ローマ人の物語(5)
「ハンニバル戦記(下)」のスタートは、若きスキピオのシチリア赴任から。 彼は、そこでカルタゴ本国のあるアフリカ遠征の準備を進め、 いざ、アフリカでの戦が始まると、快進撃を続ける。 一方、ハンニバルは本国からの帰還命令を受け、南イタリアを後に。 二人の名将によるザマの会戦は、ローマの勝利で終わる。 カルタゴは、ローマから示された厳しい講和の内容を受け入れ、 第二次ポエニ戦役は終結、自治国として存続することになる。 しかし、50年後に起こる第三次ポエニ戦役で、カルタゴは滅亡してしまう。 *** 戦略家としてならば、ハンニバルは大きな誤りを犯している。 「ローマ連合」の解体が、容易に可能であると見た点である。 社会の階級が固定しているカルタゴの人間であるハンニバルのとっては、 勝って寛容になり、敗者さえも協力者にしてしまうローマ人の生き方は、 理解を越えていたのだろう。(p.82)弱小の一都市国家ローマが、ここまで大きく発展してきた理由を、明快に示した一文。そして、次もまた、そのローマ人の生き方を示した好例である。 ギリシア人には、ほとんど信じられないことであった。 他民族であるローマ人が、危機に瀕していたギリシアの独立と自由を救うために、 彼らの費用で彼らの血まで流して闘い、 しかもその後で全軍を撤退するということが信じられなかったのである。(p.109)さらに、マケドニアの国王フィリップス五世が、ローマ軍に完敗を喫し、ローマの出した条件での講和を結ばざるをえないことになった際の次の言葉は、深く重い。 自立した市民の数が多ければ多いほど、その国は強く、 農耕地の手入れもゆきとどいて豊かになる。 ギリシアの現状は、これから最も遠いところにある。 反対に、自由な社会のあり方を進めているローマを見るがよい。 あの国では、奴隷さえも社会の構成員だ。 何かあるとすぐ、彼らにさえ市民権を与える。 市民にしてやるだけでなく、公職にさえ就かせる。 立派なローマ市民だと思って対していると、 一代前は奴隷であったなどということは始終だ。 結果として、われわれは、地からわいてくるのかと思うほどに、 いつも新手のローマ人とあい対さざるをえないことになる。 このやり方でかくも強大になったローマ人に、誰が勝てるというのかね」(p.114)しかし、そのローマも、時代を経てさらに発展し、様々な指導者が代わる代わる上に立ち、それぞれの考えや個性で国をまとめより多くの地域・人々と遭遇していく毎に、いつまでも同じパターンの行動ばかりを示し続けることが難しくなっていく。 紀元前753年に建国してから、6百年以上もの歳月、 ローマは、敗者であろうとも地上から抹殺するようなことは、一度としてやらなかった。 それが前146年になるや、コリント、カルタゴとたてつづけである。 しかもこれらに加えて、カルタゴ消滅の13年後には、スペインのヌマンツィアも、 カルタゴと同じ運命をたどった。(p.201)