地球人スピリット・ジャーナル1.0

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2009年4月1日

地球人スピリット
・ジャーナル2.0


へ引越しました。

全108件 (108件中 21-30件目)

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チェロキー

2007.11.27
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カテゴリ:チェロキー


「新祖国論」 なぜいま、反グローバリズムなのか 
辻井喬 2007/08 集英社 単行本 254p
No.896★☆☆☆☆

 ローバリズム、是か非か、と問われれば、私は是と答える。ただし、半径**キロメートルのグローバリズム、と限定をつけるだろうが。何キロメートルの半径がよいかは、これから検討するとして、アメリカにしてもアル・カイダにしても、あまりにスケールの大きいことを言い過ぎる。そう言った意味では、辻井喬も同罪で、グローバリズムの侍女(という表現が本書にあったので引用)でしかない。

 しょせんは、セゾングループで、あちこちの地場産業を荒らし、地元商店街をシャッター商店街へと送り込み、地方百貨店を根絶やしにしてきたのが、堤清二こと辻井喬、あなたが張本人じゃぁないか。ペンネームを使おうが、すでに引退してようが、あなたに「反グローバリズム」なんて言葉を使う権利はない。ましてや、あなたの反グローバリズムは、国家や民族どまり。真の意味のローカリズムではない。

 径**キロメートルのグローバリズムという時のグローバルは、世界のフラット化を意味しているわけではない。グローブとはもともと地球ということ。しょせん、ひとりの人間の視線から、地球全体が見渡せるわけがない。大地に立って見渡せるだけのエリア、それが一人分のグローブだ。まずはそのグローブと仲良くなることが、まずは最初にやるべきことだろう。

 はるかかなたに立っている他の人に見えている彼の半径のグローブ、それが彼にとってのグローブだ。だからそれらを次第につなげていけば、それがグローバリゼーションとなる。ひとりの人間が欲張って地球全体に影響をあたえようとしたり、統一したベースを築こうとするから間違いが起こる。せいぜい、自分が生活に必要なエリアだけのグローブとともに生きることをまずは考えるべきだろう。

 井喬のこの本はちっとも面白くない。そんなことあんたに言われたくないよ。なにが反ですか。80歳にもおなりになって、こんな記事を一年間、信濃毎日新聞に連載しました、って言ったって、なんだかお門違いのような感じがする。それこそ、堤清二は、バーチャルな仮想自分として辻井喬というアバターを使って、ネットオカマやっているのと、なんら変わりないじゃん。

 あんたが本当にそう思うのだったら、もっと別な人生があったはずだ。おいしいところだけ食べちゃって、青い渋柿を地上のかわいそうなカニにぶつけているサルカニ合戦のサルにも劣るのではないか。すくなくとも、この人のこの本には素直になれない。







Last updated  2007.11.27 20:36:34
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カテゴリ:チェロキー


「オサマ・ビン・ラディン発言」 <再読>
オサマ・ビン・ラディン /ブルース・ローレンス 2006/08  河出書房新社  単行本  393p
No.895★★★☆☆

 時もきちんと読めたわけではないし、一年経過したからと言って、キチンと読める段階になったわけでもない。ただ、このような本があるのだ、ということは記憶しておきたいし、何かのきっかけでキチンと読めるようにならないだろうか、と、チャンスを狙っていることは間違いない。しかし今回も、=<再読>したいこの3冊= アガルタ カテゴリ編の中の一冊として、<再読>してみても、どのようにとらえたらよいか、ちょっと悩んでしまうのは事実。

 この本を9.11の張本人の犯行声明として読んでしまうのはあまりに短絡的であろうが、まったく無関係でもないし、また、そのことに私自身が関心をもつことに、どこかぎこちない感じが残ってしまう。アメリカ<帝国>とイスラム<宗教>の戦いのようにとらえてしまうのは、私の趣味ではないのだが、どちらも、その流れの中で解釈されることを、半ば期待しているようなところがないでもない。

 「十年前に仮想社会が登場してから、世界が印刷物からインターネットへ、有線通信から無線通信へと移行するなか、彼は仲間たちとニューメディア向けの声明を慎重に練り上げ、つぎつぎに発表してきた。」p13

 いろいろな反権力闘争やテロリズムの活動がある中で、たしかにアルジャジーラなど新しい報道機関の使い方が新鮮だ。あるいは9.11の事件の起こり方自体が、今までの単純な仕組みでないところが、なんとも新しい視点からの「ハイテク」なイメージが残る。

