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カテゴリ:国内旅行365
こんにちは。
今回も、4月発売の最新刊 「おもしろ歴史ウォーキング 最新関東編」からのネタです。
諸事情があって、冒頭の部分だけですが…。
すべての記事は、こちらですよ。
是非、本書もご覧いただければ幸いです。
ちなみに記事は、2020年1月に行った時のもの。取材した頃のように、何の心配もなく出歩ける日が返ってくることを祈っています。
1.山武市の呼び方を知っていますか?
今回は、千葉県の山武市の歴史スポットを歩きます。
ここへ行くのは10年ぶり2回目ですが、前回は、恥ずかしながら、山武市を「やまたけし」と読んでいたことを思い出しました。
駅近くの観光案内所で観光マップを手に入れたとき、「 Nostalgia Land Sammu City 」と書いてあるのを発見したのです。すんでのところで、恥をかくのを免れた、と…。
(512文字略)
それに比べたら、山武市の由来は郡名の山武郡(さんぶぐん)からだそうなのでわかりやすいですね。
山武郡は、上総の国と呼ばれたこの辺りに、奈良時代から山辺郡と武射郡があったらしい。それが、1897年に合併して山武郡になったのですか。合併して山武市となった名前のルーツも、合併によってできたものだとは知りませんでした。
2.駅から歩いて行ける戦国時代の魅力的な城が2つも
山武市にまつわる前振りが長くなってしまいました。1月の風が強い日の朝、JR総武本線成東駅へ降り立ちました。 10年前に来たときとあまり変わらない駅前の風景が、なんとなくうれしい。前回は、駅前のロータリーから成東城へ向かったのですが、今回は新たに開拓した観光スポットをまず目指します。
それは、ネット検索で見つけた津辺城。城跡を紹介するさまざまなサイトによれば、戦国時代の息吹が感じられる遺構が残っているらしい。しかも、成東駅から徒歩20分もかからないとか。
これは、行くしか選択肢はないですね。
野趣あふれる写真や縄張り図によると、観光化されていない分、当時の雰囲気が味わえそうだと感じました。
前回、訪問した成東城も、土塁や空堀などが良く残っていた記憶があります。しかも、どちらの城も駅から歩いて行けるのがうれしい。
駅近の戦国の城跡が2つもある町として、山武市はこれから城ファンの注目を集めるかも、と考えたのでした。
3.台風15号の被害で、さらに難攻不落になった津辺城
駅前の観光案内所で、市内観光のパンフレットをゲットしてから、早速城攻めを開始します。
地図によると、津辺城は、ロータリーの方向から線路を挟んだ反対側にあるのですな。静かな住宅街を歩き、津辺城近くの日吉神社に到着。
津辺城への案内板はなく、城跡の近くにあるという神社を目印に歩いてきたのです。着いたときは、ここで間違いないと少しほっとしました。
まわりには土塁が巡らされていますが、当時のものかどうかはわかりませぬ。
そこを何とかくぐって、広い郭へ足を踏み入れると、至るところで巨木がなぎ倒されているのが目に入りました。根っこがスッポリ掘り返されて、大きな穴も至るところに開いている。
どんな吹き方をすれば、こんな巨木が何本も、しかも根こそぎ倒すことができるのか、当時の光景を思い浮かべて鳥肌が立つのでした。
そのような場所を5分も歩いていると、方向がすっかりわからなくなってしまいました。
来る前に、城の縄張り図をブリントアウトして持ってきたのですが、それを見ると、150メートル×100メートル程度の広さなのに…。
4.倒木と複雑な縄張りに阻まれ、攻城戦に敗北
どこまでも続く森に迷い込んだような感覚。風が強く、スギの木がザーッと鳴るたびに、戦国の武者が雄叫びをあげながら突進してくる光景がフラッシュバックしました。
戦闘のプロフェッショナルに出くわしたらまず助からないと思いつつ、なおも前進すると、深い空堀が目の前に現れます。
現在いる場所が、恐らく2郭だから、この先は1郭ですかね。縄張り図を手に、1郭への虎口を探しても、なかなか見つからない。
空堀に囲まれた桝形があり、馬出郭から土橋を渡ると1郭に入れるみたいなのですが…。
深い空堀の端を移動して、出入り口を探そうとしても、行く先々で倒木が行く手をシャットアウト。土橋の存在が確認できないので、そもそも空堀の向こうが1郭かどうか確信できなくなってきました。 (488文字略)
成東城は観光スポットとして整備されているので、津辺城も整備されたら、山武市の観光のツートップになるのは間違いありませぬ。
難しい理由があるのかもしれませんが、お城ファンの一人として切に願うのでした。
5.訪れるたびに新たな発見がある成東城
境川近くの道を歩き、成東駅に戻ります。途中、左手に見える小高い丘にも、かつて富田城という戦国の城があったらしい。
これから向かう成東城も戦国時代に活躍し、江戸時代の初期まで存続したのですね。徳川家康が関東へ入封されたときには、2万石の城となったらしい。ところが1620年に、城主だった青山氏が武蔵国岩槻城転封に伴い廃城となったのですか。
成東駅からしばらく歩いて作田川を越えると、目の前に緑豊かな丘が目に入ります。
結構、坂が急で、成東城の要害さが体感できます。モナコグランプリに登場するようなヘアピンカーブも、なかなか壮観です。
丘の上に立つと、目の前に城の遺構はなく、一戸建ての住宅が建ち並んでいる。そういえば、成東城は、住宅街から奥まった城跡公園に遺構が残っているのでした。
前回来た時、城の規模はたいしたことないと、少し軽んじてしまったことを思い出しました。もちろん、現在の住宅街も当時は城の一部だったのですが、当時は、戦国時代の城に対する認識が浅かったわけで。
最近は、以前、訪れたときにたいした遺構が残っていないと気落ちした城が、再び訪れると、何でこんなすごい部分に気付かなかったのだろうと思うことがよくあります。
この成東城は、まさに二度目がおいしい、の典型のような城でした。
住宅街の端に広がる森が、成東城跡公園。
(以下、「おもしろ歴史ウォーキング 最新関東編」に続く)
このあと、成東城の二の丸と本丸を歩きまくります。
標高は45メートルくらいだそうで、二の丸からは山武市の市街を見渡すことができました。下を見ると切り立った崖で、高い防御機能を持っていたことがわかります。 推定本丸と推定二の丸との間に、空堀が二つもあるのは珍しい。二つの空堀の間には高い土塁があり、上は曲輪のように平面になっているのも印象的でした。
気になったのは、なぜ 推定本丸と推定二の丸と言われているのか、という点です。 本書の「6.推定本丸と推定二の丸の謎」の中で、自分なりに、その謎の解明に取り組んでみました。
ほとんど明らかにされている近世の城に比べて、中世の城は、素人でもフリーハンドで考えられる部分が残されているのが魅力のひとつですね。
関東の歴史ウォーキングの醍醐味が味わえる続きは、是非、こちらをご覧いただければ幸いです。
「おもしろ歴史ウォーキング 最新関東編」 (参考) 目次より 第1章 絶景とスリルに満ちた駅伝歴史ハイクで、エメラルドの伝説に挑む 埼玉県小川町 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年06月27日 13時50分39秒
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