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VOWZOH'S ROOM♪ ~車・釣り・花・Beer~

次女の思い出♪


次女が産まれてからの2年間を日記形式で書いてます。
凄く読みにくいと思いますが、ご了承くださいませ。。。

次女産まれる!

 平成15年1月8日、日勤当直明けてさらに半日の仕事を終わらせ家に帰ると、今日は午前のみの仕事だった妻(妊娠6ヶ月)が帰ってきた。昼食を食べ終わって、洗い物をしていた妻が、冗談で「あっ、おしっこちびっちゃった」と云った。私は「何してんの!早くトイレに行ってきなよ。」と軽く流したが、妻が「出方が変だから破水かも!」と云った。でも妻は余り深刻には考えていないようだが、「一応病院へ行って診てもらおうよ」という私の言葉にいやいやかかりつけの産婦人科へ妻と当時3歳の長女を連れ行った。自宅から車で3分の距離にある病院へ着くと、すぐ診察してくれるとの事で長女と二人ロビーで待っていたが、なかなか診察が終わらなかったのでぐずり始めた。なんとかなだめながら待っていると、私達も診察室へ通された。すでに妻は泣いている。私はやっぱり破水していて、余り良い状態ではないなと感じとった。医師の話によると、「原因、羊膜が破れている場所は不明だが、安静にしていてもこの羊水の残量ではもって一週間。一週間後に生まれてもお腹の赤ちゃんはまだ600g~700g位だから、肺が未熟で無理かもしれない。ここで諦める方法もあるけどどうする?どちらにしてもここでは適切な処置ができないから、すぐ大きい病院に転院しよう」と言った。私達夫婦は何らかの障害が子供に残ろうが、命があればそれでいい、生きてくれるなら前向きに頑張ろうと決めた。その言葉を聞き医師は受け入れ病院を探し始めた。某大学病院が受け入れてくれたようで、救急車に妻と医師が乗り救急車で先に向かった。私は一度家に帰り入院の準備をして、両実家へ連絡を取りながら向かった。病院に着いてすぐ大学病院の先生が、「羊水が残っているうちは安静にして少しでも長くお腹に入れておきましょう、それでも赤ちゃんは助からないかもしれない。23週までだとこちらとしても何もしないで諦めさせるけど、24週0日だから頑張ってみますか?」ともう一度再確認された。俺たちの考えは決まっていることを伝えると、「絶対安静にして、少しでも羊水が流れ出ないように子宮の収縮を抑える点滴をします。可能であれば羊水を足す処置をして一日でも長くお腹におきましょう。」と云った。妻にとっては長い日々が始まった。薬の副作用で吐き気が続き食事もろくに摂れないし、病室には順調に赤ちゃんを産む予定の人、もしくは産み終わって笑顔の人ばかりで、精神的にもかなり辛いようだ。入院していた病室は、産まれた赤ちゃんの部屋から一番近いらしく夜中でも泣き声が聞こえ、眠ることはほとんどできなかったようである。入院5日目に羊水を足す処置をしようとしたが上手くいかず、翌日もう一度やってみるとのことだった。しかし翌日も処置は上手くいかず、羊水の残量は限界をむかえ、お腹の赤ちゃんは動きがとれない状態になってしまった。入院7日目、昼頃主治医より連絡が入り「NICUが一杯になり帝王切開をしても赤ちゃんを管理するベッドがない」と云われ、「横浜市南区にある神奈川県立○○○○○センターへ転院し、すぐ帝王切開を受けてください。もう連絡はとれています。すぐ救急車で向かいましょう。」と云った。今度は長女を保育園に預けってあったので、救急車に私も同乗し、聞いたこともなく、自宅からだいぶ離れたその病院へ向かった。病院へ着くなり入院手続きを済ませたら、本当にすぐ緊急帝王切開を始めるとの事。病院内で隠れながら携帯電話で家族に連絡をとり、実母に長女を連れて実家へ帰ってもらう様お願いをした。実父、妻の家族全員が仕事終わり次第、駆けつけてくれた。心細かった私を皆が励ましてくれた。
 