 「アル・カイダは、1970年代にヨーロッパで活動を始めたテロ組織、『赤い旅団』のアラブ版---いわばそのお直系の後継者---であり、それをごまかすための手段であるというのだ。」p26

 ここで「赤い旅団」という名前がでてくることはびっくり「<帝国>」「マルチチュード」の著者アントニオ・ネグリは「赤い旅団」のリーダーとも目されている。ここになんらかのコネクションがあるのかどうかなんてことは、一個人にはまったくわからない。あまり疑心暗鬼になるつもりはないが、いろいろな可能性について、簡単に否定もできない。

 「日本は、この戦いに何の関心があるというのか。いったいなぜ、この厳しい、激しい、残忍な戦争に参加したのか。これはパレスチナのわれらの子供たちへのはなはだしい侵害であり、日本はわれらと戦うことになるとは思いも寄らなかったはずなのだから、自国の立場を再検討するべきである。」p190

 これはインタビューに答えたOBL本人の言葉だ。このような発言はメディアを通じて一般の日本人に伝えられることはほとんどないと思われる。ただ、彼からしてみれば、日本は彼らと戦争を開始していると見ているのだ。何故だ、と彼は問うている。

 「客観的に言えば、いまや多くの人びと---称賛者か批判者かにかかわらず---からアメリカ帝国と呼ばれている存在を相手に、ビン・ラディンは戦いを挑んでいる。ここで留意してもらいたいのは、彼自身はこういう言い方をけっしてしないことだ。これまでに公表している声明に、「帝国主義」という言葉はでてこない。彼は、敵を表現するさいに別な言葉を用いている。彼にしてみれば、<ジハード>の敵は、帝国主義ではなく『世界的不信仰』である。」p25

 世界的不信仰、という単語に、彼の思い込み、あるいは思想や哲学、宗教の根源が隠れている感じがする。なぜに彼は「世界的不信仰」が許るすことができないのか。世界がすべてイスラム社会になればいいとというのだろうか。相手に対する寛容さを、この言葉から引き出すことはできるのだろうか。

 「われらは、尊厳と名誉とともに暮らしており、そのことをアッラーに感謝している。この山地の樹木の下で暮らすほうが、アッラーの最も神聖な地の宮殿に住むよりもよほどいい。地上で最も神聖な地にあるというのに、不正がはびこり、アッラーへの不敬という不名誉にさらされているのだから。アッラーの他に力はなし。」p98

 地下洞窟が縦横に発達しているという地域に彼は隠棲しているのではないか、と言う人もいる。そんな言葉から、地下都市アガルタのイメージを連想してしまう私はそうとうにイカれていると言えるだろう。そうでもしないと理解できない自分が情けない。この本を三読する時は、くるだろうか。







Last updated  2007.11.27 13:12:00
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2007.11.26
カテゴリ:チェロキー

<再読ii>より続く


「超シャンバラ」 <再読iii>

 底都市テロスからのメッセージのこの本を<再読>するにあたって、ちょっと身構えたのは事実だ。立ち読みや流し読みしてイメージだけ掴んでいてもよくわからないぞ、と、細かいところまでおさえよう、というちょっと勢い込んだところがあった。しかし、実際に読んでみると、意外というか、やっぱりというか、割りと読み易く、中盤までは、難なく進んだ。

 レムリア文明は1億2000年前に、アトランティスとの攻防の中で消滅し、その中の一部の2万5000人だけががカリフォルニアのシャスタ山の下に逃げ込み、現在は地底都市テロスを形成し150万人以上で暮らしている、ということにになるのかな。そこには12人のアセンディット・マスターがおり、カウンシル(評議会)を開いて物事を統治している。ダイアン・ロビンスのチャネリングにでてくるのは、このうちのひとりのマスター「アダマ」という存在だ。

 ロスという地底都市は地表よりわずか1マイル(1.6キロ)のところにあり、地底人たちはいつでも地表に出ることはできるが、地上人たちは時期がこないと地底都市には行けないことになっている。そして、どうやら地下には他にもたくさんの地底都市が存在し、それらはアガルタ・ネットワークと言われるものでつながっているらしい。

 これらのチャネリングの日時や場所や方法についての細かい記述はなく、5W1Hがどこまでも不明だ。部分的にイメージだけの年代や距離、人数というものが登場してくるが、いわゆる「3次元」的にこの数字を云々するのは、糠に釘、暖簾に手押し、的な無力感がただよう。

