地球人スピリット・ジャーナル1.0

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2009年4月1日

地球人スピリット
・ジャーナル2.0


へ引越しました。

全108件 (108件中 31-40件目)

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バック・ヤード

2009.02.18
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カテゴリ:バック・ヤード


「私たちの地球は耐えられるのか?」  持続可能性への道 
ジル・イェーガー /手塚千史 2008/12 中央公論新社 新書 253p
Vol.2 No.529 ★

 この本、読んでいて、決して快適な本ではない。私たちの地球の危機的状況が語られ、その責任が、私たちひとりひとりにあることが明かされる。解決策がないわけではない。しかし、それを誰か他の人に頼んだり、押しつけていればよい、というものではない。自分自身の生き方を見直し、隣人たちや、地球の裏側の人たちとも手を取り合っていかなければならないことが、繰り返し語られる。

  ドイツ語版の原題は「Was verträgt unsere Erde noch?: Wege in die Nachhaltigkeit」 だから、日本語タイトルとほとんど同義だ。

1、どんな未来を望むのか?

2、”グローバルな変動”とは何か?

3、状況は本当に劇的なのか。私たちにはまだ行動を起こす時間があるのか?

4、環境変化の原動力は何か?

5、なぜ先進国は資源消費を今、減らさなければならないか?

6、「資源消費を減らすのに、技術革新をしていく」だけで十分か?

7、現在の生活水準を保つために、さらなる経済成長が必要だろうか?

8、持続可能な開発とは何か?

9、持続可能な開発を実現するのは政治家の仕事ではないのか?

10、私たちには何ができるだろうか?  「はじめに」抜粋 p16

 1~7くらいまでについてはすでに答えはでている。問題は8、9、10、だろう。9にも実は答えはでている。もっとも大事なテーマはやはり10だろう。しかし、10だけを取り出して議論してもみても、それこそ異論百出でまとまりとしては、なにもでてこない可能性さえある。ここは、ひとつ、最初の最初に戻って、1、どんな未来を望むのか?、から再スタートすべきなのだろう。

1、どんな未来を望むのか?
 世界は50年後、どのようになっているのか? 自然にはもはやどんな価値もなくなり、気候の深刻な変動が毎年、人間と経済に壊滅的な事態を引き起こす世界だろうか? 競争原理が支配的となり、貧富の差が現在よりも大きくなっている世界だろうか? それぞれの地域が自分の殻に閉じこもるのか、あるいは互いに争う、分断された世界だろうか?
 ひょっとすると、環境が大切にされ、資源が公平に分配される平和な世界が実現しているかもしれない。この平和な世界を望むのであれば、今ここで私たちは行動を始めなければならない。 
 p16

 つまり問題提起であり、結論である解決策であるのは、環境が大切にされ、資源が公平に分配される平和な世界の実現を望むのであれば、今ここで私たちは行動を始めなければならない。」ということである。

10、私たちに何ができるだろうか?
 資源の生産性を上げ、資源の消費量を減らすために、支持することができる一連の政治的措置と手段がある。これらの手段を正しく結びつけることによって、環境にも経済的にも利益をもたらすことができるようになるのだ。”持続可能な開発”は社会的な思考の切り替えを必要とする。つまり、社会全体とひとりひとりの個人が、優先順位を変えなければならないのだ! 持続可能な社会を本当に実現することを、私たちひとりひとりが毎日の生活のなかで今から始めようではないか。
p22

 あまりに大きなものを、この小さな本のなかに全て求めてはいけないが、当ブログとしては、もう少し、スピリチュアリティについても、大きく触れるべきだと思う。

 ヒマラヤの麓にある人口63万5000人の国、ブータンでは、生活の質と向上という目標を公式の重要な役割としている。前王のジグミ・シンゲ・ワンチュクは”国内総幸福”が国内総生産よりも大切であると明言している。”国内総幸福”こそが中心的指針であり、ブータンの計画と開発にける上位の概念であるという。この概念の内容の多くは、古来から伝わるブータンの文化的遺産と仏教の宗教的伝統に基づいている。チベット仏教の最高聖職者であるダライ・ラマが常に簡潔かつ意味深長に強調しているのも、「すべての人が幸せになり、苦しみから逃れたいとの願っている」ということである。キリスト教において隣人愛や神の想像物の保護などが中心的な役割を担っているのと同様に、あらゆる苦しみの克服と幸福への努力こそが仏教の教義の核なのだ。p178

 現在、この地球には、ブータンの人口の10000倍の人口が住んでいる。単に、ブータンのような国が10000個集まれば、地球の総幸福度が高まるとは決して言えないだろう。10000個の地域は、10000個なりの自らの総幸福を問えばいい。”地球総幸福度”が高まる中で、自らの地域を考え行動すれば、この本が提起している問題の解決には一歩近づくことになる。

 そして、やっぱり、最後の最後は、ひとりひとりが、自らの中を見つめることが大切なのだ。地球人スピリットはいかにあるべきか、そこを問い続け、瞑想のエネルギーを集中していく必要がある。







Last updated  2009.02.25 14:35:24
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2009.02.17
カテゴリ:バック・ヤード

G7酩酊露醜 日財相中川以健康理由辭職

nakagawa.jpg

 時事ネタは、すぐ古くなってしまうので、ほとんど触れたことがない当ブログだが、時々なにかの反応をしておかないと、無感覚な奴だと思われてしまうかもしれない。たまには時事ネタもいいだろう。

