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2009年4月1日

地球人スピリット
・ジャーナル2.0


へ引越しました。

全108件 (108件中 51-60件目)

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バック・ヤード

2009.01.31
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「寺山修司幻想劇集」 地球空洞説 <1>
寺山修司 2005/09 平凡社 全集・双書 437p
Vol.2 No.520 ★★★★★

 書を捨てよ街にでよう 佐々木英明

 とあるブログを見ると、佐々木英明氏は青森の地で顕在だ。

 
死者田園祭 (田園に死す) 預告

 田園に死す 

 田園に死す - 惜春鳥

 寺山修司・・・・まさに駆け抜けた天才。

 Terayama Shuji -1

 Terayama Shuji -2

 Terayama Shuji -3

 Terayama Shuji -4

 語られなかった真実

 寺山修司 最後の二年間1/5

 寺山修司 最後の二年間2/5

 寺山修司 最後の二年間3/5

 寺山修司 最後の二年間4/5 ←見つからず

 寺山修司 最後の二年間5/5

 天井桟敷の「邪宗門」を観たことは、以前書いておいた。あれは「時空間」創刊号によれば1972年6月30日だった。

隊長 ということは、この真下、地表の裏側に、もう一つの杉並区があり、もう一つの高円寺があり、もう一人の私、もう一人の先生がいるということでありますか?

空洞学者 同じ風景はあるだろう。だが、そこには人間は誰もいない。

隊長 誰もいない? 杉並区があって、高円寺があって、そして、人が誰もいないのですか?

空洞学者 誰もいないのだ。誰もいなくとも、日は昇り、日は沈むのだ。そして、無の引力が、わたしを空洞の世界に引きつけてやまないのだ。
無の引力! 無の引力! わたしをひきつけられる。何もないのに。内容のない思想に。だれものってこない最終バスに。分別のない女、たとえば頭が空っぽの焼鳥屋のヨッちゃんに。中味のないピンポン玉。だれもいない空家に。(指さして)そう、だれもいない空家に。ダ、ダ、ダダーン・・・・・運命が扉を叩く。空洞がわたしを呼んでいる。空洞がわたしをよんでいる。・・・・
p170

 


<2>につづく






Last updated  2012.11.20 14:45:36
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<1>よりつづく 

  アメリカでOSHOが登録商標できなくなったというニュースがあったので、あらためて手元にあるOSHO瞑想CDのパッケージを眺めてみた。


OSHO evening2.jpg
1)「OSHO eveninng meeting meditation 」 
   こちらにはCopyright(C)(P)2008 OSHO International Foundation と明記してあり、聞きなれない新しい瞑想CDではあるけれど、OSHOのHPとも直結している限り、堂々の正規軍(爆笑)と考えていいようだ。



マハムドラー2.jpg
2)「MAHAMUDRA MEDITATION」  
   CDのカバーにはOSHOの文字がタイトルにはなっていないが、「NEDITATION FROM THE WORLD OF OSHO」となっている。「The World OF OSHO」というグループがあるのかも知れないが、「この瞑想は、The Book of Seacret:Copyright 1974,Osho International Foundationからの瞑想法です。」と明記され、HPではSANDESH (サンデッシュ)の作品であることが強くアピールされている。





bardo_CD2.jpg
3)「バルド瞑想」  
   このCDにもOSHOのタイトルは冠されていないが、「この瞑想CDは『死と生のプロセスのためのOSHOスクール』によって制作されました。」と明記されている限り、OSHO瞑想の一つと考えていいのだろう。ただ制作はスワミ・アナンド・ヴィートマンとはなっており、「このCDを無断で複製することは無断で複製することは法律によって禁止され、著作権の侵害となります。」と明記してある。だが、著作権などがどこにあるのかは、必ずしも明確ではない。



チャクラジベリッシュ.jpg
(4)「チャクラ ジベリッシュ瞑想」
   (C)2005 Leela、Prasad & Alvina、USA、となっているので、OSHOとはなんの関係もなさそうだが、販売元は「和尚アートユニティ」となっている。ネットオークションなどでは「チャクラジベリッシュ瞑想/ヒーリングガイド瞑想OSHOラジニーシ 」 など、誤解をまねくような表現もあるようだ。   
   


