地球人スピリット・ジャーナル1.0

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2009年4月1日

地球人スピリット
・ジャーナル2.0


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チェロキー

2007.08.21
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カテゴリ:チェロキー

「許されざる者」 
監督:主演:クリント・イーストウッド 130分 1992
★★★★☆

 こちらも
「アメリカ・インディアン 奪われた大地 」のリストに載っていたのだが、どうやら、同じ日本語タイトルでの別映画らしい。もう一本のほうの「許されざる者」は1959年作。ストーリーもまったく違う。1959年作にはネイティブ・ピーポーも出演しているらしいが、1992年作には、ガンマンの妻として、ひとりのネイティブ女性がひとりでてくるだけだ。

 しかし、1992年というと「ダンス・ウィズ・ウルブズ」1990年のあとにでた映画だ。それにしてもこの年代においても西部劇が作られている、ということに驚く。そのカテゴリに相当の人気があるのだろう。見ていても面白い。なんとも泣かせられる。現代の作品だけに現代人の心理を衝くような形の作品に仕上がっている。

 
19世紀末の西部。若い頃は、何も考えず、動くものは女でも子供でも撃ち殺した、と語るウィリアム・マーニーは、かって列車強盗などで名を馳せた伝説的なアウトローだった。しかし、11年前に妻に出会ったことで改心し、銃も捨て、酒もやめた。今では、その妻とも死別して二年、幼い子供二人を抱え、人里離れた土地で、貧しいながら自給自足の小さな牧場を営んでいた。
 或る日、そんな彼のもとに、冷酷無比のマーニーの伝説を聞き込んだ、スコーフィールド・キッドと名のる若いガンマンが訪れ、賞金稼ぎの話を持ちかける。 
映画の紹介文より






Last updated  2009.02.11 10:27:22
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カテゴリ:チェロキー
ナバホの人たちに聞く.jpg
「ナバホの人たちに聞く」 「月刊たくさんのふしぎ」第163号 
ぬくみちほ・他 1998年 福音館書店
★★★★☆

 
ぬくみちほが少年少女むけにナバホを紹介する一冊。表紙の砂絵が珍しく、なんともパワーを感じる。原寸大のナバホの人びとの生活風景が親しみを込めて描かれている。視点が子供達だけに、肩肘こらない一冊。NHKテレビ「鶴瓶の家族に乾杯」みたいな親しみ易ささえ感じる。






Last updated  2009.02.11 10:29:03
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カテゴリ:チェロキー

「幌馬車」1923年度作品)
監督(製作スタッフ): ジェームズ・クルーズ 出演者: ジョン・ウォーレン・ケリガン、ロイス・ウィルソン、他 67分 白黒 無声映画
★★★☆☆

 
「アメリカ・インディアン 奪われた大地 」中で、「スクリーンのインディアン」p186西部劇の草分けとして紹介されている。なんせ製作が1923年(1924年とも)。白黒映画であるばかりか、無声映画であり、ストーリーや重要な台詞は英語版の文字がアップされる。

 19世紀半ばのアメリカ西部。肥沃な大地を目指す幌馬車隊が、大自然の驚異や白人に恨みを抱くインディアンの待ち伏せなどの障害を乗り越えながら旅を続けていく様を、壮大なスケールで描く。アメリカ西部の雄大な自然の中に人間の愛憎劇を織り込み、無声映画史上に金字塔を打ち立てた西部劇の名作。映画の紹介文より

 インディアンたちも登場し、細かい民俗表現はないものの、彼らの立場を表明する映像もはさまれている。時代背景は1850年代。まだまだ、インディアンと白人が、空と大地の間で拮抗している時代であり、私達の2~3世代前までは、このような生活が行われていたのだ、という極めて貴重な資料ともなる映画だ。