 中川昭一、残念だな。いずれは総理大臣にもなれるポジションにいたのに。安倍晋三 が総理大臣を辞職したときにも感じたガックリ感に襲われた。二人とも、自民党のバリバリ議員の二世であり、その政策や人生観に特段に共感するものはないが、この二人に共通するもの、つまり戦後生まれで1953,4年生まれという意味で、私は彼らと同じ世代に位置する。

 だから立場は違っても、年齢的に、世代的に、勝手に親近感を持っていたことは事実だ。だけれども、この二人は、健康を理由にして、政治家としての進路を断たれた。安倍晋三の父・安倍晋太郎はプリンスと言われながら夢果たせず1991年病没。中川昭一の父・中川一郎は1983に北海道のホテル内で怪死した。自殺とされるが他殺説も消えない。

 この二人の親の姿を見て、この二人の子供たちはどのような青春を送っていたのだろうか。政治家の親の姿を見ていて、自分は政治家になりたくない、と思わなかったのだろうか。

 私たちの世代はすでに世の中の責任世代の真ん中だ。いや、もうすでに真ん中を大きく通り過ぎてしまったかもしれない。世の中に政治があるかぎり、誰かが担当しなければならないのだし、無視するわけにもいかないし、逃避する気もない。むしろ積極的に一人分の責任は十分に果たすべきだとも思う。

 しかし、政治家がウソをつきはじめると、じつに醜い。ウソは政治家の始まりだ。本当のことを言えなくなる。心の中では別なことを感じていても、外面はウソをついて、その場をとおり過ぎなくてはならなくなる。ウソをつくことが大好きな者もいるだろうが、ウソをつくことが嫌いで、酒に逃げる奴もでてくるだろう。

 心と言葉は、おだやかにつながっていたほうがいい。自分がどんなことをどのように感じているのかを、忘れないでいたい。無邪気な子供の感受性を忘れてはだめだ。素直な気持ちで行えるなら政治もまたひとつの道でありうるだろう。しかし、ウソにウソを重ねて、最初の最初がなんだったか忘れてしまうような迷路にはまり込んではいけない。

 私たちは十分若いけれど、すでに十分年老いてもいる。アメリカのオバマなどは1961年8月生まれだから現在47歳。私たちよりさらに若い。彼はどんな政治家になるだろう。彼もウソにウソをつくような政治家になり下がってしまうのだろうか。あるいは、子供だったときのことや、青年時代に感じたことを、すなおに発言し、最初の最初を忘れずに、自分の道を歩み続けることができるのだろうか。

 なにも政府の要職につくことばかりが政治の道ではない。ニューマンといい、マルチチュードといい、あるいは当ブログで言えば湧き出るアガータたちにしても、ひとりの地球人として、一人分の責任はきちんと果たさなくてはならない。

 私は日本国民として国内にいる時には一回も選挙を棄権したことはないが、投票ばかりが政治参加だとは思わない。ある時は一定の候補者を積極的に応援するし、時には反対票を投じる。だが、この選挙民主主義もそろそろほころびがあちこちで見え始めている。

 当ブログがほそぼそと続いているのも、ある意味では、一票の投票権を棄権したくないからだ、とも言える。マスコラボレーションの中のひとつとして、このブログは私の一票でもある。社会人として生きるとき、ついついウソをついてしまいそうになるときがある。だが、軌道は早いうちに修正したほうがいい。

 ネットワークといい、マルチチュードといい、あるいは・・・・・、みんなつながっているという幻想のなかで、今の政治スタイルではない、もっと、みんながみんなを尊重しあえるようなスタイルを作る必要がある。みんながみんなを愛しあえるような、地球を作らなくてはいけない。

 当ブログではあまり小説を読まないが、村上春樹が、イスラエルで貴重な発言をした。その発言力に敬服する。コンクリートの壁と卵のたとえを使って、自分は卵の側にいたいとする。当ブログもまさにそうありたい。傷つきやすくありたい。傷つくことを恐れないようにしたい。

 地球はつながっている。人びともつながっている。当たり前のすなおな気持ちで生きていくことが、もっとも当たり前な地球であってほしい。それが人間であってほしい。そしてそれが私の日々の暮らしであってほしい。そのような中でこそ、私は私の中にくつろげるはずだから。







Last updated  2009.02.20 16:37:06
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2009.02.16
カテゴリ:バック・ヤード

<こんなところからもアクセスが>からつづく  

*.maff.go.jp  農林水産省 統計

***.akita.jp 秋田県下の行政 図書館

*.igakuken.or.jp 財団法人東京都医学研究機構 プロジェクト

*.rtri.or.jp 財団法人鉄道総合技術研究所 鉄道用語

*.nims.go.jp   独立行政法人 物質・材料研究機構(NIMS) プロジェクト

*.pc-kmmt.ac.jp 雇用促進事業団熊本職業能力開発促進センター?

*.keidanren.or.jp 
社団法人 日本経済団体連合会  キッズコーナー

***.cern.ch   欧州原子核研究機構  リサーチ スイス

*.gakken.co.jp 学研 書籍 

*.sankeiliving.co.jp  サンケイリビング新聞社 メディア

*.hokkaido-np.co.jp   北海道新聞社 社説   

***.bl.uk  大英図書館 オンライン・ギャラリー 

***.nih.gov  米国・国立衛生研究所 オンライン・ジャーナル

当ブログへのアクセスマップ<1>

 戯れに「大学から当ブログへのアクセス」をリストアップしてみたところ、北海道から沖縄まで網羅しており、外国はアメリカやフランスの大学からもアクセスされていたことが判明した。2月16日現在までに名前をリストアップしたところを都道府県名で塗りつぶしてみると、次のようになる。

map5.jpg

 
 人口分布図や大学の数にも影響されるだろうし、短期間だけのチェックなので、正確ではないが、今後もチェックを続けるとして、今回は途中経過としてアクセスマップをアップしておく。

