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2009年4月1日

地球人スピリット
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チェロキー

2007.06.04
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カテゴリ:チェロキー

「マヤ文明」 失われた都市を求めて 
クロード・ボーデ他 落合一泰・監修 1991/12 創元社 原書1987

 発行年代が古いから、内容が古ぼけているかなとちょっと怪訝な気持ちだったが、どうしてどうして、これがなかなか面白い。

 
<マヤ考古学を考古学する>。これが本書のねらいである。
 紀元3世紀から9世紀にかけて、メキシコ南部、グァテマラ、ベリーズなどで最盛期を迎えた古代マヤ文明。マヤ考古学の第一人者である著者クロード=フランソワ・ボーデは、この文明の解明に生涯をささげた人々の歴史を発掘する。軍人、聖職者、貴族、芸術家、外交官・・・。職業的な考古学者があらわれる以前の、マヤ探検家群像である。
p001

 マヤ文明は、「再発見」され、「発掘」されたのだ。探究され研究された。遺跡は遺跡として、ただただ熱帯林の中に眠るだけである。それを人々は見つけ、その叡智を探った。そこには人間がいる。先人達が探ったマヤ文明の叡智。そこから何を学ぶのかを解明することは、いまや、現代人の私たちに課せられた使命である、と言えるかも知れない。

 
マヤの暦では、様々な独自のサイクルが使われていた。主なものを挙げてみよう。
 1)ツォルキン暦。儀式または占い用の暦。日にちは数字(1から13まで)と、日の名前(全部で20種類)との組み合わせで示される。1サイクルは260日(13*20)で完了し、その後、同じ名前と同じ数字の組み合わせにもどる。
 2)ハアブ暦。「おおよその1年」とも呼ばれる。(太陽暦の1年に4分の1日足りない)1年は365日で、ひと月20日あからなる18ヶ月と、年末の5日間の短い「月」とに分けられる。
 3)5200「トゥン」の大きなサイクル。マヤ族の歴史はすべてこのサイクルで語られ、その起点は紀元前3114年8月13日に当たる。「長期計算暦」は、この日をゼロとしてどれだけの時間がすぎたかを表す方法である。
p152






Last updated  2009.02.11 12:34:18
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カテゴリ:チェロキー

「マヤ/グアテマラ&ベリーズ」 写真でわかる謎への旅 
辻丸純一 2001/03 雷鳥社

 マヤは古代文明の名前だが、他の二つは現在の国家の名前である。グアテマラ共和国、ベリーズ国、ともにメキシコのお隣の国だ。チベット文化が隣接する周囲のモンゴル、シッキム、ブータン、ネパールなどに大きな影響を与えたように、マヤ文明は、メキシコだけではなく、周囲の地域に、大いに繁栄したのであった。いや、むしろ、同じシリーズでありながら
前書より、こちらがさきに発行されていることを考えれば、むしろ、ベリーズ、グアテマラのほうがより注目すべきことが多いのかもしれない。前書にはなかった、マヤ暦についての言及もこちらにあった。

 マヤは他の古代文明とは比較にならないほど、優れた天文学の知識をもっていた。1年を365日とするマヤの暦は、現在我々が使用している暦とわずか17.28秒の誤差しかなく、金星の584日という会合周期(惑星が地球に近づく周期のこと)も、6000年でたった一日のズレが発生するだけという精度の高さである。金星や火星といった惑星の運行や星座の位置なども把握し、30年先の日食までも予測できたといわれる。マヤの人々はなぜ、これほどの高度な天文学の知識を持ち得たのであろうか。p90

 マヤの人々は「宇宙は規則的に循環している」という宇宙観を持つ。ヨーロッパ社会で15世紀にコペルニクスが地動説を発表するはるか昔から、すでにそうした概念を備えていたのだ。「マヤ人はアトランティス人の子孫である」とか、「マヤの文明は宇宙人がもたらした」という説がまことしやかに語られることがあるが、現代と比べても遜色のないマヤの驚異的な知識に、そのような考えが生まれたのもうなづけないことはない。しかし彼らの高度な文明は、あくまでも地道な天体観測と敬虔な信仰心とがつくり上げた努力の結晶に他ならないのだ。p91

