武蔵国トップの古墳があるさきたま古墳群は、特別史跡をステップに世界遺産登録を目指す 埼玉県行田市
こんにちは。 かなり間が空いてしまいましたが、本日は、新作 「おもしろ歴史ウォーキング 武蔵国編」からのネタです。 新たに取材したネタと写真をもとに書き下ろした本書は、東京周辺の歴史スポットの紹介で人気を博しております。 今回は、第4章の『 武蔵国トップの古墳があるさきたま古墳群は、特別史跡をステップに世界遺産登録を目指す 埼玉県行田市 』をお送りさせていただこうか、と。 諸事情があって、冒頭の部分だけですが…。 すべての記事は、こちらですよ。 是非、本書もご覧いただければ幸いです。 1.埼玉の名前発祥の地、行田 本章は、行田編の続きです。 忍城は戦国時代の歴史スポットですが、行田市にはそれに勝るとも劣らない古代の観光スポットがあるのでした。 そのヒントは、市内にある「埼玉の名前発祥の地、行田」という看板が示してくれます。 ただ、埼玉のネーミングの由来って、あまりイメージがわきませんね。実は、由来の候補がいくつかあるのですよ。 その一つは「幸魂(さきみたま)」という言葉から来たというものです。 「幸魂(さきみたま)」の「魂」は、「玉」の意味でもあり、勾玉(まがたま)は埼玉県にゆかりの深いものらしい。 そういえば、埼玉県の県章は、勾玉16個を円形に並べたものでした。 でも、どうして「勾玉」と埼玉県がリンクするのでしょうね。「勾玉」はそれほど珍しいものではないし、他の土地からも数多く出土していると聞きました。 ところで別の説もあるそうなのですよ。 それは、「さき多摩」がなまって「さいたま」になったというもの。 昔は多摩に国府が置かれ、多摩への交通が開けたとき、埼玉は多摩の前方にあったために「さきたま」と呼ばれたという説です。 どちらの説もそれらしいですが、ほかにもあるらしい。 律令による国郡制度が発足した当初から、この地域は前玉郡(さきたまぐん)と呼ばれていました。 奈良時代に編纂された「万葉集」にも、「前玉(さきたま)」や「佐吉多万(さきたま)」という地名を記した和歌が収められているそうです。 平安時代になって、「さきたま」が「さいたま」と呼ばれるようになり、やがて、より広い地域を指す言葉として「さいたま」が使われるようになったのですか。 明治になって廃藩置県が行われると、埼玉県域のうちもっとも大きい面積を占めていた旧埼玉郡を県名に採用したらしい。 実は現在も、「埼玉県行田市埼玉」という地名があるのでした。読み方は、「さいたまけんぎょうだし さきたま」。 行田市埼玉の地は、巨大古墳群の所在地でもあり、それらの古墳に眠る豪族を祀ったといわれる前玉神社(さきたま神社)の鎮座する場所。 前玉神社は、「幸魂(さいわいのみたま)神社」とも言い、埼玉の名前のルーツはこの神社とも言われているそうです。 最初に白状すると、行った日は、こんなすごい神社と知らずにスルーしてしまうという失態を演じたのでした。 しかし、これから紹介させていただく古墳群のすごさを目の前にすれば、そちらに気を取られても仕方ないかも。 2.令和初であるとともに、埼玉県初の「特別史跡」に指定されたさきたま古墳群 自分の失態の言い訳をしつつ、埼玉県のルーツとも言える行田市埼玉へ向かいます。 古墳通りをひたすら歩いていると、歩道のブロックに前方後円墳が…。 前回来たときは、こんな洒落た演出はなかったような。これから向かう「さきたま古墳公園」は、2020年3月に、令和初であるとともに、埼玉県初となる特別史跡に指定されたのですか。 なんと言っても、国指定特別史跡ですからね。観光スポットとして、埼玉県が力を入れているのが伝わってきました。 水城公園から歩くこと約2キロ。