(5)「和尚の声でダイナミック瞑想」
 
  ググってみれば、このような瞑想法もあるようだ。っていうか、私も体験したことがある。日本においては「OSHO」は登録商標ではあるようだが、まさか「和尚」とは登録商標になっていないだろうと思う。それと「ダイナミック」も「瞑想」も登録商標にはなじみにくそうだ。しかし、このCDに吹き込まれている声はOsho本人とのことだから、著作権にひっかかる可能性はある。ただ客観的にこの声はOshoだと証明する手立てはさてあるのだろうか。

 個人的には海賊版とかが存在することに関心はあるが、ことOSHOダイナミック瞑想に関しては、音質も低く、時間も中途半端なこのCDよりは、通常のダイナミックのほうが私は好きだ。







Last updated  2009.01.31 18:31:35
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 大師のみ足のもとに.jpg


「大師のみ足のもとに・道の光」<1> 
神智学叢書
ジッドゥ・クリシュナームーティ /マーベル・コリンズ
竜王文庫  単行本  93p
発行年月: 1994年09月 初版1974年
Vol.2 No.519 ★★★★★

 この本もまた期せずして、忘れた頃に遠く1000キロも離れた図書館から転送されてきた一冊である。一緒にきたのが、ツォンカパの「吉祥秘密集会成就法清浄瑜伽次第」であったことも、なにかの因縁を感じる。

 クリシュナムルティ本は、リストは作ったものの、そしてかなりの量の本を借りてきたものの(もちろん手持ちも多数ある)なかなか当ブログとしての読み込みは進まない。同じころにリストを作ったグルジェフ&ウスペンスキー関連本は比較的一冊一冊に、めりはりのある個性があり、退屈しないのだが、クリシュナムルティは、ある時期以降は、かなりモノトーンで、一気に読み込むのはキツイものがある。

 しかし、この本は特別であろう。なにせ、クリシュナムルティ13歳の時の「処女作」ということになっているのだから。出版されたのは1910年。アニー・ベサントの序文がついている。Oshoの「私が愛した本」によれば、この本を書いたのはクリシュナムルティではなく、このアニー・ベサントである、ということになる。もっともOshoは「禅宣言」では、別な言い方をしている。

 彼(クリシュナムルティ)の最高の本のひとつに「大師の御足のもとに」がある。この本が出版されたのは、彼がわずか13か14のときだった。それはほかでもなく、14の歳でこんなに素晴らしい本が書けるということを世に示すためだった。でもそれを書いたのは彼ではなかった。それを書いたのはリードピーターという人間だった。リードピーターは彼の個人教授のひとりで、東洋の宗教を非常に深く究めた学者だった。「禅宣言」p19

 いずれ神智学グループの側近たちによるものであることは間違いないようだが、Oshoの発言にも「私が愛した本」(1980年)、「禅宣言」(1989年)、とブレがあるようだが、客観的にはどちらとも確定することは難しそうだ。クリシュナムルティ本人もこの本の出自については、明確な対応は残していない。ただ、そういう経緯だったとしたら、たとえば、今東光などは1970年代まで、まんまと彼らのマヌーバー(方便)に乗っかっていたことになる。

 このようなチャネリング本に対する対応は難しい。クリシュナムルティがチャネリングしたのは、マダム・ブラバッキーが接触したとされる肉体を持たないアデプトKH(クート・フーミ)だということだが、そのチベットの奥地については、1900年代初頭にはまだまだ神秘のベールをかぶっていた。モリヤ大師とか、さまざまな名称も列記されているが、当ブログでは、その読み込み方には十分眉唾であってしかるべきだ、という態度を取り続けている。

 便宜上、「アガルタ探検隊」などを装ってはいるが、徹底した唯物的科学マインドや、社会科学的なジャーナリストの視点をも合わせ持とうとする当ブログにおいては、このようなエソテリック話は、ほとんどが低俗な茶番に終わってしまうことが多い。だから、いわゆる最近の書店を飾っているようなオカルト本には、ほとんど信をおいていない。

 しかし、これら一連の情報物たちを投げ捨ててしまうのはあまりに惜しいとおもっている。ミステリーやファンタジーの一種として読む込むのも悪くはないだろうし、不可知論に重点をおく神秘家的態度もまた当ブログには欠かせないものであってみれば、一度はじっくりこの世界を読みこむ必要を感じてはいる。

