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カテゴリ:国内旅行365
こんにちは。
今回も、4月発売の最新刊 「おもしろ歴史ウォーキング 最新関東編」からのネタです。 ご紹介するのは、第6章の『 眺望バツグンの波切不動尊と「野菊の墓」の作者ゆかりの土地を歩く 千葉県山武市 』
諸事情があって、冒頭の部分だけですが…。
すべての記事は、こちらですよ。
是非、本書もご覧いただければ幸いです。
ちなみに記事は、2020年1月に行った時のもの。取材した頃のように、何の心配もなく出歩ける日が返ってくることを祈っています。
1.清水の舞台のような建物が目を引く波切不動尊
今回も、山武市内を歩きます。成東城跡を堪能したあと、再びヘアピンカーブを通って市街へ。
本行寺という、コンパクトな庭が美しいお寺にお参りした後、昭和にタイムスリップしたような懐かしい雰囲気の商店街を歩きます。 門をくぐった先には、小ぶりな丘があり、その中腹には特徴的な建物が…。 露出した大岩の上にダイナミックに突き出るような形。清水の舞台を小さくしたような外観ですな。ちなみにこれを、懸崖造りというらしい。
鮮やかな赤色で、一見、新築されたように見えます。ただ、江戸時代に作られた建物を現代まで改築を加えながら守り続けてきたのですか。
「波切不動尊」と呼ばれており、正式には、「長勝寺」と言うのですな。「波切不動」のネーミングは、江戸時代、漂流した漁船を寺の灯りが導いて、無事に難を逃れたことに由来するらしい。
その灯りが、荒波を切り裂いて、海上を走ったという言い伝えがあるそうです。
2.天平、平安時代のもっとも有名な僧ゆかりの寺院
この寺の縁起によれば、創建は天平時代の731年で、行基が東国を訪れたことに始まるらしい。この付近の海で難破する船が多いことから、海難除けとして不動尊像を作り、一寺を建てたのですか。
平安時代の初めになって、弘法大師がこの地を訪れ、現在の場所に寺を移したと言われています。
行基と弘法大師という、それぞれの時代を代表するお坊様に関連があるとはすごいですね。
早速、お参りせねばと、岩山に作られた階段を上ります。
階段の途中には、弘法大師の袈裟掛け石と硯石がありました。私が訪れるお寺には、弘法大師ゆかりの伝説が残っているところが多い。それだけ、西国はもちろん東国も数多く歩き回られたのですね。ウォーキングのカリスマという一面も尊敬するのでした。
中腹には、古いお堂があり、そこには、「ぼけにかつ」という紙を持ったお坊さんのイラストがあります。 私は、体力的にはまだ大丈夫だと感じていますが、最近、物忘れに不安が出てきたのを思い出しました。
ボケ封じのために、しっかりとお参りしたのは言うまでもありませぬ。
3.お参りするのを忘れるほどの見事な眺望
そこから、本堂まで急な階段を上ります。下からお堂を見上げると、柱がたくさん並ぶ様子は、まさにミニ清水の舞台。 本堂の周りは回廊になっていて、そこからは、街が一望できました。 遥かかなたに、太平洋の大海原がぼんやり霞んで見えます。 ちなみに、この本堂がある石塚山は、標高約30メートル。中腹にあるということで、お堂の高さはもう少し低くなるまず。都心だったら、この山より高いビルはたくさんあるでしょう。 周りに高層ビルがない風景は、写真で見た昭和30年代の東京をイメージしてしまいます。
回廊に立っているときは気づかなかったですが、板一枚下には何もない。傍から見ると、かなりスリルを感じてしまいますな。 社殿の背後には、千葉県天然記念物に指定されている石塚の森という自然林がありました。
申し訳ないですが、文系人間としてはあまり植物には詳しくありませぬ。
興味があるのは、成東城の近くに、見事な眺望の高台が存在すること。物見櫓とか作られていなかったかなと痕跡を探したのですが、よくわかりませんでした。
もっとも標高は、成東城のほうが少し高いので、わざわざ見張り所を置くニーズは少ないかもしれませんが…。
絶景に大満足して、再び急な階段を下り、門をくぐって次の目的地へ行こうとしたとき、大失態を演じてしまったのに気付きました。
本堂に、お参りし忘れた…。
眺望に満足して、回廊をぐるっと、歩いただけで降りて来てしまったのでした。お寺にお参りするのが目的だったのに…。
先ほど書いたように、本堂に安置されている不動明王は、奈良時代の僧行基が彫ったと伝えられています。前回、来た時はしっかりお参りしたと思いますが、仏像の記憶はほとんどありません。
もう一度、岩山を登ろうかと悩んだのですが、この先も歩かないといけないので仕方なく断念。
門のところからのお参りを余儀なくされたのでした。
それにしても、お寺に来て、お参りを忘れるとは…。
先ほどのボケ封じは、当日は効力がないのかもしれないと思ったのでした。
4.日本初の天然記念物に指定された成東・東金食虫植物群落がある
山武市の観光スポットで忘れてならないのが、天然記念物に指定されている食虫植物群落地があること。
今回は、津辺城へ行ったので、残念ながらここへは行けませんでした。ただ、前回訪れて、そこへ行くまでの道が魅力的だったので、ご紹介しておきましょう。
(以下、「おもしろ歴史ウォーキング 最新関東編」に続く)
このあと、伊藤左千夫記念公園で、「野菊の花」の主人公の民さんと政夫の銅像に出会います。 伊藤左千夫が後世に大きな名を残したのは、43歳のとき書いた「野菊の墓」の存在があるからでしょう。
「野菊の花」と言っても、現代の若者は知っていますかね。私たちの年代も怪しかったのですが、あるアイドル歌手が映画で民さんを演じたことで、一気に知名度がアップしました。
ここ山武市は、伊藤佐千夫の故郷であり、今も生家が残っているのですよ。生家の隣には、山武市歴史民族資料館があり、2階の常設展示室には、伊藤左千夫の生涯や作品、遺品などが展示されています。 ここで私が目を引いたのは、彼の風貌と作家になる前の職業でした。作品の内容から、作者をイメージすることはできない、と…。
関東の歴史ウォーキングの醍醐味が味わえる続きは、是非、こちらをご覧いただければ幸いです。
「おもしろ歴史ウォーキング 最新関東編」 (参考) 目次より 第1章 絶景とスリルに満ちた駅伝歴史ハイクで、エメラルドの伝説に挑む 埼玉県小川町 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年07月11日 13時09分56秒
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