 造物とテクノロジーについて、こう書いてある。

 私たちの家はあなた方のものと似ていますが、ある種の水晶のような、光を発する(透明な)石でできている円形で、内部からは全角度・方向が見渡せます。しかし、外部の者たちが内部を覗き見ることを遮断する物質でできているため、私たちのプライバシーは常に保たれています。p157

 これは転生魂・多火手の幻視にほぼ近い。多火手はレムリアにおいて、この建造物の技術者だった。3次元的に理解しようとすれば、不可能なことも、小説やSF、ファンタジーと考えるなら、イメージできないわけではない。ましてや仮想社会やバーチャル・ワールドになれば、もう、なんでもござれだ。

 ログを進行するにあたって、このブログにはすくなくとも三人の「私」がいる。銀行に行って待合時間に週刊誌を読んでいるような存在としての1stライフ=3次元の私。ハンドルネームでパソコンを叩きながら、時には時間も空間も自由に飛び回るような存在としての2ndライフ=4次元的な私。瞑想し、あるいは夢の中で、ソースにつながり、高い覚醒の世界をめざす5次元的存在としての3rdライフ=転生魂としての私。

 この「超シャンバラ」のような書物や「テロス」からのメッセージを読んだり受け取ったりするなら、これは明らかに多火手を登場させて、彼の動きを自由にさせてやるのが一番だと思う。ファクトかフィクションかファンタジーか、などとおもんかばっているばかりでは、時間がかかり過ぎ、本質に迫ることができなくなる。

 書館レベルでいえば、このブログは公立図書館や大学図書館に収蔵されている実際の書籍をもとにスタートしているが、次第にインターネットでつながってインテグラルされている情報へアクセスすることを始めている。そして、それは次第に宇宙開闢以来の情報が全て集積されているというアカシック・レコードへとコネクトしていくことになるのかも知れない。

 そのことをこの「超シャンバラ」の後半では、ポーソロゴス図書館の管長・ミコスを登場させて、そのメッセージをチャネリングしている。あるいはオウレリア・ルィーズ・ジョーンズという人物(?)も登場させて、アダマからのメッセージというものも載せている。

 元上昇、アセンション、フォトンベルト・・・。この手のチャネリングもののお得意な世界もきちんと展開されている。

 もしあなた方が望み、準備ができているのであれば、私たちが特別に設けた「アセンション BY 2012」と呼ばれる特訓コースを受講するのが宜しいかもしれません。p355

 最初は煩雑に思えるシンボリズムの体系だが、一旦、全体を受け止めてしまえば、あとはそれほど問題ではない。あとは「特訓コース」とやらをどうぞ、というわけだ。

 ダマ、というアセンディッド・マスターの写真がネットでも公開されている。ピーンと来る向きもあるだろうし、なんだかなぁ、と引いてしまう向きもあるだろう。自分の意識の中のどの部分でこのような本を読み、このようなエネルギー達と接触するかで、こちらの態度も大きく変わってくるだろう。

 たしかこの本は、立ち読み、斜め読みを入れると三読、四読を軽く超えているが、今回またちらちら目を通してみて、どのようにこの本を読めばいいのか、すこしはわかってきた。それは、小説苦手の私がどのように小説を読み、映画オンチの私がどのような映画を見たらよいのか、ということとすこし繋がっている感じがする。このチャネリングものが読みこなせるようになれば、他のチャネリングものも、もっと手短に楽しめるようになる感じがする。







Last updated  2009.01.21 07:54:11
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2007.11.25
テーマ:家庭菜園(38425)
カテゴリ:チェロキー

<再読i>より続く



「超シャンバラ」 <再読ii>

 語による原書のタイトルはTelos: The Call Goes out from the Hollow Earth and the Underground Cities. 直訳すれば「テロス:空洞地球と地下都市からやってきた呼びかけ」とでもなるであろうか。日本語タイトルの「『超シャンバラ』 空洞地球/光の地底都市テロスからのメッセージ」だが、原書には「超シャンバラ」という単語はない。また原書の発行は1996年と2000年になっており、日本語に訳されたのは2006年5月だから、その時代的ギャップをキチンと押さえておかなくてはならない。1996年と2006年の間には、少なくともネット社会の発達と、1999年とY2K問題、そして9.11という大きな事件が挟まれていることを忘れられない。

 「空洞地球」という翻訳の続編が今年2007年の6月にでているので、これもぜひ併読したいところだが、英語版は、もっと最新のものがシリーズででている。翻訳が待たれるところ。巻頭に「内部に入ったことのある人によって描かれたインナーアース!」という図解があって、「ファクト or フィクション?」とある。おいおい、キチンと紹介してよね、元教師とジャーナリスト。

