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2009年4月1日

地球人スピリット
・ジャーナル2.0


へ引越しました。

全108件 (108件中 21-30件目)

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マルチチュード

2007.07.22
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カテゴリ:マルチチュード
<2>よりつづく


「サイバージャーナリズム論」<3>

 「大きくなったら何になるの?」って聞かれた体験は誰にもあるだろう。私も小さな子供を見ると、ついつい、そんなことを聞きたくなる。うちの子供は幼稚園の七夕の時、短冊に「サラリーマンになりたい」と書いて、周囲の失笑を買った。ウルトラマンとか、筋肉マンとか、レインボーマンとかいうアニメキャラクターの影響で、サラリー「マン」ってカッコいいと思ったのだろうか(笑)。いや、ちょっと茶目っ気のある子供だったから、ひとつ周りの笑いを取ってやろう、という魂胆がすこしはあったのかもしれない。あれから十余年経過し、彼の願いは見事に叶い、着実にその道を歩みはじめている。

 私自身は、自分の人生を小さな子供の時にどんな風に考えていたのだろう。思い返してみると、学校をでたら、新聞記者になって、40歳くらいで独立して、晩年は宗教家になろう、と考えていたようだ。どうしてそう思ったのか覚えてはいないが、たぶん、そのような誰かの本でも読んで影響を受けていたのかもしれない。しかし私の人生はそうはならなかった。

 私は小学生でガリ版印刷という技術を学び、中学生で漫画肉筆誌の製作で編集の面白味を体験し、高校生でミニコミというメディアをもつことによって、社会と対峙する体験を味わった。その後、カウンターカルチャー誌の取材編集で、自らの意見を言わなくてはならなくなってしまった。そして、その過程で、20過ぎに自らの精神性を高揚させてくれる存在に出会い、その門に入った。ある意味、私の人生のシナリオは、あっという間に予定通りに進み、若くしていきなり最終段階に突入してしまったようなものだった。

 私はその後、ジャーナリストになりたい、と思ったことはない。いや、外側の事象を取材し編集しようという欲望がなくなってしまったし、書けなかった。それは才能の問題もあっただろうし、立場の問題もあっただろう。ただ、もっと「大事」なことがある、と漠然と思うようになった。いや、ことはそれほど単純ではなかった。みずからの「失語症」的な性癖を直そうと、何度か試みたことはある。私には社会生活を送っていくための十分な表現力は常に確保されていた。しかし、ジャーナリズムや物書きのさらに向こうに「それから」の世界があるのだ、ということが、「わかって」しまった。

 であるなら、それからずっと何年も経て、いまさら仮称であれ自称であれ、自らを「ブログ・ジャーナリスト」と名乗っているのは何故だろう。それにはいくつかのプロセスがあったことを書き留めておかなくてはならない。

 世代的に言えば、私は
麻原晃彰や大川隆法と同じであり、ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブスと同じ世代だ。言ってみれば、遅れてきた70年安保世代だが、そんなことを言っても、いまさらあまり意味はないだろう。80年代には、マイコンやポケコン、パソコンブームには、時代時代で大いにそのブームを楽しんできたほうだ。専門家ではないにせよ、ややオタク的傾向はあっただろう。ワープロ通信、パソコン通信、ニフティなど、アクティブではないにせよ、平均的な機能は常にそろえてきていた。

 しかし、その後、大きな事件と遭遇することになった。95年の3月。私達は、麻原集団の類似団体としてテレビで誤報され始まったのである。これには本当にびっくりした。第四権力のマスメディアの力には、本当にまいった。これは、70年当時に構内で起きたバリケード封鎖事件の時の誤報事件以来の大きな屈辱的体験だった。

 もちろん、私達はマスメディアの前に首をたれていたわけではない。私達は戦った。全国の仲間達は、テレビ、雑誌、新聞、単行本、すべてに反論の手紙を送った。マスメディアのほとんどは、番組内や誌上で謝罪し、誤報事件ははやばやに収拾した。しかし、この時の教訓は、メディアはウォッチングし続ける必要がある、ということ。そして、全国に散らばる仲間とのネットワークは常に確保しておかなくてはならない、ということだった。

 当時の連絡網は、固定電話であり、ファックスでの情報交換だった。数週間で一気に高額の通信費が発生し、各個人が数万円づつ負担しなくてはならなくなったのには参った。その後、Win95が発売され、一気にインターネットの時代に突入した。パソコン通信から、メーリングリスト、HP作りなど、常にネットワークを健全に維持することに留意するようになった。

 その後のネット社会における実験と試行錯誤に並行するように、わがネット社会参加スタイルもいろいろあちこちうろうろしてきた。2chには2chなりに参加してきた。mixiにはmixiなりに自分の居場所を確保した。その他のSNSにも参加しているが、それはそれなりに成果もあり、反省もある。

 そして、こうしてブログ(って他にもいくつか併走しているのだが)に登録するに当たって、ネットにおける自分のアイディンティを表明する意味で、いつか自称ブログ・ジャーナリストというプロフィールを書くようになった。どうしてなのだろう。