 実際は、全アクセス数の約2%のデータをもとにしているだけだが、これに地域プロバイダや地域を中心とした企業名を加えると、ほとんど日本全国のエリアをカバーしているようだ。

 逆に、大手の企業名や、大手のプロバイダは、あまりに大きすぎて地域を確定できない。そして、外国からのアクセスも結構あるが、スパム目的のアクセスもあるので、あまり喜ばしいことばかりではない。

 いずれにせよ、「地球人スピリット・ジャーナル」とはいうものの、日本語圏の全域からアクセスされているだけで、当然のことながら、地球全体からアクセスされているわけではない。

 今後の当ブログの課題としては、もうすこし世界レベルに視点を合せていくとするなら、せめて、画像を多くしたり、英語でエントリーを書いていくなどの必要があるだろう。実際に一時英語で書いたりしてみたが、なかなかありのままの自分というにはいかない。

 今後も日本語で書いていくとしても翻訳ソフトが発達している時代でもあり、各国語に翻訳されやすい、わかりやすい日本語で書いていく工夫も必要だ。そしてまた、もっと大事なことは、地球全体の人たちとの共通の課題となるテーマを探し出すことにあるだろう。

<2>につづく







Last updated  2009.03.27 10:36:05
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2009.02.15
テーマ:私のPC生活(6647)
カテゴリ:バック・ヤード


「デジタルネイティブ」 <1> 次代を変える若者たちの肖像
三村忠史 /倉又俊夫 2009/01 日本放送出版協会 新書 189p
Vol.2 No.528★★★☆☆


 NHKスペシャル「デジタルネイティブ」の取材班による、番組制作の振り返り、及び、ささやかな提案、というところだろうか。なるほどデジタルネイティブとは言い得て妙、とは思ったが、これには語源があった。
 
 「デジタルネイティブ」という言葉を最初に使ったのは、アメリカの作家、マークブレンスキーだといわれている。日本では「テレビゲーム教育論」(藤本徹訳、東京電機大学出版局、2007年)という著書が発売されているプレンスキーだが、2001年に書いた教育に関するレポートの中で、現代の若者たちをデジタルネイティブと名づけ、「これからの時代は彼らに呼応する教育が必要だ」として次のように言及している。
 『平均的な大学の卒業生は、これまで人生で5000時間以下しか読書していないかわりに、1万時間もビデオゲームをしている。そうなると、もうそれまでの人類とは違うものになっている。彼らは、複数のタスクを同時に処理し、情報を猛烈なスピードで受け取ることに慣れている。テキストよりも先にグラフィックを見ることを好み、ランダムに情報にアクセスすることを好む。インターネットにつながっているときがもっとも機能する。リアルタイムに評価されることを好み、仕事よりもゲームを好む。
 今後、デジタルネイティブと呼ばれる新人類に対応した教育が必要だが、(それ以前の)「デジタルイミグラント」(デジタル移民)世代では、その対応は難しい』
p80
 
 2008年11月10日放送されたこのNHKスペシャルを、私は見逃したし、この本を読まなかったら、そういう番組があったことさえ、気がつかなかった。去年の11月10日と言えば、私は再読モードで、チベット密教などに夢中になっている段階であり、テレビを見ようという意欲もほとんどなかった時期と思われる。だからこの番組を見逃したから損したとは思わないが、見れば見たなりに面白かったろうに、とちょっぴり残念かな。

 リアルタイムでテレビ番組を見なかったと言っても、ネット上にはこの番組のホームページもあり、その番組への反応もネット上で知ることができる。また、自分のデジタルネイティブ度というものも判定できる。私のデジタルネイティブ度は50%だった。例えば、ネットで知り合った人は沢山いるが、初めて知り合って実際にあった人は5人まではいない。むしろ、かつて会ったことのある人々と旧友を温めている、というところか。

 さて、「次代を変える若者たち」としてのデジタルネイティブだが、個人的には、あまりに持ち上げてしまうのはどうかな、と思う。この本を読み、関連ネット上でちらちら目を通す限り、当ブログでいうところの、コンテナとしてのネット環境が出そろった時代に生まれてきたからデジタルネイティブと言われているだけであり、自らがコンテナそのものを作り出しているわけではない。

 コンテンツとして、たしかに目新しい発想は当然あってしかるべきだが、ネット社会全体を造り替えるようなパワーを発揮しているとは思えない。すくなくともこの本で紹介されているものはごくごく小さな例でしかない。

 「パソコン少年のコスモロジー」奥野卓司のような団塊世代だろうと、孫正義、ビルゲイツ、スティーブ・ジョブズなどを排出した1955年世代や、梅田望夫がやたらと持ち上げる1980年前後生まれの世代であろうと、当然、赤ちゃんとして生まれ、すこしづつ成長し、少年少女時代を過ごしてきた。そして、幾人かの突出した人々が、新しい時代を切り開いて来たのは事実であり、いつの時代にも、デジタルネイティブような存在はいた。だからこの本でも取り上げられている若い世代が、次代を変えるというのは、当然のことだとしても、そのことだけを取り上げて、驚異的だとか、期待十分、というのはちょっと違うように思う。

 それに一番気になることは、「コンテナ」、「コンテンツ」としてのネット社会から、「コンシャスネス」としてのネット社会への眼が、この本では確認できなかったことだ。たしかにデジタル移民よりデジタルネイティブのほうが、その社会になじみやすいだろうが、それは単純に生まれたときからテレビがあった世代、生まれたときから車があった世代、というのと同じ意味しか持っていないのではないか。