Last updated  2009.02.11 10:31:36
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2007.08.20
カテゴリ:チェロキー
ネイティブ・マインド.jpg
「ネイティブ・マインド」 アメリカ・インディアンの目で世界を見る
北山耕平 1988/12 地湧社 単行本 352p
★★★★★

 いまや日本を代表するネイティブ・スピリットの紹介者にして、実践者である北山耕平のほぼ処女作といっていいだろう位置にある一冊。著者は1976年に初めてアメリカにわたり、1979年2月、チェロキーのメディスン・マンである、ローリング・サンダーと出会っている。その出会いなどを1986~1988年に雑誌に連載し、その記事が骨子となって、本書ができている。

 1991年には共訳書
「ローリング・サンダー」がでており、このブログでも読書中だが、まだ読了していなかった。また著者にはブログ「ネイティブ・ハート」があり、最新刊「ネイティブ・アメリカンとネイティブ・ジャパニーズ」太田出版がある。

 1970年代の著者は、当時では政治色を廃して、よりカウンター・カルチャー色を前面にだした月刊「宝島」の編集者として有名だった。1975年の日本は、ある意味、一つの分水嶺だった。反体制色のつよかった団塊の世代は、会社員や公務員という形で体制のなかに組み込まれていくか、それを良しとしない強い意志をもった「硬派」の青年達の多くは、アメリカへ、インドやネパールへ、ヨーロッパへと旅立った。北山は、アメリカに旅立った。かくいう私は、著者より5歳年下だが、77年にインドへと旅立つことになった。

 あの頃の自分のことを思い出す。アメリカへ行く、という選択肢もあったのに、どうしてインドへと行ったのだっただろうか。もし、あの時、アメリカへ行ったら、著者のような縁で、ネイティブな人々との出会いの世界へと進んでいったのだろうか。しかし、歴史に「もしも」はない。私には私の縁の旅があり、因と果があった。

 このブログのタイトルは、最初はいろいろ右往左往したのだが、結局現在は「地球人スピリット・ジャーナル」というところで落ち着きを見せている。今後もまた変わっていく可能性もあるのだが、このタイトルに多少でも整合性があるのなら、実は、そのイメージは、著者が紹介しているネイティブ・ピーポーの世界観に大きく依拠しているところがある。

 
こうやって私の、まさしく「人間になるための」勉強がはじまったのだ。
 私がひとりの人間としてしっかりと地球の上に立つためには、なんとしてもそのやり方を知っている人と会わなくてはならない。ネイティブ・ピープルのなかでも私の知りたいようなことを知っている特殊な人たち。私はどうしてもメディスン・ピープルに会わなくてはならなかった。その人は私以上に私のことを知っているはずなのだ。私がなぜ、どういう経過を経て、今ここに存在しているのか。なぜかくもアメリカ大陸に大昔からいる、そしてけして消えない人びとのスピリットに惹かれるのか、その理由が知りたかったのだ。
p32

 私は、「ひとりの人間としてしっかりと地球の上に立つ」というイメージは大好きだ。いままで地球人というイメージはまさにこの通りだった。しかし、最近は、どうやら、ひとりの人間として地球の上に座っている」というイメージのほうが好きになってきた。「立って」いるのなら、地球と人は、「足」でつながっている。しかし、「座って」いるなら、地球と人は
「肚(はら)」でつながっているのではないか。そちらのイメージが強くなってきた

 そして、本書でも見られる「母なる大地」「父なる大空」「グレート・スピリット」という時、著者が紹介する時には、人間そのものの外側に存在している大地や空のイメージがあるが、グレートかどうかはともかくとして、スピリットに関しては、人間の内部に存しているもの、というイメージを持っている。

 著者においても、たくさんの変遷をたどってきているのであり、膨大な部族や氏族の中にはさまざまな表現形態があるのだから、一把ひとからげにはできるはずもないが、それらのイメージが近著においてはどのように変化しているのか知ってみたいと思う。