 ブロガー、ってのはどうも座りが悪いな、と思った。まず、その言葉の中に、ブログありき、って感じがする。ブログがない時代はなにをやっていたの。ブログがなくなったら、どうするの、っていうブログシステム依存体質が感じられる。じゃぁ、どうしてブログ・ジャーナリスト、って自称したのだろう。

 
以前の経緯があって、それなら、プログラマーやSEなどと偽称することもできただろうけど、実力のない人間がそんなことを言ってもじきに化けの皮がはげる。カウンセラーも悪くはないが、最近は、カウンセラー(一応公的資格はあるが)とかセラピストなどと自称すると、すこし眉唾に見られやすい。ましてや、最近はスピリチュアル・カウンセラーなんてのは、完全に色物ですよ。

 それに比したら、ジャーナリスト、てのは、どこか科学的、どこか清潔、どこか公平なイメージがある。たしかにその職業で食べてはいないけれど、頭にブログ、とつければ、実態のイメージに近いものになるだろう、という感じがした。つまりは消去法での自称キャッチフレーズとなったのだった。

 ジャーナリスト。なるほど、いろいろなイメージが湧くが、あえていうなら、私のジャーナリズムは、地域消防団のようなものだ。常備の職業的、
英雄的な消防士ではない。普段は、通常の生活を送っている通常の人間。だけど、事あるときは、率先して駆けつけよう。たしかに対岸の火事には出陣することはないだろう。しかし、自らの地域についてなら、首尾よく訓練された職業的消防士よりは、早く、的確に初期消火ができる可能性がある。

 とにかく、ネット上において、自らの発言力をキープするために、なんらかの立場を作ろうとした。そのときにでてきたのが、ブログ・ジャーナリスト、っていうキャラなのだろうと自ら判断することにする。

つづく






Last updated  2009.02.16 20:28:58
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カテゴリ:マルチチュード


「芸術とマルチチュード」 
アントニオ・ネグリ /廣瀬純 2007/05 月曜社 単行本 235p 原書2005
★★★★☆


 マルチチュードに関するやさしい文献は少ない。あればもっといろいろ読んでみたいとは思うのだが、あるのはほとんど難解で、こちらの弱腰な好奇心をいっぺんに折ってしまうような、一言で言ったら「メンドクサソウ」な本がほとんどだ。しかも「超」がつく。このブログでも何冊か読んできた。

「<帝国>」2003/01 原書2000 以文社

「マルチチュード(上)」 2005/10 原書2004 日本放送出版協会

「マルチチュード(下)」 2005/10 原書2004 日本放送出版協会

「マルクスを超えるマルクス」 2003/09 原書1979 作品社

「非対称化する世界」  2005/03 以文社

「ネグリ生政治的(ビオポリティーク)自伝」 2003/03 原書2002 作品社

「現代思想」2005/11 特集マルチチュード 2005/11 青土社

 ところが、訳者は次のように述べている


 「芸術とマルチチュード」は、これまでに日本語に訳されたネグリの著作すべてのなかで、疑う余地なく、もっとも強力に、もっともダイレクトに、そして、もっとも簡潔に、ぼくたちを革命へと導く著作である。なによりもまず、このことを最初にはっきりと言っておきたい。確実に、無媒介的に、そして、迅速に、ネグリの思考から触発を受けたいと考えている日本語読者には、彼のどの著者よりもさきに、本書を、「芸術とマルチチュード」を、手に取るよう強く勧めたい。p220

 たしかに、この本は新書本に若干毛が生えたような分量で、なおかつ、具体的な人物にあてた書簡集という形をとっているので、ひとつひとつの文章が短く的確だ。書かれたのは1988年から2004年まで、ということになっているが、実は、書簡のあて先の人名は、架空の存在であり、読者に直接に出された書簡、ということになる。原書は一度1988年に出されたものだが、何ヶ国語かに翻訳されるあいだに、ネグリ自身によって毎度手が加えられており、この日本語出版にあたっても協力しているということだから、古書の翻訳ではなく、決定版の新刊書として読んでも構わないのだろう。

 今日、散見されるのは、バーチャル化というものが、すべての記号あるいは信号の流れのディジタル化として、そしてまた、社会技術的かつ生産的な協働ネットワークあるいはコミュニケーション・ネットワークへのそうした流れのサイバネティクス的な統合として、卑属なやり方で定義されているという事態だ。こうした事態にかんして、ぼくたちの興味を引くことはふたつある。ひとつは、ヴァーチャル化についての上記のような卑属な意味と、コンテクストとの関連において決定される力能としてのヴァーチャリティ概念の存在論的構築とを差別化すること。そしてもうひとつは、<一般知性>の存在様式と生産様式とを明確にした上で、なんらかの新たな超越的美学---あるいは、フェリックス・ガタリのよって<地球規模情報化時代>と名づけられたものの諸条件の下で集団的身体性を構築するようななんらかの現象学---に属する諸特徴を明らかにすることの助けになるような、ディジタル技術のいくつかのアスペクトへと接近すること。p183
 
 ふ~、こういう文章を毎日読んでいる人たちなら、なんのこともないのだろうが、おいらにぁ無理だ。一回読んだだけでは、何をおっしゃっておられるのやら、判明しない。関連の
周辺記事を読んでいけば、ネグリはどうやら、インターネットやらオープンソースフリーソフトウェア)としてのリナックスなどの成果に触れているらしい。しかも、それは革命の道具に成り得ると言っているらしいのだ。