 1月15日25週0日目、18時すぎに次女が産まれた。体重は674g。「生存率は低くはないが、脳出血が起こりやすく、肺・目・耳などに障害が出やすい、産まれて24時間以内が最も危険である」と云われた。「このまま人工呼吸器が外せないかもしれないし、何があるか分からない。障害がでない確率は20%と低い。」とはっきり云われたが、一週間妻が耐えた辛い時間のことを思えば、ほっとしている妻の顔を見ると、障害がでようと帝王切開が行われて、もう副作用の強い点滴を使わずに済むことに感謝した。後から聞いた話だと、手術中に執刀医の先生や麻酔科医師が楽しい話をして励ましてくれ、前回帝王切開時に切った所と同じ場所を切り、取り上げにくいがなるべく傷が残らないようにと配慮してくれた話をきいた。子宮の癒着が酷かったらしく、医師は「久しぶりに汗かいてるよ。」と云いながら手術が行われたらしい。前々から名前を決めていたので、すぐ次女名前を○○と名づけ手続きを済ませた。しかし次女は、何とか24時間何事もなく経過したものの、体重が増えず、心配は続いた。肌の色は赤く、黄疸も出ているようだ。口には人工呼吸器がつけられ、鼻は栄養を流すため管が胃までつながり、片方の手には点滴用の管があり、足にも管があった。うつ伏せ寝になっている背中にはモニター用のセンサーが三つ。当然私達は何もできず、保育器に入った次女を見つめることしかできなかった。
 
 長女は、妻の急な入院がただ事ではないと子供なりに理解していたようで、妻がいない間、気丈に振舞っていた。妻の実家で初めてのお泊りを経験し、私との二人暮しでもわがままは殆んど言わなかった。しかし、保育園で先生の話だと、先生の姿が見えなくなるとすぐ泣き出し、絶えず視界に入るよう普段は離れないようにして、離れても絶えず視界にいれていたらしい。家でもわがままはいわないが、トイレにいくにも必ずついてきた。妻が退院し家に帰ってくると、寂しかった反動で、あまえたり、わがままを云ったり変わってしまった。でもそれについては、長い目でゆっくりみてあげようと妻と決めた。

 次女は2月に入り、人工呼吸器を外す試みをしたらしいが、呼吸がすぐに止まり、また当分呼吸器のお世話になるらしい。でも少しずつ増える体重と、鼻のチューブからではあるが、増える母乳の量に俺たち夫婦は一喜一憂した。長女の時にはほとんど出なかった母乳が、次女に飲ませたい一身で、妻は3時間置きに搾り続けた。人口呼吸器が、口ではなく鼻からになっただけで本当に喜び、呼吸が止まる回数が減ったと聞けば喜び、ちょっとした変化で毎日喜んだ。主治医は「今のところ目に見える障害はないが、まだ分からないので、検査を続けていきます。体重は平均的に大きくなっています。」と云っていた。4月に入り人工呼吸器のとれた娘の顔を見ることができるようになった。母乳用のチューブは未だあるが、自力で呼吸をしている姿をみると、大分安心できるようになった。疲れたり、眠っていると呼吸を忘れてしまうことがあるようだが、体重が1000g後半になると肉もかなり付いてきて赤ちゃんらしくなってきた。2000gを超えた辺りから、窓越しではあるが、面会ができるようになった。初めて長女に次女を見せると、恥ずかしい!?のか複雑な顔をしていたが、何となく妹という事は理解したようだ。今日は平成15年5月7日。主治医からMRIの結果や今後の目途などの話があるらしいが、大変になると解っていても早く家に帰ってきてほしい。妻も同じ気持ちだと思う。

 平成15年6月2日に長い長い入院生活、そして病院通いも終わった。体重3200グラムになり、呼吸が以前に比べると安定したのでついに退院となる。二日に一回は病院へ母乳を届け、搾乳を続けた妻には頭が下がる。度々病院へ送り迎えをしてくれた実父、何度もお見舞いに来てくれた義父にも頭が上がらない。両家族に感謝の言葉もない。退院後、初めての通院(6月4日の眼科検診)で未熟児網膜症と云われ当分の間通院するよう云われてしまった。最悪失明、強い近視・遠視になるかもしれないと云われ、また妻は落ち込んだ。貧血も続いていて、骨の成長が追いつかず(くる病)、薬は続けなければいけないらしい。やっぱり病院通いは続く…。でも家にいる次女の顔を見て、妻の笑顔・長女の笑顔を見れるのはいいものである。

