地球人スピリット・ジャーナル1.0

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2009年4月1日

地球人スピリット
・ジャーナル2.0


へ引越しました。

全108件 (108件中 1-10件目)

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2nd ライフ

2007.11.03
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カテゴリ:2nd ライフ
         ビートルズ詩集1.JPG
「ビートルズ詩集」 岩谷宏 1985/03 シンコー・ミュージック 271ページ
No.862★★★☆☆

 ついに
岩谷宏おっかけをしているうちに、セカンドライフ・カテゴリ108番目のエントリーとなってしまった。このカテゴリが「ビートルズ」で終わるのも何かの縁か。この岩谷訳は、1973年にでた第一版の改訂版らしい。イマジンは入っていないが、それはどうやら版権の関係が理由のようだ。この本が登場したかぎり、せめて一曲は選曲したいところだが、悩んだすえに選ぶべきは、やはり、これか。

Revolution BEATLES

 「革命について」

きみは革命が必要と言う
そうたしかに
みんなが世界を変えたいと願っている
それが進化だとぼくに言う
そう、たしかに
みんなが世界を変えたいと願っている
でもきみが破壊のことを言っているのなら
ぼくを外してくれて結構だ

きみには分らないのか
うまく行きつつあることが

きみはうまいやり方があると言う
そう、たしかに
みんながいいやり方を求めている
きみはぼくにも貢献しろという言う
そう、たしかに
みんな、自分に出来ることをしているんだ
でもきみが憎しみの心を持つ人々のために金を欲しているのなら
なぁ、おい、ちょっと待て、と言うのみだ

きみには分らないのか
うまく行きつつあることが

きみは政治を変えると言う
そう、でも
変えるべきは人の(きみの)頭だ
きみは制度が問題だと言う
そう、でも
むしろ心を解放すべきだ
それに毛主席の写真を持ち歩いていては
だれと話をしてもうまく行きはしない

きみには分らないのか
うまく行きつつあることが
 176p 岩谷宏・訳



 訳者あとがきで、岩谷は言う。 


 
今回、あらためて、短時間で大量の曲・詞をチェックしてみて感じたのは、たしかに、音楽・感性・思想としてのロックの原点は、すべて、ここビートルズ(とくにレノン・ジョン)にあること。ただし、全体としてはすごくあいまいで、ひ弱であること。そして、あいまいであるがゆえに大量(=多様)のファンが形成されたことである。それはまるで、ぶちまけたパンドラの箱であって、なにもかもがあった。のちに、グラムやパンク等によって否定されなければならなかったものも含めて。
 そしてスター現象という社会的には全く不毛な現象であるロックは、ファンによるスターの暗殺という、その不毛さにふさわしい、最高に理想的に醜悪な結末を迎えた。なぜ、最初から最後まで、徹頭徹尾、「一人の私(じぶん)」としての曲しか作り・歌ってこなかったレノン・ジョンが、一人の私として受けとめてもらえずに、肥大したスター幻想になったか。この種の”代理錯覚”は、人類の歴史において長いのである。(だれか、少数の人がなにかやってれば、それをあがめて、自分も---自分は実は何もやっていないのに---やっていると錯覚すること。)
 スターは死んだ。代理錯覚のイナカモンたちは今日も明日も、なんらかのスターがあるふりをし続ける。復活すべきなのはスターではない。こんど起(た)ちあがり、こんど叫ぶべきなのは、わたくしたち一人々々なのだ。この醜悪な結末から、かろうじて肯定的に学ぶべきものがあれば、この点をおいてないだろう。そこで、最後に、くどいようだが、しょせん翻訳とは、訳者の作品でしかない。
 p267 

 ここで私は何かいわなくてはならないのだが、それはこの「ビートルズ詩集」岩谷訳の第一版がでた年、1973年の18歳の私に代弁してもらおう。

 
「ジョン、きみは天才なんかじゃないよ」

 人間の愛されるべき性は「神」を創出した。時代的空虚さは「スーパースター」を創出した。60年代ニューエイジは革命家になり切れぬ己れを悟って「ビートルズ」を創出した。
 「ビートルズ」は俺らの共同幻想だ。今さら、リバプールの薄汚れた少年たちを調べ回したところで、何がでてこよう。ジョンだってリンゴだってポールだってジョージだって普通然とした青年でしかないんだ。
 ジョン、きみは天才なんかじゃないよ。でも虚構に身を置く者は虚構に徹したまえ。きみは「天才」になりすましていていいんだよ。
 ビートルズ、君は革命なんかじゃないよ。でも幻想に基づく者は幻想を全うしたまえ。きみは「革命」だと思い込んでいていいんだよ。 
 『時空間』 第2号 p68 1973/01


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Last updated  2009.01.22 08:43:23
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テーマ:私のPC生活(6466)
カテゴリ:2nd ライフ

