地球人スピリット・ジャーナル1.0

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2009年4月1日

地球人スピリット
・ジャーナル2.0


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チェロキー

2007.08.30
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カテゴリ:チェロキー

「熱きアラスカ魂」 最後のフロンティア・インディアンは語る 
シドニー・ハンチントン著 /ジム・リアデン編 和田穹男・訳  2000/05 めるくまーる 単行本 329p
★★★☆☆

 
「リトル・トリー」や「ジェロニモ」を翻訳した和田穹男が、この本も訳している。表紙は、アラスカの大自然を撮り続けた星野道夫の写真が飾っている。「ベーリンジアの記憶」「日本はなぜ世界で一番クジラを殺すのか」の星川淳が巻末に6ページほどの文を寄せている。

 この本において、いつの間にか自分の中にできあがっていた、インディアンやネイティブ・アメリカンという安易な形でのプロトタイプ化した情景が壊される。南米の都市文明をつくった古代人や、北米大陸の大地にいきる人々と、また違ったアラスカの「インディアン」がここにいる。

 ノンフィクションであり、1900年代のことでもあるので、現代史にも深く関わる描写がでてくる。アラスカの大自然についての表現も、力強いタッチで語られ、引き込まれる。実際にその人生を生きた本人の口から語られた記録として貴重なものである違いない。

 しかし、ふと思う。このようないわゆるネイティブものなら、あえて、北米大陸やアラスカに求めなくても、もっと身近にあるのではないだろうか。ちょっと前までは、この弧状列島のあちこちの田舎や山村や島々に、これらの深い自然とのかかわりを持った古老達がいたに違いないのだ。

 古老達とまでいわないまでも、小説としてなら、卑近な例でいえば
熊谷達也世界などは、かなり、この「熱きアラスカ魂」に通じるところがあるような感じがする。北山耕平の近著「ネイティブ・アメリカンとネイティブ・ジャパニーズ 」はまだ読んでいないけれど、やはり、「アメリカン」にこだわらず、ネイティブ・ジャパニーズとしての自分に目覚めながら、本当は、さらに「地球に生きる人」という原点に立ち返ることが大切なのだと思う。
 
 そういった意味において、この本は、生きることの力強さを感じさせてくれる一冊だ。






Last updated  2009.02.11 10:06:51
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カテゴリ:チェロキー
ナバホの歌.jpg
「ナバホの歌」 
スコット・オデール /犬飼和雄 1974/07 岩波書店 単行本 182p 原書1970
★★★☆☆

 著者は作家であるので、自叙伝ではなく小説として読むべきなのだろう。原書は1970年に書かれていて、
「リトル・トリー」1976年よりさらに以前の小説ということになる。特にこの「ナバホの歌」は日本語訳が1974年にでているので、現在のセンスで言えば、やや「今流」ではない。しかし、この両書とも、ネイティブの少年や少女を主人公とした青少年向きの小説ということでは共通項がある。

 この本においては、時代性を反映してなんのためらいもなく「インディアン」と表記されている。ちょっとは違和感がないではないが、逆にその時代性さえ理解すれば、むしろのびのびとした文体が、大地の人々の生活ぶりを生き生きと表現していて、すがすがしい。

 登場人物たちの名前も<シロイシカ><カケアシドリ><ノッポ><カワノコ><クマ><ニガイミズ><ビーバー>、あるいは<コソコソ><アカイイエ><ニワノコミチ><イッケンヤ><アカオデコ><アナノボウ>、はては<チイサイニジ>などなど、日本語の名前になっていて、一人一人のキャラクターが彷彿としてくるようなわかりやすい翻訳になっている。

 主人公の女の子は<アカルイアサ>と自称はするが、生まれたときにつけられた名前は、また別にある、という。そのほか、<ロバタスワリ>や<タチネムリ><アナクグリ>なんて名前もでてきて、なんとも日本の童話のような感じさえして、親しみやすい。

 この小説が、どこまで想像で、どこまでが事実に基づいたストーリーになっているのかはわからない。しかし、例えば、日本のテレビ番組「おしん」だって、小説ではあっても、多くの人々の共感を呼んだように、<アカルイアサ>の人生には、多くの人々の共感をさそうものがある。 