 それにはどのような立場で読むか、ということになる。現在のところ一案としてあるのは、1931~1953年に北米においてチェロキー青年として生きたアガータ多火手の背景を理解する手立てとして、読み込むという方法である。当時、まだチベットはまだまだ神秘のままだった。なにも知らされていないに等しかった。そしてまた、彼がその麓で交通事故死したシャスタ山についても、詳しいことはほとんど知らされていなかった。彼は一体どのようなマインド構成で生きていたのか。そこのところを説くカギとしては、当時の神智学的流れを理解しておく必要があるだろう。

 当時はKHなどと言って、言い逃れもできた。しかし、すでにチベット密教についての多くのことが公開されている。今手元にあるツォンカパの「吉祥秘密集会成就法清浄瑜伽次第」なども、いままではほとんど一般には公開されてこなかったチベット密教最奥の秘密である。21世紀の現在、安手のマヌーバーに逆行してはいけない。科学的マインドも多いに活用されなくてはならない。事実関係をしっかり見つめるジャーリスト的態度も必要とされる。そして、それでも更に残されている人生の神秘を、新たなる純粋な若々しい目で見直す必要がある。

 

<2>につづく







Last updated  2011.01.10 10:26:44
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2009.01.28
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「心の迷妄を断つ智慧」チベット密教の真髄
チョギャム・トゥルンパ /宮坂宥洪 2002/03  春秋社  単行本  277p 
Vol.2 No.518 ★★★★☆

 いったん21のカテゴリを閉めるために、すでに新規の読書は止めている当ブログではあるが、予期せずして、かなり以前にリクエストしていた本が、ようやく今になって到着したりすることがある。この本がその一冊。

 トゥルンパについては、何冊か目を通してみた。

「チベットに生まれて」 或る活仏の苦難の半生 武内紹人・訳 1989/1 人文書院 原書 BORN IN TIBET 1966

「仏教と瞑想」 1996/4 UNIO 青雲社 原著 MEDITATION IN ACTION 1969

「タントラへの道」 精神の物質主義を断ち切って 風砂子・デ・アンジェリス・訳 1981/10 めるくまーる社 原著 1973 Cutting Through Spritual Materialism

「タントラ 叡智の曙光」タントラ仏教の哲学と実践 H・V・ギュンター 宮坂宥洪・訳 1992/8 人文書院 原書1975 The Dawn of Tnatra

「タントラ 狂気の智慧」 高橋ユリ子+市川道子・訳 1983年 原書The Myth of Freedom 1976

「シャンバラ」勇者の道 澤西康史 2001/6 めるくまーる 原書 SHAMBHALA The Sacred Path of the Warrior 1984

「チベットの生きる魔法」 ぺマ・チョドロン えのめ有実子・訳 2002/2 はまの出版 原著THE PLACES THAT SCARE YOU 2001

「心の迷妄を断つ智慧」宮坂宥洪・訳 2002/03 春秋社 ILUSION'S GAME・The Life and Teaching of Naroopa

 当ブログの進行状況の中で、トゥルンパのイメージはだいぶ変化してきた。特に正木晃一連の書物からチベット密教をながめてみた場合に、トゥルンパの特殊な立場と個性、そして、現代のチベット密教の中で彼が占めた位置、そのようなものについて、もういちど再認識を迫られる。

 1969年にチュギャム・トゥルンパはブータンを訪れ、そこでブータンの唯一の瞑想施設に入った。この施設で彼の教授法に重大な変化が生じた。引き返すやいなや、彼は俗人となった。僧衣を脱ぎ捨て普通の洋服を着るようになった。しかも若いイギリス人女性と結婚し、一緒にスコットランドを離れて北米に移住した。 p269「著者について」

 1940年生まれのトゥルンパ、29歳の時のことである。ブータンについては、今枝由郎の「ブータンに魅せられて」「ブータン仏教から見た日本仏教」を興味深く読んだ。あるいはちょっと難しかったが「ブータン中世史」にふれることができたことは貴重な体験だった。国民総幸福(GNH)世界一のブータン。ここでチュギャム・トゥルンパはなにを見たのだろう。

 この本において、ナロパの六法に触れられている。p84 その順序は「幻身」、「夢」、「バルド(中有)」、「内なる火(トゥモあるいはチャンダリー)」、「意識の転移(ポワ)」、「光明(ウーセル)」」の順序になっている。これは「ツォンカパ チベットの密教ヨーガ」でみたものとは順序が違っている。