 「中南米の旅には、グルーボ・タカ航空が便利!!」・・・・だとか。






Last updated  2009.02.11 12:35:51
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カテゴリ:チェロキー

「メキシコ/マヤ&アステカ」 写真でわかる謎への旅 
辻丸純一 土方美雄 2001/8 雷鳥社

 この本は、旅のガイドブックの形式をとっている。「メキシコの旅には、メキシカーナ航空が便利!!」とか。なるほど、マヤもアステカもメキシコにあるのか。

 メキシコ南部から中央アメリカに及ぶマヤとアステカの両文明。マヤ文明が、紀元前から2000年以上にわたり栄えた一大文明であるのに対して、アステカ文明は、14世紀のメキシコ中央高原にチチメカの人々が建てた王国のひとつであった。p6

 そうそう、そういうことなのだよね。ここのところはなんとかおさえた。
前書学習しましたからね。ところがどっこい、この本のおびただしい遺跡群のカラー写真を見ながら、どちらがどちらの遺跡なのか、全く分からない。それだけ余裕がないというのが本当だが。しかし、どうも、感じるのは、これらの遺跡群を前にして、研究者たちも実は、かなり戸惑っているのではないかな、ということだ。次から次と、新しい発見や学説がでてきて、いまだきちんとした定説が出来上がっていないようなのだ。

 であればこそ、私のような門外漢が混乱して、なにがなにやらよく理解できないことも、少しは大目に見てもらってもいいだろう。あるいは、謎だらけだからこそ、面白いということもいえるのだろうか。この本、残念ながら、マヤ暦について、突っ込んで表記しているところがなかった。2001年の本だから、比較的新しい情報ではあった。






Last updated  2009.02.11 12:38:21
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カテゴリ:チェロキー

「図説古代マヤ文明」 
寺崎秀一郎 1999/05 河出書房新社

 「古代」というからには、
前書がいうような「西暦3世紀から10世紀」にかけて栄えた文明、というようなとらえ方はしていない。

 メソアメリカのなかでとくに有名な文明がマヤとアステカです。二つの文明は混同されることも多いようですが、これらを同列に扱うことはできません。マヤはマヤ諸語を話す諸集団によって広域に、前1500年頃から2000年以上にわたって展開された一大文明ですが、かたやアステカは、チチメカとよばれる諸集団の一派アステカ(メシーカ)が13世紀にメキシコ中央高地に打ち立てた王国です。p9

 なるほど、これで、すくなくとも、私は、マヤ文明とアステカを混同することはないだろう。そして、やはりマヤ文明は、紀元前数千年から続いてきている、と理解したほうがよさそうだ。この本の著者は1967年生まれの新進気鋭の考古学者だ。その説に信頼をおいておこう。この本、わずか見開き2ページだが、「マヤの天文学と暦」というコラムがある。こまかい説明はとりあえずおいておいて、このブログに関係ありそうなところをピックアップしておこう。

 
この表記法によって、マヤの世界が始まった日から経過した時間をあらわすことができる。これが長期暦である。いままでの研究から長期暦の最初の一日は、前3114年8月11日とされている。このマヤ独特の暦を西暦に換算する方法は、考案者の頭文字をとってGMT法とよばれ、石碑や祭壇に刻まれた年代を知ることができるのである。
 こうして膨大な時間を記録することができたマヤの人々は、13バクトゥンが経過すると現在の世界は滅びると信じていた。マヤの人々が世界の終焉と信じていた日付は西暦に換算すると2012年12月23日ということになる。
p25

 この13月の暦
「マヤン・カレンダー」がひそかに話題になっているようだ。アセンション派の人々は、このマヤの「預言」をもって、この2012年12月23日に何事かあらん、という心配をしているようだ。あるいは、偉大なるチャンス、と見ているのか。