 「ナバホの歌」は、1863年から1865年の二年間におよぶナバホ族の歴史をもとにして書いたものである。これより以前に、ナバホと合衆国のあいだで、たくさんの条約がかわされた。だが、そのほとんどはやぶられてしまった。白人がやぶったものもあれば、ナバホ族がやぶったものもあった。p175

 ネイティブ・ピーポーにはたくさんの歴史があり、にわかには理解できないけれど、すこしづつ立体的に見えてくるような形で、読み進めてみたいと思う。






Last updated  2009.02.11 10:08:44
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2007.08.29
カテゴリ:チェロキー


「ナバホの国へ」 グレートジャーニー・人類5万キロの旅
関野吉晴 1998/04 小峰書店 双書 119p
★★★☆☆


 何気なく「ナバホ」のキーワードで検索した一冊だったが、実にとてつもない本であった。著者は単にナバホの国を訪ねたのではなく、東アフリカで誕生した人類が、アジア、北アメリカを経由して南アメリカの南端にたどりつくまでの5万キロを旅しようとしていたのである。しかも、徒歩、カヤック、自転車など、自分の足と腕でたどろう、というのだが、とてつもない冒険家だ。

 本業は医師でもあるようだが、よくそれだけの時間がとれるものだと思う。自転車といえば、冬季チベット高原6500キロを単独自転車横断した安東浩正の
「チベットの白き道」を思い出したが、実は、関野吉晴は、モンゴルチベットも旅をしていたのだった

 本書では、マヤの遺跡からナバホの国へ入り、カナダからアラスカへと旅を進めている。何が著者をして、これほどの旅へ駆り立てるのだろうか。途中、砂漠の中で人口的に地球環境をつくりだそうという「バイオスフィア2」という実験施設のレポートは面白い。また、あとがきになって分るのだが、写真家
星野道夫とも友人だったということだ。

 カヤックでサックスマンに着いた翌日の夜、東京から電話が入りました。星野道夫君が8月8日にカムチャッカ半島のクリル湖畔でヒグマにおそわれ、亡くなったというのです。「まさか!」と思いました。だれよりもクマを知りつくしている彼が取材中にクマにおそわれ、死ぬなんてにわかには信じられないことでした。p116

 本書は、「グレートジャーニー 人類5万キロの旅」として小学高学年~中学・高校生向けに
シリーズ化されており、15巻のうちの第6巻。







Last updated  2009.02.11 10:10:46
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カテゴリ:チェロキー


「1941」先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見
チャールズ・C.マン /布施由紀子2007/07 日本放送出版協会 単行本 621p
★★★★★


 「いよいよ(14)国(92)が見えた!」で、コロンブスのアメリカ大陸発見は1492年ということになっている。だが、この本では、あえて、その前年、1491年を意味する数字をとって、コロンブスがアメリカ大陸に到る以前のインディアン(北米)やインディオ(南米)たちの世界や文化に焦点をあてる。もとより、呼称もさまざまな言い方があれど、この本ではあえてネイティブ・アメリカンとか、アメリンディアンなどを使わない。

 ハリウッド映画の西部劇を見ると、1880年前後の北米西部に着想を得ていることが多く、その当時の文化を、開拓者達とインディアン達との比較でみることができる。その当時でも、インディアンたちの力はそうとう強く、開拓民たちの生活も、不安定で弱い基盤の中での暮らしぶりであることが多い。

 1491年といえば、あの西部劇からさらに400年前のことである。大地に暮らしていた先住民達の生活や文化が、ヨーロッパから流れついた流浪の民達より、はるかに進歩した文化的生活を営んでいたことは、比較的容易に想像することはできる。しかし、それらの痕跡を、どのように描いたらいいのか。その点に、この本は力点を置いている。