「パソコンを鍛える」
岩谷宏 1998/09 講談社 新書 221p
No.861★★☆☆☆

 
引き続いて岩谷はこの本でOS話を展開する。なんせ1998年のこと、まだまだそのような話しはマイナーではあった。

 Apple(アップル)社製のMacintosh(マッキントッシュ、通称”マック”)というパソコンのデスクトップのルック&フィールは、一部の考えの浅い人々から素晴らしいと絶賛された。ルック&フィールは素晴らしくても、オペレーティングシステムとしての機能性はどうか。Mac Osと呼ばれるオペレーションシステムと、そのアイコンを主体とするシェルから提供されている機能性は、概して貧弱であり、また非常に不安定でもある(今日の大学向けのオペレーティング・システムの教科書は、オペレーティングシステムの実例としてMac OSに言及しない場合が多い。一般的に取り上げるには、あまりにも問題の多いOSだから)。p133

 ここで「一部の考えの浅い人々」と称されたマック派は、なんとこの文章を読むだろう。現在のMac OSは、リナックスをベースに組みなおしたので、性能は安定しただろうし、OSとしてみた場合には、まるで別ものになっている可能性があるが、98年当時のこの評価は、敢えて甘んじて受けなくてはならないのではないかな。続いて著者はWinを斬る。

 Windowsオペレーティングシステムは、デスクトップのデザイン著作権に関してMicrosoft社がAppleに裁判で勝訴したため、今や堂々とMacintoshの物真似であるといわれる。しかしそれは、元祖Macintoshの幼稚さや独善的な使い勝手、および粗悪な設計を、Windowsがそのまま無反省に引き継いでいるという意味でもある。p133

 まぁ、この辺が岩谷の拠って立つべきスタンスである。そして、そこからおもむろに読者をUNIXやLinuxの迷宮の世界へいざなう。当時は日本語表記も一定していなかったLinuxは、リニックス、リヌクス、ライナックスなどとも呼ばれて、神秘性さえおびていた。

 UNIXオペレーティングシステムの優秀堅牢なフリーウェア実装系の1つとして定評のあるLinux(リナックス、ライナックス)のシステムコール・・・・・p139

 得意満面の岩谷の顔がうかぶような文面だ。そういえば、私もこのLinuxに触り始めたのもこの頃だった。あれから何をどうしたのだろう。LiveLinux、Slackware、Debian、Vine、Plamo、Red Hat、LASER5、 LinuxPPC、Gentoo、Linspire、Fedora、 KNOPPIX、Ubuntu ・・・・ 思い起こせば、恥ずかしいことの数々、静かに反省の日々を送っておりますぽっ

 プログラマは、専門職業としてのそれではなく、私がプログラムを書いたら私もプログラマ、あなたが書いたらあなたもプログラマという、一般的な意味だ。p136

 そうだ。このブログでは、ジャーナリスト、カウンセラーと並べて、プログラマもまたひとつの表現者として併記しておいたのだった。思いおこせば、かつては私も携帯コンピュータ検定の栄えある第一回合格者でもある(4級だが)。って、この検定、もう誰もしらない・・・トホホ 昭和58年だから1983年。この岩谷本がでる15年前、今からもう四半世紀前ということになるのか。どうりで、某有名巨大掲示板にスレをたてても、書き込みが伸びないわけだ。
カーネル本のところで、私は、生まれかわったら、プログラマになりたい、みたいなことを書いたけど、岩谷流に考えたら、一行のプログラムを書いたら、一行のプログラマではないか。何を臆することがあるだろうか。

 久しぶりに出してきた例の合格証書。この協会の理事長は
國井利泰という人になっている。ググってみたら、この人は、オープンソース設計基盤研究やオープンソースによる IT教育を担当されておられるそうだ。そうか私は、この人に少なくとも24年前に、「君は携帯コンピュータ4級の技能がある」と認められていたことになる。あらためて、自戒と自尊の念を込めて、合格証書を貼り付けておこう。


  合格証書1.JPG

 






Last updated  2009.01.22 09:18:50
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カテゴリ:2nd ライフ

「インターネットの大錯誤」 岩谷宏 1998/04 筑摩書房 新書 206p
No.859★★☆☆☆

 この時期、1997~8年といったら、社会的にも
パソコンとインターネットは、社会的にも怒涛のように渦巻いていた二大話題であった。著者は、この二大話を交互に織り交ぜながら、挑発的な言辞を投げ続ける。はっきり言って、著者の文章は、ですます調ではあるが、かなりズレている。今読んだらズレれっぱなしなのだが、この本が出版された当時に私が読んでも、やっぱりズレてるなぁ、と思わざるを得なかっただろう。

 しかし、もしそう思ったら、それは彼の思う壺にはまった、ということになる。彼はズラして書いている。ズラして書くからこそ、彼の本には価値がある、と言ってもいいくらいだ。そのズレた位置に逃げ続けることこそ、この人が自らの信条としているかのようだ。

