージに変化はないが、読み方に変化があった。

 前回は、あまり悪影響を与えられないように(笑)、本屋の店頭で立ち読み。これはこれで、集中するので、自分が読みたい部分をピックアップして記憶するには大いに役立つ。しかし、「買ってよまなきゃだめでしょ」の声あり。特にこの声はテロス・ジャパンの関係者からの声。だよなぁ、ということで、図書館に入るのを待ってはみたが、当面入りそうにない。

 読、という言葉あるかどうかわからないが、この本は、そのような読み方をされるべき一冊ではないか。今回は、寝る前にページを開き、ちらちら読みながら眠りにはいり、うとうと目覚めながらこの本をまた開いた。夢うつつのなかで、どの行を読んでいるのかさえおぼつかなくなりながらも、視線の遠近感を調整しながら、文字となく、ページとなく、あるいは紙質となく、目の導くまま、夢のさまようまま、読んでみた。

 この本は、テレビのコントローラのようなもので、この本だけを単体で評することはできない。この本からこの本以上のものを得ることができなかったとすれば、それは自分のコントローラ使用の能力を疑うべきで、コントローラをせめるべきではない。あるいは、コントローラは揃えたけど、テレビ受像機を持っていなかったら、それもまた、まずは自らの不備を恥ずるべきだ。

 イビジョン受像機を持っていたら、この本をコントローラとするスペシャル番組はきっとだれにでも楽しめるに違いない。この本にでてくる数字は、現在のところは、単にイメージ、つまり、嘘八百とか、一万巻の本とか、百人百様とか、三千世界とか、そのように数量的イメージとして読めばいいはずだ。そのハイビジョンで私がなにをみたかは、いずれ次第にわかるだろう。

 公立図書館利用から、集合知のマトリックス図書館としてインターネット活用に移行しつつあるこのブログだが、このポーソロゴス図書館は、いわゆるアカシックレコードとしての存在だ。その連続の中で、この本を捉えてみると面白い。さて、図書館利用にもさまざまなテクニックがある。どう活用するかであろう。

 「地球人スピリット・ジャーナル」としては、過去約1000点の図書や視聴覚資料を手にとった。しかし、残念ながら地区の中堅の公立図書館といえど、その収蔵数は数十万を数え、このブログで読めるものなど、ほんのごくごく一部でしかないことがすでにわかっている。仮に年間1000冊読んだとして、あと50年間図書館に通い続けたとしても、せいぜい5万冊。図書館の本を全部読むとすれば、何十回も生まれ変わってこなければならないことになる。

 ましてやインターネットの情報に全部目を通すということは、まずはありえない。また、それは必要ないのだ。自分にとっての必要な情報や知識が、必要な分だけ与えられれば、それで図書館の存在意義はあったということになる。もちろんインターネットにおけるナレッジ・マネジメントもそうであるべきだ。

 コスが館長を務めるポーソロゴス図書館は公立図書館でもなくインターネットでもない。アミノ酸からできているあの世のコンピュータだ。個人がそれを使い切るということはないだろうし、使い切る目的も想像できない。しかし、いざとなった場合、かならず何かの答えを返してくるだろう存在があるということは、心強いではないか。アクセス方法だけでもマスターしておく必要がある。

 テレビコントローラの存在を確認したら、あとは受像機の準備だ。あとは、必要に応じて、必要な番組を見ればいい。このような本は、いろいろなフィルターがかかっているので、なかなか本質そのものズバリを見ることはできない。その上で思うのは、偶然とは言え、「幻読」という読書テクニックの開発も、なかなか面白いものではあった。







Last updated  2009.01.21 08:30:41
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2007.11.28
カテゴリ:チェロキー
<1>よりつづく
プレアデスの智慧.jpg
「プレアデスの智恵」 チェロキー・インディアンからのメッセージ <再読>=<2>
薗田綾 1996/05 総合法令出版 単行本 259p
★★★★★