 以前、ネグリの本に目を触れた
当初、このブログで私はこう書いていた。

 
このブログのイメージは幾段いままでよりは前に進んだ。
1)グローバル社会に対応する創造的なプログラマー
2)マルチな表現を理解する瞑想的なジャーナリスト
3)転生輪廻を自らの体験として理解する精神的なカウンセラー
この三人の要素が、やがて一つになっていくようなそんな方向で、このブログはひとつひとつの「壁」をとりはらっていくことになるだろう。

 科学、芸術、意識、に対応する象徴的職業の象徴として、三つの職業を上げたわけだ。そして、その統合として、マルチチュードという概念は、「これからやってくる人々」がアイディンティファイすることができる方向性にあるのだろうかと、疑問をもちつつも大いに期待していたのであった。

 この時、現代の「科学」に対応させているはプログラマーだ。門外漢の私は一口にそういってしまっているが、実は、この分野には、
さまざまなジャンルがある。それと同じように、ここで「芸術」に対応させているのは「ジャーナリスト」だ。アーティストとジャーナリストでは、隔たりがありそうだが、まずはここでは表現者という意味で、一括しておいた。「意識」に対応しているのはカウンセラーだが、あえて古い言い方をするなら宗教的聖職者だ。この分野は、一番マルチチュード概念とは、折り合いが悪いかもしれない。

 松岡正剛は、ネグリの
「構成的権力」に触れている。私はまだ読んでいないが、松岡の解説を読む限り、なるほど、とわかるところがある。生粋のマルキストであるネグリは、かつてのプロレタリアートに対して、マルチチュードという概念を提出することによって、単に共産革命の夢を未来へとつないでいるだけなのだろうか。それとも、今後、他の潮流と大合併して、マスコラボレーション(シンギュラリティ)の中で、重要な道筋を作ろうとしているのだろうか。

 いみじくも中沢新一は
「芸術人類学」とやらを樹立しようとし始めている。芸術つながりで、「芸術とマルチチュード」と比較しながら読んだら面白いかな、と思ったりもする。思えば、二人とも、共産党家庭に育ったというところにも共通項があるかも知れない。

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2007/10/23再読







Last updated  2009.02.08 13:44:53
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2007.07.21
カテゴリ:マルチチュード
<1>よりつづく


「サイバージャーナリズム論」<2>

 数日前にこの本に触れたところ、著者の一人からレスポンスがあり、あわててもう一度読み返して見ることにした
無名性の巨大掲示板あたりならともかくとして、少なくとも何人かのリアルなつきあいのある人たちとつながっているネット上では、極端な「辛口」なことは書けない。こちらの身を守るためにも、そうそういい加減な文言をウェブ上には残して置けない。そこはそこ、適当にお世辞の一つも言って終わらしておくのは、渡世の技術としてはあってしかるべきだろう。読むほうにとっても、そのほうが当たり障りなく過ぎていくから、きっと歓迎されるに違いない。

 って、オイオイそれでいいのか。おすすめ度レベルを始めて数日だが、その中でレベル5に達したのは、書籍としては、この本一冊だけだ。私としてはベタボメだ。ベタボメだけで終わらしていいのか、ってところを著者のひとりスポンタ中村(以下、敬称略)に見透かされてしまったようだ。そうとなった限りは、なにはともあれ、すこしこの本を「熟読」してみようかな、と思い立った。

 思い出してみれば、このブログも、梅田望夫の新書本
「ウェブ進化論」を一ヶ月かけて熟読して私的検証するというところから再スタートしたのだった。この「サイバージャーナリズム論」も同じ新書だが、この本を飲み込むのは、それほど長い時間はかかるまい。一ヶ月なんかいらない。せいぜい数日から一週間もあれば、終わる。しかしだ。このブログは書評ブログではない。本をネタにしながら、実は、もっと別なことをしようとしているのだ。有り体に言えば「自分探し」だし、極限すれば「世界宗教性」の創造だ。これらのこのブログが持っているアンダーベースへ、このサイバー「ジャーナリズム」論で、どのように降りていけるのか。すくなくとも、そのプロセスの加速のために、この本は役に立ってくれるのではないか、という期待感を持つ。

 「ジャーナリスト」になる、って国語の時間の作文で宣言したのは、中学校一年の時だろう。ビートルズが来日した年だ。小学校の卒業作文集には、「新聞記者になる」って書いていたから、カタカナになっただけ進歩したのかもしれない。小学校3年の時から新聞部で壁新聞などをつくるようになった。上の兄が通信教育で「レタリング」などを勉強していたので、そのテキストを横目で見ていた私は、四角張った文字を書くのが得意だった。そこが壁新聞を作る役割を呼び込んだ理由だったと思う。