 彼がズレているとして、どのような方向にどのようにズレているのだろうか。彼は、推測するに決してIT技術の専門家・プロではない。生活費を稼ぎ出してはいるだろうが、ある意味では物書きの専門家でもないだろう。彼の信条は、娯楽的に安価に安易に提供されるエンターテイメントの否定であるし、偉大なるアマチュアリズムの大肯定なのだ。そしてまた、アカデミックでもない。どこそこの学者である研究者である、という立場からの発言を一蹴する。しゃらくさい。人間は肩書きなしの、一人の人間、それしかないのだ、と大声で叫んでいるかのようだ。

 彼はパソコンの可能性を見抜いている。そしてインターネットへの期待観もただごとではない。だからこそ、この時点ではWin98さえ発売されていない段階だが、その欠点だらけのネット社会のあちらこちらをメッタ切りする。そして、その発想の原点には、人類が向かうべき、ある理想の世界がある。

 人間はだれでも、インターネットにプロバイダを通さず24時間365時間ダイレクトに接続されるべきだ、という主張は超過激だ。たぶんそうはならないだろう。ならない理由はたくさんある。しかし、そう言ってしまわなければならない、彼の理想がある。その「理想」とは一体なにか。一連の彼の本を読み進めるとしたら、挑発し、ずらし続ける彼の言動ではなく、彼が安住できるであろう理想郷とはなにか、を読み取らないといけない。もしそれを読み取ることができれば、それで彼の「思想」「哲学」を十分に受け取ったということになるはずだ。

 今から10年前に彼がこのような発言を繰り返していた、ということは記憶される価値がある。そして、ここから彼のエクリチュールはどのように移行し続けるのか、まだまだ
興味はつきない。






Last updated  2009.01.22 09:17:18
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2007.11.02
カテゴリ:2nd ライフ

「パソコンを疑う」 岩谷宏 1997/08 講談社 新書 212p
No.858★★★☆☆

 
そしてそれから2年経過したとは言え、1997年とは現在から10年前のこと。ドッグイアーと言われるIT関連世界において、この時代はまさに原始時代のごとくはるかな昔のできごとであるような気さえする。この本を読む限り、われらが岩谷宏はひとり気を吐いている観がある。

 今この本を読んでみれば、おかしいことが数々あり、ああ見当違いの、ああそれを言っちゃいけないの、と、さまざまな感想が次から次と思い当たる。しかし、ハードやソフトの成長過程について、ほかの本が正しくて、この本だけが著しく間違っていた、ということは絶対にない。すくなくとも、パソコンやインターネットを取り巻くハードの成長過程において、あくまでもプロではなく、通常のユーザーの立場から、一人、気概を持って立つ、岩谷宏には、ネットワーカーというより、一人の革命の志士の面影さえ宿っている。

 こまかいディティールについては、いまさらここで技術的どうのこうのということはやめよう。私はもともと専門家ではないし、この10年についての記憶も定かでないところがたくさんある。だからこまかいことは言わない。ただ感動するのは、彼は理想社会を強く夢見ているということ。そしてその実現のために、走り続けようとしていること。かつてはロックにその夢を託し、この97年の時点においては、パソコンに夢をもち、インターネットに期待しながら、彼の視点からみた、その技術の未熟さを突きまくる。

 24時間365日全員常時接続、などはある意味、現在においては実現されているとはいえるが、彼の言っているのは、プロバイダにつなぐのではなく、直接誰もがインターネットに接続すべきだということ。そして日常的エクリチュール(書くこと)として誰もがプログラムを書くべきだ、と主張する。彼の言うことはある種の理想というより、暴論だ。

 しかしインターネットに誰もが積極的に参加すべきだ、という意味では、これから後に花開くケータイ文化に、その可能性がでてきているのかもしれないし、ブログのトラックバック機能に、彼の説いた本当のインターネットの姿の片鱗が見え隠れする。この本においてもUNIXが過大に評価され、Linuxの文字もでてくる。
 
 Linixは現在のパソコンの上で使える本格的なUNIXオペレーティングシステムであり、UNIXの歴史に裏打ちされた安定性の高さで定評がある(アメリカの中小企業や地方自治体などもでの採用が多いほか、貧乏な(!?)な低開発国でネットワークを構築するためによく採用されている)。Linuxのソースコードは、完全に公開されている。またLinuxに関しては、多くの人の寄稿により、多くのhow to文書(使い方に関する文書)もそろっている。p206

 なにもいまさらLinuxの性能を云々することもないが、この時点での著者の思い込みは必死な絶叫にも聞こえてくる。もちろん、Linixは
リーナス・トーバルスが「それがぼくに楽しかったから」JUST FOR FUNと、さらりと言ってのけたところにさらにその魅力があるわけだけれども、岩谷にとっては、必死の形相で主張すべきなにかのようであった。

 だからこそ、これから5年後にはその思いが、私を傍線ひきひきキーボード曼荼羅に引きづりこんだ
「リナックスの哲学」に結実していったのだろう。この本を、2007年のネットワーカー達が笑うことは簡単にできる。しかし、それはハード技術的な進化過程からみた場合で、あって、ソフトウェアのあり方や、利用技術、そしてすすむべき本来の人間のあり方、という側面から見た場合、まったく的をはずしていないばかりか、今こそ、もう一度、岩谷宏リバイバル・ブームが起こってもいいのではないか、とさえ感じる。