 

 

空洞地球.JPG

<再読iii>につづく







Last updated  2009.01.21 07:52:15
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カテゴリ:チェロキー
<初読>よりつづく


「超シャンバラ」空洞地球/光の地底都市テロスからのメッセージ <再読i>
ダイアン・ロビンス /ミズモリケイ 2006/05 徳間書店 単行本 367p
★★★★★

 と言わず、<再読>と言わず、この本は何度か読んでいる。何度読んでも納得する、ということはない。納得はしないが、何度も読んでみたくなる魅力はある。この本を小説ということはできないだろう。小説として書かれてはいないし、小説と銘打っていたら、読みたいという思いは半減するだろう。これはSFなのだろうか。SFだとするなら、いままでの科学的な根拠の薄さから、ちょっと外れた傍系のものになるに違いない。

 それではファンタジーなのであろうか。なにか異質なものや恐怖を味わいたいための試みなのであろうか。あるいはホラーものか・・・・。いや、それらのジャンルからもまた外れた、いわゆるチャネリングものなのだろうか。チャネリングものとして位置づけた場合、もちろん私はあまりお好みではないのだが、どうもこの一冊は、他のチャネリングものとも一線を画しているように思える。

 故に他とちょっと違うな、と感じるのだろう。それはシンボリズムの使い方が、私の中にある有象無象の想念の中で、整理されないで、未整理のままに放置されている、いくつかのパーツにうまく光を当ててくれていることと関係がありそうだ。この本の中で使われているシンボリズムをそのまま鵜呑みにする形で再利用することは、私にはできない。私なりのフィルターにかけなくてはならない。それは曲解する、ということにもつながるだろうが、私なりにコンバートするということにもなる。私が私なりにこの本を理解するには、このコンバートは絶対に必要だ。すくなくとも一度は。

 ましてやこのブログの中で論じられることになるとするなら、この本は、スタンドアロンでいることはできない。他の本やエネルギーとのインターフェイスを整え、一つのパーツとして働いてくれなくてはならない。本の存在自体はそれを望んでいなかったとしたら、それは残念であるが、しかし、このブログで語られる必要があるのであれば、それは絶対に必要だ。

 イアン・ロビンスは1939年生まれのアメリカ人男性(だろう)。だから、現象的には、ロビンスの書いたSFあるいはファンタジー、と理解するのが、なにはともあれ、一番手っ取り早い理解のしかただ。そして結果的に、最終的には、それ以外のなにものでもない可能性がある。「社会に馴染めないと感じながら人生の大半を過ごしてきた」彼は1989年50歳にして「瞑想」を始めた。p019 瞑想を始める年令としては、決して遅くはないが、現代に生きる感性の強い人間としてなら、50歳からの瞑想はちょっと遅すぎる感がある。

 長年「教師をしてきて、すべての学位と教育を得て」いた、と自称するダイアンだが、このような表現はアメリカ的ではあるが、私にはいただけない。表現方法の違いなのか、意図的な翻訳者による意図的な雑訳なのかはわからない。翻訳者のケイ・ミズモリは自称「ジャーナリスト・翻訳家」だが、翻訳書の仕事をしているのだから翻訳家ではあるのだろうが、友人の翻訳家Sによれば、その仕事で「家」が建つくらいの収入がないと、翻訳「家」とは言わないのではないか、ということである。ミズモリが翻訳で「家」を建てたかどうかは、今のところわからない。

 ャーナリスト、とポロッと言ってしまうことにも私は警戒している。この業種を自称する分には何の規制もないし資格も必要ない。しかし、ジャーナリストであることと、ジャーナリストを「気取る」こととはまるで違う。ジャーナリストとは、公平で、正直で、より真実に近い世界を探求している業種と見られている。最近の食品偽造を思い出すまでもなく、一流品崩れを一流と言い含めることは、三流品を三流品として認知しながら流通させるよりも、さらにタチの悪い行為とされている。

 ミズモリが何流の人なのか知る由もないが、「ジャーナリストとして政治、文化、科学などを幅広くカバーし、日本の新聞・雑誌等に寄稿」p368してきたとする限り、その筆名に同一性があるのかどうか、どのような「幅広い」業績があるのかどうかは、今後、検証される必要があるだろう。「幅の広さ」は、たまに、雑多で統一性のないことを意味することもある。また「新聞・雑誌」と言うことによって、何かの権威をそこに求めようとしているのであれば、眉唾でかかっていかなくてはならない。とにかく、私はここではまだ、この翻訳者をこのブログでいうところのジャーナリストとしては認知していない。