 若いというだけでは人間の成長はない。若いだけで意味があるなら、人間、年齢を重ねる必要がない。10代があり、20代があり、30代、40代、あるいはシルバー世代があり、老いがあり、死がある。これらについて一貫した人生観、死生観をきちんと押さえた教育者こそが、これらのデジタルネイティブに対応すべき指導者たちなのではないだろうか。

 ネイティブ・アメリカン、という時のネイティブと、ここでいうところのデジタルネイティブのネイティブの意味を違いを、はっきり押さえておかなくてはならない。

<2>につづく







Last updated  2009.03.02 09:15:50
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2009.02.14
テーマ:私のPC生活(6647)
カテゴリ:バック・ヤード

アート・メディアとしてのブログを考える50冊+α



★コンテナとしてのブログを考える

ブログに挑戦してみよう! 2006/06

手取り足取り「自分流」ブログ入門 2005/07

ブログ成功バイブル 超カンタン!最強メディア  2005/04

おとな愉快団!ブログで遊ぶ こんな面白いこと 今すぐ始めなきゃ もったいない! 2006/03

50代にもよくわかる「ブログ入門」 2005/05

「はてな」ではじめるブログ生活 2004/06

パソコンで文章がうまくなる! 2005/09

「書ける人」になるブログ文章教室 2006/11

「速く・わかりやすく」書く技術  原稿用紙3枚をラクラク30分!  2005/05

プロフェッショナルWebライティング 2006/11

Web屋のためのRSSガイド 2006/11

ブログを続ける力 2005/04

ウェブログのアイデア! 2005/03

ブログのすべて 2006/05

図書館に訊け! 2004/08

図書館を使い倒す! 2005/10



★コンテンツとしてのブログを考える

ブログ 世界を変える個人メディア 2005/08

ブログ・ジャーナリズム 300万人のメディア 2005/01

サイバージャーナリズム論 2007/07

サイバージャーナリズム論 03年前川版 2003/10

ブログがジャーナリズムを変える 2006/07

パブリック・ジャーナリスト宣言。 2007/11

シビック・ジャーナリズムの挑戦 2005/05

革命メディア ブログの正体 2006/03

ブログ論壇の誕生 2008/09

ブログ進化論  なぜ人は日記を晒すのか 2006/04

ブログ炎上 2007/03

オーマイニュースの挑戦 2005/04

ウェブログの心理学 2005/03

ネットと戦争 9.11からのアメリカ文化 2004/10

ブログ・オブ・ウォー 僕たちのイラク・アフガニスタン戦争 2007/05

ネットは新聞を殺すのか 2003/09

ネットメディアと<コミュニティ>形成 2008/03



★コンシャスネスとしてのブログを考える

インターネットの心理学 2001/09

ウェブ人間論 梅田望夫 平野啓一郎 2006/12

ウェブ社会の思想 2007/05

インターネット的  糸井 重里 2001/07

戦争絶滅へ、人間復活へ 93歳・ジャーナリストの発言  むのたけじ 2008/07

インターネット社会論 1996/02

ウェブ炎上  2007/10

ウェブは資本主義を超える 2007/06

反骨のジャーナリスト 鎌田 慧 2002/10

フォトジャーナリスト13人の眼 2005/08

メディアのからくり 2002/07

人間力の磨き方 2006/06

実践的 新聞ジャーナリズム入門 2006/01

ニュースの職人 「真実」をどう伝えるか 2001/10

報道は欠陥商品と疑え 2002/10

徹底検証!NHKの真相―大手メディアが報じなかった“伏魔殿”の正体! 2005/05

『噂の真相』25年戦記 2005/01

編集長を出せ! 「噂の眞相」 2006/03







Last updated  2009.02.22 00:09:15
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2009.02.13
カテゴリ:バック・ヤード

当ブログにとっての七つのキーワード

 最初のカテゴリ「ブログ・ジャーナリズム」から、21番目のカテゴリまでの、あちらこちらをチラチラ目を通しながら、当ブログを象徴するようなキーワードはどういうところにあるのだろうか、と考えた。そして20数個書きだしたあと、とりあえず7つに絞ってみた。

<マーケットプレイス>
 字のとおり市場のことではあるが、必ずしもネット・トレードとか、世界経済市場のあれこれを意味するわけではない。いわば「市井」であり、ごくありふれた日常の意味でもある。しかしまた、それは「往相」として旅立つべき日常であり、「還相」として帰るべき日常でもある。

 そして、当ブログが自らを「読書ブログ」と規定する限りは、もっと絞り込む必要があるだろう。現在、当ブログにおいてのマーケットプレイスとは、書店の店頭であり、図書館の開架棚であり、電車の吊るし広告の雑誌や本たちでもある。あるいは、このブログにアクセスしてくる人々であり、その人々が読んでいるであろう本たちである。

<コミューン>
 娑婆世界と極楽浄土があるとしたら、こちらには後者の意味を持たせたい。マーケットプレイスに対するコミューン、結局はおなじことなのだが、こちらはより理想的な夢想が実現したような世界のイメージだ。たとえば革命とかマルチチュード、という言葉を脇におきながら、より穏やかなネットワークや共生の想いを託したい。

 米国オバマ新大統領の就任演説に語られるような未来、そしてさらに向こうには見えてくる世界。それは決して政治でもなく、単に世界的なグローバルなネットワークばかりを意味しない。もっと地域的でもあり、内面的な共感の世界でもあるはずだ。