 とくにネイティブな視点から、このブログでも大きなテーマとし取り上げているインターネットの発達やシンギュラリティについて、なんらかの言及があるだろうか、と期待しているところだ。

 ネイティブ・ピープルの「聖なる道」を現代という時間のなかで理解するために、前節のなかで、宗教の定義をいま一度改めて考えてみた。その際私は、「スピリチュアル」という言葉を無意識に用いている。もちろんスピリチュアルというのは「スピリット(精霊)」が存在するという大前提から生まれ出た言葉である。しかしスピリチュアルという言葉が日本語になると「精神的」「霊的」といったふうに意味が二つに分けられてしまう場合がままあり、私はそれらを二つの意味するものをあわせる意味で、スピリチュアルという言葉をここでは使っている。p91

 後半においてはスピリチュアルな実践の道である「ヴィジョン・クエスト」について、詳しく述べられている。青年向きの指導書の赴きもある。






Last updated  2009.02.11 10:34:01
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カテゴリ:チェロキー

「エルダー兄弟」 
主演:ジョン・ウェイン 監督:ヘンリー・ハサウェイ 製作年 : 1965年 121分
★★★☆☆

 映画の感想を書くのは難しい。特にコメントを記さなくても、その映画を楽しんだのなら、それでいではないか、と、そんな感じがしてくる。アメリカン・ネイティブ・ピーポーの姿を求めて、西部劇を見てきたが、必ずしも、その姿を見つけることはできない。この映画もそうだった。

 しかし、何本もの西部劇を見ていると、それなりに面白さが分ってくる。最初は目をそむけていた銃撃戦も、いつものパターンだな、と分れば、そんなに深刻になるほどもでもなくなってきた。それにジョン・ウェイン主演ものを重ねて見ていると、彼のかっこよさ、ダンディズムに惚れ惚れとするようになってきた。身長193センチに達する大男。その身の軽さ、勇敢でデリケート。

 もっと西部劇の視聴覚資料が残っていたら、懲りずにまた見たいな、なんて思っている。それに、何本も続けてみていると、すこしづつだが、英語が聞き取れるようになってくるから不思議だ。






Last updated  2009.02.11 10:35:54
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2007.08.19
カテゴリ:チェロキー

11人のカウボーイ.jpg
「11人のカウボーイ」
主演: ジョン・ウェイン 監督: マーク・ライデル 143分 The Cowboys (1972)
★★★☆☆


 1972年製作作品であり、子供達が主人公の映画だ。まさにカウ”ボーイ”映画。いままで見てきた「西部劇」は、当然ながら、すべて決闘や打ち合い、殺し合い。でもこの映画は途中まで、まるで「ハリーポッター」のような雰囲気で、ポエジーのように進行する。牛達を移動させる仕事のなかで少年達が成長していく。

 最後までこのまま終わってほしかった。異色西部劇、という触れ込みなのだから、まるで童話のようなファンタジーのような西部劇が、あってもいいじゃないか。なんとかこちらの気持ちが伝わっているかな、と思うのも中ごろまで。ひとりの少年が事故で死亡する。そのあたりから、不吉な予感がし始める。

 大体において、殺し合いとかピストル合戦やチャンバラが嫌いな人間が、なにも無理して西部劇を見なくていいのではないか。そう言われてしまえばそれまでのことなのだが、なぜか見ている。最後の最後の意外な展開。フィクションでしょう、物語でしょう、エンターテイメンでしょう、と言われればそれまでのことなのだが、割り切れないまま、見ている。







Last updated  2009.02.11 10:37:19
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カテゴリ:チェロキー
OK牧場2.jpg
「OK牧場の決斗」
出演: バート・ランカスター, カーク・ダグラス, ロンダ・フレミング 監督: ジョン・スタージェス 製作1956 日本公開1957
★★★☆☆