 
最近でも、グラハム・ハンコックが「神々の指紋」のなかで、マヤ人が西暦2012年、人類に危機的な事態が起こることを予言しているとか、古代文明以前、南極が温暖だった時代にエジプトのピラミッド、スフィンクスを築いた優れた文明があったとの説を誠しやかに唱えている。
 ハンコックのみならず、ウラムンド兄弟らが一様に唱える「人類の危機」は、18世紀のはじめ、ドミニカ派の神父フランシスコ・ヒメーネスが発見したマヤの神話、マヤの「古事記」的な存在といえよう「ポポル・ヴフ」(グアテマラ、高地マヤのキチェの人々に伝わる創世神話)によっている。それによると、世界はこれまで3度創造されたがいずれも滅び、現在は第4の世界にあたり、神話を読み解いていくと西暦2012年が次の滅亡の年なのだそうだ。
 現在も氷に閉ざされている南極に超古代文明の存在をほのめかすというのは、地球上でただひとつ残された未知の大陸であるというところに、冒頭で述べたような、何らかの拠り所を求めないではいられない人間の心理が働いているからだろう。
 まだ研究途上のマヤをはじめとする古代文明、南極大陸では、今後の調査でどのようなものが発見されるかわからない。もしかすると2012年に何かが起こるのかも知れない。「未知」のものに対しては各人が各人なりに想像を巡らせ、夢を語るのは自由である。ただそこに誤った仮定や憶測をもち込むことは、人々の心理にいたずらに影響する危険があることを述べておきたい。
p121






Last updated  2009.02.11 09:30:05
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カテゴリ:チェロキー
沈黙の都市マヤ.jpg
「沈黙の都市マヤ」 開かれた封印 古代世界の謎(5)ー密林に眠る驚異の文明ー 
コンスタンス・コルテス 1998/4 主婦と生活社 原書1997

 マヤ文明は、西暦3世紀から10世紀にかけて、現在のガテマラ、ベリーズ、エルサルバドル、ホンジュラス、それにメキシコ東南部に広がるタバスコ、ユカタン、キンタナ・ローの各州をすべて合わせた広大な地域にまたがって栄えていた。そうした地域の地勢図が、熱帯雨林の密生した低地から、針葉樹林の生い茂る山々が連なった高地まで及んでいる点を見ても、これほどの一大文明圏が存在したこと自体、実に異例の現象だったといえる。p2

 この本、カラー図版はとても綺麗だが、コンパクトなハードカバー本で、特にマヤ歴のことは書いていない。しかし、西暦3世紀から10世紀にかけて栄えた文明ということは、年代的には、かなり新しい(なにを基準にするかだが・・)と言えるだろう。






Last updated  2009.02.11 09:26:26
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カテゴリ:チェロキー
マヤ・アステカ・インカ文明.jpg
「マヤ・アステカ・インカ文明」 <1> 
ジョヴァンニ・カセッリ監修 1997/3 ニュートンムック
原書1990

 今から500年前あまりも前のアメリカ大陸では、現在のメキシコからペルー、ボリビア、チリ北部にいたる広い地域で、のちにコロンブスによって、”インディアン(インディオ)”と名づけられた先住民族の文明が栄えていました。これれあの先住民族は、まだベーリング海峡が地続きであった約4万~1万年以上も前に、アジアからアメリカ大陸へわたってきた狩猟民族の子孫と思われるモンゴロイド系の人々です。その後アメリカ大陸が外の世界から孤立したために、ほかの文明の影響をほとんど受けることがないまま、彼らは、メキシコ高原やユカタン半島、アンデスの高地などをはじめとする各地に、旧大陸とはまたったくちがった独特の文明をきずきあげていきました。これらの文明はマヤ文明、アステカ文明、インカ文明といった名称で現代でも知られています。p7

 マヤ、アステカ、インカなど、漠然といつも聞いているけれど、そのこまかい違いはよくわかっていない、というのが本当のところだ。エルドラド伝説による謀略や、キリスト教の宣教などにより、15世紀以降、当時栄えていたアステカ王国とインカ帝国は滅ぼされてしまった。しかし・・・