 それは、また、ある意味、IT技術にはまったく疎いであろう、そして長く牢獄にあった
アントニオ・ネグリが、ネット社会の進展をにらみながら、自らの哲学をマルチチュード」という概念に凝縮しようとしている過程と、どうやらダイレクトにつながっているのではないか。まぁ、すくなくとも、この1997年の段階では、マルチチュードという単語もまだ明確なものとして打ち出されなかったかもしれないが、今、私は、ひとつのマルチチュードのたしなみとして、日常のエクリチュールとして、このブログを(プログラムでないところがかなしいが)もうすこし続けてみようかな、と思っている。著者については、もうすこしおいかけてみよう。






Last updated  2009.01.22 09:13:40
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2007.11.01
カテゴリ:2nd ライフ
基礎からわかるインターネット.jpg
「基礎からわかるインターネット」 岩谷宏 1995/11 筑摩書房 新書 222p
No.857★★★☆☆

 
そしてあれから、インターネットがなければ何事もすすまない時代となった2007年ではあるが、わずか10年ちょっと前にはまだまだ少数派だった。文科系ながら、パソコン文化のアジテータ役を買ってでた筆者にとって、Win3.1から95が発売されることによって一気にブームになろうとしているインターネットを可愛らしげに眺めているのか、いつもの辛らつな口調はやや大人し目に押さえられている感じがする。

 今となったら当たり前のインターネットだが、この時代にはこのような形で、噛んで含める形でネット社会の仕組みを教えてもらわなくては、解らないというのがほとんどの人々の感覚だった。まさに、Web1.0のスタート地点と言ってもいいだろうか。双方向性、メール、ブロードバンド、セキュリティ、24時間365日常時接続、高機能パソコン、ネットワーカーの増加への期待などなど、ここで理想的に言われていることは、もうすでにほとんど達成してしまったことばかりであるようだ。

 もちろん、それにともなって、期待も、予想もしなかったようなデメリットの数々も登場してくることになるのだが、それは、物事の裏表でよくあること。しかし、この1995年というのは、とても記念碑的な年回りだと思う。1月17日には、阪神淡路大震災という、現代日本では想像もできなかったような大災害が起こり、そして、
麻原集団による一連の事件もおきた。そして年末にWin95が発売され、一気に世界はインターネットの坩堝の中にはまっていくのだが、岩谷がこの年回りの時に、神戸のことも語らず、上九一色村も語ることなくいられたとするならば、それはそれで幸せな生活を送っていた、ということになる。

 
1995年という現時点では、まだ実態的には大したことのない、いろんな制約も多いインターネットですが、あなたもとにかく参加してみて、経験してみて、ネットワーク社会の可能性を予感し、その予感の実現に向けてあなたなりの小さな(大きな?)コントリビューションをどこかで果たしていただきたいと思います。
 コントリビューション(貢献)というと、従来の非大衆的なインターネット人の間ではもっぱら、ソフトウェアを自作して無償で提供することでしたが、今後はネットワークの利用性を拡大するありとあらゆる活動、各人が各人なりにできることを、そう呼ぶようにしたいものです。
p222

 若者は
セカンドライフヴァーチャル・セックスの腕を磨き、高校生たちはモバゲータウンで、もうひとつの仮想社会を建設中だし、ネット王子とケータイ姫、なんて揶揄されたって、おじいおばばだって、ウェブで新しい郷土を作ろうとしているではないですか。なにが危険なの? と子ども達に聞かれたら、ちゃんと答えてあげなくてはならないし、50過ぎのオジンだって、パソコンでインターネットやらなくっちゃ生きていけないよ。インターネットは誰のものかなんて考え直してみても、いまさら2ちゃんねるがつぶれるわけでもない。

 インターネット百花繚乱の21世紀において、90年代の岩谷宏のレクチャーなど、なんと牧歌的なことよ、と嘲笑することはできない。あの当時にあれほどの警句を発していた彼が、この現在の状況をみてなんというのか、なんと思っているのか、
聞いてみたいと思う。






Last updated  2009.01.22 09:06:43
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カテゴリ:2nd ライフ
ラジカルなコンピュータ.jpg
「ラジカルなコンピュータ」  思想のための最終機械 岩谷宏 1995/10 ジャストシステム 単行本 211p No.856★★★☆☆

 
ということで、さっそく岩谷宏の本を5冊ほど借りてきた。90年代中盤から後半の一連の著作だが、時代を反映していて、しかもドッグ・イアーの日々でのこと、情報そのものとしては、2007年の現在、有効なものはほとんどない。しかし、インターネットという言葉が一切でてこないこの本の中に描かれている「理想」はあるいみ、今日ではすでに実現されていることがほとんどである。そしてそして、その技術的な理想が実現しても、その技術を使う人間は、いったいどうなっているのだろうか、といささか、さびしい想いがつのってくる。