<オープンソース>
 この言葉のベースは、リチャード・ストールマンのフリーソフトウェアの考え方や、リナックスという具体的な実際的な成功例があるが、狭義的には、コンピュータ・ソフトウェアの世界に留まる概念でしかない。しかし、当ブログは、ここから拡大して、よりワイドレンジで、よりディープな形での分かち合いができないものかと、いつも考える。

 オープン・ソースのイニシャルもOSだが、オペレーション・システムもOSであり、また、我がマスターももっと透明化を増し、OSと称される程度に一般的になったらよかろうとさえ思う。


<地球人>
 私は誰であろうか。ラマナ・マハリシはこの一言でエンライトし、寺山修司はこの言葉を訪ねて地球空洞説さえ自らに引き寄せる。多くの神秘家たちが最後のキーワードとするこの言葉。その言葉に安易な答えをあてがうことは避けなければならない。

 しかし当ブログは、あなたは誰ですか、と問われたら、なにはともあれ「私は地球人です」と答えよう。まずはここが原点だ。私は何々県人でもなければ、日本人でもない。あえて地球人と答えようではないか。それは、私は天上人でもなければ、地底人でもない、ということを意味する。この地上に生きる一人の人間、というアイディンティを最も大事にしよう。

<ブログ> 
  ネット社会に託す思いは大きいものがあるが、インターネットがごく当たり前のものになってすでに20年近くが経過している。遠くの人々と話したり、情報を交換しあうことは、現在ではごくごく当たり前のことになった。このような環境が整ったからこそ、当ブログも存在し得るのだが、コンテナとしてのブログに、どのようなコンテンツを加えることができるのかが、各ブログの生命線と言える。

 現在の当ブログは、図書館ネットワークと連動して、読書ブログとしていくことが一番原寸大でありのままの姿で長続きできるスタイルのようだ。いくらブログ・ジャーナリズムを気取っても、マス・メディアの記者たちのような機動力もなければ、専門家たちような鋭い洞察力もない。しかしながら、ひとりの地球人として図書館ネットワークを活用し、本を読み、一人分の感想を書く、という行為は、他のプロフェッショナルな行為に対して、なんら卑下すべき行為ではなく、独立した尊厳ある行為である、と思うことにしよう。

<瞑想>
 人間としての行為の中でもっとも意義ある行為を見いだそうとすれば、当ブログにおいては「瞑想」という言葉をあげておきたい。しかし、だからと言って、その行為について、当ブログがしっかり理解しているということを意味しないし、当ブログのメインのテーマということではない。むしろ、瞑想とは言葉やシンボルを超えた世界に足を入れることもあるので、ネット空間において「瞑想」をテーマにすることは、おのずと限界があるだろうと推測している。

 しかしながら、「レスポンスのあった著者たち」に書いたように、読書や、ブログ上におけるレスポンスの中にも、より「瞑想」の方向へ、という希望はある。ブログというネット空間が、どのような可能性を秘めているのか、未知数の部分も多いが、メインテーマとはならないまでも、このテーマも追っかけていくことになるだろう。

<アガータ>
 当ブログにおいて、もっとも厄介でありながら、もっとも魅惑的なテーマでもあるだろうと思われるキーワード。現在のところまで、この言葉のもっている意味は、いまだに不明、としかいいようがない。ただ、その言葉の存在のありかたや、当ブログとの距離感など、わかってきたことはたくさんある。

 そのなかであっても、一般に表記される「アガルタ」は、当ブログにおいては「アガータ」とは峻別して扱って行きたいと思う。この二つの語彙の差異こそが、当ブログの生命線とも言える。曖昧模糊としながらも、実はかなり明瞭な概念でもあるのだが、言葉として表現する場合は、ひとつくらい意味不明なものが存在してもいいだろう。







Last updated  2009.02.15 16:10:28
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カテゴリ:バック・ヤード

「大学から当ブログへのアクセス」よりつづく

変わったところでは、こんな所からも。

*.nhk.or.jp   日本放送協会   番組表

*.ytv.co.jp  讀賣テレビ RSS

*.kobe-np.co.jp  神戸新聞 出版物

*.hakuhodo.co.jp  博報堂 データベース

*.asatsu-dk.co.jp アサツーDK ネットワーク

*.kodansha.co.jp   講談社   書籍

*.shogakukan.co.jp 小学館 書籍

*.mizuho-ir.co.jp    みずほ情報総研     出版書籍

*.nikkei-r.co.jp   日経リサーチ    調査結果

*.nikkeibp.co.jp  日経BP社   雑誌案内

*.nochubank.or.jp    農林中央金庫    CSR 

***.hokkaido.jp  北海道  図書館

***.iwate-ed.jp  
岩手県    図書館

***.miyagi.jp   宮城県    図書館  

***.saitama.jp  さいたま市等  図書館

***.tokyo.jp  東京都    図書館   

***.yokohama.jp  横浜市  図書館  

***.nagano.jp   長野県  図書館

***.yamanashi.jp  山梨県   図書館

***.ishikawa.jp  石川県  図書館

***.aichi.jp   愛知県   図書館

***.osaka.jp    大阪府   図書館   

***.hyogo.jp  兵庫県  図書館

***.okayama.jp   岡山県   図書館

***.tottori.jp 鳥取市  図書館

***.lg.jp  地方公共団体を対象としたドメイン

*.env.go.jp    環境省       環境白書   

*.mint.go.jp 独立行政法人 造幣局   データ

*.jnes.go.jp 独立行政法人 原子力安全基盤機構  データベース

*.jaea.go.jp 独立行政法人 日本原子力研究開発機構  検索

*.tenrikyo.or.jp   天理教   出版物 

***.disney.com  ディズニー社  インターナショナル

***.state.gov  アメリカ政府     図書館 

***.osd.mil  アメリカ軍機関? FAQ

<アクセスマップ>へつづく







Last updated  2009.02.27 08:12:43
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2009.02.12
カテゴリ:バック・ヤード