 わたしは、人類学、考古学、歴史学の研究者7人にこんな質問をしてみた。いまが1491年だとしたら、あなたはヨーロッパ人でありたいですか、それともホーデノショーニー族でありたいですか、と。尋ねられてうれしそうだった学者はひとりもいなかった。現代の価値基準で過去のよしあしを判断せよと言われたからだ。これは社会科学者が、"プレゼンティズム(現在中心主義)”と呼んで否定する誤った考え方なのである。しかしそれでも、7人は全員インディアンを選んだ。初期入植者のなかにも同じように考えていた者がいたようだ。p580

 当時のアメリカ大陸を想像することは意外に容易ではなさそうだ。かなりの記録や記憶が失われてしまっているからだ。しかし、そうした中にあっても、様々な研究で新たな当時の姿がわかりつつある。「実際は、いくつもの都市が築かれ、ヨーロッパより大きな人口を擁し、さまざまな言語と文化」が繁栄していたとしたら、いままで、描いていた歴史観が、大きく変化せざるを得ない。本書は「新世界に欠けていたもの---それは旧世界の病気に対する免疫力」だったのだ。

 本書においては、西部劇の西部ばかりではなく、東部、あるいは、北米、南米の、かなり広い地域における先住民達の痕跡を追う。時間軸もかならずしも1491年にこだわっているわけではないので、いままでもってきた「新大陸」に対するイメージが、揺さぶられつつ、抜け落ちていたパーツが、もうひとつ埋められたジグソーパズルのように、さらに明確になる。

 インディアンではない読者のみなさまに想像していただきたい。1491年の世界からタイムスリップしてきたホーデノショーニー族の人がひとり、目の前に現れたところを。曲線模様の刺青や、左右非対称に刈った髪、派手に飾り立てた衣服の下に、どこかあなたに似た面影が見えはしないだろうか。あなたはある意味で、ご先祖さまよりその面影のほうによく似ていはしないだろうか。p583

 このブログでも、1491年のホーデノショーニーという切り口ではないが、みずからを大地の先住民の末裔と見立てて旅を始めていたのだった。その旅は始めたばかりなので、以前五里霧中ではあるが、この本のような道標に出会うたび、さらに旅を続ける意欲が湧いてくる。







Last updated  2009.02.11 10:12:53
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2007.08.28
カテゴリ:チェロキー

「アメリカ先住民の宗教」 シリーズ世界の宗教
ポーラ・R.ハーツ /西本あづさ 2003/12 青土社 単行本 188p 原書1997
おすすめ度●●●○○

 
アメリカ先住民の宗教は、いわゆる「体系化された」宗教とは、いくつかの点で異なる。彼らの宗教は「組織的」ではなのだ。つまり、教会の建物もなければ、階層制度もなく、組織体そのものもない。確かに、一部の部族に伝わる物語の中で、部族の有名な人物の行為が回想されることはある。だが、ほとんどのアメリカ先住民の宗教は、例えばモーセ、イエス、アラー、釈迦のような歴史上の中心人物には依存していないし、キリストの礫刑や仏陀の悟りのような特定の歴史上の出来事とも結びついてはいない。
 伝統的なアメリカ先住民の文化は常に口承で、大切なことがらは人々の口から口へ語り継がれてきた。信者が固く守らなければならない成文化された信条も道徳律も規則も存在しない。例えば聖書やコーランのような聖典もない。多くの点で、アメリカ先住民が精霊と交わる精神世界は、神道や道教のような民間信仰にルーツをもつ宗教と類似している。しかし、文字に書かれた信条がないということが、行動規範や倫理的価値基準がないということを意味しているわけではない。倫理的に正しいあるべき生き方をするための厳格なルールが、すべてのアメリカ先住民の文化を支配している。部族のメンバーは、手本となる実例を見ることでそのルールを学ぶ。つまり、そうした行動を規定する原理は、公式な教育の中で習得されるのではなく、幼少期から内面に刻まれて彼らの生き方の一部と化すのである。
p21

 この本は、コンパクトで分りやすい。
シリーズ世界の宗教15冊の中の一冊、となっているが、はて、これでいいのだろうか、と思わないわけでない。キリスト教、仏教、イスラム教といったいわゆる世界宗教と同列にならべて「アメリカ先住民の宗教」を見てみることが、どれほどの意義があるのかは、にわかには判断することはできない。