 田綾には、この一冊しか作品がないのだろうか。あればもっと読んでみたいが、逆にこのまま、この一冊しかない、といわれたほうがいい、と勝手に思ったりする。そのくらい、この本は、あちらこちらにインターフェイスを持ちながら、一冊として完結してくれているので、私の読書マンダラの中ではなんとなく収まりがいい。

 チェロキーとプレアデスが他の本ではどのような収まり方をしているのか知らないが、この本のような収まり方をしてくれていると、なかなかスッキリして、手間がかからない。プレアデスとは日本でいうところのスバル星のことを言うらしいが、どうもプレアデスというと、チャネリングの預言ものが多い。「スバルの智慧」、では本のタイトルにならないか。この本は、プレアデスを語りながら、あまりトリップしないところがいい。ほどほどに収まりをつけている。

 「チェロキーの預言の中にはチェロキー族が七つの踊る星(プレアデス)からやってきた存在であり、母なる地球にもしもの事があれば地球を救うために命を賭けねばならないということも伝えられています。遠い昔、宇宙からの訪問者(プレアデスからの宇宙人)が人類の祖先である初期の頃の原人と交わることによって急速に進化したといわれています。
 また『星の人々』という神話の中では『1985年以降に生まれてくる子供たちは星の子供たち(スターチャイルド)と呼ばれる』とあるのです。
p148

 初読時にも感じたが、上のような文面があると、すこし浮き上がってしまい、なかなか素直に聞けないのだが、なぜかこの本は、私を素直にしてしまい、この程度の表現なら許してしまうのだから不思議だ。それとこの1985年というのがミソで、実はこの年にハレー彗星がやってきており、また私への例のメッセージもこの翌年に来ている。「やってくる人々」とは、じつはこの1985年以降に生まれてくる人々だったのかしらん、と一瞬思ってしまう。そういえば、私を甲子園に連れていってくれたのも、この1985年以降に生まれた人々であった。

<3>へつづく







Last updated  2009.01.21 18:48:57
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テーマ:家庭菜園(38324)
カテゴリ:チェロキー
前より続く


「2012年の奇蹟(2)」 光の五次元世界にアセンション
中丸薫 2007/11 あ・うん 単行本 198p
No.900★★★★☆

 
「超シャンバラ」について言及しているのが、こちら(2)の特徴であろう。いつどういう形でこの流れにコンタクトしたのかは明確ではないが、本年度も何冊も彼女の本がでており、それらではこのことに触れられていないのに、11月に出たばかりの、彼女としても最新の一冊である本書において、初めてシャスタ山の地下都市テロスやそのアセンデッド・マスター「アダマ」について触れている形跡があるので、ごくごく最近の動きということができるであろう。

 彼女は、ソースというよりメディウムだ。だから、これらの動きに近づけば、それらについての情報を広報するだろう。現在のところ、彼女流のフィルタがかかってしまうが、情報媒体としての広報力は抜群だ。なんらかの権威づけにさえなる。しかしまた、真実とはほど遠い歪曲された情報に変貌する可能性もゼロではない。だから、ここでは、彼女の存在と、テロスの動きについては、いままでどおり分離して考えておくのがセオリーだ。

 間としてどう生きるのか、結論部分に至れば彼女の言わんとすることは、多いに理解できるし、賛同できる。だが、それまでに至る過程においては、いささか異論を申し上げたい。彼女には彼女のセンスがあるのだろうが、どうも今ひとつ、例えばアセンションをすでに既定事実のような持ち上げ方をするとか、その地点をオメガ・ポイントとしてみてしまうような態度は、世紀末の1999年7の月カウントに似て、私は個人的には冷笑せざるを得ない。

 リサ・ランドールなどの最新科学情報を網羅するのもさすがだ。しかし、考えてみれば、多少のアンテナを張っていれば、リサ・ランドールやレイ・カーツワイルは、必ず引っかかってくるわけだし、必ずしも中丸から大げさな警鐘の音とともに聴かなくてはならないような情報でもないのだ。世の中はどんどん変化していって当たり前なのだから、何も彼女のメディウムを通してド派手な情報として流されるものだけではなく、もっと身近で静かに流れている小さなできごとにも、デリケートな感性で対処していく必要性がある。







