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テーマ:心のケア(1167)
カテゴリ:そうでしょうか ?
小林一茶は 強欲のひとだったという記事が目にはいって
きました。 小林一茶の句は 皆様よくご存知と思います。 すずめのこ そこのけそこのけ お馬が通る やせ蛙 負けるな一茶 ここにあり 何かしら 可愛らしいし ほっこりしてきますよね。 一茶は 江戸時代の俳人でした。 記事によりますと 一茶は イメージと違い 壮絶にして 生々しい遺産相続の主人公でもあった、と発表したひとが います。 著書のタイトルは 一茶の相続争い。 そのものズバリのタイトルです。 著者は 高橋 敏氏。 国立歴史民俗博物館 名誉教授。 一茶は 長野県出身。15歳で 江戸へ奉公にでたらしい。 ふるさと訪問は ほとんどせず 仕送りもしていなかった そうです。 父親の死の直前に 郷里へ帰り 死に目には 立ち会ったそうです。 家を ほぼ出たっきり状態だったにもかかわらず 一茶は 遺産の半分 を受け取ったのだそうです。 これに対して 継母とその子は 激怒。 村民たちも 継母に同情していましたから 一茶を罵倒。 一茶は 無視。 財産を手にいれるまで12年間もかかったようです。 さらに 異母弟 ( 継母の連れ子だったのか 一茶の実父と継母の間に 生まれた子なのかは わかりませんが )が 相続問題の決着をみるまでの 12年間の家賃まで請求していたそうで 高橋教授は 一茶は 強欲と しているようですが。。。。。 カウンセラーをしていると そうそう単純には 考えないのですよね。 日本人的な考えからすると 長年 実家には寄り付きもしなかったら まず財産相続ということは 考えないひとのほうが多いかもしれません。 この母子が やりくり算段をして 一茶の実父の世話をしていたのでしょう。 だから 村民たちは 一茶の継母の味方だったのでしょう。 思うに 一茶は もしかしたら この継母からいじめられていたのかもしれ ません。 継母は 我が実子のみを あからさまに可愛がっていたのかもしれません。 その責任の恨みが 父の死をもって 噴き出した、とは考えられませんか。 つらい思いをしつづけて 何年もすごしたとすれば 継母、異母弟に対する 怒り、憎しみには 深いものがあります。 まさに怨念。 思い通りにさせてなるものか。。。。。 単に強欲とは 思えませんが。 高橋教授は 続けています。 一茶は 「父の終焉日紀」というものを書いていたそうで そのなかには 父親を 献身的に看病していあることが書いてあるそうですが これは 自らを正当化する ために 脚色されていると 高橋教授はみているそうです。 一茶の性格は すずめのこややせ蛙の作風とは真逆の強欲のひとだったのでは ないか、と。 意外や意外の 解釈に う〜ん、、、、と思いましたが 皆様の感想は いかがでしょうか。 笑顔で あいさつはうまくできましたか。 Have a good day ! 行ってらっしゃい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017.09.22 08:32:26
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