 アメリカ先住民、宗教、という言葉を、にわかに当てはめても、本当の実像は湧いてはこないのではないだろうか。しかし、じゃぁ、どのように真実に迫るかというと、もともとネイティブな生まれではない人間にとって、その方法も限られてくるか、あるいは不可能といってもいいことになる。

 一部の部族---例えばチェロキー族では、先祖にチェロキー族の血が混ざっていることが確認できれば、誰でも正式なメンバーとして認められる。一方、少なくとも四分の一、あるいは八分の一の部族の血が流れていないとメンバーとは認めない部族もある。さらに、部族のメンバー資格を規定する別な規則を持つ部族もある。p26

 文字によって記録されず、写真による撮影もできない儀式などで構成される部分については、推測するしかないし、類推に頼らざるを得ないことも多い。でも、次第次第にその部分への関心はたかまりつつある。

 
20世紀の終わりに、先住民の文化に対する関心が、得に保留地内やアメリカ先住民の子孫たちの間で、復活した。今日では、より多くの人々が、自らをアメリカ先住民だとみなすようになている。若者たちは、自分たちの文化的遺産についてより多くを学ぼうとし、踊りに積極的に参加したり、異なる部族の人々が一堂に会するバウワウのような集会に出席したりするようになった。
 インディアン以外の人々もまた、先住民の文化や宗教についてより学ぼうとしている。アメリカ先住民の芸術家や職人の作品は、アメリカ・インディアン・ダンス・シアターのようなグループが、アメリカ先住民の文化を幅広い層の観客に届けている。
p170

 このブログでの読書はいささか、お気軽でおっちょこちょいな道筋を歩んでいるのだが、一市民が公共の図書館で活用できるような資料を通じて、どんなところまで行けるのか、もうすこし試行錯誤を続けてみようと思う。






Last updated  2009.02.11 10:14:53
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2007.08.24
カテゴリ:チェロキー

「アメリカのおいしい食卓」
徳井いつこ 2001/08 平凡社 単行本 198p
★★★★☆

 
「スピリットの器」1992、、「ミステリーストーン」 1997、「インディアンの夢のあと」2000につづく著者4冊目の本。発行が2001年8月だから、わりと新世紀のオープニングにふさわしい晴れ晴れとしたアメリカの雰囲気も伝わってくる一冊。ネットで検索する限り、これ以降、彼女の本はでていないようだ。あの世界を震撼させた9.11同時多発テロ以降の彼女の心境などを聞いてみたいところだ。

 タイトルから察すると、どことなくアメリカ食のレシピ集のようなニュアンスだが、ところがどうしてどうして、食文化を通じて、現代アメリカの側面をするどく抉り出している一冊になっている。中国系アメリカ人、フランス人、チョクトー・インディアン、黒人、アジア系移民、中東系、イラン人、アルメニア人、アーミッシュなどなどの話題が「食」つながりでどんどんでてくる。いわゆるアメリカという国の「多民族」性が、食を通じて鮮やかにあぶりだされる。

 クッキーの中におみくじをいれたフォーチュンクッキーの製造元を尋ねる取材は面白かった。中国人系の工場で作られているが、もとは日本人が始めたのではないか、というあたり、さもありなん、と感じる。私も一回だけ、アメリカでこのフォーチュンクッキーを食べたことがある。その時クッキーの中からでてきたメッセージは「みんなで手をつないで大きな輪をつくる。誰が最初で、誰が最後か」という「公案」だった。ネットワーク時代のことを考えてみると、意味深いご宣託であった。

 アーミッシュの人びとにふれたコラムも興味深かった。最近なにかの事件があり、にわかに脚光を浴びているアーミッシュの暮らしぶりだが、現実的に存在している地球上の文化のあり方として、珍妙でありながらも、なにかを現代に問いかけている感じがする。