 この本、装丁は
パソコンが僕の人生を変えた」2001の荒川じんぺい。この本の装丁を手がけているときは、まだまだパソコンは使っていなかったのではないだろうか。これから5年間にたくさんのことが起こったということだ。

 出版社も
株式会社ジャストシステム。一太郎のワープロソフトで一時代を築いた会社だが、この当時は、まだまだメセナ的活動も積極的だったのだろう。そういえば、奥野卓司「情報人類学―サルがコンピュータをつくった理由」1993「速度の発見と20世紀の生活」1996などを出したのもジャストシステムだったが、それも90年代中盤だったのは象徴的だ。90年代は私も一太郎も使ったし、21世紀になってからは「ATOK for Linux」もヤフオクで落札したぞ(組み込み失敗)。最近は、どうなっているのかな、ジャストシステム。

 近いうちに地球上のどこかに台頭するであろう、新世代のソーシャリズム/コミューンニズムしそうとその実装の試みは、「社会ないにコミュニケーションの充実を育むこと」を唯一最大の課題とするものである。実装の試みは、すでに社会内にそういう”機”が熟しているような一定社会においてしか、成功はおろか、取り組みすら着手不能であろう。私の個人的な、あまり根拠のない(ただし技術的な根拠はかなりある)予想では、新世代思想のもとに地球上初めて、そのときに用いられる言葉として呼び名や分類はともかく、実質的に「社会主義化」するであろう地域は、現在のアメリカ合衆国である。なぜならこの国は、人間お互いに、日々コミュニケーションしなければならない、そうでなくては生きていけない、という切迫が、その国の来歴成り立ちからして、地球上でいちばん強い地域でないか、と思われるからだ。p144

 岩谷宏という人の先見性と独断性、断言癖と独自性から、あちこち検索してみると結構毀誉褒貶が分かれることが多いようだ。この本に書かれているのは、1992~1994年当時「現代思想」などに連載された記事が編集されているもので、しかも岩谷自身が言っているように、名シェフによって料理されているからこそ、おいしく食べられるのかもしれない。しかし、筋のいい素材がなくては、名シェフとは腕の振るいようがないのも事実だ。

 
コンピュータは、不動絶対の「最終機械」である。それは機械の機械、ラングのラングである。従来のドメイン固有の機械を1階の機械と呼ぶなら、コンピュータは(最)高階の機械である(個々の機械を細かく具体的に見ていくならば、”二階の機械”や”三階の機械”などが存在するのかもしれないが、それらはここでは一階の機械として一括りにする)。言い換えるならコンピュータは、ローカルな機械ではなくグローバルな機械である。
 すなわちコンピュータは、世界をモデル化する道具機械ではなく、世界をモデル化することをモデル化する道具機械である。まぁ、その発祥は、長距離の弾道と着地点を素早く計算するという、ドメイン固有機械の一種にすぎなかったようだけど、「プログラムを外付けにして汎用化する」というその後の改良発想によって、一挙に高階の機械という地位を得た。
P146

 この部分は1993年にでた文章。まだまだ存在しない単語をさぐりながら、なんとかかんとか表現しようとしている苦労が伝わってくる。そして、もっと関心が湧いてくるのは、この当時、このように発想していた岩谷自身は、はるかにこの時代からすすんでしまった2007年現在のネット社会について、彼はどのような発言をつづけているのだろうか、ということ。

 マイコン(マイクロコンピュータ)の登場によって、プログラミングを専門家達等に依存せず、コンピュータを自分でプログラミングして自分で使うことが可能になったとき、当時のマイコン熱狂はの一部は、プログラミングは子どものときから学んで身につけるべき万人の一般教養であるべきだ、プログラミングは万人の日常エクリチュール技術であるべきだ、と感じた。私自身もいまだこの直観に固執する。p204

 直観に固執するからこそ、以後の
「Javaの哲学」や「Linuxの哲学」が書かれたのであろうし、それらにつづく一連の著作もあるのだろう。しかしながら、たとえばLinuxのカーネルにしたところで、一部の技術者やマニア、ハッカーなら手を入れることができるだろうが、「子どものときから学んで身につけるべき万人の一般教養」とはなっていないし、「万人の日常エクリチュール技術」とはなっていない。いや、むしろますますプログラミングの世界はブラックボックス化していて、全体を見通せるようなSEもそうそうはいないだろうし、岩谷自身、いくらオープン化された世界が広がってきているといっても、すべて手作りのプログラムでまかなっているわけではないだろう。

 ただ、そのような万人の日常エクリチュール技術の復権の兆しが、たとえばセカンドライフのアバターやシムをつくるときの3Dヴァーチャル世界作成に関わる技術が語られるときに、感じられる
「セカンドライフLinden Scripting Languageプログラミング入門」や「セカンドライフで作るリンデンスクリプト入門 」という本を手にとって心躍らせる人々は存在し、日々研鑽していることは間違いないだろうが、いまのところは圧倒的に少数派だ。この人々もまた消えていくのかもしれない。あるいは、この人々こそ、Web2.0 といわれる今日ではあるが、限りないWeb.N→に向けての命脈なのかもしれない。

