|
カテゴリ:カテゴリ未分類
先日、五年ぶりにおとずれた漁港で、いつものように釣りをしようとしてたら、地元の漁師さんに文句をいわれました。。
「おかしいな。五年前はここで釣りしてたのに。。」 よく見ると、自分のいた波止には誰もおらず、対岸の波止には、隙間のないほどびっしりと人が釣りをしていました。唖然とした僕は割り込んで釣りをする気にもなれず違う漁港をめざしました。。 他にも、つい最近まで投げ釣りを楽しんでいた場所に巨大な柵が出来てたり。。僅かに残った場所に釣り人が肩を寄せ合いひしめき合って釣りをしている常態をしばしば見かけます。。 海はみんなのもののはずでは? 釣りは老若男女すべての人が自由に楽しめるものではないのか? そもそも、なぜこんなことになったのか? たしかに釣り人にも原因はあります。。 今までの僕の目撃した経験でいえば、ジュースの缶は海に投げ、立ち入り禁止の金網はやぶるわ、ゴミは釣り場に放置するわ。。さんざん釣りを楽しんでおいて、あとはやりっぱなし。。それだけではありません。漁師さんがせっかく放流している海産動植物(例えばあわび、さざえ、魚の稚魚など)を違法にこっそり乱獲していく輩もいます。。 こんな状況を、じっと文句もいえずただみていたのは地元の漁師さんです。。 漁師さんは、いうまでもなく漁業権を取得し海を生活の糧としています。。もし自分が、地元の漁師さんだったら? 自分たちの仕事場で庭先で、それをされて果たして、我慢しているでしょうか? ソーラス条約は、目的が違います。。 しかし、この法律が、今までだまって我慢してきた漁師さん達の「反撃」のきっかけとなったことは確かです。。 いつものように釣りをしにきて、僕のように文句をいわれた釣り人はたくさんいると思います。その大半が、「海は万人のものだろう」「なぜ釣りをしてはいけないのか」「文句を言われる筋合いではない」という気持ちになるでしょう。かくゆう僕もその一人です。。 でも、よくよく考えて見ると、法律のせいではなく、漁師さんたちのせいでもなく、もちろん時代のせいでもなく、 今までしたい放題してきた釣り人への「つけ」なのです。。 近い将来、釣りをしたかったら、「この場所で、ショバ代を払って時間制限の中で釣りをしなさい」と役人が税金を投入して作った、フィッシングパークのような場所でのみ釣りを許される時代が来るかもしれません。。 地元のボランティアの方々が、海岸をゴミ拾いをして歩いている光景・・・ その真ん中で、平然と釣りをする勇気ありますか? 綺麗ごとだ。。。で、かたずけていいのだろうか? でも、これが今現在の現状です。。。 みなさんは、どう思われますか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年09月26日 16時55分44秒
コメント(0) | コメントを書く |
|