 こうした古代アメリカの文明の一部は、中南米でくらすインディオたちに受け継がれていき、今でもそのなごりを彼らの生活にとどめています。p7

 獲物を追って各地の移動していくうちに、人々の生活圏も、北極にほど近いアラスカの北はずれから、南アメリカ最南端のホーン岬にいたる、アメリカ大陸全土へ拡大していきました。このうち、アラスカに住み着いた人々はエスキモーとなり、北アメリカの大平原に住みついた人々はアメリカ・インディアンとなっています。なでも、のちの古代アメリカ文明の創始者となったのが、メソアメリカとアンデス地方に住みついた人々でした。p10

 え~、気まぐれにこんな本を読み始めたら、もともと頓珍漢なのに、ますますわからなくなってきた。これらに、縄文人やアイヌの人々のことなどを考えたら、実に混とんとした気分になってきた。しかし、だいたいわかってきたことは、時間と空間を遥かにこえて連綿と続いている大文明を整理するにあたって、まずは、
グラハム・ハンコックのいうような、超古代文明、つまり1万2500年くらい前のこと、つまり、いわゆるムー・アトランティス・レムリア的な大時代的な「失われた文明」と、現代のホピやチェロキーなど、生きた文明として残っているが、しだいに「失われつつ」ある文明の二つがある、ということだ。

 そして、現代のチェロキーである
ローリング・サンダーが「古代の人の中には、南太平洋に沈んでしまった大陸から、いくつもの船に乗って現在のアメリカ大陸まで逃げ延びてきた人たちがいるのだ」という時、それは、有史以来の、ごく最近のことなのか、あるいは、ムーやレムリアを指すのか、今は分からない、ということだ。しかし、そこには、確かに「知られざる文明」が確実に存在したということになるのだろう・・・か。ここではひとつ、なにかのメルクマールをつけて踏み込んでいかないと、迷子になりそうだ。とりあえず、マヤのカレンダーを探しに行ってみようか。

 
つづく






Last updated  2009.02.11 09:08:21
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カテゴリ:チェロキー
ローリング・サンダー.jpg
「ローリング・サンダー」 <1> 
ダグ・ボイド /北山耕平+谷山大樹・訳 1991/1 平河出版社 原書 1974

翻訳をした北山"Smiling Cloud" 耕平は自身のブログ「Native Heart」で
ローリング・サンダーについて書いている。また、チェロキーについても書いている。このブログにおいて、現代チェロキー青年・多火手に会いにいく冒険の旅は、当初困難が予想されていた割りには、意外と身近なところに糸口は見つかってしまった、というべきか。

 この本の翻訳は、はじめこの世界に興味を持つ若手の翻訳家である谷山大樹氏によってすでになされていたものがあり、本書の著者であるダグ・ボイドとも仲の良いC+F研究所の吉福伸逸氏のもとに持ち込まれていた。北山記 p602

 この下訳を終えていた谷山とはPレム・Bクタのことで、私が一番最初にインドに行った1977年に羽田から一緒に飛び立ち、ボンベイのホテルで相部屋になった。このあと、数ヶ月、彼と一緒のドミトリーで暮らすことになった。彼は当時16歳の高校生だった。