 この本は、1942年に生まれた(小泉順一郎と同じ)岩谷の(当時50歳ちょっと)90年代の姿である。彼はインターネット前夜にしてさまざまな問題提起を行っている。そして、その後、これがどう変遷していくのかを見てみるのも一興ではないか。まずはこの地点を記憶しておこう。そしていよいよ
インターネットの時代がやってくる






Last updated  2009.01.22 09:10:34
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2007.10.31
カテゴリ:2nd ライフ

地球人スピリット・ジャーナル2.0につづく

前よりつづく


「セカンドライフ7つの誤解」 
2007/10 宝島社 新書 190p
No.855★★★★★

 SL本なんて、もうどうでもいいや、かわり映えしないし、読み飽きたし・・・・。などと、
昨日はとおりすぎたものの、今日はやっぱり手に取って読んでしまった。うん、なるほど、この本はなかなか面白いかも。SLのバブルや仕掛け人たちのことを冷静に見ていて、ある種の清涼剤のようなところがある。

第1章 ブームに隠された“誤解”
第2章 完成品であるという“誤解”
第3章 早期参入だけが企業のメリットという“誤解”
第4章 換金=商売という“誤解”
第5章 セカンドライフがつまらないという“誤解”
第6章 インターネットと法律の“誤解”
第7章 「セカンドライフが流行る」という“誤解”

 一種の作られた、早すぎたブームで、もみくちゃにされているSLだが、もうすこし落ち着いた3Dバーチャル世界がやってくるまでの、露払いという感じがなきにしもあらず。周囲のばか騒ぎをよそに、SL本体が、じっくり構えているように見えるところが、ほっとするところではある。



「仮想世界で暮らす法」<1>「Web 2.0」社会でどう生きるか 内山幸樹 2007/10 講談社 新書 166p
No.856
★★★★☆

 この10数年、親しくしている自営業の友人がいる。彼は近くに住んでいて、私より数歳若いが、その分、パソコンやインターネット、デジカメやIT機器などに詳しく、いつも新鮮な話題を提供してくれる。その彼に、久しぶりに会ったので、セカンドライフについてどう思うか聞いてみた。その話題について彼は当然知ってはいたが、今はボーリングに凝っているので、SLはやっていないという。彼は、苦笑いしながらつぶやいた。「あと10歳若かったらなぁ・・」

 うん、たしかにそうだ。せめて30代の若さがあったら、きっとSLにもついていけたかも。私より若い彼にして、あと「10歳の若さ」がほしい、という。この言葉を聴いて、私なりに納得した。SLはまずともかくとして、
モバゲーなどは、もう、この年令になると、イメージしてみるだけ、なんだか疲れがでてくる。やっぱ、なんとかの冷や水だな。

第1章 あなたの知らない仮想空間へようこそ
第2章 仮想世界で出会う法
第3章 仮想世界で稼ぐ法
第4章 仮想と現実は融合する
第5章 仮想世界は発展する
第6章 仮想世界で進化する

こちらの本は、「週刊現代」に連載された記事の単行本化ということだが、どこかに週刊誌の乗りと軽さがあるのは確か。そのように理解してよめば、それほど気にはならないが、なにか物足らないものが残るのは確か。ただ、このような話題がどんどんでてきて、さまざまな角度からさまざまなことを言い出したことは、なかなか関心のあるところ。いままでより、より親近感をもって仮想社会を考えることができるようになった。
<2>につづく

 
後ろへつづく







Last updated  2009.04.11 17:52:21
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2007.10.28
カテゴリ:2nd ライフ

「Linuxカーネル2.6解読室」 
高橋浩和 /小田逸郎 2006/11 ソフトバンククリエイティブ 単行本 511p
No.849★★★★★

 いくらカッコつけてLinuxを語ったところで、せいぜい中古パソコンにLinuxOSのいくつかをインストールした程度なので、ホントは、な~~にも語れることなんかない。いくらWin対Linuxなんて抗争を語ったところで、ホントはなんにもできない。所詮、WinでできることをLinuxでもできることを確認する程度。無料だからいい、オープンソースだからいい、フリーソフトウェアだからいい、バーザール方式だからいい、と言っても所詮、岡惚れしているだけだ。

 でもでもでも、Linuxコミュニティに参加してなくったって、こうして、たまにLinuxを話題におちゃらけてみたり、自分のパソコンに入れてその使用感覚をシェアするのも、立派なLinuxボランティア活動の一部だ(かなり、なぐさめ的ではあるが)と、聴いたことがある。だから、たまには、この話題をすることにしている。

 ところでだ。この本はLinux、しかもカーネルについてだ。しかもB4版のなんと500ページを越す分厚い本である。誰が一体こんな本を読むのだろう。いや、世の中に、このような専門書があるのは、当然だとは思うが、いつも行くいくつかの図書館の、しかも一番小さな図書館のパソコンコーナーにあった本である。所詮、数万の市民しかいないこの街の一体誰がこの本を読むのだろう。いや、読む前に、この本がこの図書館に入ったのは何故だろう、と、きょとんとしてしまった。