「ついに実現した地下存在との対話」 アセンションの超秘密
ダイアン・ロビンス /ケイ・ミズモリ 2009/01 徳間書店 単行本 297p
Vol.2 No.527☆☆☆☆☆

 この本もまた、突っ込みどころ満載の一冊。ひとつひとつ書き出したらきりがないので、ほどほどにしておこう。なんだかかんだと言いつつ、この手の本が店頭に並んでいると、心おだやかならずな心境になるのは、こちらの深層心理や無意識が刺激されるからかもしれない。あるいは、どこか集合的無意識でつながっている部分が、わずかにでも存在するからかもしれない。

 この本のタイトル「ついに実現した地下存在との対話」とは、ちょっと大仰な言いまわしであろう。なんとか通したいという企画があって「ついに実現」という言葉がでてきたとは思うが、それではすべての企画が「ついに実現」するのであって、別にこの本ばかりにつけるべきタイトルではない。

 「対話」とは言うものの、日本語翻訳者がチャネラーにメール連絡し、あらかじめ用意した質問に対してチャネラーが一問一答的に返信してきただけであって、「地下存在との対話」とは言い難い。チャネラーも、必ずしも「地下存在と対話」しているわけではなく、かなり一方的にそのメッセージを「受けとっている」のであり、二つの存在が対峙して、意見を自由な雰囲気のなかで「対話」的に交換しあっているわけではない。つまりチャネラーの一方的な言葉を無批判的に有り難く拝んでいるにすぎない。

 さて、その「地下存在」とやらだが、それは、チャネラーの言葉以外に一切確かめようがない。時間や空間や人名、あるいは呼称などが、おりに触れて多用されてはいるが、それは単に「物語」の背景を形作るハリボテでしかない。語られるべき真実、最後の最後に残されるべき真実は、この本にはない。

 2012年のアセンションとやらだが、これはこの前1999年以前にも似たような現象があって、その一点を超えるとどうのこうの、という話になる。しかし、その一点を超えるまでの商売であって、そこを超えると、昨日までのことはすっかり忘れて、誰も触れなくなる。そして、今度は2012年だ。3年後のことだが、あと4年もたてば、アセンションなどという言葉は誰も使わなくなる可能性が高い。

 積極的に広範囲な調査もせずに一方的に否定してしまうのは、公平な態度ではないが、しかし、これらの一連の書物たちには、当ブログとしては一貫して懐疑的にしか対応していない。積極的に広範囲な調査も今のところする準備もないが、この手の本のもつ危うい落とし穴がボコボコ見えてしまうので、要注意、とだけ記しておく。







Last updated  2009.02.13 05:00:10
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2009.02.11
カテゴリ:バック・ヤード
<19>からつづく

 

「英知の辞典」 <20> OSHO

 

 七つの谷 VALLEYS

 偉大なスーフィーの師(マスター)、すべての時代を通じてもっとも偉大な者のひとりにアル・ガザリがいる。彼は「人間の人から神への成長の道----潜在力を秘めた人間からその力を実現させた人間への、可能性から現実への道には、七つの谷がある」と言う。これら七つの谷はこの上もなく重要だ。あなたはこれら七つの谷を渡らなければならないだろうから、それらを理解しようとしてみなさい。誰もがこれら七つの谷を渡らなければならない。

 その谷にどう対処したらよいのかを正しく理解すれば、それを超えることができる。そしてあなたは頂に到達する----なぜなら、谷は必ず山に取り囲まれているからだ。谷を渡ることができれば、谷でひっかからず、谷で迷わず、谷に執着しすぎなければ、超然として、とらわれず、目撃者でいるなら、そしてこれは自分のわが家ではない、自分はここではよそ者なのだと覚えていたら、頂に到達しなければならないと、頂きのことを忘れなければ----あなたは頂に到達する。谷を渡るごとに大いなる祝祭が起こる。

 だが、谷を渡るごとにあなたは別の谷に入る。それが続いてゆく。谷は七つある。第七に到達すればあとには何もない。人は自らの存在に到達し、彼はもはや矛盾に満ちてはいない。緊張もなければ苦悩もない。これこそ東洋で「仏性」と呼ばれてきたものだ・・・・。

 谷にはそれぞれの誘惑がある。あなたが何かに執着してその谷を離れることができなくなるということは大いにありうる。次の谷に入りたいならそれを去らなければならない。谷のあとには必ず頂が、大いなる山の頂がある。谷のあとには必ず歓びがあり、その歓びはさらにさらに強烈なものになってゆく。そして最後に、第七の谷で、あなたは宇宙的なオルガムスに達する----あなたは消えてなくなる。そこにはただ神だけがある・・・・。

 最初の谷・・・・。最初の谷は「知識の谷」と呼ばれている。

 人間は知ることから始まるのだから、当然、知識が最初のものでなければならない。知識を持っている動物はほかにはいない。人間だけが知り、人間だけが知識を集める。人間だけが書き、読み、話す。人間だけが言語、経典、理論を持っている。だから知識が最初の谷でなければならない・・・・。

 知識は両方向を指し示す矢印だ。一方の矢は知られる対象を指し、もう一方の矢は”知る者”を指す。知る者に目を向けるようになれば道に迷うことはなく、あなたは谷を超えることができる・・・・。