 ャスタ山の下にある地底都市テロスから3次元世界の地表に現れたシャルーラ・ダックスに拠って書かれたニュースレターを、ダイアン・ロビンスが「発見」したのは1990年代初頭とされる。こだけではなんのことやら解らないが、つまりは現在ニューメキシコ州のサンタフェで現在でも夫と暮らしている女性ということで、1725年生まれとされる。現在もご健在なら282歳、ということになる。まともな読者なら、ここでひとまず撤退して構わないだろう。

 このニューズレターの中に、ロビンスは「アダマ」という次元上昇した覚者のことを知り、ある時、アダマのことを考えながら瞑想を行ってp019いた。私の理解では、「考えながら」瞑想する、というのは形容矛盾だが、あまり細かいことはここでは言わないでおこう。そして、ある時、「私はアダマです。テロスからあなたに話しかけています」という言葉を聞く。

 底テロスについては今後いろいろ語られていくとして、また、ここでは、翻訳者の存在もとりあえずおいておくとして、実際に「3次元」に存在しているのはダイアン・ロビンス、ただひとり、ということになる。つまり、周辺に雑多な情報や活動がさまざまあれど、この本に書かれている世界はロビンスただひとりが作り上げた壮大な虚構の世界である可能性を、まず押さえておかなくてはならない。セカンドライフが仮想社会の領域を拡大し続けている現在において、フィクションであったり虚構や仮想であることは、それだけで性急に判断される要素にはならないが、ここまでの舞台づくりに「教師」や「ジャーナリスト」という身分が使われていることに留意しておく必要がある。

 フィクションはフィクションとして語られる価値があり、仮想社会は仮想社会として、その存在意義を高めつつある。しかしジャーナリストの手によるフィクションは「誤報道」やヤラセであり、時には犯罪となる。あるいは「教師」による仮想話は、生徒を惑わせる。この二つの身分は「真実」により近いところにある業種と見られている。この人たちがフィクションや仮想社会を信じ、のめり込むことは、多いにありうることだろうが、そのフィクションや仮想話を、「真実」として流布しようという意図があったりするとすれば、それは激しく断罪されなくてはならない。

 験上、私は自動書記のような現象がありうる可能性はおおいに認めるし、教師やジャーナリストが至上の業種だともとても思っていない。場合によっては唾棄されなくてはならない職業がこの二つだ。だから、上記のコメントを持って、私がロビンスを断罪していると判断してはならない。今は、この本におけるただひとりの「3次元」的存在であるロビンス(会ったことないので実在しているかどうかはまだ未確認だが、笑)と、一読者としての私の距離感をまずはここで確認しておく必要がある。

 そして、これからあとの本書では、レムリアやアガルタ、というこのブログでも手探りで接触してきた世界について、さまざまな形で語られている。何がどのような形で提供されているのか、過去何度か斜め読みした程度では判断つかなかった部分もいろいろある。今回もこのブログにおける<再読>モードで、どれほどの確認作業ができるのかはわからないが、まずはその作業に着手する時期がきたようだ。

<再読ii>につづく







Last updated  2009.01.21 07:42:36
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カテゴリ:チェロキー


「死ぬには、もってこいの日。」
ジム・ハリソン /大嶌双恵 2001/10 柏艪舎 /星雲社 単行本 270p
No.892★☆☆☆☆

 故にこの本をリクエストしていたかというと、アメリカ・インディアンの平均寿命が短いという話しを聞いたから。つまり自殺率が高く、また、彼らは死ぬことを怖れておらず、簡単に自殺してしまう、というようなコメントをどこかで読んでいたからだ。ほんとうだろうか・・・? ちょっと疑問だった。それで、この本は、アメリカ・インディアンの長老の実話か訓話なにかだろうと取り寄せたのだが、実は、小説だった。ガクッ。

 フィクションとノンフィクションをまぜこぜにしちゃったら、それこそ何でもありのインチキ本になりかねない。どこかで一線を引かなくてはならない。同じ文字による表現だから、どれが優れている、とは一口にはいえないが、小説なら小説、ジャーナリズムの報道なら報道、評論なら評論、どこかでキチンと分けておかないと、すくなくとも、一つのこのブログの中でも同じ濃度、同じ速度で読み進めることはできない。