 著者は文学や映画にも造詣が深いらしく、たびたび映画の話題がはさまれている。いわく「恋はデジャ・ブ」、「ダイハード」、「ユー・ガット・メール」、「偶然の旅行者」、「フライド・グリーン・トマト」、「リストランテの夜」、「スモーク」、「LAストーリー」・・・。このブログでは、図書館の視聴覚資料もすこしづつ利用してみようと思っていたところなので、映画の世界になんらかの足がかりができていくのは、うれしい。

 この本、多岐にわたった話題が込められているので、一括して感想を述べるのは難しいが、バークレーに集う人々のカウンターカルチャーの香りや、イスラム系の人びとの9.11前夜の雰囲気などもどこからとなく匂ってくる。やはり、著者の観察眼のするどさが光っている一冊といっていいだろう。

 巻末には、「おまけのレシピ」がついていて、10数種の料理を紹介している。どこまでも女性らしいやわらかい視線が印象に残る。 






Last updated  2009.02.11 10:16:41
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カテゴリ:チェロキー

  星野道夫の仕事.jpg
「星野道夫の仕事(第4巻)」 ワタリガラスの神話 星野道夫1999/04 朝日新聞社 単行本
★★★★☆


 図書館に行く楽しみのひとつは、いままで気がつかなかった素晴らしい本に出会うことである。新刊コーナーやいつも行くコーナーは大体目を通すのだが、返却本コーナーも意外と気がつかなかった本を見つけるいいチャンスになることがある。

 先日も何気なく、返却されてまだ一般書架に戻される前の本を見ていて、この本に出会った。この大版の写真集が7冊返却されてきたところだった。以前から見たいと思っていたのだけど、ことさら思い出してはいなかった。7冊の写真集を一気にめくってみて、その写真という技術の高さ、アラスカの動物たちのすばらしさ、大自然の尊さ、そして短いコメントに込められた淡々とした描写。圧倒された。

 何はともあれ一冊だけ借りようと思って、この第4集を借りてきた。どこが気にいったかというと、大自然の中の動物達とともに、地球の上に生きる人間たちもしっかり描かれていたところ。アラスカの地に43歳の命を散らした星野道夫。超絶した神々しさのなかに溶け込んでしまったような魂を感じる。

 
「星野道夫公式サイト」







Last updated  2009.02.11 10:18:40
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2007.08.22
カテゴリ:チェロキー

「カラーパープル」 
監督 スティーブン・スピルバーグ 出演 ダニー・グロ-バー/ウーピー・ゴールドバーグ 制作年 1985年 153分
★★★★★

 1850~90年代の西部劇より、はるかに現代に近い1910~40年代。大地の中の農場の話ではあるが、主人公達は黒人である。あまりに惨たらしい少女期を送る主人公。目をそむけてしまう。同じひとりの男として、申し訳ないと謝罪したい気持ちになる。

 転生魂・多火手にとってのチェロキー体験の風景は、西部劇の馬達との風景よりこちらのほうが近い。突如始まるジャズバンド。「セリーのブルース」が泣かせる。

 
1909年、南部ジョージアの小さな町で、少女セリーは2人の子供を出産するが、引き離され、ミスターという男の元へ嫁いでいく。奴隷のような生活を強いられ辛い毎日を過ごすセリー。心の支えであった妹ネッティの消息も途絶え、苦悩は深まるばかりであった。そんなある日、セリーはブルース歌手、シャグ・アヴェリの世話をすることになる。初めて人の愛に触れたセリーに、少しずつ明るい未来の予感が訪れる…。
アリス・ウォーカーのピューリッツァー賞受賞作を、巨匠スティーブン・スピルバーグが壮大なスケールで描いたヒューマン・ドラマ。「ゴースト」「天使にラブソングを」のウーピー・ゴールドバーグの映画デビュー作でもある。
 映画の紹介文より

泣いた。






Last updated  2009.02.11 10:20:22
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カテゴリ:チェロキー
コヨーテは赤い月に吠える.jpg
「コヨーテは赤い月に吠える」 ナバホ・インディアンと暮らして
本間正樹 1992/05 文藝春秋 単行本 246p
★★★★☆