 第二の谷は「後悔の谷」と呼ばれる・・・・。

 自分のありのままを見るようになると、自然と大いなる後悔の念が起こってくる。しでかしてしまったすべての過ち、すべきではなかったのにやってしまったすべての行いゆえに、あなたは後悔を感じはじめる。だから意識とともに大いなる頂がやって来る----だが、突然、意識(consciousness)とともに良識(conscience)が起こってくる。いいかな、あなたが持っている良識はほんとうの良識ではない。それは偽金だ。それは社会から与えられたものだ・・・・。この借り物の良識は助けにならないし、それはあなたの重荷になるだけだ。最初の谷を渡ると、あなた自身の良識が起こってくる。いまやあなたは何が間違いであるのかを正確に知るようになり、それ以外のことはすることができなくなる・・・・。

 第三の谷は「障害の谷」と呼ばれる。

 良識が起こってくれば、あなたはどれだけの障害があるのかを見ることができるようになる。あなたはどれだけの妨げがあるのかを見る目を持つ。壁また壁が立ち並んでいる。扉もあるがそれらはごくまれだ。あなたはすべての障害を見ることができる・・・・。

 第一の障害は誘惑の世界だ。第二は人々-----人々への執着だ・・・・。第三のものをアル・ガザリは「魔王(サタン)」と呼ぶ。そして第四は自我(エゴ)だ・・・・。

 その否定的な側面はこれらの障害と戦いはじめることだ。戦いはじめたら、あなたは谷で迷ってしまう。戦う必要はない。敵対関係をつくりだしてはいけない。ただ理解するだけでいい。

 戦うことは抑圧することだ。あなたは自我を抑えることができるし、自分の人々への執着を抑えることができるし、物欲を抑えることができるし、摩王(サタン)、自分の心(マインド)を抑えることができるが、抑えられたものはとどまり、あなたは第四の谷に入ることができない。

 抑圧のない者だけが第四の谷に入る・・・・・。

 第四の谷では無意識への参入が起こる・・・・・。

 「試練の谷」とは無意識に入ることだ。それはキリスト教の神秘家たちが「魂の闇夜」と呼んできたものに入ることだ。それはあなたが自らの背後に隠している狂気の世界に入ることだ。それは実に不気味で、きわめて異様だ。第三の谷までは、人は師(マスター)なしで進むことができるが、第三を超えることはできない。第三の谷までは、人は自分でやってゆくことができる。第四ではどうしても必要になる・・・・。

 それがだんだんあなたの風土になってゆくように、師はまさに最初からあなたに信頼と明け渡しについて教える----なぜなら、それはあなたが第四の谷に入るときに必要になるからだ・・・・。

 第五の谷・・・・それは「雷鳴の谷」だ。

 第五の谷であなたは死に入る。第四の谷であなたは眠りに入った。第五の谷であなたは死に入る。あるいは、もっと現代的な用語を使うとしたら、第四の谷であなたは個人的な無意識に入り、第五の谷で集合的無意識に入る。あなたは自らの個体性を失ってしまうので、大きな恐れが起こってくる・・・・・。

 死のなかに、集合的な無意識に入るとともに、大きな恐れが起こってきて、深い苦悩が感じられる-----これまでに一度も感じたことのない大いなる苦悩が。というのも、こういう疑問が起こってくるからだ----生きるべきか死ぬべきか? あなたは消え去ろうとしている。あなたの全存在が生きることを望んでいる。あなたは第四の谷に戻りたい。それは暗かったが、少なくともこれよりはましだ----そこには”自分”があった。いまや、暗闇はさらに暗さを増した。それだけではなく、あなたはそのなかに消え去ろうとしている。じきにあなたの足跡すらなくなってしまう・・・・・。

 次に第六の谷、「奈落の谷」が来る。

 死が起こり、人は消えうせる。これがキリスト教徒の言う「磔(はりつけ)」だ。無が起こった。人はただ空っぽの大空になる。ヒンドゥー教徒はそれを「サマーディ」と呼び、禅の人々はそれを「悟り」と呼ぶ・・・・。

 それから最後のもの、究極のもの、第七の谷が来る----「賛歌の谷」「祝祭の谷」が。

 第七の谷では再誕生が、復活が起こる。それがキリスト教の「復活」の概念の意味するものだ----キリストが生まれ変わる、栄光の身体に生まれ変わる、光の身体に生まれ変わる、神の身体に生まれ変わるという。もはや肯定もなければ否定もない。二元性はどこにもない。人は”ひとつ”になる。統合が起こっている-----ヒンドゥー教徒が「アドヴァイタ」(不ニ一元)と呼ぶものが。二元対立は消えうせている。人はわが家に帰ってきた。

 「賛歌の谷」・・・・・アル・ガザリがそれに美しい名前を付けた。もはや何も残されていない----ただ歌が、祝祭の歌が、神への賛歌が、まったくの喜びがある。これが私の言う「究極のオルガスム」だ。

 もし私がこの谷に名前を付けるとしたら、私はそれを「全面的なオルガスムの谷」と呼びたい。ただ祝祭だけが残っている。人は開花し、花を咲かせた。かぐわしい香りが解き放たれる。もはやどこにも行く必要はない。人は自らがそれを得ようとして探しに探し求めていたものになった。

OSHO:     SUFIS: THE PEOPLE OF THE PATH,Vol,2

p438

<21>につづく 







Last updated  2009.04.29 17:12:24
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2009.02.09
カテゴリ:バック・ヤード

