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カテゴリ:国内旅行365
こんにちは。
それは、こちら。
本日は、第4章の「武田信玄の本拠地・躑躅ヶ崎館と武田一族ゆかりの歴史スポットを巡る」から。
1.豪壮な門と静かな美しい庭園がある長禅寺
今回も、山梨県甲府市の観光スポットのご紹介です。前回、足を捻挫し、ウォーキング人生最大級のピンチに陥ったのでした。
ただ、若い頃はもっとキツイ目にあったことがあるのですよ。山形県の米沢へ行ったとき、ちょうど台風の暴風雨に巻き込まれてしまったのです。
しかも、砂利道ですべって足を捻挫してしまいました。当時は、台風の影響で、東京への直通ルートがすべてストップ。足を引きずりながら電車を乗り継ぎ、日本海ルートで生還したのでした。
あの時に比べたら、今回はまだ悲観することはないですな。
…ということで、中央本線の線路沿いを歩き、次に向かったのは長禅寺。 この臨済宗のお寺は、東光寺、能成寺、円光院、法泉寺とともに甲府五山のひとつとなっている由緒ある寺院。
甲府五山は武田信玄が定めたと言われており、なんと、その筆頭にあげられる名刹だそうです。信玄の母・大井夫人の菩提寺でもあり、その武田信虎夫人像は国指定重要文化財となっておりまする。
私はあまり寺社建築には詳しくないですが、こんな巨木を使った山門はあまり見た記憶がないような。質素だけど豪壮という武田家のイメージぴったりだと思いました。
こちらのお寺には、三重塔のほか五重塔もあるのですか。二つも塔のあるお寺は珍しいかもしれませんね。
そして、何よりこの庭が素晴らしい。さすが、甲府五山の筆頭のお寺に恥じない気品が感じられました。
2.甲府市内を一望できるみはらし台
長禅寺の庭の景観に心を癒されて、次の目的地へ向かいます。山梨英和高校の校舎近くの道を歩いていくと、次第に急な坂道に…。
捻挫している足首がズキズキし始め、痛みをこらえながら坂道を上りました。やがて、視界が開けた場所に到着。 ここは、みはらし台と呼ばれてる場所なのだとか。
それほど標高は高くないですが、高層ビルと呼べるのはひとつしかないので、甲府市内を一望することができました。 よく見ると、さきほどいた甲府駅や甲府城が見えます。はるか彼方には、南アルプスの名山が…。360度山に囲まれており、甲府が盆地だということがよくわかりました。
ここは、山裾古の道というウォーキングコースのビューポイントとなっており、足首を休めるベンチがあって有難かったです。
3.武田信玄の父・信虎の墓がある みはらし台で少しインターバルをとり、再び歩き始めます。みはらし台までは少し上り坂でしたが、ここからは山裾の平坦な道。元気だったら、スキップしてもいいくらいの快適なウォーキングコースですね。
やがて右手に、大泉寺の看板が…。 ここは、武田信玄の父・武田信虎のお墓があるお寺。武田信虎といえば、息子の信玄に駿河に追放されてしまった人物ですね。追放された理由にはさまざまな説があるようです。
息子の信玄があれだけの英傑に育ったことから考えても非凡な人だったことは間違いないようで。事実、信虎は家督を継いでから、領土を広げたり、それまでの本拠を石和から甲府に移したりして、武田家発展の礎を作ったとも言われておりまする。
武田信虎と言うと、大河ドラマで彼を演じ、先日亡くなった平幹二郎さんを思い出します。まさに、はまり役で、平さんのお墓参りをするような気分になりました。
荘厳な参道を行くと、本堂の後ろに武田信虎のお墓がありました。甲斐国を追放された信虎は流転の人生を歩み、最後は高遠城において81歳で亡くなったらしい。当時としてはものすごく長寿で、なんと息子の信玄より長生きしたのですね。 国主という肩の荷を下ろして、ゆったりした人生を歩めたからかもしれませぬ。
それにしても、お墓の場所がわかりづらい。間違えて、本堂の裏の墓地の方へ行ってしまいました。本堂の真後ろにあったのですね。
両端にあるのが信玄と勝頼の墓とのことですが、今は仲良く並んで葬られているのですか。 ここに埋葬されたという信虎の墓はわかりますが、信玄と勝頼の墓はどういう経緯でここに作られたのだろうと妄想が膨らむのでした。
4.武田信玄のお墓がある さすが信虎の墓より立派だと思いがちですが、この墓石は江戸時代になって、近隣の人たちや武田家ゆかりの人たちによって作られたものらしい。
信玄が亡くなってから200年間も、葬られていた場所がわからなかったのはそれだけ秘密が守られていたからかもしれませぬ。
5.武田信玄の正室・三条夫人のお墓がある円光寺
武田信玄のお墓から近くのつつじが崎霊園の管理事務所の前に出て、右手の道をしばらく歩くと円光院があります。ここは、武田信玄の正室・三条夫人の菩提寺。こちらも、甲府五山のひとつなのですね。 三条夫人が亡くなったのは、1570年。信玄は在世しており、武田家は全盛を迎えていたので手厚い葬儀が行われたのでしょう。
事実、お寺には信玄の寄進状やゆかりの品々が数多く伝えられているらしいですよ。
三条夫人の墓所の宝篋印塔は当時のものでしょうか。美しい形で残っていると思いましたが、石を組みなおしたという記録があるようです。それでも、戦国時代のものが残っているのは貴重ですね。 並んでいる二つの石灯籠は江戸時代中期のものらしい。時代ごとに整備されながら現在まで残っているのは、やはり武田信玄の奥様のお墓だからでしょう。
このあと、柳沢吉保の菩提寺・永慶寺跡にできた護国神社に参拝した後、郷土の英雄・信玄を祀る武田神社へ向かいます。
城跡ファンとしては、武田信玄の本拠地だった躑躅ヶ崎館の跡と言った方がいいかもしれませぬ。
信玄といえば、「人は石垣、人は城」という言葉が有名です。立派な城を作るよりも、人心を掌握する事が大事であると説いたのですね。
ところが、実際に、躑躅ヶ崎館の跡を訪れてみると、普通の戦国の城をはるかに凌駕する土塁と空堀を目にすることができます。
近くの山上に、その名も要害山城という鉄壁の城もあって、信玄にツッコミを入れたくなりました。
本の中には、躑躅ヶ崎館の要害ぶりの詳しいレポートもありますよ。
ご興味のある方は、是非、こちらをご覧ください。
『 おもしろ歴史ウォーキング 首都圏編 』 ちなみに、本書の目次は、以下の通りです。
『 おもしろ歴史ウォーキング 首都圏編 』
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最終更新日
2018年12月17日 13時37分43秒
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