 いまやガッツ石松の迷
「人生はOK牧場!」ですっかり定着した感のあるOK牧場だが、直訳すれば「OKコラルの銃撃戦」となる。wikipediaによれば「コラルとは、家畜の囲いを意味し、牧場の畜舎を指すこともあるが、ここでは、貸し馬や馬を預かったりするこの時代特有の商売所だった」ようだ。1881年10月26日、アリゾナ州トゥームストーンのO.K.コラル近くの路上で起こった銃撃戦。

 1881年は日本で言えば明治14年。この映画で見る限り、日米の文化の違いは当然あるとしても、旧世代の人間達を見るような懐かしい気分になる。ネイティブ・ピーポーは出てこないが、インディアン姿の人形が引き倒されるシーンがでてくる。






Last updated  2009.02.11 10:39:07
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2007.08.17
カテゴリ:チェロキー

「真昼の決闘」
【監督】フレッド・ジンネマン【出演】ゲーリー・クーパー/グレイス・ケリー 本編約84分1952 アメリカ
★★☆☆☆

 思い立って、古い西部劇を少しづづ見ている。この映画にはネイティブ・ピーポーはでてこない。西部劇の小さな町は、「社会」という時の最小単位を現しているようだ。この映画は典型的な決闘劇。

 最終的な決闘劇までもっていくまで、しだいしだいに舞台を整えて、最後の最後で一瞬の差で主人公が勝つというストーリーは
「大いなる決闘」同じだ。

 製作されたのは1952年。
「シェーン」「宇宙戦争」と同じ年代。

 この年代のアメリカが、自分達の社会のヒーローとして、どのような人物をイメージしていたのか分る。






Last updated  2009.02.11 10:41:35
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カテゴリ:チェロキー
     easyrider.jpg

 「イージー・ライダー」 
ピーター・フォンダ、デニス・ホッパー、ジャック・ニコルソン ほか 監督:デニス・ホッパー
Easy Rider|1969年|アメリカ|95分
★★★★★ 

 
「風の民ナバホ・インディアンの世界」猪熊博行を読んでいて、久しぶりにこの映画を思い出した。見るのは37年ぶり。高校生だった。この映画は、ハーレー・ダビッドソンには乗ってはいるが、馬をチョッパーに変えたさすらいのガンマン主人公の西部劇のようなものだ。

 コカイン、大麻、LSD、よくまぁ、これだけ、いろいろと登場させていたものだ。謝肉祭の部分は、撮影の日程上、一番最初に撮られたということだが、いわゆるサイケデリックな感じがでていて効果的というべきか。

 アメリカの大地がいっぱいでてくる。このころ、自分は、サイクリングで佐渡まで行ったし、Z-プは、自転車をチョッパー型に改造して、となりの県からやってきた。この映画にでてくる長髪だなんて、かわいいものだ。あれで殺されちゃうんだものな。サウンドトラックもいい。ワイルドで行こう!

 なんの解釈もできない。あの当時のワイルドなハートがかきむしられるような、激情がわきあがってくる。
 
イージーライダー.jpg
 






Last updated  2009.02.02 00:52:03
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2007.08.16
カテゴリ:チェロキー

スピリットの器.jpg
「スピリットの器」 プエブロ・インディアンの大地から
徳井いつこ 1992/10

★★★★☆

 タイトルだけからだと、中身のイメージがよくわからない。わからないからこちらの想像力がかきたてられる。スピリット、とはなんだろう。器とはなんだろう。スピリットの入るべき器、という意味で、人間のことを言っているのだろうか。スピリットが入るべき器とは、このような要素が必要だ、と言っているのだろうか。あるいは、もともとスピリットがこめられて造られた器、という意味なのだろうか。いずれにしても、プエブロ・インディアン関連ということだから、いわゆるグレート・スピリットに関わるなにかかも知れない。