武蔵水路を超えると、左手に広大な芝生広場が見えてきました。 前回来たときより、公園が広くなり、きれいに整備されているのがわかります。何度も言いますが、さすが特別史跡。 現在の総面積は、37.5ヘクタールもあるそうですが、都市計画では97ヘクタールまで拡張する計画があるのだとか。これだけ大規模な開発を予定しているのは、世界遺産への登録を目指しているからでしょう。 そのチャレンジには、さきたま古墳群と総称される9基の大型古墳の存在が欠かせません。 これらの古墳が作られた5世紀の終わりから7世紀の初め頃とは、有名な大化の改新や壬申の乱より、200年近くも前になるのだとか。 3.前方後円墳の形にまつわるエトセトラ さきたま古墳群の内訳は、前方後円墳が8基と円墳が1基です。前者はかぎ穴の形で、後者はお椀を伏せたような形ですね。 それにしても、古墳の形って、何を考えて作ったのでしょうね。 かなり前になりますが、前方後円墳は、支配者の継承の場として使われたというNHKの歴史番組を見たことがあります。 この記事を書くために調べてみたのですが、まだ前方後円墳の形についての結論は出ていないみたい。 有力なのは、上記で述べたように、お墓が円形、祭壇が方形という考え方です。 それは、亡くなった王は、円い天に葬られることによって神になり、跡継ぎの王は、四角い地の上に立って亡き王を祀ることで支配者の地位を確立するという、古代中国の「天円地方」の考えに基づくのだとか。 ほかには、弥生時代から続く円形の墳丘墓の通路部分で祭祀が行われ、その後、この部分が死の世界と人間界を繋ぐ橋として大型化したと考えられる説も有力らしい。 確かに、円墳は人が死んでその上に盛り土をするという人間の本能に根ざしたような気がします。でも、実際はどうなのでしょうね。 結構、丸と四角を組み合わせたところが味噌なのではないか。 死者の家族や親族が、丸い墓にするか、四角い墓にするかともめる。今も、生前に墓がなくて死んでしまうと、お墓をどうするか、お骨を誰が引き取るかと、もめるケースが結構あると聞きました。 当時の遺族の親戚が集まって、じゃあ折衷案で、丸と四角両方くっつけちゃおうと安易な解決策を模索した結果ではないか。 なんて、以前、勝手なことを考えた記憶があります。 ただ、前方後円墳には、それぞれの地方政権の墓の特色を合わせたという説もあるそうなのですよ。たとえば、弥生時代に作られていたさまざまな形の墓の要素をコラボし、大和政権が前方後円墳を考案したという説です。 ほかにも、民放の歴史番組で別の説を見た記憶もあり、前方後円墳の由来にまつわる説は本当にさまざま。しかし個人的には、邪馬台国の場所よりも、研究が進めば特定されるような気がしますが…。 4.さまたま古墳群と田園調布の深い関係 さて、このさきたま古墳群。 ここにある前方後円墳は、それぞれの形に規格性があるのが特徴のひとつだそうです。たとえば、長方形の二重周堀がある、主軸の方位が大体揃っている、西側に造り出しという施設がある、など。 さきたま古墳群は、古墳時代当時の中央の王権との関わりや地方支配の考え方を研究する上で、とても貴重な遺跡らしい。 (途中「4.国宝の鉄剣が必見のさきたま史跡の博物館」を含む1,671文字略) 5.武蔵国最大の二子山古墳と国宝が出土した稲荷山古墳 博物館を出て、さきたま古墳公園をそぞろ歩きします。 昔行ったことのある大阪府堺の仁徳天皇稜などの巨大古墳は大きすぎて、小山にしか見えなかったことを思い出しました。ここにある全長100メートルくらいの古墳だと、前方後円墳の形がしっかりわかりますね。 そんなことを考えながら、博物館の先にある全長70メートルの奥の山古墳と109メートルの鉄砲山古墳の周りを巡ります。 