 メリカ・インディアンの平均寿命については、また別な本にあたるとして、このフィクションの有益・無益のことを考えてみた。小説やコミックなどは私はあまり好きではない。好きではないというより、必要ではない、と言ったほうがいいいだろうか。だって、周りをみているだけで、いっぱいネタが転がっているではないか、なにも嘘ばなしを聞かされて時間をつぶす必要なんてないじゃぁ、ないか。

 俺にはコミック雑誌なんかいらない、というフレーズを思い出した。頭脳警察のパンタの絶叫だ。私はこの歌は好きだ。俺のまわりは漫画ばかり、まさにそう思う。ひさしぶりにあの歌を聴こうと思ってググってみたら、なんとYoutubeの内田裕也がでてきて笑った。

俺にはコミック雑誌なんか
いらない

 この歌は内田裕也主演で映画化されている、ということは知らなかった。コミック雑誌はいらないが、このコミカルなロッカンローラー内田裕也の映画なら見てみたい。







Last updated  2007.11.25 13:37:40
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2007.11.15
カテゴリ:チェロキー


「忘れられた日本人」
宮本常一 1995/02 岩波書店 334p
No.888★★★★☆

 「この頃は田の神様も面白うなかろうのう」「なしてや・・・・・」「みんなモンペをはいて田植えするようになったで」「へえ?」「田植ちうもんはシンキなもんで、なかなかハカが行きはせんので、田の神様を喜ばして、田植を手伝うてもろうたもんじゃちうに」「そうじゃろうか?」「そうといの、モンペをはかずにへこ(腰巻)だけじゃと下から丸見えじゃろうが田の神様がニンマリニンマリして・・・・」「手がつくまいにのう(仕事にならないだろう)」「誰のがええ彼のがええって見ていなさるちうに」「ほんとじゃろうか」「ほんとといの。やっぱり、きりょうのよしあしがあって、顔のきりょうのよしあしとはちがうげな」「そりゃそうじゃろうのう、ぶきりょうでも男にかわいがられるもんがあるけえ・・・・」「顔のよしあしはすぐわかるが、観音様のよしあしはちょいとわからんで・・・・・」「それじゃからいうじゃないの、馬にはのって見いって」
 こうした話しが再現もなくつづく。
 「見んされ、つい一まち(一枚)植えてしもうたろうが」「はやかったの」「そりゃあんた神さまがお喜びじゃで・・・・・」「わしもいんで(帰って)亭主を喜ばそうっと」
p127

 この本、中沢新一叔父さんが解説を書いている。「土佐源氏」p131の話しはどこかで読んだことがある。どことはしっかり思い出せない。佐野眞一「私の体験的ノンフィクション術」であっただろうか。あるいは、玉川信明「反魂丹の文化史」か、鳥越俊太郎「人間力の磨き方」の中でのことであっただろうか。いずれにせよ、文章を書く立場の人間にとって、こういう文章を書きたい、こういう見方をしたい、というお手本としてあげられていたのだと思う。

 プロ中のプロ達の顔を思い出してしまうほど、たしかに宮本常一の仕事には、なんともいえぬ奥の深い人間ぶかさがしみこんでいる。この人がどういう人か、私はいまだによく知らないのだが、こうして書きとめられてある、ということの意味は大きいのだろう。

  翻ってみれば、例えば文頭に引用した田植えの話しなど、生まれてこの方、春には必ず田植えの捕植の仕事を手伝ってきた私としては、ごくごく当たり前の、よくよく分りやすい話で、にんまりせざるを得ない。なに、私の手伝いなど、たった一日、よくて二日ほどだが、かつての日本の農村では、この田植えが近隣の共同作業になっており、通常、人々は約一ヶ月ほど毎日毎日この田植え仕事に借り出されたはずである。この程度の田植え話でもしないことには、体が持たなかったであろう。

 日本全国どこでもあったこのような風景は、もうない。仕事も村も日本人も一変した。たしかに「忘れられた日本人」と言われれば、たしかにその通りだと思う。この一冊に込められたエピソードには、バラバラで不ぞろいだけど、不ぞろいであるだけに、なにか共通する温かみがむんむんとする。

 この本、すでに私の次の人の予約が入っているようだ。もうすこしゆっくり読んで見たかったが、それはまたの機会にゆずるとして、速やかに次の人に回そう。







Last updated  2009.02.11 09:38:25
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2007.11.13
カテゴリ:チェロキー
構造人類学.jpg
「構造人類学」クロード・レヴィ=ストロース /荒川幾男 1972/5 みすず書房 単行本 p451
No.886
★★☆☆☆