 
ローリング・サンダーはまた、インディアンの国家の起源とその歴史についても語った。
「時のはじまりについては、われわれはこう知っている・・・地球の大地はわれわれが歩むごとに大きく揺れ動いた」
 そして言葉をついだ。
「大気はきわめて暑く、この熱から逃げる術(すべ)はなかった。そのころにも人間がいたのだが、彼らはわれわれとは少し違っていた。その人たちは、最初の人間の生き残りだった。北カリフォルニアのビッグ・フットや、チベットのイエティのようないわゆる雪男みたいなものだ」
 そればかりか、古代の人の中には、南太平洋に沈んでしまった大陸から、いくつもの船に乗って現在のアメリカ大陸まで逃げ延びてきた人たちがいるのだとも、彼はいうのである。
「そうした人たちの末裔がここにはまだいる」とローリング・サンダーは続けた。「われわれはその人たちが誰なのか知っている。断っておくが、すべてのインディアンがみんな同じ肌の色をしているわけではない。その人たちはヨーロッパからやってきた人たちとも、また世界中のどんな人たちとも似ていない。われわれは年に一度、ホピの国において会合を持つことになっている。ホピの国の大地の中に掘られたキバと呼ばれる聖なる集会所に、すべての部族の代表が、メディスンマンたちやチーフたちが集ってくる。みんなが一同に会すると、われわれに伝えられた聖なる描き物が取り出され、読まれ、そして解釈される」
p23

 さまざまな風景が紹介されているが、ネイティブ・ピーポーと自動車の絡みも書いてあって、多火手探検隊としては、興味深い。

 朝まだ早いうちにわれわれはバリセイドのキャンプサイドを車で後にして、長い道のりを一路南へ向かい、目的地のルビー・バレーを目指した。私はローリング・サンダーがハンドルを握るアリスの赤いフォードに乗り込んだ。みんなが「委員会の車」として知っている1965年の赤のヴァリアントと、別の委員会のメンバーのものであるグリーンのシトロエンが後に続いた。p127
 
   赤のフォード.jpg
 当時の赤のフォードとはこんな車だったろうか? ローリング・サンダーが乗るのは、あまりにかっこよすぎるなぁ。

   1965バリアント.jpg
 色違いだが、これが1965年のヴァリアント、かな。

   グリーンのシトロエン.jpg
 これがグリーンのシトロエン。

 なかなかかっこいい一行だなぁ。

 つづく






Last updated  2009.02.11 09:06:20
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2007.06.03
カテゴリ:チェロキー
リトル・トリー.jpg
「リトル・トリー」 
フォレスト・カーター 和田穹男・訳 1991/11 めるくまーる 原書 1976

 「美しい自然のなか、チェロキー族の祖父母の愛情に包まれて、「インディアンの生き方」を学んでいく少年リトル・トリーの物語」表紙見返し。

 この本1991年が初版だが、私の読んだ2000/7版ではすでに73刷となっている。この小さな出版社としては、売れに売れた本、ということになるのだろうか。2001/11には、同じ出版社から、
普及版として廉価版がでている。訳者もたしかこの出版社の関係者なはずだし、まずはめでたいということになる。

 しかしながら、ネットで知らべると、意外な不協和音がある。北山スマイリング・クラウド・耕平のブログ
「Native Heart」入口にいろいろ見ていくと、とんでもないことがわかってくる。すくなくとも、著者は作者紹介にあるような「チェロキー・インディアンの血」を引くような存在ではないという。

 「フォレスト・カーターことアサ・カーターは、職業はラジオ番組の作家であり、政治家のスピーチライターであり、極右白人至上主義団体のアジテーター兼職業的指導者として給与をもらっていて、酒におぼれるようになってから金を稼ぐために何冊か西部にまつわる小説も書いた。KKKのある支部のリーダーでもあった。」
Native Heartより

 小説であったり、多少の膨らましがあったりすることは、それほど大きな問題にならないとしても、本当のチェロキー文化としてこれを受けいれてしまってはならない、と事情通は警告する。特に、転生輪廻を思わせるくだりなども問題視されている。

 以前にも、私としては、個人的に首をかしげた
宮内勝典は「リトル・トリー賛歌」p341として、とくにこの輪廻転生信仰を思わせるくだりを抜書きして、その感動を記している。スー族インディアンの村で暮らしたことがある、というのだが、どうもこの人、こういうところで登場しては、いつも狂言回しの役割を引き受けてしまっている感じがする。

 いずれにせよ、チェロキー青年・多火手の行く手には、一体なにが待ち構えているのか。風雲沸き起こる兆しあり。






Last updated  2009.02.11 09:03:24
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