 この頃はだいぶ図書館へのリクエストも増えたが、大体は、周囲の図書館にあるし、ないものは時間がかかるが、遠方の図書館からも取り寄せてくれる。で、新刊でも、マイナーな本は購入してくれない。たまに購入してくれるのは、私以外にも読んでくれそうな本だ。あまり希少本は最初からキャンセルされる時もある。

 なのにである。この「Linuxカーネル2.6解読室」というこの本は、一体どのような判断でこの図書館の一般開架に鎮座することになったのだろうか。近くにLinuxerが人知れず住んでいるのだろうか。あるいは、誰か図書館のスタッフに強烈なLinuxユーザーでもいるのだろうか。それとも贈呈本? 5400円もする本だ、そんな簡単に贈呈はしてくれないだろう。不思議だ。

 Linuxを語る人は多い。しかし、実際は、Linuxのアプリケーションを語っていたり、いろいろなLinuxOSを語っても、しょせんはいろいろなOSのディストリビューションを語っているだけであって、本当の意味でのLinuxではない
リーナス・トーバルス中心となって管理しているLinuxとは、実は、このOSの中でもさらに中心となるこのカーネル部分のことだけを指して言われているのだ。

 カーネルだけ、と言ってはみたが、実は、そのカーネル・コードはなんと500万行にも及ぶ膨大なものだという。かなり大きくて分厚いこの本だが、一ページ50行として500ページだから、わずか25000行。ということは、カーネルが一行一行印刷されたとしたら、この本200冊が必要だということだ。あへ~。本として積み上げてみるとするなら、一冊3センチ5ミリあるので、7メートルの高さになるのである。びっくり

 しかもだ、その膨大な一行一行には、すべて整合性があり、ちょっとでもバグあれば、すぐ訂正され、しかも、定期的にバージョンアップされているのだ。唖然。いくらそれがオープンにされているからといって、そのLinuxカーネルをいじれるなんて人は、すくなくとも、私の身近にはいない。特にいまのところは、生まれ変わる予定はないけれど、もし、生まれ変わなければならないとしたら、私はそのようなカーネルをいじれる人間になれないだろうか。

 なにはともあれ、Linuxに感謝し、そのコミュニティに感謝し、その本を作ってくれた人々に感謝し、その本を図書館にいれてくれた人々に感謝して、私は、この本を借りてきた。書いてあることは、ほとんど解読不可能だが、一ページ一ページをながめながらめくっていると、どこか自分が賢くなったような感じがするから、ますます不思議だ。






Last updated  2009.02.10 21:18:08
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カテゴリ:2nd ライフ

「Linuxの哲学」 岩谷宏 2002/03 ソフトバンククリエイティブ 単行本 241p
No.847★★★★☆

 「哲学」つながりで、どさくさにまぎれて、この一冊もメモしておこう。もちろん西洋哲学の流れではないが、なんともこのタイトルには、ぞっこんほれ込んでしまった。すでに5年半も前にでた本でもあるし、私が一生懸命に読んでからも、すでに4年以上が経過してしまった。だから、書いてある内容については、とくに技術革新的な部分については、現在では活用できる部分は少ない。しかし、今、こうしてまためくってみると、マーカーやアンダーラインを何回も引きなおして、中古パソコンにいれたLinuxをしこしこイジッっていた当時の日々を、なんとも熱い想いで思い出す。そして、もう一冊・・

Javaの哲学2.jpg
「Javaの哲学」 岩谷宏 2001/08 ソフトバンクパブリッシング 263p
No.848★★★☆☆

 こちらは前著よりもっと活用度は少なかったけれど、なんともアジテートされた気分になって、パソコンをいじる、というより、もっと何か別な、情動的興奮を味わったのだった。

 あちこち検索してみると、この著者・岩谷宏という人にはたくさんの本があり、また、毀誉褒貶、いろいろな意見が飛び交っている。もともとこの人は、技術畑の人ではないけれど、かなりの量のIT関連の著書がある。もともとは「ロッキング・オン」というロック雑誌の編集長だった。

 専門家ではない私には、この人の技術的な価値はどれほどのものか判断はできない。しかし、このようなIT関連を書くライターの一人として見た場合、なかなか注目に値いする、きわめて挑発的な存在だと思える。この人の技術本を読んでも、私が得ることのできる技術はほとんどないだろう。だけど、なんだか、この人はどういう人で、今どのようなところにいるのか、いちど把握してみたいなぁ、と思っている。

 図書館にある彼の本はそれほど多くはない。しかし、皆無ではないので、まずはその辺あたりから、もう一回、
読んでみようかな






Last updated  2009.01.22 08:31:39
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2007.10.27
カテゴリ:2nd ライフ


「ブログ・オブ・ウォー」 僕たちのイラク・アフガニスタン戦争
マシュー・カリアー・バーデン /島田陽子 2007/05 メディア総合研究所 単行本 326p 原書2006
No.843★★☆☆☆