 読む前のこれらのイメージ、ほぼ大体すべてを包含しているのが、この本だ。話は「土器」の本。

 
土器を作ることを最初に思いついたのは誰だったのか。
 土器は地球上のどこで発生したのか。
 これらについてはまったくわかっていない。
 日本で発見された1万2千年前の隆線文の鉢。東アフリカ・ケニア地方の洞窟から見つかった1万年前の土器破片。イラク北部キルクーク市付近で発掘された8500年前の彩文鉢。中国河南省の裴李岡遺跡から出土した7500年前の紅陶の碗。これらは、現在、地上で最も古いとされている土器の例だ。土器の発生が、少なくともそれ以前であったことは確かである。
p9

 
「ミステリーストーン」1997 、「インディアンの夢のあと」2000の著書がある徳井いつこの、更にさかのぼること1992年に書かれている。

 
土と人が綿密に交わっていたころ、世界を満たしていた星雲のような無意識・・・。
 私は、プエブロの土器の中に、その”記憶”を見たのかもしれない。それは、古い魂の呼び声にも似て、懐かしく強い力で、私を手繰り寄せた。
 本能のおもくままま旅を始め、20人の土器のつくり手たちから話を聴いた。彼らの言葉が、大地と”臍の緒”でしっかり結ばれている人たちの最後の肉声でないことを祈りたいと思う。
p14

 大地と人を結びつけているのは、日本人の美意識から考えれば、
「肚」はら)ということになる。まさに臍の緒だ。「土」と「人」、かつてはネイティブ・ピーポーは「土人」と表現されることが多かった。現在では人種差別的表現ということで、使われることはなくなった。アイヌの人々に関する法律として「北海道旧土人保護法」などという表現もあった。

 大地から生まれ、大地に還る人間の本質から考えれば、地球人とは「土人」なのかもしれない。言い得て妙だ。そこには、マザー・アース、母なる大地の温かさを感じる。しかし、ややもすれば、確かに父なる大空、ファーザー・スカイ的要素が見えなくなるかも。

 
プエブロにとって、土器は、単なるものを入れる器ではない。
 それは”人の生死”を見とる器である。
 ”ゆりかごから墓場まで”という言葉があるが、プエブロにおいては”土器に始まって土器に終わる”。
 誕生と死。人生の始めと終わりに、土器が使われるのである。
p150

 土器にまつわるさまざまなエピソードに想いをめぐらせながら、著者は鋭く現実をも見る。

 
客の要望が、土器を変えた。
 客とは白人である。
 彼らはすでに、ホーローや磁器をもっていた人々である。便利で丈夫な器に慣れた彼らは、土器を”使えないもの”とみなしたにちがいない。土器が、耐久性、保水力、といった実用面で劣ることは、明らかだった。
 彼らが注目したのは、”インディアン”というエキゾシズムである。よりインディアン的デザイン、白人文化のなかに見出せない美しさ・・・。
 プエブロの土器は、その要請に応えて、姿を変えた。
 実用から装飾へ。
 その変化は、華々しい時代をもたらした。プエブロの土器づくりは、人々の暮らしを支えるれっきとした仕事になり、美しさに見せられた人々が世界中からつめかけた。
 しかし、それと引き替えに、土器であることの存在理由、根幹にある最も重要な部分が捨てられたのである。
p196

 ネイティブ・ピーポーと白人、あるいは他の地域の人々の付き合いはなかなか難しい。このブログのこのカテゴリを進めれば進めるほど、その度は増していく。

 
いま、プエブロの土器づくりを脅かしている大きな力は、コマーシャリズムと、放射能汚染を中心とした環境破壊である。
 1700年以上を生き続けてきた”美神”の顔が、ここ数十年のあいだにあっけなくくずれ、どろどろに溶けて倒壊しようとしている。その背後には、混乱の目を見開いて呆然と立ち尽くしている魂たちの姿が見える。
 これは地球上の限られた地域、限られた部族の話かもしれない。しかし、私には、人類という種の”現在”がくっきりと映っている気がする。
p248







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