 学年が上がるにつれて、それは「ガリ版」印刷になった。小学校5年の時、児童会の「若竹新聞」の編集にたずさわるようになり、投書箱などを設置して回った。そして、その時のスローガンは、「ペンは剣より強し」だった。もし、私にジャーナリズムの意味を問われれば、まずはこの言葉をださなくてはならない。もちろん、この格言のラテン語原典は「ペンは剣よりむごい」とか言うらしいし、近年は立法、行政、司法の三権力につづく第四権力とさえ言われるマスメディア。筆禍事件の続発には目を覆いたくなるが、ガリ版と鉄筆でインクまみれで作る学級新聞には、この格言はおおいにプライドを満足させた。東京オリンピックの頃だ。

 ビートルズ来日の中一の時には、仲間と肉筆漫画誌「ボーイズ・ファイター」を作った。クラスの中の5人ほどのアクティブな仲間達で、ザラ紙に鉛筆で漫画や小説やアンケート記事などを書いた。およそ200ページの肉筆誌は、一年間で5号まで出た。そしてクラスの他の仲間達に閲覧して読んでもらった。一人10円。ほとんどの生徒が有料で読んだので、2~300円が収益として上がった。それは紙代となり、誌上クイズ当選者へのプレゼントとしてのボールペン代になった。

 当時の私の心をくすぐったのはニューヨークタイムスの社是とされる言葉だった。「新聞は大衆とともにあってはならない。新聞は大衆より一歩先に行ってはいけない。新聞は大衆より半歩先にあるべきだ」という内容だったと思う。このバランス感覚は、実はいまでも大事なことだと思い続けている。いまや、「大衆」とはなにか、「一歩」とはなにか、などなど、細かく検証してみないと、そのまま鵜呑みにはできない言葉となってしまった。

 高校生になった私を迎えたのは、社会の激動だった。新聞部として活動していた私は、学内で起きた大事件の報道にミニ・ジャーナリストのつもりで現場取材などを強行していた。時は70年安保の時代。マスコミの報道も続き、私もなぜか公安の尾行がつくという大騒ぎになってしまった。この経緯については、
にも書いたので割愛するが、いずれにしても、マスコミの連続する誤報に、16歳の少年の心はズタズタになった。自らが夢を持っていたジャーナリズムの世界に、本当の「真実」はあるのか。「正義」はあるのか。そんな疑問が渦巻いた。

 そのような時、世にミニコミ・ブームなるものがやってきた。いまでいうブログ・ブームにやや似ている。私や友人たちは、今の個人ブログのような気軽な気持ちで個人ミニコミをつくるようになった。私の「すくりぶる」誌も、ひょんなことでいろいろなマスコミに取り上げられるところとなった。NHKテレビの30分対談番組にもでたし、共同通信で配信されて全国の新聞のコラムとなった。「朝日ジャーナル」のミニコミ特集にも掲載された。この時、大きく取り上げられていたのは、当時学生だった
奥野卓司だ。

 高校卒業後、政治デモで知り合った仲間達と共同生活をするようになり、カウンターカルチャー誌として「時空間」を発行した。ヒッチハイクをしながら、各地の同じ志をもつ仲間達と出会い、ネットワーク(当時は「人脈」と言い習わしていたが)も着々と出来上がっていった。このような生活も4年ほど続いたのだから、ある意味、ここは私のまさに「若かったなぁ~~」時代である。ただ、マスコミVSミニコミというレベルでは、物量的にミニコミに圧倒的に不利であることを痛感せざるを得なかったのである。つまり、この時点で、私は自らの人生をかけるにふさわしい真実を求めるには、「ジャーナリズム」は不足であると痛感した。そこに「真実」はない。その後、私の人生はインドへと場所を移した。

つづく






Last updated  2009.02.16 20:23:06
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2007.07.18
カテゴリ:マルチチュード

 「サイバージャーナリズム論」 「それから」のマスメディア 歌川令三 2007/07 ソフトバンククリエイティブ 279p
★★★★★

 この本、実は5人の現役ジャーナリスト、歌川令三、湯川鶴章、佐々木俊尚、森健、スポンタ 中村のオムニバス。サイバージャーナリズムとは、彼らが名づけたと言っているが、検索してみると、まさに同じタイトル
「サイバージャーナリズム論」で別の本が2003年10月にでている。2003年といえばブログが出はじめた頃。気が向いた時、この二冊を読み比べてみたら、実際にブログがでてきた時に期待されたサイバージャーナリズムと、結局、現実としてのサイバージャーナリズムとしてのブログの有様の違いが、良くわかるかもしれない。

 こうして便利な機能にはまっているうちに「俺だってジャーナリストだ」の気概が満ちてくる。p5

 うん、たしかに。このブログもとりあえずはタイトルに「ジャーナル」をつけている。それは憧れであって、まだ現実は程遠い。しかし、名は体を表わすというではないか。いつかはそうならないとも限らない。日本にジャーナリスティックなブログが少ないのは、米国の社会との違いがある、とも言っている。

 「誰もがジャーナリストになれるのか」p207などは、なかなか煽られるものがあるが、まずはジャーナリズムとはなにか、というところまで戻っていかないと、簡単には応酬できない。とにかくブログというメディアがある限り、その可能性を追求してみる価値はあるだろう。

 本文にもでてくるが、Hモンのライブドアが一時
「パブリック・ジャーナリスト」を募った時がある。私の心もぐぐっと動いた。著者の中の一人も積極的に参加したらしい。そして半年後に失望したという。必ずしもこのPJはHモンが撃墜されたから、ついでに墜落したわけではない。日本社会、そしてネット社会には、いわゆる「ジャーナリズム」は育ちにくい、という。