規格性があるのが特徴と書きましたが、写真からそれぞれの古墳の名前を当てるのは、よほどの古墳通でないと難しそう。 博物館の横の瓦塚古墳では、内堀やブリッジなどが紹介されていました。ここだけ見ると、戦国の城の空堀や土橋にも見えますな。 意外と城のルーツは、古墳かもと思ってしまうのでした。 古墳通りを渡り、反対側の広大なエリアへ。 愛宕山古墳の脇を通りしばらく歩くと、山のように見える巨大な古墳がありました。 これが、武蔵国最大と言われる二子山古墳ですか。 二つの山があるように見えることから、この名前がつけられたらしい。全長は138メートルもあり、近くで見ると本当に自然にできた山のように見えました。 本格的な発掘調査はされておらず、内部埋葬施設副葬品の内容など詳しいことがわかっていないのですか。 古墳を見ると上りたくなるのが人情ですが、二子山古墳は立入禁止ですので念のため。 ああ、古墳に上りたいと思ったら、その先にある稲荷山古墳は、うれしいことに上ることができます。 稲荷山古墳は、国宝の太刀が出土した古墳ですよね。 稲荷山古墳は全長120メートルで、高さが約12メートル。登山道は菜の花が咲いていて、ちょっとしたハイキング気分が味わえました。 (以下、「おもしろ歴史ウォーキング 武蔵国編」に続く) このあと、実物の横穴式石室が見学できるという将軍山古墳へ。 こちらの古墳は、全長90メートルと、少し小ぶりです。しかし、さきたま古墳群の中で、おすすめ度はトップクラスでしょうね。 なんと、石室の中が見られるのですよ。古墳の横に穴をあけて、当時の石室内部の様子を再現してあるのです。 このような趣向は初めてだと思ったら、我が国初の施設なのだとか。 最後に向かったのが、直径105メートル、高さ18.9メートルもある日本最大の円墳、丸墓山古墳。 ここは、忍城水攻めの際、石田三成が本陣として定めた場所でもあります。 確かに古墳の頂上に立つと、午前中に行った忍城の天守、もとい郷土資料館を望むことができました。 ほかにも、「のぼうの城」の小説や映画に登場した「石田堤」の跡など、見どころが目白押し! 東京周辺の歴史ウォーキングの醍醐味が味わえる続きは、是非、こちらをご覧いただければ幸いです。 「おもしろ歴史ウォーキング 武蔵国編」(参考) 目次より 第1章 城跡、藩校、郷土資料館がセットで揃う、武蔵国の貴重な城下町・岩槻を歩く 埼玉県さいたま市 1.小田原だけではなく、岩槻にもあった城の総構 2.江戸城を築いた太田道灌ゆかりの芳林寺 3.かつては岩槻警察署の庁舎だったさいたま市立岩槻郷土資料館 4.埼玉県で唯一残っている江戸時代の藩校・遷喬館 5.さまざまな戦乱の舞台になった戦国最大級の水城・岩槻城 6.岩槻城址公園に残る江戸時代の二つの城門 7.現代に残る岩槻城の痕跡をさがせ 8.今も時刻を知らせる岩槻の貴重な「時の鐘」 第2章 縄文時代を体感できる水子貝塚公園と戦国の城のビジュアルを再現した難波田城をめぐる旅 埼玉県富士見市 1.埼玉県富士見市で、ウォーキングの新たな楽しみ方を発見 2.3つのテーマの景観が楽しめる富士見江川プロムナード 3.ハナショウブの時期には是非訪れたい山崎公園 4.縄文時代のムラを再現した水子貝塚公園 5.縄文時代が身近に感じられる水子貝塚展示館と資料館 6.美しく整備された戦国の平城・難波田城 7.難波田城公園の江戸時代を感じる明治の古民家 第3章 のぼうの城・忍城の痕跡と市内随一の桜の名所・水城公園を歩く 埼玉県行田市 1.のぼうの城の大ヒット前から注目していた「忍の浮城」 2.江戸時代の存在感が伝わってくる大長寺の大仏 3.日本一の足袋どころ、行田を知っていますか 4.三階櫓の眺望と行田の歴史文化がコラボで楽しめる行田市郷土博物館 5.市街地に残る大城郭・忍城の痕跡 6.