Last updated  2009.01.21 18:40:53
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カテゴリ:チェロキー


「2012年の奇蹟」 <1> 愛の光でアセンション
中丸薫 2007/07 あ・うん 単行本 267p 月
No.899★★☆☆☆

 丸薫については、はなはだ失礼とは思ったけど、ワースト本のリストの中に入れさせてもらっている。偶然、書店で手にとってはみたが、なかなか気を許して熟読するという本にはなってくれなかった。一見すると陰謀論的な論旨が強く、その主張の是非はともかくとして、それらの論調から遠く離れたいと思っていた90年代後半以降に、彼女の活躍が活発化してきたので、私のほうから近づくチャンスはなかったようだ。

 明治天皇の孫を自称する彼女のこの本には、いわゆる有名人とのツーショット写真が何枚も挿入されている。その有名人というのが半端じゃない。ゴア・アメリカ元副大統領、フセイン元大統領、田中角栄元首相、ビクター・ロスチャイルド、デビッド・ロックフェラー、ブレジンスキー・・・・、いくら俗人とはいえ、ここまでツーショットの写真の好きな女性もそうはいまい。少なくても、日本人女性としては桁外れの存在であることは間違いない。

 謀論や神秘主義など、あまりに多岐にわたる事実に触れるため、その真偽はともかくとして、私は、疲れるであまりこの手の本は好きではない。彼女自身をソースとするものもないことはないが、そのほとんどはコピー&ペーストのようなところがあり、どこかで聴いたり読んだりできるようなものを、彼女の存在力で読ませてしまうところがあり、彼女を好きな人は、そこが好きなのであろうし、嫌いな人はそこが嫌いになるかもしれない。

 メディウムとしての力のほうが、オリジナリティを勝っているだろう。いわゆる巫女体質と言ってもいいのかも知れない。だから、彼女が近づくソースのいかんによって彼女の存在意義は大きくかわる。つまり、読者としては、審神者(さにわ)的能力を要求される。すべてを真に受けて、全部を信じることは、してはならない。しかし、彼女の中になにごとかを見つけようとするなら、ひとつひとつ自分なりに判断しなおして、なお、再検討が必要になる。

(2)につづく







Last updated  2009.01.21 18:42:39
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カテゴリ:チェロキー

空洞地球SF.jpg
「空洞地球」
ルーディ・ラッカー /黒丸尚 1991年08 早川書房 文庫 458p 原書THE HOLLOW WARTH 1990
No.898★★☆☆☆

 書館のインターネット利用はなかなか便利で、自宅から検索してリクエストし、他の図書館からも転送してもらい、到着もネットで確認できる。調子にのってついつい借りすぎてしまうのが難点といえば難点だ。この「空洞地球」も<再読>しようと思って、リクエストしていたのだが、図書館の窓口まで行って、あちゃー、しまったと思った。

 なんと同じタイトルではあったが、全く別の本だった。SFや小説はちょっと苦手で後回ししたいというのが本音。この本を楽しみながら読めるほど、私には読書能力がないようだが、ちらちらとめくっているうちに、いくつかのことに気がついた。どうやらこのSFは、昔のほかの作家の作品を下書きとして利用しているのだ。 

 ドガー・アラン・ポーがその作家だ。19世紀前半に活躍したポーについて、翻訳者が解説を書いている。

 ここで地球空洞説が登場する。「ピム」が書かれた19世紀前半のアメリカは、いまでいう科学と擬似科学の区分もはっきりしていず、催眠術や骨相学、動物磁気説などがまことしやかに語れられていた時空間だった。地球空洞説は当時流行の擬似科学的言説のひとつであり、「ピム」の結末にしても、示談のトレンドに鋭敏な向きは、すんなり最新科学理論の応用として受け流した可能性がある。ようするに、いくら小説中には明らかにされていなくても、ピムたちは南極の真っ白な深淵から空洞地球に突入し、いわば地球の中心を通って帰還したとする読み方が、当時はごくごく自然だったと思われる。
 
