エスリンとアメリカの覚醒 <2>
<1>よりつづく「エスリンとアメリカの覚醒」 <2> この本の主人公は、スタンフォード大学出身の若者、マイケル・マーフィーやリチャード・プライスではなかったのではないだろうか。彼らは確かにビッグサー海岸の温泉リゾートの経営を手掛け、世界で最初のグロースセンターを作り上げたかもしれない。しかし、その環境を一番楽しんでいたのは、アラン・ワッツだった。 1973年の11月にエスリンはもう一人の長老を失った。アラン・ワッツだ。彼はエスリンがエスリンである前に、ビッグサー温泉のまさに最初のセミナーをやった人であり、それ以来ずっとそのでの魅力ある人物であった。ビッグサーを愛し、よく姿を現し、食堂で歓談し、あるいは浴場で海の方に向って立ち(深夜によくやっていた)禅宗の老師のような太鼓腹を突き出して、まっ裸でマントラを唱えていた。エスリンの運営やその政策についてはあまり関心を示さなかった。特別な大義名分を主張するわけでもなかったし学派もつくらなかった。正規の弟子をとるようなこともなかった。彼の弟子になりたいなどと言うものがあればビール瓶をその人に投げつけるのだった(その前に瓶が空っぽになっているのを確かめてから)。彼のグルジェフ批判は、導師についての彼の態度をよく表している。「ある人がやってきて彼の話を聞いて理解し立ち去っていく。ある人がやってきて彼の話を聞いて理解できずにそこに留まる」と。ワッツはエスリンのグロウス・センター的な、セラピー的な側面はいつも超然としていた。友人たちはもっとからだを大事にさせようとしたが、とくに飲酒を控えるように注意したが、彼はきかなかった。「アランは、飲んでいてもいなくても、いつもアランらしくしている」とデッィク・プライスは言っていた。彼はいつも自分らしく振る舞っていたのだが、ある晩、心臓発作でなくなってしまった。まだ58歳だった。p266 Oshoの「私が愛した本」は、このアラン・ワッツの思いでに捧げられている。 アラン・ワッツがいつまでも覚者にならずにとどまっていることはありえない。彼はずっと以前に死んだ。今頃彼は学校を出ようとしているに違いない・・・・・私の所に来る準備をしているに違いない。私はこういう人すべてを待っている。アラン・ワッツはそのうちのひとりだ。私はこの人を待っている。Osho「私が愛した本」p129 Oshoがプネ1にアシュラムを開いたのが1974年、そしてアメリカ・オレゴンにコミューンを展開したのは1981年になってからだった。時間的にも空間的にも、この二人は出会うことはなかっただろうが、実にごくごく近くに住んでいた。もし20世紀の精神史を個人名を抜きにひとつの大河として俯瞰してみることができたら、あきらかにアラン・ワッツとOshoは合流しているだろう。 ワッツにはたくさんの著書があるようだが、邦訳は「タブーの書」、「心理療法 東と西」の二冊しかないようだ。もっとあれば読んでみたいが、どうしてもというなら、英語本にチャレンジもよいかもしれない。 なお、エスリンは「エサレン」として紹介されることが多かったが、前出の『プリーズ・タッチ』(邦訳は、拙訳『可能性をひらく---グループのなかの自己変革』ダイヤモンド社、1972)という本のなかで、ジェーン・ハワードは、それを「レスリング」と同じ発音だと指摘している。私はずっとそれに従っている。p336 訳者がこのようにポリシーを持って一貫した態度をとることに、なんの抵抗もないが、ただ当ブログでは、これまでの経緯の中で統一感を持たせるために、「エサレン」を使っていきたい。英語表記も、Eslen, Ecclemach, Excelen, Ensenなどと、さまざまあるらしいp17。もともとは、その地方に住んでいたネイティブ・アメリカンの部族の名前だ。正しくはネイティブたちに聞いてみなければならないが、それでもいずれが正しいとは断言できないだろう。 この本、ジャーナリストが1983年に書いた本だが、実に細かいところまで書いてあり、エスリンの字引き的要素を持っている。一冊常備しておきたい。この本の読み方はいろいろあるだろうが、私は、ひとつ思いついたことがある。 最近、 「本を読む本」の中に、「いまたったひとり無人島に流されることになって、もっていきたい本を十冊選べと言われたら、いったい何を選ぶだろうか」というテーマがあり、ずっと考えていた。 たったひとりで無人島に流されるなら、「食べられる野草」とか「星を見て方角や月日を知る法」とか、「独習・手旗信号」なんて本が必要になるのではないだろうか、と思っていた。しかし、「たったひとりで無人島に流される」状況は、たぶん近未来的にはやってこないと思われる。 むしろそのような条件ではなくて、「ワークを固める」方向の10冊を選んでみようと思った。ワークといきなり言っても思いつかないので、当ブログでの最近の話題、OshoのRR「ブラック・キモノ・カー」を日本に持ってくるプロジェクト、というものをシュミレーションしたらどうだろうか、と思うに至った。そしてその名は、RRのマスコットにちなんでプロジェクト名「スピリット・オブ・エクスタシー」(SOE)としてみた。 もしその「プロジェクトSOE」をスタートすることとして、それを推進するための10冊を選ぶこととなったら、まず私はこの「エスリンとアメリカの覚醒」をその中の一冊として選びたい。 <3>につづく