Last updated  2007.11.14 00:24:57
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カテゴリ:チェロキー

野生の思考.jpg
「野生の思考」クロード・レヴィ・ストロース /大橋保夫 1976/03
出版社: みすず書房 単行本 366p
No.885★★★☆☆

  「人間学」と「人類学」がどちらもanthropologie(語源はanthropos「ヒト」の学)であることに、本書では特別に留意する必要がある。この語はもともと一般には生物学的な人類学、すなわちanthropologie physique「自然人類学」のことを指し、哲学者は「人間学」という意味に使って来たけれども、両者はほとんど重なり合うことはなかった。

 アングロ=サクソン系の国々では早くから「民族学」ethonologieの代わりに、「文化人類学」anthropologie culture ないし「社会人類学」anthropologie socialeを含めてこの語が用いられてきたが、フランスではanthropologieが社会科学人文科学に用いられるようになったのは、とくにレヴィ=ストロースによるところが大きい。

 近年は社会心理学、経済学、政治学、精神分析学などの関連領域を含めて、さらに幅広い人間研究に適用されている。しかしながらレヴィ=ストロース自身はとくに本書では、サルトルとの関係もあって、ethos「民族」に焦点を合わせたethnologie「民族学」と対比してanthropologieに人間の普遍性全体性の探求として厳密な意味を与えて用いている。

 それゆえに哲学的な「人間学」と重なり合い、「哲学対人類学」という問題に真正面からぶつかることになる。しかしanthropologieをめぐる議論をしかけたのもサルトルの方である。『弁証法的理性批判』においてanthropologie structurelleを説くとき(『方法の問題』の結論、本論邦訳第三巻の最後など)、それはレヴィ=ストロースのAnthropologie strucrurable(1958)に対置されていることは明白である。(structureの形容詞としては、フランス語の造語方からはstructurelのほうがより自然である。

 プラハ学派の用語として言語学でstrucruralが用いられてきたために、レヴィ=ストロースはそれを使っているのである。なおサルトルのstrucrurelとstrucrualとの違いについては、『レ・タン・モダンヌ』1996年11月ごうの構造主義の問題特集--邦訳『構造主義とは何か』みすず書房--のプイヨンの紹介文参照。)

 サルトルにとっては実存哲学こそanthropologieなのであって、人類学はethnologieとしてしか成り立たないと考えている。これが単に多義語による混乱ないしは恰好のよい名前の取り合いではなくて、レヴィ=ストロースの考える意味でのanthropologieとしての人類学の成立つ可能性を否定するものであることは、たとえば次の文でもあきらかである。

 「諸集団の多様性と、各社会の通時的な進化とが、一つの概念的知の上に人間学(anthropologie)を打ちたてることを禁じている。たとえばミュリア族と現代社会の歴史的人間とに共通の<人間性>を発見することは不可能であろう。」(『方法の問題』平井啓之訳、179頁)

 レヴィ=ストロースは、本書において、最終章「歴史と弁証法」のサルトル批判にとどまらず、全篇で、サルトルなどが「未開人」についてもっている偏見を打破し、「現代社会の歴史的人間とに共通の人間性」があることを明らかにして、人間学としての人類学の根拠を示そうとするのである。

 Anthropologieとethnologieをめぐるこのようなやりとりを考慮に入れないと、サルトルの哲学は民族学者にとって現代の神話の研究に不可欠な第一級の民族誌的資料である(本書300頁注)というような文が賛辞ではなく痛烈な批判であることが理解されない。p361訳者あとがき

 フーン、な る ほ ど。

 

地球の出2.JPG
 ハイビジョンカメラ(広角)による「地球の出」の撮影映像






Last updated  2007.12.17 08:39:16
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カテゴリ:チェロキー


「非常民の民俗文化」生活民俗と差別昔話
赤松啓介 2006/08 筑摩書房 文庫 425p
No.884★★★☆☆

 先日、銀行で順番を待っているとき、傍らにあった、たしか「週刊B春」11月1日号だったと思うが、何気にチラッと見たら、例のAスピリンスノーの奥さんの手記が掲載されていたので、思わず読んでしまった。彼は最近、日本の教育界、あるいは風俗誌業界、あるいはネット界に一大話題を提供した。別に比較するわけではないが、私とタメ年なので、関心を持ってしまった。