 1999年にアメリカに登場したと言われるウェブログ=ブログだが、実際の隆盛は2001年の9.11以降と言われている。一般には反戦的ネットワークとしてつながっていると思われているが、実際には、さまざまな活用がされており、この本にまとめられた、いわゆるミルブログと言われるような軍人達の現場からのメッセージのネットワークもかなりの数に上ったようだ。

 何事も、スタート地点を9.11とすることには、私は拒否感がつよいのだが、この本の著者は、退役軍人だったが、9.11を契機にふたたび戦地に赴くを考え始める。しかし、体調もありすぐ軍務につくことはできなかったが、友人である軍人たちとのネットワークとしてブログを始める。

マシュー・カリアー・バーデン
17歳で入隊し、2001年7月にアメリカ陸軍予備役少佐の階級で退役。国防情報局分遣隊副司令官として加わった最後の任務で、彼の部隊は軍事情報の収集・分析手法を改革した功績を認められ、統合勲功感謝状を授与されている。シカゴ大学で理学修士(コンピュータ科学)取得、学部賞受賞。イラクで友人を失ったバーデンは、「テロとの戦い」に向かった兵士たちを支援しつつ彼らの物語を伝えようと、2003年半ば
Blackfive.netを開設。Blackfive.netはたちまち人気ブログとなり、多くの人に読まれ、リンクに加えられるようになった。ブログ・アウォードではベスト・ミリタリー・ブログ賞を三年連続で受賞している。 巻末著者紹介

 9.11を取り上げるにしても、例えばこのブログで見た映画
「9.11 N.Y.同時多発テロ衝撃の真実」 のような、なかば偶発的に事件に巻き込まれていった「英雄的」な消防士たちとは、また違う、軍人、しかも、義憤に駆られて戦地に赴く軍人達の記録としてのブログである。

 
「マット、言っておきたいことがあるんだ」
 チキショウ! こうなるってわかってたんだ!
 「もし僕が戻ってこなかったら・・・・・」
 僕は声を張り上げて彼を遮り、声をつかえさせながら早口でめちゃくちゃにまくし立てた。「そんなこと考えてたら死んじまうかもしれないぞ。いいか、家族は僕が面倒をみる。何があてもだ。おまえはさっさと向こうに行って、こっちのことなんか忘れろ。任務のことだけ考えろ。部下を死なせるな。おまえにはいつだって僕たちがついてる」
p16

 私はなんであれ、戦争には反対だ。戦争にはいい戦争も悪い戦争もない。戦争はなくならなくてはならない。にもかかわらず、人類は戦争に巻き込まれ続けてきた。我が家の大正生まれの年寄りも戦中派だ。まさにその青春時代を戦争によってめちゃくちゃにされてきた世代だ。彼女は、当時、戦地に赴く青年と、周囲のすすめでわずか数日だけの、かたちだけの結婚生活を送り、新夫を戦地に送った。

 一年後に、夫の戦死が伝えられ、婚家から実家にもどって終戦。ふたたび、戦地から戻った別な青年と結婚した。そして生まれたのが私たち兄弟だった。しかしその夫も戦地で病を得てきており、その病が原因で早世する。その後、現在のように、介護ベットで介護保険に世話になるようになるまで、身体の続く限り身を粉にして働いてきた。

 戦争時代の、自らの初婚のことを聞いたことはない。それは我が家のタブーであった。しかし、今では、親戚や周囲の言葉の端々から、50をゆうに超えてしまった私にも、大体のアウトラインはわかるようになってきた。彼女の口からこの話題がでることは一生あるまい。それでいいと思っている。

 戦争を、自分にとっての「戦争」を語らないで、この世を去っていく人々のなんと多いことよ。その悲惨さは言葉にしては語りつくせない。ブログが、戦地にいる人々の生の声を反映していたとしても、していなくても、本当の「戦争」なんて、語れないはずだ。この本のタイトル「ブログ・オブ・ウォー」はとても重い。でもやっぱり、戦争は反対だ。

 このブログでも、端々ではあるが、戦争をとりあげてきた。

「禅と戦争」

「宇宙戦争」

「反戦平和の手帖」

どのようにしたら「戦争」はなくなるのか

「9・11(ナイン・イレヴン)ジェネレーション」

戦争に勝者はいない

戦争は道徳的な悪である

非戦平和ネットワーク

「憲法九条を世界遺産に」

防衛庁・自衛隊の記録

日の丸を掲げつつ、君が代を歌いつつ

地球政府への道筋としての日本国憲法論議

<帝国>(1)「武器」と「貨幣」

「覇権か、生存か」

「ネットと戦争」

「誇りを持って戦争から逃げろ!」

ふう、きりがないからこのくらいにしようか。

 せっかく、加川良がでてきたから、Youtubeから
「教訓 I」

 そして「自由訳イマジン」。新井満は、自分の誕生日を逆算してみると、父親と母親が1945年の8月15日に愛し合って生まれただろうと推測する。

 最後はやっぱり
Imagine - John Lennon聴こう。







Last updated  2009.02.10 21:22:40
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