 1940年に生まれ、転生活仏として徹底した教育を受けたとは言え、18歳の時、1959年にチベットを追われたトゥルンパは、実に稀有な人生を送った。この本の問答は1972~3年にアメリカで行われているので、当時まだまだ33歳の青年である。そしてまた、質問者たる学生たちはさらにもっと若い人々であった可能性が大である。いかに題材がナロパの教えであろうと、ティロパがナロパに直伝した「マハムドラーの詩」のような至高の極みを感じることはできない。

 しかし、この本自体はトゥルンパの死後7年経過した1994年の段階で、アメリカのシャンバラ出版から英語版が出され、さらに5年後の2002年に日本語訳が出たことを考えると、関係者たちがこの本に忍ばせた思いがひしひしと感じられる。







Last updated  2009.01.29 08:57:26
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<オープンソースと著作権を考える、3冊>


             


「フリーソフトウェアと自由な社会」Richard M.Stallmanエッセイ集 <1>よりつづく
リチャード・ストールマン /ロングテール 2003/05 アスキー・メディアワークス 単行本 375p


「それがぼくには楽しかったから」全世界を巻き込んだリナックス革命の真実 <ウェブ進化論017>よりつづく
リーナス・トーバルズ /デイビッド・ダイヤモンド 2001/05 小学館集英社プロダクション
単行本 383p

「IBMのLinux戦略」 エンタープライズLinux技術のすべて
日本アイ・ビー・エム株式会社 2003/12 アイ・ディ・ジー・ジャパン 単行本 233p
Vol.2 No.517 ★★☆☆☆

 「プレスリリース 最新情報」として「最近、米国特許商標局が商標にかんして判断を下し、「OSHO」はアメリカ合衆国内では商標として登録することができない、ということが決まりました。」というニュースが流れた。

 この決定に関して、当ブログは直接的な利害関係は何もないが、ふと思い出したのが、リナックスやオープンソースのことであった。ことはコンピュータ上のプログラムのことであり、また、その時々の関与者たちのパーソナリティに大きく影響を受けた問題であり、関連して考えることは必ずしも適切ではない。しかし、少なくとも当ブログにおいて、Oshoを考えるときには、このオープンソースの考え方を参考にしてきたことは間違いない。

 それは、「OSHOmmp/gnu/agarta0.0.2」というカテゴリ名のなかにgnuを入れているところかも察することができるだろうし、「オープンソースを理解する」などの関連書を複数読みこんできたことでも判断できる。しかし、さて、このオープンソースの考えたが、ネットワーク上の技術的な分野からさらに拡大して、いわゆるスピリチュアリティの範囲へ活用できるものだろうか、というのが当ブログの問題意識であった。

 このテーマに関しては結論がでていないが、当ブログの主張は、できる、というものである。つまり、人間のスピリチュアリティは、誰に独占されるものでもなく、束縛されるものでもありえない。あるいは、ひとり、ふたり、さらに多くの人々がかかわりあって、さらに大きな、つまりグローバル大のスピリチュアリティへと拡大し得る、という予測であり、そうあるべきだ、と主張している。

 最近誕生した新アメリカ大統領が、宣誓式において、リンカーン大統領が使った聖書を用いたということが話題になったが、当ブログはそのことについては、全然感動していない。アメリカはキリスト教国なのか。3億に達した国民全員がクリスチャンなのだろうか。あるいは、フセインのミドル・ネームを持つオバマ氏自身、クリスチャンなのだろうか。

 オバマ氏は、アメリカの大統領なのであり、地球政府の大統領ではないので、なにもそこまで追求することもないだろうが、少なくとも、この地球上において、スピリチュアリティを語る時に、地球全体を代表する人物が宣誓すべきは、聖書に対してではないだろう。

 もちろん、それはコーランとか般若心経とか、共産党宣言とかでもないだろう。新しいグローバル時代には、新しいスピリチュアリティが存在すべきなのだ。地球人たちは、その、まったく新しかるべきスピリチュアリティを象徴するものを、残念ながら、まだ持ち合わせてはいない。

 リーナス・トーバルスは、自ら創り出したOSを最初はフリークス(FreaX)と呼んでいた。それは何と呼んでもいいものだから、名前はなんでもよかったのだ。でも友達のアドバイスもあり、それはリナックスという名前になった。そして、将来的に、この名前がもっと変化していくこともありうるだろう。