 同じ著者による
「大地とともに」と同時期に前後して発行されているため、同じような体験が描かれている。ただ、あちらは子供向けで、こちらは、大人向け、という感じか。

 会社勤めを3年あまり体験した著者は、フラリと退社した。そして最初はインドへ旅にでるつもりでいた。ところが、知り合いのカメラマンの紹介で、ナバホのメディスンマン家族と一緒に住むことになる。

 
河合隼雄もナバホの地を訪れた時、「ジャパニーズ・メディスンマン」と呼ばれて、躊躇したという。著者もまた、若者でなにも知らないのに、「ジャパニーズ・メディスンマン」と呼ばれて、般若心経を唱えてあげたりすることになるくだりは多いに笑える。

 ナバホとアパッチの祖先を含むグループが、この大陸南西部へ移ってきたのは、紀元1000年から1400年の間といわれている。アパッチの祖先たちがさらに南下していったのに対し、ナバホの祖先たちはこの地で近隣のプエブロ諸族からトウモロコシや豆、カボチャなどの栽培を習って定着するようになる。人びとはその後数百年はたいして邪魔されるものもなく暮らしたが、白人の出現がそれを変えた。16世紀末にメキシコから進出してきたスペイン人は、ナバホの村を襲っては婦女子を誘拐し、奴隷にした。その報復としてナバホの人びともスペイン人を襲撃し、馬や羊を盗んだ。こうして襲撃と報復、略奪が延々と繰り返されていく。p142

 ナバホ・ファミリーと暮らしながら、著者は、ネイティブ・ピーポーの歴史や文化に想いを馳せる。特に後半は、19世紀のアパッチのリーダー・ジェロニモの生涯に想いを寄せる。

 ジェロニモは青年期に、メキシコ兵によって最初の妻と三人の幼児、それに母親を一度に殺されており、その復讐心に燃えて毎年のようにメキシコ兵を襲撃していた。現在はアリゾナ州とニューメキシコ州は当時メキシコに属していた。アパッチとメキシコ人とのあいだにはさまざまな接触があり取り引きもあたが、争いのほうが多かった。ジェロニモの属するチリカワ・アパッチのグループも、メキシコ人を相手に互いに奇襲、略奪、報復を繰り返していたらしい。アパッチの行動範囲であったメキシコのソノーラ州とチワワ州では、アパッチに賞金がかけられてもいた。p163

 ジェロニモについては、別な機会にもっと知ることもできるだろう。

 1980年前後と思われる著者の体験は、なんともほほえましくも感動的だ。






Last updated  2009.02.11 10:22:30
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カテゴリ:チェロキー
大地とともに.jpg
「大地とともに」 インディアンとくらして 
本間正樹 /菊池東太 1993/03 小峰書店 全集・双書 127p
★★★☆☆

 日本からナバホの大地に移り住み、インディアンの家庭の中でくらした著者が、少年少女向けに、やさしくネイティブ・アメリカンの暮らしを紹介し、実際に体験した仕事や儀式などをレポートする。環境汚染で悩む現代社会が、彼らから、大地や自然とともに生きる姿に学ぶべきことは多い。

 何代も伝わってきた暮らしぶりに加えて、最近の変化、とくに若い世代に見られている都市文明などのへの憧れを指摘し、筆者はナバホの伝統が消えつつあることを惜しむ。文字のないネイティブ・ピーポーの中から、次第に独自の言葉もなくなりつつあるという。


 
 「ナバホの言葉」

神々         イエイ
おとうさん      アタァ
おかあさん      シマァ
男の子        アシュキ
女の子        アテェド
あなた        ニィ
わたし        シィ
空          ヤァ
太陽         シャン
月          オルジェ
星          デベ
ヤギ         ヒィズィ
犬          セイチァン
ネコ         モスイ
コヨーテ       マイィ
こんにちは。     「ヤァテェ」
さよなら。      「アゴーネ」
ありがとう。     「アッヒヒェ」
はい。        「オウ」
いいえ。       「ドーダ」
だれが?       「ハェタ?」
どこに?(どこへ?) 「ハァティシャ?」
それはなに?     「ハァティシ?」
はやく!(いそいで!)「ハーゴォ!」「ハッコ!」 
p31






Last updated  2009.02.11 10:24:49
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