 期待しつつ、失望しつつ、しかしながら、本当は、こうでしょう!という期待感をまだまだ捨てていない一冊。実は私はこういうタイプの本が大好き。

つづく






Last updated  2009.02.16 20:16:17
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カテゴリ:マルチチュード

「『世界征服』は可能か?」
岡田斗司夫 2007/06 筑摩書房 190p
★★★☆☆

 この本は面白い。このタイトルを見てホントにびっくりした。私の中には、世界征服、というコンセプトさえなかったのに、さらに、可能か?と煽られると、えええっホントはどうだ、と足がとまった。しかしよくよく考えて見れば、この「世界征服」というコンセプトは、アニメ世代にはごくごく当たり前の世界のようだ。

初の世界征服学!
あなたはどんな支配者タイプ?
A 魔王タイプ (ex、「レインボーマン」の「死ね死ね団」)
B 独裁者タイプ(ex、「DEATH NOTE」の「夜神月」)
C 王様タイプ (ex、「ドラゴンボール」の「レッドリボン軍総帥」)
D 黒幕タイプ (ex、「OO7」シリーズの「スペクター」)  
表紙腰巻

 ああ、すげー、ぜんぜんわからん。自分はどのタイプっていわれたって、もともとのカテゴリがぜんぜんイメージできない。あえていうなら、黒幕タイプかな~、だけど私は007世代ではあるが、「スペクター」ってのもよくわからない。でも、なんだか楽しいなぁ、こういう分析。

 考えてみれば、世界がこうなればいいのに、ってことはいろいろある。たとえばOshoのところに行ったときは、世界が全部こうなればいいのにってのはあったなぁ。他には、たとえば、Linuxやubuntuなども考えると、やっぱりこれも世界が全部こうなればいいのにって、思うこともある。あるいは、
マルチチュードのことを考えたりしても、そこで、結局は「世界征服」をもくろんでいる自分がいるのかもしれない。しかし、完全に世界を支配したりはできないだろう。いや、それは誰にもできない。できないほうがいいのだ。結論としては、世界征服は不可能だ、ということになる。

 悪とは、その時代の価値秩序を破壊すること。p187

 善悪は一概に決められないが、革命と悪は紙一重だ。今、世界征服者に一番近い立場にいるのは誰だろう。ビル・ゲイツだろうか、あるいはアメリカ大統領の立場にあるものか、あるいは、地下に潜るビルラディンか。アニメ的に考える分にはこれもまた楽しいなぁ。






Last updated  2009.02.08 13:47:59
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カテゴリ:マルチチュード


「儲けを生み出す『どんぶり勘定』のすすめ」 利益=儲け」は大まちがい 
村井直志 2006/05 主婦の友インフォス情報社 /主婦の友社 223p
★★☆☆☆

 「さおだけ屋はなぜ潰れないのか?」読んだときも感じたけど、会計という仕事は、実に地味で難しいと思われている。実際、そこに興味を持ち続けことは、通常の人ならなかなかできない。そこで、会計士たちはわざとこのような逆説的なタイトルでもって、会計についての関心をもたせ、そして会計の大事さを伝えようとしているのだろう。

 「カンカン三つ置け」という教えはまさに「どんぶり勘定」といっていいだろう。著者は、とにかくあまり最初から細かく考えないで、ざっくりとキャッシュフローをみることを提案する。これは
金持ち父さんロバート・キヨサキの教え方にも通じるところがあるだろう。しかし、このままでは村井会計士はEないしSで終わってしまう可能性がある。キヨサキがいうB-Iクワドラントに行くには、もちろん、どんぶり勘定では立ち行かなくなる。

 このような本を読んでみると、キヨサキのリッチダッド・カンパニーは、実際に自ら実践してその成功例を見せているのだから、すごい、と思わざるを得ない。







Last updated  2009.02.08 21:11:51
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2007.07.16
カテゴリ:マルチチュード

「金持ち父さんの起業する前に読む本」 ビッグビジネスで成功するための10のレッスン 
ロバート・T.キヨサキ /シャロン・L.レクター 2006/11 筑摩書房 342p
★★★☆☆

 金持ち父さんシリーズ
14冊中の一番新しい一冊ということになるだろう。「金持ち父さん 貧乏父さん」はニューヨークタイムズ紙のベストセラーリストに、4年半も続けて載っているということだ。この記録に並ぶ本は、この本のほかに3冊しかない、ということだからすごい。日系ハワイ人で、不景気の日本だから売れた、という本ではない。全米で売れ続けているのだ。

 このシリーズから学んだことは大きい。シリーズの他の本も読むかどうかは微妙なところだが、 ロバート・キヨサキ
オフシャルサイトというものもあるようだから、まずはそちらをすこし見てからにしようと思う。このシリーズから、今の私の状態で学べるところについて、まずは学んでしまったと思う。そして、決断と実行が必要だ。何もしないで、下手に知識ばかり増やしてしまことは、このシリーズの本意ではないだろう。