 リチャード・ストールマンは、それをGNU/Linuxと呼ぶべきだと主張している。ストールマンが語るフリーソフトウェアのGNUというルールに基づいて開発されているからだ。そこにはコピーライトなどの独徳な哲学がある。

 このように発展してきたリナックスも、IBMなどにかかれば、オープンソースという言葉の新たな解釈により、さらなるエンタープライズ・ソフトとしてさらに拡大を見せている。ここにあげた三冊は、すでに何年も経過してしまった本ではあるが、方向性を把握するうえでは、必読書とも言える。

 「オープンソースを理解する」では、優秀なプロジェクトマネージャーの必要性を強く説いている。上記の理念があっても、具体的なソースとなる部分や、マネージャーの愛されるべきキャラクターが重要な要素だと見ているのだ。

 Linuxという名称は、トーバルス自身において確か登録商標化されていると記憶している。それは独占的に排他的に使用するというものではなく、悪意ある第三者からの、そのような侵食を避けるためである。

 しかるに上記のOSHOという名称も、世界各地ですでに40カ国において登録商法化されているということだが、今回アメリカの司法が判断したところが、今度どのような影響を与えていくのかは、まったく予断が許されないところだ。グッド・ニュースなのか、バッド・ニュースなのか、今のところ判断がつかない。

 ただ言えることは、OSHOという名称に関わる多くの人々が、ウィリアム・ブレークの詩の中にあるOceanを意識しており、小さな雨粒が次第に小川となり、さらに大河となって、ひとつの大きな海原に溶け込んでいくという、イメージを持っていることである。

<2>につづく







Last updated  2009.01.31 18:15:51
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2009.01.25
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<18>からつづく

「英知の辞典」 <19> OSHO

 

 芸術 ART

 私の全アプローチは、科学は召使であり、宗教が主人だというものだ。宗教が究極の価値にとどまらなければならない。宗教は科学に対立しない----科学が宗教に到る道を整える。そして芸術は主人と召使を仲介する者となるべきだ・・・・家の管理人に。

 芸術は橋だ。誰かが何不自由ない暮らしをし、何でも必要なものが手に入るとき、芸術がなくてはならないものになる。こんなふうになぞらえてみるといい----科学は肉体であり、芸術は心(マインド)であり、宗教は魂である、と。肉体的な要求が満たされたとき、心は何かを求めはじめる----よい音楽、絵画、芸術、彫刻、小説、詩などといったものを。肉体が満たされたとき、心は新たなものを求めはじめる。体の要求が満たされて初めて心の要求が起こってくるのであって、けっしてそれ以前ではない、。それはより高い要求、心の要求だ。

 ベートーベン、ワーグナー、モーツァルトを求めること、あるいはシェークスピアやミルトンを求めることはより高い要求だ。パンを求めるのは低いほうの要求だ。イエスが「人はパンだけで満足することはできない」と言うとき、彼はこのことを言おうとしている。確かにパンは必要だ----彼はパンなしでも満足できると言っているのではない。誰にもそれはできないし、イエスですらパンを必要としている----だが、それだけでは充分ではない。

 パンを手に入れてしまえば、いったんあなたの胃袋が満足したら、心のなかには新たな要求、より高い要求が起こってくる。あなたは美しい音楽、詩、歌、ダンスを欲しがるようになる。ほかにすることがあるだろうか? 肉体が満たされると、心理的な要求が起こってくる・・・・。

 だから階層(ヒエラルキー)がある----科学が基礎であり、芸術は寺院の建物であり、宗教は黄金の尖塔だ。

 
FOR BEYOND THE STARS
p185

<20>へつづく







Last updated  2009.02.12 00:13:05
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<17>からつづく

「英知の辞典」 <18> OSHO

     政治 POLITICS

 私の政治家たちに対する態度は、彼らはみな病んでいる人たちだというものだ。彼が全体主義者(ファシスト)だろうと、資本主義者であろうと、共産主義者であろうと、問題ではない。政治家は病んでいる人だ。彼はひどく暴力的だ。さて、彼の暴力は多くの形を取りうる。彼はアドルフ・ヒトラーになりうるし、毛沢頭にもなりうるが、どちらも暴力的な人物であり、どちらも社会は暴力を通じて変革されねばならないと信じている。誰かが社会を力づくで変革しなければならないと信じているとき、彼は狂っている。人々を説得することはできるし、人々に説明することはできるが、彼らに強制することはまさに狂気だ・・・・・たとえ彼らのためにと強いるのであれ。強制は強制だ・・・・。