 むろん、地球空洞説そのものは、当時に取らしても決して新しくない。古くはアリストテレスが地球内部の空洞に地獄を想定したし、ダンテも宇宙の中心が空洞であり、その外部には同心円状の地獄が連鎖しているものと構想した。17世紀に入ると、ドイツ人カトリック司祭で第一級の科学者アタナシウス・キルヒャーが地底世界の地形を思いめぐらし、地球内部は無数の洞窟やトンネルでいっぱであり、その内部には竜たが住むものと推断する。この着想が、じっさいポウの生きた1820年代にいたって、アメリカ人(キャプテン)ジョン・クリーヴス・シムズによって受けつがれることになる。
p452

 そのほか、この本には、最近の急な「地球空洞」説ブームを冷静に観察する上での、いくつかのヒントが書かれている。チャンスがあったら、後読しよう。







Last updated  2009.01.25 12:10:41
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2007.11.27
テーマ:韓国!(12406)
カテゴリ:チェロキー


私の祖国は世界です」
玄順恵(ヒョン スンヒェ)2007/08 岩波書店  単行本 258p
No.897★★★★☆

 田実の奥さんだったとは知らなかった。二人は74年に出会い、82年に結婚している。コーリアンだ。二人は互いを「人生の同行者」(フェロー・トラベラー)として認め合っている。小田はこの本の巻末に一文を寄せている。その文が書かれたのが今年の6月で出版されたのが8月8日付け。そして、小田は7月30日に亡くなった。ほとんど絶筆と言っていいであろう。

 同じ祖国論なら、辻井喬なんぞより、はるかにこちらが面白い。同じ刺されるにしても、こちらで刺されるほうが痛い。身構えようにも身構えようながない。ほぼ無防備のまま、やられるままにならざるを得ない。ヒョン・スンヒェは小田実のことを「ギリシャ人ゾルバに似た男」p50と評している。

 「私たちはどこから来て、どこへ行こうとしているのか」を問い続け、ここまで書き綴ってきて今思うことは、「人はどのような生まれであっても、あらゆる可能性を秘めている」ということだ。
 人間はひとりで生まれ、ひとりで死んでいく。生まれる時も死ぬ時も、民族や国家、国境などは関係ない。しかしまた人間は、ひとりだけで生きて行くことはできない。宇宙(コスモス)の中に生かされている生命であって、その宇宙のメカニズムゆえにひとりで生きるということはありえないのだ。だからこそ「コスモポリタン」という言葉が生まれたのだろう。
p240

 コーリアンとしての強いアイディンティティを持ちながら、そして地球の各地で暮らしながら、ヒョン・スンヒェは上のような結論に達する。「私の祖国は世界です」。その意味での祖国には、多いに賛成する。本来そうでなければならない。

 「私は何者か」という問いをめぐって私が見つけ出した答えは、「人生の痕跡を抱きしめながら自由でいる個人。つまり世界人である」だった。
 それは決して自分自身の根拠など要らないということではない。世界人とは、自らの血や国、歴史的背景、また遺伝子の記憶などをふり返り、それらを深く理解することから出発しながらも、国や民族や国籍のしがらみから自由になれる人のことだ。私と祖国、紛争にまみれた世界の不幸な過去と現在を克服する道は、ひとりの個人が堂々とまっとうな市民として生きていくことなのだと思う。
p254

 まったくそのとおりだと思う。同感。この言葉がこの本の結句である。最近、「思う」とか「だそうだ」という文末が、エクスキューズのように思えて、自信がなさげだ、という意見があることがわかった。私は謙譲の美徳としての表現として好ましく思っていたが、今後はなるべく減らしていこう。では、引用ではなく、自分の言葉として繰り返しておく。

 「私と祖国、紛争にまみれた世界の不幸な過去と現在を克服する道は、ひとりの個人が堂々とまっとうな市民として生きていくことなのだ。」







Last updated  2007.12.17 20:14:18
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