 B-Iトライアングルの「リーダーシップ」「チーム」「使命」そしてそれらが囲む、「製品」「法律」「システム」「コミュニケーション」「キャッシュフロー」のピラミッド。学ぶことが大きい。チームやシステム、というところに、弱点を感じる私としては、耳が痛いところがあちこちにある。

 キヨサキは、軍隊経験者だ。ベトナム戦争にも出兵した。そして、フランチャイズ・ビジネスやネットワーク・ビジネスにも偏見を持つなという。この本も素晴らしい本だが、もともと持っている人生に対するセンスのどこかに、決定的に違うものを感じるので、評価は3にとどめておく。

 彼の会社はリッチダッド・カンパニーという。思えば、リッチマン・グルといわれたOshoもまた、物質的な豊かさと、人間としての徳の高さを併せもつことは至難の業だと言っていた。しかし、そのようなライフスタイルこそ、本来、ニューマンたちが持つべきなのだと、思う。

 よく言われるところの
「80対20の法則」だが、キヨサキが言っているのは90対10の法則だ。90%の富は10%の人々によって作られている、という。しかし、それはもっと厳しくて、むしろ95対5の法則、あるいは、もっともっと厳しいと言えるかもしれない。

 ビジネスではないが
SPSのことを思い出していた。あのシンポジウムには、まず「使命」あった。そして、「チーム」があった。しかし、あえて言えば、「リーダーシップ」の点では、難ありということになるだろう。それぞれにポジション・ポジションではそれぞれがリーダーシップを持っていた。しかし、全体として、キチンと説明つくような形にはなっていなかった。短期的な集合性だからこそ、あのような形が出現しえたのだろう。

 提示された「製品」の純度は高かった。「法律」「システム」の整合性も高く、「コミュニケーション」にいたっては、ほぼ完璧なほどうまくいった。「キャッシュフロー」については、一回のシンポジウムを完遂することには、それほど問題なかった。だが、連続してシンポジウムが続けていくには、「キャッシュフロー」の底辺が、大きく崩れていた。

 ボランティア活動をビジネスシステムとして捕らえるのは、ちょっと不都合なことが多いが、あの活動には気づかされることが多かった。K籐氏がNPOのほうに走り抜けたのも、故なしとはしない。また、スポンサーだった企業が、その後どのような経緯をたどったのかも、キチンと取材して記録してみれば、これはこれで面白いに違いない。

 
これまで私は、とても使命感の強い人にたくさん出会ってきた。私に向かって次のようになことを言ってきた人たちだ。
「環境を保護したい」
「私の発明によって化石燃料はいらなくなる」
「家出した子供たちを保護する施設を建設するために寄付を集めたい」
「私の技術を世界が待ち望んでいる」
「この病気の治療法を見つけたい」
 彼らの心配や関心は本物だろうが、こうした思いやりの深い人たちの多くは、使命しかもっていないという単純な理由から、自分の使命を果たすことができないでいる。
p268

 彼らのチームが提示しているシステムをひとつひとつ学んでみることも興味深いことだが、本をなにかのカンフル剤のように読んでみるのも面白い。直接のノウハウを学びとるということではなくても、たしかにやる気がでてくることは本当だ。私もこの本を読んで、何ページかメモし、いくつかの将来的な決断をした。






Last updated  2009.02.08 21:15:30
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カテゴリ:マルチチュード


「金持ち父さんの投資ガイド(上級編)」 起業家精神から富が生まれる 
ロバート・T.キヨサキ /シャロン・L.レクター 2002/03 筑摩書房 313p
★★★★☆


 このブログが始まってまもなく2年、その間、エントリーを書いたのが、約一年半ほど、そして、アフェリエイトというものが稼動し始めたのが、この一年ほど。この半年ほど、ちょっぴりづつポイントがつくようになった。しかも、そのうちのかなりの部分はここ最近2ヶ月の間についたものだ。まだ確定しているわけでなく、ポイントをどう活用するのかさえ、良くわかっていないので、まだまだ本当の「富」にはなっていない。まぁ、富とは言っても月に数百円の粋をでていないのだがw。

 しかし、そのポイントは、私のブログを通して発生していることは間違いない。必ずしも私が紹介したものを通して発生しているものばかりではない。だが、少なくとも、このブログにやってきてくれるのは、私のエントリーになんらかのとっかかりがあるからだ、と理解することにする。

 そのことを知ってから、各書籍に「おすすめ度」を書くことにした。いままでの単なる読書ノートなら、「感動度」とか「自己評価度」とか書いておけばいい。しかし、すくなくともブログとしてネット上に公開されている限り、その書籍を、ブログを訪れた人に読んでもらいたいかどうか、を書き留めていくことも、今後のこのブログの方向性になんらかの影響がでてくるだろう。私が感動して読んで、私が「おすすめ」した本がこのブログを通して購入されれば、同じ話題を共有できることになるし、私にもゆくゆくはポイントがつくことになる。そうなれば、ブログを続ける意欲も湧いてこようというものだ。

 さて、これまで
、「金持ち父さん貧乏父さん」「金持ち父さんのキャッシュフロー・クワドラント」 を読んできた。この本は私としては、シリーズ三冊目になるのだが、本来はここで「金持ち父さんの投資ガイド(入門編)」を読むべきだった。図書館に在庫がなかったのだからしかたないが、その一冊をはしょった分、この「上級編」に対する評価は、読み進めながら、何回も揺れた。