 私は毛沢頭は”なにひとつ”よいことをしなかったと言っているのではない----そうは言っていない。私はが言っているのは、たとえ人々のためであれ、彼らに強いるのはよくないということだ。暴力は間違ったことであり、誰であれどのような形でも他の人々の生命を手段として使うべきではない。誰しも自分自身が究極的な目的であるのだから・・・・。

 私は個人は信じるが、社会は信じない。私の全面的な敬意は個人に向けられており、社会に向けられてはいない。社会を個人の上位に置く、すべてのもくろみは危険だ----それが全体主義(ファシズム)であれ、社会主義であれ、資本主義であれ、共産主義であれ、違いはない。

 どのような体制であれ、個人よりも社会のほうが重要だとするのは危険な哲学だ。それは個人を殺す。真の実体は個人にあり、ほんとうに生きているのは個人だ。社会とはただの名前にすぎない。    OSHO

  
THIS IS  IT!
349p

<19>につづく







Last updated  2009.10.19 21:24:29
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年賀状あれこれ2009


 本日はお年玉年賀はがきの抽選日なので、あらためて正月に届いた年賀状を一枚一枚みなおしてみた。感想はさまざまだが、昨年の「年賀状あれこれ」の雑感とそれほど変わらないことに気がついた。

K氏.jpg

 今年は丑年であり、今年は何匹の牛が我が家にやってきたことだろう。ほとんどの年賀状が干支のデザインを使っている。そのなかでも、毎年、わが女房殿に人気が高いのがK氏の年賀状。どこかキラリと光るセンスがある。

 団塊の世代生まれのK氏は、公務員を退職後、昨年から某大学の教授となって、教鞭をとっておられる。このような人生もあるのだなぁ、と、感心させられる。今年はしっとりとした「丑」一字。重みがあります。

N氏.jpg

 こちらも、センセイはセンセイでも、ボディワーカーのN氏。一番シンガリに届いた一枚ではあるが、このイラストは、どうやら正月元旦の所感らしい。なんとも意味不明だが、なんだか心が軽くなるような、明るさがある。

 あの口数がすくなくて、静かな氏の中の心のなかには、こういう図が湧き上がっているのか、とマジマジとみつめてしまった。

 

Y氏2.jpg
 
 こちらは、昨年も触れたY氏の年賀状。丑年?とくれば、やっぱり「十牛図」でしょう、という発想は、私と近い。しかしながら、十牛図は一般にはあまり知られていないのか、ここまで十牛図を書いてくれたのは、この一枚だけ。

 この十牛図すごろくのなかで、彼はいまどこにいるだろう。1、2、3は通り過ぎたことは間違いない。4、5、6の葛藤も体験したはずだし、7だって、8だって、9だって、その絵の意味していることは知っている。そして、十牛図の10番こそがこの十牛図のキモだってことも確認ずみ。だけど、やっぱり、また正月でもあるし、お互い、新たなる十牛図の1番から再スタート、かな。


S先生.jpg

 こちらは、昨年も触れた、御年94歳になられるS先生。生物の先生だが、精神世界について教えられることも数えきれない。「折に触れ宝慶記と心経の中の対句を口ずさむようになりました」とのこと。私には、どうやら、『宝慶記(ほうきょうき)』とは、入宋留学時に、道元が師の如浄に疑義を質した記録らしい、ということが分かる程度。

    身心脱落

    脱落身心

    色即是空

    空即是色


  視力にややご不自由な点があるものの、年に何度かの国内旅行もされている様子。ますますお健やかで、今後とも私たち後進のご指導をお願いいたします。

南部鉄.jpg
 我が家の年賀状のデザインはいくつかあるのだが、ひとつのヴァージョンは、この南部鉄の置き物。知人の古書店に行ったときに、静かに迎えてくれた。さっそく譲ってもらって、ずっと我が家の床の間を守ってくれている。

