Bigkojo Diary

2009/01/27(火)23:47

阪神大震災

その他(4)

1月17日、阪神大震災の日。戦後最悪の地震被害。 もう14年になりますか。もう2度と、と思いたいのですが、 こればかりは天災なので、如何ともし難い。 その日その時刻。私は起きていた。確か火曜日。 成人式がまだ1月15日のころ。1月16日が振替休日。 前の日に夕食の買い物をした。いまでは普通に売っている 「ビントロ」の刺身。ラベルには「びんちょうまぐろ(トロ)刺身」 と書いてあった。 場所は東京。実家の大阪を離れ、大学の寮で生活していた。 せっかく買った刺身を食べずに寝てしまっていて、 早朝5時半ごろに目が覚める。個室から学寮の共有スペースへ。 ご飯を盛り付け、刺身としょうゆ、わさびを用意。テレビもつける。 NHKの朝のニュースを見ながら遅い夕飯を食べていた。 宮田アナウンサーがしゃべっている。 私はビントロの刺身をおいしく食べていた。 すると突然ニュース速報。5時46分。 確か「東海から関西の広い範囲で地震がありました」と書いていた気がする。 そこから地震関連のニュースに切り替わった。 最初に電話が繋がったNHKの現地の記者が、「かなり揺れましたが 周囲は平静、大丈夫ですよ」などと言っていた。すぐ大阪の実家に電話した。 実家は無事。NHK記者と同様、「かなり揺れたが大丈夫」と言っていた。 ご飯も食べ終わり、「記者も実家も大丈夫ゆうてるから大丈夫やろ~」と 勝手に考えた。満腹になったので大学に行く前にもう一眠り。 次に起きたのは9時半頃。テレビで火事の映像。はて、どこぞで火事かな、 と思ったら、なんと地震の被害。神戸だった。一瞬わが目を疑った。 大丈夫ゆうてたのに、なんでやねん??? おそらく、最初に電話が繋がったNHKの記者は比較的揺れが少ない地域に いたのだろう。そのあとすぐに被害の映像や連絡が届くはずもない。 あれだけの地震で電話も含めたインフラがずたずたになったせいだ。 今と違い携帯電話もほとんどない。しかも早朝。報道が鈍くて当然だった。 その後は皆さんがご存知の通り、何千人もの尊い生命が失われ、 沢山の人が親や子供、友人を失った。神戸・長田区を中心に 甚大な被害が出た。亡くなった方のご冥福をお祈り申し上げる。 どうしても忘れられない映像がある。 一家4人暮らし。一軒家が全壊し、母親だけが生き埋めに。 父親と子どもは必死に助けようとしたが、努力の甲斐なく、 母親は亡くなった。母親を救えなかった父親が「ちくしょう!」と言って 号泣していた。そのとき、将来の私自身を重ね合わせた。 今、私は妻と娘と東京に住んでいる。関東はいつ大地震がきてもおかしくない。 自然の前には人間は無力だ。が、その時に備え、できるだけの事を やっておきたい。

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