 ●3つ、あるいは●4つ、いずれか決めかねたが、本音は●3つ半、というところか。最初の、調子なら●3つということだが、後半になって、やたらとネット社会のことが話題にでていくるようになって、私の評価はうなぎのぼりということになった。もともとネット社会の人ではないので、事実と反したり、今となっては楽観主義すぎるな、というところもあるが、後半、とくに残り4分の1ほどは、わが意を得たり、と思う部分が多かった。

 この本、前の本のつながりもあるので経済分野ということで「マルチチュード」カテゴリに入れておくが、こうなってくると「2nd ライフ」カテゴリに入れたい内容になってきた。







Last updated  2009.02.08 21:17:57
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2007.07.13
カテゴリ:マルチチュード

「金持ち父さんのキャッシュフロー・クワドラント」 経済的自由があなたのものになる
ロバート・T.キヨサキ /シャロン・L.レクター 2001/06 筑摩書房 311p

 
「金持ち父さん」シリーズ第二弾。クワドラント、とは、円グラフを縦横4分割したもののこと。キヨサキは、キャッシュフローのあり方によって、その経済状態を4つに分ける。

E・・・従業員(employee)
S・・・自営業者(self-employed)
B・・・ビジネスオーナー(business owner)
I・・・投資家(investor)
p7

 この分類で行けば、私は典型的なSだ。ほぼ人生のほとんどをSですごしてきた。まがりなりにも経済的には自立していると思ってきた。しかし、この本を読んで、すこし考え方が変わった。たしかにキヨサキがいうように、どうかすると、いまのままでも、実質的にはEになってしまうことが在り得る。いや、むしろうろうろしていると、結局誰かのために働かされていることになることは往々にして有り得る。

 しかし、だ。見方を変えると、私が「働く」というより、私が作ったビジネスシステム(ポリシー)が、自然に金を生んでくれている、と考えることもできる。私は、それに気づいてはいたが、積極的にこの考え方を採用しなかった。たしかに、Bである、と考えれば、Bに成りうるのだ。

 キヨサキは、ほとんどの人はEかSで終わるという。ほとんど95%の人だ。そして、金持ちにになるには、BからさらにIを目指すべきだという。5%のBからさらに本当のIになれる人はごくごく一部だという。ごく少数だが、そのような人々がいる。そして、そうなるにも、それほど難しいことではないという。その極意がこの一冊に、手を変え品を変えて、詳しく述べられている。

 数年前に、友人が私のところにやってきて、「これからはこのキヨサキの考え方でいく」と宣言したことがある。当時の彼は、多少の不動産の所有などがあり、ビジネス的にチャレンジする時期だった。その後、彼はどうなったか、成功しているのか、いないのか、は、いままdのところ、よくわからない。

 当時、私はこの本を読んでいなかったが、私なりのイメージを持っていて、「あんまり無理しないほうがいいのでは」というアドバイスをした覚えがある。もし、あの時、すでにこの本を読んでいたなら、そんな貧乏父さんのような対応をしないで、一緒に、キヨサキのいう経済状態になる努力をしたかもしれない。そう思うと、私もチャンスをひとつ無くしたし、彼もまたよきパートナーを得ることができなかった、ということになる。

 私はSだが、自らの経済状態をこれからBの視点から捉えなおして見ようと思う。ちょっとマンネリ化して、すねる心ばかり増長しつつあった最近だが、同じ業態でありながら、視点を変えてみると、いろいろと手の入れるところを発見することができた。少なくとも、そのやる気がでてきたのだから、この本を読んだだけの効果はあったということになる。

 そして、いままでも、このスタイルのままIの可能性はあったのだが、あまりまともに考えたことはなかった。しかし「千里の道もヨチヨチ歩きの一歩から」p247として周囲を見直してみると、俄然、その可能性のパーセンテイジがあがり、より鮮明に目標地点が見えてくるから不思議だ。

 キャッシュフローの考え方は、いろいろあろうが、まずはこういうことだ。たとえば、これから
SLをやるために2年後とに新しいパソコンを買い換えて行きたいとする。2年は24ヶ月だ。最新のパソコンは24万円とするなら、少なくとも一ヶ月に一万円「以上」のキャッシュをSLから得ることを考えなくてはいけない。

 いまあるパソコンや通信環境でほとんど間に合っているのだから、いまローンを組んでパソコンを買うことは、キヨサキにとっては、すべきではないことになる。それはすべて負債だ。そのパソコンを買うと、生活はますます苦しくなる。セカンドライフどころか、ファーストライフを圧迫することになりかねない。

 だが、もしこれを12万円のパソコンで間に合わせることができるとすると、月々5000円のプラスのキャッシュフローが生み出されることになるのだから、おおいにやるべきこととなる。さてさて、それでは、本当にSLで月々今後24ヶ月に渡って、SLで一ヶ月一万以上の利益を生み出し続けることができるだろうか・・?