 上の十牛図で言えば、6番の「騎牛帰家」にあたるだろうか。牛にのって、我が家に帰る。当ブログがサイレンスに帰るなら、8番でもいいだろうし、永遠の探究者なら2番でも、3番でもいいだろう。10枚の絵を一枚一枚を見ていくと、結局どこでもいいじゃん、と思えてくる。10枚あってこその一枚一枚だ。そして円環している。そして、その中でも、10枚の絵を素直に象徴してくれているのが、この牛と少年の絵だろうか・・・・。







Last updated  2009.01.25 11:27:11
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2009.01.24
2009.01.23
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レスポンスのあった著者たち


 気まぐれに始まった当ブログではあるが、たまに人々の目に触れることもあったらしい。いつの間にか読書ブログ化し、現在までのところ1500冊ほどの本をめくってきたが、著者、翻訳者、出版社、関係者、ご家族の方、などからレスポンスをいただいたこともある。その数、二桁に昇るが、今回はその中のお三方について触れておきたい。

 レスポンスとは言っても、ひとこと書き込みがあった程度なのだが、ひとり黙々とモノローグを続けていると、本当にびっくりするやら、うれしいやら。あ、読まれている、というリアリティが湧き上がる。その話題にもっと集中すればよかったのだが、行きがかり上、次から次へ話題は変化しつづけてきた。いつかは、もっと掘り下げて、ダイアローグができるようなブログになりたいとも思う。

 振り返ってみて、ちょっと強引なまとめだが、ここに挙げたお三方は、偶然にも、当ブログにおけるプログラマ、ジャーナリスト、カウンセラーの三ジャンルに該当するかのようにも見えたので、そのまま強引さを押しとおすことにした。

 



岩谷宏.jpg

「リナックスの哲学」 
      岩谷宏氏 プログラマ

 この方をプログラマとしてご紹介するのは、いささか矮小化しすぎるとは思うが「リナックスの哲学」や「JAVAの哲学」、などがあり、必ずしも失礼には当たらないだろう。ご本人ではなく、ホームページを作成しているご家族からレスポンスがあった。

 岩谷宏関連リストをみると、パソコンが一般化する前からその可能性を指摘してきたその先見性はおおいに評価される。著者独特の歩みを続けてこられているわけだが、あえて、注文を付けるとするなら、今度は「瞑想としてのインターネット」というような本でも書いてほしいと思う。当ブログはそちらの方向を手探りで模索している。


 

スポンタ中村.jpg


 

「サイバージャーナリズム論」 
     スポンタ中村氏 ジャーナリスト

 この方も、単なるジャーナリストとして紹介するのは正しくないかも知れない。しかし、当ブログにおいては、ジャーナリズムを「芸術」分野のひとつの表現形態として取り上げており、今村昌平映画学校に在籍していた経歴があるこの方は、パブリック・ジャーナリストでもある。この方には何度もコメントをいただいた。

 ブログにもジャーナリズムにも、人並みに関心のある当ブログではあるが、最も関心あるのはジャーナリズムではない。敢えていうなら「サイバーメディテーション論」とでもいうべきジャンルだ。いや「論」はいらないだろう。むしろ実践としての「サイバーメディテーション」とでもいうべき世界なのだが・・・。

 


奥野卓司.jpg 
            
「日本発イット革命」
      奥野卓司氏 カウンセラー
  
 この方をまたカウンセラーとして取り上げるのもいささか不適当であるかもしれない。しかし奥野卓司関連リストの著書を拝見しているかぎり、、必ずしも当たらずとも遠からず、という感じが強くなる。多才な方なので、どのような肩書でも受けてくれそうだ。カウンセラーというよりコンサルタントというべきか。
 

 当ブログにおいて、カウンセラーとは生死の問題をも扱う人というテーゼがある。たまたま、彼が奥さんを早く亡くされたということが、私の中では、同じ境遇の、チベット密教研究者の正木晃や、「インテグラル・スピリチュアリティ」のケン・ウィルバーとどこかでつながってしまった。この方には、「地球発メッド革命」でも書いてもらいたい。メッドとはもちろんmeditationの略称である。







Last updated  2009.01.24 00:53:12
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abhi@ Re:編集雑記(07/25) お疲れ様。 新ブログ立ち上げたら教えてく…
Bhavesh@ Re:極秘捜査 警察・自衛隊の「対オウム事件ファイル」(03/03) 私は、最近になって 、そう2015年頃になっ…
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