人間性の最高表現(下)
(上)からつづく「人間性の最高表現」(下)その輝きを実現した人びとピエロ・フェルッチ /平松園枝 1999/07 誠信書房 単行本 249p Vol.2 No.477 ★★☆☆☆ アサジョーリは8カ国語を操る語学の達人でした。フロイトの精神分析を学び、ユングと交流をもち、ウィリアム・ジェームズやアンリ・ベルグソンの哲学に関心を抱き、ブラバッキー夫人の神智学にも通じていました。さらに、さまざまなヨーガや瞑想法を実践し、諸々の霊的伝統や哲学に関心をもちつづけました。このような幅広い見識と実践を統合することでサイコシンセシスは誕生したのです。「スピリチュアル臨床心理学」p228 ということだが、どうもこの網羅主義的なところが、チベット密教におけるツォンカパなどを連想させて、いまいち感心しない。100集めても1,000集めても、結局はその上の10,000や100,000がある限り、サイコーのものにはなりようがない。その努力自体が空しいように思う。梯子をかけて天に昇ろうとする愚行に匹敵する。 有効な道が見つかれば、たったひとつの道で十分なのだ。そして、そのたったひとつの道でさえ、行きついたあとは、不必要になる。つまりゼロが発見されなければ、その探訪は失敗だったということになる。 サイコシンセシスは、今日でも依然として先駆的な、とてもよくできた理論と技法です。アサジョーリは、現代の臨床心理学界からみれば、100年以上時代を先取りしていたといっても過言ではありません。「スピリチュアル臨床心理学」p229 そうかなぁ、100年遅れているような気がするが・・・・、と思ったが、次の一節で納得。 サイコシンセシス(精神統合)は、アサジョーリが1910年に発表したもので、サイコアナリシス(精神分析)と対比してつけられた名前です。(下)p229 なるほど、発表されたのがちょうど100年前なので、今でも通用するよ、と言いたかったのだろう。だが、どうもセンスは100年古いなぁ、と感じた私の直感も、かならずしも即否定されるべきものでもなさそうだ。 この本の主題は、古いものであると同時に新しいものです。スピリチュアルな内的体験は、いつでも予期せずに起こるような驚くべきものですから、この本のテーマはつねに新しいのです。しかし、同時にスピリチュアルな体験の本質は時を超えたものであり、その意味と美しさは、インターネット、多文化共存、そして、固定的なさまざまな信念が統合されることなく存在している今日と同じように、二千年前にもそのまま通用しますから、この本のテーマは古いものでもあるわけです。 (上)pi (日本語版への序文) まさにそのとおり、心理は時間も空間も超える。そういえば、先日より、当ブログのサブタイトルは「New Man : One Earth One Humanity」ということになっている。外側の統合には限界があり、内側においてゼロを発見することによって、人間の人間らしい状態が生まれる。そしてそこからすべてのものが生まれる。 しかしながら、アサジョーリのサイコシンセシス理論はともかくとして、この本は、流動的で時事的な外側の情報を満載してしまった。その点が、どうもこの本がちぐはくなイメージを生み、中に飛び込んでいけない薄っぺらさを感じさせるのかも知れない。