「忍の浮城」の名残をとどめる水城公園は、市内屈指の桜の名所 第4章 武蔵国トップの古墳があるさきたま古墳群は、特別史跡をステップに世界遺産登録を目指す 埼玉県行田市 1.埼玉の名前発祥の地、行田 2.令和初であるとともに、埼玉県初の「特別史跡」に指定されたさきたま古墳群 3.前方後円墳の形にまつわるエトセトラ 4.さまたま古墳群と田園調布の深い関係 5.国宝の鉄剣が必見のさきたま史跡の博物館 6.武蔵国最大の二子山古墳と国宝が出土した稲荷山古墳 7.将軍山古墳は、実物の横穴式石室を建物の中から見学できる 8.のぼうの城で、石田三成が本陣とした丸墓山古墳 第5章 国分寺、庭園、名水、古刹、総社など、歴史ファン必見のスポットが満載! 古代武蔵国の県庁所在地を歩く 東京都国分寺市・府中市 1.古代の武蔵国の中心地であった国分寺と府中 2.国分寺崖線を利用した絶景が見事な国指定の名勝・殿ヶ谷戸庭園 3.武蔵野の面影が残るお鷹の道と日本の名水100選のひとつ・真姿の池湧水群 4.タモリが作った楼門のある国分寺と全国屈指の規模があった武蔵国国分寺跡 5.訪問するたびに、見やすくわかりやすくなっている武蔵国国分尼寺跡 6.府中高札場は、都内に当時のまま残る2つしかない高札場のひとつ 7.かつては、新田義貞や鎌倉公方の軍事拠点にもなっていたという高安寺 8.古代に武蔵国内の神々を合祀した総社であった大国魂神社 第6章 興味深い歴史アイテム満載の「葛飾区郷土と天文の博物館」と戦国の巨大城塞・葛西城の痕跡を巡る旅 東京都葛飾区 1.江戸川区の葛西ではなく、葛飾区にあった葛西城 2.お花茶屋地域のネーミングに関わった八代将軍吉宗 3.事実上の奥州の国主であった武将が創建した普賢寺 4.リニューアルしてピカピカになった葛飾区郷土と天文の博物館 5.桜の季節は、贅沢なウォーキングが楽しめる曳舟川親水公園 6.子供たちのニーズに配慮したアイテムが満載の上千葉砂原公園 7.美しい桜並木の亀有さくら通りと長崎奉行を務めた旗本の墓がある宝待院 8.戦国の巨大城郭、葛西城の痕跡を探せ! 9.ギネスブックにも乗っている「こち亀」の舞台・亀有 第7章 前田利家をはじめとする豊臣方の大軍を迎え撃ったと言われる武蔵丘陵森林公園周辺の城を巡る 埼玉県滑川町、熊谷市 1.国営武蔵丘陵森林公園の周辺には城跡がいっぱい 2.豊臣の大軍を迎え撃ったという伝説が残る羽尾城 3.東松山市の大城郭・青鳥城との関連の伝承が残る羽尾神社 4.304ヘクタールの広さを誇る森林公園は、見どころがいっぱい 5.山田城が未完成の理由に対する一考察 6.不可解な縄張りの謎の城・山崎城 第8章 歴史好き垂涎の見どころ、エピソードが目白押し! 日蓮宗の大本山・池上本門寺を歩く 東京都大田区 1.日蓮上人が入滅された場所に建つ池上本門寺 2.加藤清正が寄進した長い石段がある 3.大本山の風格が漂う昭和に再建された仁王門と大堂 4.重要文化財に指定された関東最古の五重塔がある 5.古今東西の有名人のお墓がいっぱい 6.日蓮上人に帰依していた池上宗仲の館跡に作られた本行寺 7.丘陵の斜面に、約370本の紅白の梅の花が楽しめる池上梅園 第9章 都会の喧騒から一瞬で大自然にワープできる等々力渓谷と巨大古墳がコラボで楽しめる散歩道 東京都世田谷区 1.23区唯一の渓谷と古墳がコラボで楽しめる街 2.地域のランドマークを競う古墳と五重塔 3.等々力渓谷へ行ったら、忘れず訪れたい日本庭園 4.桜や紅葉が楽しめる見晴らし舞台がある等々力不動尊 5.古墳の形の変遷が興味深い御岳山古墳と横穴古墳 6.帆立貝型古墳として最大級の大きさを誇る野毛大塚古墳 7.昭和の歴史に触れられるゴルフ橋は、等々力渓谷のアイコン