<2>よりつづく

「反密教学」 <3>
津田真一 2008/10 春秋社 単行本 385p

 先日、書店で最近刊のこの増補版を手にして、びっくりしてしまった。1987年に出されたこの本が増補されて再刊されたことは知っていたが、この増補された部分が、実は「法華経」にまつわる話だったのだ。なるほど、そうであるべきだろう。そうでなくてはならない、と納得した。

 そこで、ちょっぴり貯まった楽天ポイントで一部充当してようやくこの本を我がものとすることができた。これからチラチラ、ゆっくりめくっていってみよう。

 つい先日、私の国・日本という東京の秋葉原という、今「オタク文化」といって世界的にも注目を集めている地区で、一つの悲惨な事件が起こりました。それは、自分に絶望し、世の中に敵意を抱いた孤独な青年が、借りてきたトラックを休日を楽しむ人々の中に暴走させ、多くの人々を死傷させた、という事件でした。しかし、その事件の報道に接したとき、私は本当にそう思ったものです。その青年が、この「法華経」の<願成就>ということの意味を知っていたら、本当にそういうことに思いを廻らせていたら、彼はこの様な事件を起こさずに済んだのではないか、と・・・・・。   p55

 当ブログが、ひょんなことで読書マラソンにでて1500冊の本に巡り合ったとして、さて、最後の最後、一冊何を残しますか、と質問された場合、その答えは出るはずがない。それではターゲットが広すぎる。もっと的を絞って、当ブログのテーマが結局「アガータ:『彼』以降やってくる人々」というものに定着したと仮定して、その答えはでましたか、と質問されたら、今の私なら、迷いなく、この一冊を残す。

 この人の「文献学」というものは徹底しているので、一凡読者にもなりえない私には、その多岐にわたる引用文を読み解くことはあたわない。だが、すくなくとも、その著者の姿勢が、結局、当ブログが「読書ブログ」としてページ数のあちこちをメモしつづけていることにつながるところにも、なにかの縁を感じていることは確かだ。

 この津田真一という人は、なにかの「行」をやっておられるのかどうかは知らないが、すくなくとも、本やブログの世界は、必ずしも直接的に「行」とつながるものではない。いきおい、本やブログで「できる範囲」のことということになれば、このような形になるのは、きわめて妥当であると思われる。

 そして、「文献学」などと自ら卑下してみせたりもするが、実は、津田真一という人を貫いているのは、「直観」だ。「自ら」の「直観」に、第一の、絶対の、信頼をおく。そして、この直観を傍証するためだけにあまたの文献が活用されている、と言っても過言ではない。

 そして、この「増補」された部分が著者によって書かれたのは2008年6月28日だった。当ブログで言えば、 「Automobile Quarterly」 、「The Black Kimono Rolls Royce」 、「エスリンとアメリカの覚醒 <2>」 、「Opulence」 などについてメモしていた日であった。あの日、著者はこのような文をしたためておられたのだ、と思いを馳せることによって、さらにこの本のリアリティが高まる。

 8月8日に北京オリンピックが開催され、前後して「チベット問題」に、にわかに再フォーカスした当ブログが、8月22日あたりから「裸形のチベット」を読み進めるなかで、この「反密教学」の存在に気づいたのは、さらにおそかった。すでに絶版になっていたこの本を求めて、新しい大学図書館を開拓して、ようやく手にしたのは、10月5日になっていた。この数か月のタイムラグを、大きいと思うか、ごくごくわずかと思うか、これからの展開次第だが、同時代性、同じ時代、同じ国、同じ地球に生きている、という感覚で言えば、当ブログにとっては、まことに申し分のない同時代性だ。しかもそのころ、この増補版がようやくでたのであったことも、私の何かを刺激する。

 もし、「借りてきたトラックを休日を楽しむ人々の中に暴走させ、多くの人々を死傷させた」、「自分に絶望し、世の中に敵意を抱いた孤独な青年」の一人であったかもしれないこの私が、まがりなりにも、その行為にでなかったとしたら、その理由は、実に、「『法華経』の<願成就>ということの意味」に思いを廻らせていたからかもしれない、と自戒する。

 「アガータ:『彼』以降やって来る人々」という私なりの直感から、アガータという言葉を抽出し、その源を「アガルタ」にもとめようとしても、この西洋的神智学流れ現代バージョンは、私に「正」解をいまだに伝えてはくれない。また、チベット密教の「秘められた」系譜をたどったとしても、本当に私が求めているアガータではなさそうなのだ。だから、私のアガータは、いまだに私のアガータでしかない。

 そんな中にあって、ほぼ唯一といっていい薄明がこの本だ。一つのカテゴリを108エントリーと定め、21のカテゴリをもって、とりあえずの当ブログの「締め」とした場合、当ブログに残されているのは、あと40エントリーのみ。この中に、当ブログの結論めいたもの残すとすれば、この「反密教学」一冊に限られた、と言ってもほぼ間違いない。

 私の法華経理解は、体験的ではあるが、極めて単層なものである。そこから連想するのは「南無妙法蓮華経」という御題目であったり、行者日蓮であったりと、きわめて限定的なものであった。ところがこの本の著者において、初めて、浄土理解としての親鸞へとのルートがつながり始めたというべきだろう。親鸞は当ブログの宿題でもあった。

 なにはともあれ、サンヴァラ系タントラと法華経のシナジー、そしてそれにつらなるいくつかのなにごとかに、当ブログなりの結論めいたものが見えてくるとすれば、当ブログのマラソンも全く意義なきものであった、ということでもあるまい。

つづく







Last updated  2009.02.11 22:21:28
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