 奥さんからすると、彼はとても理想的な旦那さんだったらしい。23歳と20歳で結婚した二人は、北海道の誰も知人のいない街で、公立学校の教師と妻という形で人生をスタートさせた。数年の幸せな日々のあと、まず訪れたのは妻の病気、膠原病とある。重い病気らしく、治療のため妻の実家のある札幌に還ることを勧められる。

 夫は、猛勉強の末、札幌の教職の資格をとり、夫婦で帰る。札幌の妻の実家に住むものの夫は三階建ての家をたて、三階にある部屋で妻は闘病の日々を送った。夫は、妻の体の手当てなどにもいやな顔をひとつせずに、毎日でもガーゼの交換などをしてくれて、僕達はどうしてこんなに仲がいいんだろうね、と言い続けてきたという。

 妻の母との三人の生活は、この数年、夫が公立中学校の教頭になってからもずっと続き、逮捕される前夜には、11月22日にちなんだ「いい夫婦の日」のための俳句づくりをやっていたという。翌日、見知らぬ男達が階下にやってきて、どうやら、その日、無遅刻無欠勤だった夫が、生涯初めて欠勤をしたことによって、妻は、夫が警察に年少者に対するわいせつ行為で逮捕されたことを知る。

 二人の結婚生活は30年続いたが、その半分、16年間に渡って、夫は妻はもちろん、周囲に知られることなく、すすきのなどで、女子高校生に対する一連の行為を行っていたのであった。そしてその画像を出版社に送り、収入もあったという。たしか得た金額は1600万とか報道されていたように思う。もちろん被写体となったのは数百人の少女たち。

 彼は、一部の専門誌ではAスピリンスノーとして伝説の存在にすらなっていたらしい。もちろん、妻はそんなこと全く知る由もなし。夫逮捕のあと、警察で雑誌のインタビューを受けている人物の首から下の写真をひと目みただけで、あ、夫だと、すぐ分ったという。

 警察で夫に面接し、どうしてそんなことをしたの、と聞いたら、激しくやっていたのは、この2年だけだったという。妻にしてみれば、その2年は、夫が教頭に昇進して、もっとも忙しかったはずの2年間であり、この男は何を考えているのだろうと、狐に包まれた思いだったようだ。妻は自分のこの30年間の結婚生活とは一体なんだったろうか、と考えていた。

 自分の病気にも責任があると思う。でも、だったら、もっと先に離婚してくれればよかったのに、とさえ思う。今は夫の給料も止められ、家のローンも払えず、親の代からの土地も他人の手に渡り、老齢の母親と病身の妻は、現在、生活にも困っているらしい。夫は1600万円の原稿料を稼いだと言われているが、妻にしてみれば、夫はそれ以上の金額を彼のその行為のために支出していたと考えている。 私は、銀行の待合で、自分の順番が終わったあとも、この週刊誌を取り上げて、最後まで読んでしまった。

 閑話休題。この赤松本はリンクを張ってみると、2006/08に筑摩書房から文庫本としてでたことになっているが、私の読んだのは1986/07に赤石書店から出た単行本。ウェーバーの宗教社会学に狂躁、狂騒を意味する「オルギー」という概念があるそうだが、フロイトの弟子だった精神分析者ウィルヘルム・ライヒが開発した治療器具に、生命エネルギーを集積するオルゴンボックスというものがある。この二つに共通するのはorgyという語源だろう。ググってみればORGYというアメリカのへヴィメタの人気ロックバンドもあるようだが、アダルトビディオ世界ではオージーは乱交という意味に使われる。

 赤松の本に書かれているのは、まさに日本のorgy民俗文化だ。このような一種「健康」な文化を維持してきた日本の民衆と、ネットやIT社会の生み出したAスピリンスノーのような「不健康」な存在。その二つの間にある距離を、いそいで縮めてしまうこともあるまい。

 これは一人の男の、敗北と挫折の記録である。いまから金儲けしようとか、立身出世したいという希望をもっているような人間が読んで、ためになるような本では断じてないだろう。また労働運動、反差別運動、平和運動など、いわゆる社会運動のなかで、あるいは加わって、民衆を指導し、指揮しようという大志をもつ連中も、読まないようが良い。p1

  と、著者本人がおっしゃっておられるのだから、きっとそうなのだろう。なのに、2006/08に筑摩書房から文庫本として再出版されたということは、別な意味合いで現代人にとって、この本が読まれる必要がでてきた、ということに違いない。







Last updated  2009.02.11 09:42:02
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