 私が、現在やみくもにSLに登録して、なにもわからないまま得たL$は、円換算で100円。たった100円だ。だけど、この100円を100倍すれば一万円になる。そのシステムづくりをするだけの「頭」の使い方ができたら、しかもそれが24ヶ月以上に渡って続くように組み替えることができたら、私は2年ごとに最新のパソコンを使い続けることができることになる。しかも手元の資産がキャッシュフローとして増え続けていく。

 このブログの楽天アフェリエイトというものも、知らずについてはいるが、こちらも約一年で1000円程度のポイントがついていた。これを小さいと見るか、今後の可能性があると見るかは、運命の分かれ道。キヨサキなら、こんな時、どんなアドバイスをするだろう。

 1985年、私と妻のキムはホームレスになった。仕事もなく、貯金もほとんど底をつき、クレジットカードの有効期限も過ぎていた。私たちの「家」は年期の入った茶色のトヨタで、背もたれを倒したシートがベッドだった。最初の一週間が過ぎたとき、私たちはいまの自分たちの状態がどんなもので、これから先にどんな将来が待っているか、その激しい現実をひしひしと感じ始めた。p17

 この時、キヨサキ38歳、妻28歳。そして、5年後、10年後には彼らは「金持ち」になっていた。そして、その5年後、このような本を書いていたのである。 






Last updated  2009.02.08 21:20:40
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2007.07.11
カテゴリ:マルチチュード

「金持ち父さん貧乏父さん」アメリカの金持ちが教えてくれるお金の哲学
ロバート・T.キヨサキ /シャロン・L.レクター 2000/11 筑摩書房 280p

 20もちょっとだけ過ぎた頃、叔父の造園会社でアルバイトをしていたことがある。その時、自分の人生をいろいろ考えていた。人生で一番大切なものはなんだろう。その質問を、当時まもなく50歳になる叔父にしてみたところ、「誠実さ、だろう」という。学生時代にもそう教わったし、人生もそのように生きてきた。誠実な自分の生き方に誇りを持つし、そのように生きている人は信頼できるという。

 同じ質問を、まもなく80になろうとしていた祖父に聞いてみた。祖父は一笑すると、「なんだ、そんなこともわからないのか! 人生で一番大切なことは、自未得渡、先渡他」であるという。つまり、お釈迦さまの前世のたとえ話をだし、自らが渡る前に、まず他の人々を渡す、という菩薩の道が最高の生き方だ、というのだ。若くから参禅し、さまざまな仏籍を読みこなした在家の居士らしい一言だった。

 さらに、母にも同じ質問をしてみた。夢にようなことを追いかけ、まともに社会と面とむきあわないで(と彼女には見えていたのかもしれない)、定職にもつこうとしない息子に対して、「何言ってんの、金よ、金、金がなければ何にもはじまらない」と言った。うむ、それは確かだ。旅に出るにしても、レコードを買うにしても、金は必要だ。だからアルバイトしていたのだが・・・。一番下卑てはいたが、一番現実的で、「息子想い」の言葉だったかもしれない。

 三者三様、このうち二者はすでに故人となり、私自身もすでにセカンドライフを考えなくてはならない年頃になっても、実は、この三つのうちのいずれが正しい答えであったかは、いまだに判断がつかない。うろうろしている20の若者に対する答えとしては、三つが三つとも正しいような気がする。

 ロバート・キヨサキの一連の著作を横目でみながら、まともにこの人の本を開いたことはなかった。このブログを書きながら、苦手なものも苦手なものとして、読んでみようという趣旨のブログであるだけに、ようやくこの人の本を読んでみた、というところだ。「年収300万円時代を生き抜く経済学」(個人的にはこちらのほうが共感したがw)などというちょっと身につまされる話の横行する日本において、ロバート・キヨサキの本はブームを呼んだ。

 体験談を多く引用した、きわめて内容のある本だが、つまりは、心構えの違いを強くしているところにこの著者の特徴があるのだろう。

 二人の兄のうち、どちらかというと著者のいう金持ち父さんに似ているほうの兄は、著者のような「教師」的才能はないが、たしかに資産を増やし続けている。寅年の獅子座生まれでライオンズ・クラブのガバナーとやらをやっている。先日も、夫婦で米国での大会に参加してきた。

 もうひとりの兄は、どちらかというと貧乏父さんの方だろう。実直なサラリーマンだ。でも、著者のアドバイスのように、スタートが早かったので、それなりの人生を築きあげた。二人の子供を医者にしたので、彼の人生はそれなりに形が整ったことになるが、うん、たしかに、まだ「豊か」になったわけではない。家も二軒買ったので、ローンもかなり残っているはずだ。

 ふたりの兄に比較されるのもいやだが、私の人生は、またまったく違った価値観で進んできてしまった。貧乏といえば、なるほど、そうとしかいえないが、金持ちとはいえないまでも、満足しようと思えば、soso満足できないわけでもない。私なりの苦肉の金銭哲学として「収入はちょっと足らないほうがいい」という考え方については、すこし再検討が必要かも。Oshoに触れて以来、内面も外面も豊かな人間になろう、と努めてきたはずだが、そのどちらも、実はまだまだおぼつかないのではないか。

 この本を読んでそんなことを感じていた。






Last updated  2009.02.08 21:22:48
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