平成15年10月27日 記

 随分前に内服の必要が無くなり、体重は6キロ以上になった。定期的な内科・眼科への通院は果てしなく続くと思われるが…。一ヶ月位前から首がだいぶ据わり寝返りがうてるようになった。離乳食も同時期から始めている。病院へ受診に行くと、必ず言われることは「順調ですね!」嬉しい言葉である。特に、10月8日○○○医療センターの主治医に久しぶりにお逢いしたときは、先生も喜んでくれているのが凄く伝わってきた。“よだれ”がすごく私達の食事を見つめながら一緒に食べたそうにしている。誰が見ても普通の赤ちゃんにしか見えない。困ってしまう会話に、「何ヶ月ですか?」と聞かれ「○○ヶ月です!」と答えると、必ず「小さいですね」といわれ説明がちょっと面倒くさいことがある…。こんなに健康でいることが不思議なくらいで、“なんであんなに心配したのだろう”と考えることもあるが、今となっては早くも懐かしい気持ちになる。未だに抵抗力は弱いらしく、予防接種類はどんどん受けるよう云われていた。長女の風邪がすぐにうつり一度熱を出したが、大事には至らずほっとした。今現在も鼻水は垂らしている。今年の冬に、子供がかかりやすいRSウイルスに対して人工的に作った抵抗力を上げる注射(シナジス=1本16万円)を一月おきに5回(5ヶ月)接種することになった。これは、昨年保険適応になったばかりで、次女のように超出生低体重児や肺疾患のある乳児が対象で、1シーズンだけ保険適応らしい。このウイルスに感染すると肺炎を起こしやすく、死亡するケースが少なくないようで受けることを勧められた。体重が約7キロ位になると、2本接種で32万円!乳児医療に感謝!感謝!である。この注射は○○○病院で受けることにした。NICUがある病院でのみ接種できるようなので、近い病院にお願いすることにした。インフルエンザ予防接種は次女本人ではなく、まわりの家族“私・長女”が受け、移らないよう気をつける。妻は「嫌だ!絶対かからないよ!」といって聞かない。注射が嫌いだと私は思う(笑)。
これは余談であるが、あるおばさんに「どうしたらこの子のように面長の小顔になるの?やっぱりうつ伏せで寝かせているの?」と聞かれたらしい。
※超低体重出生児は皆面長である。
好きでこの頭の形になった訳ではないし、むしろ初めのころの頭の形の写真を見たら、次女は“落ち込むのでは!?”と思うほどなのに……… 世間は勝手である。絶対に美人・美形になるであろう!!(親ばか)最近は毎日のように夜泣きをしているが、以前のことを思えば妻も頑張れるのではないだろうか!あまり積極的に外へ出られないので家に閉じこもっているが、長女の時ほどストレスはなさそう。気分転換になればと、12月25日にミュージカルのチケットを購入したので、楽しみにしていてくれているようだ。私は毎月プロレスを観に行っているので少しは恩返しができそうだ。

平成15年11月27日 記

 最近、ようやく進みたい方向へ少しずつ移動出来るようになり、部屋にあって手が届くとなんでも口に入れてしまう。笑顔が大分見られるようになり楽しさ、可愛さがましてきた。しかし今でも多少残っているが、体中に湿疹ができ、特に顔がひどく目の周りが腫れ赤くただれ浸出液まで出てきて大変だった。11月20日の○○○医療センター眼科受診の際、あまりにも湿疹がひどいので皮膚科にも診てもらった。顔に関しては小児湿疹(かなり酷い)、腕、足にある丸い一円玉位の湿疹はカビらしい。カビの原因は妻の実家の犬達が一番の有力候補。アトピーではないと聞いてホッとした。弱めのステロイド系のぬり薬と、アンダーム軟膏、保湿のためにヒルドイドソフトと3種類処方してもらい、言われたとおりに塗ると三日で顔はきれいになった。1ヶ月以上も顔の湿疹で悩んでいたのに、魔法にかかったように三日で落ち着いたのには本当にビックリだった。今でも軟膏は続けているが本当にきれいになってきた。話が前後してしまうが、20日の眼科受診で、「未熟児網膜症はもう大丈夫!あとは斜視・近視になりやすいから定期的に通ってください。」との事。これで視力が無くなる心配はないようだ。妻はほっとしたようで上機嫌だった。

平成17年1月15日

今日は次女の誕生日!!
夜はご馳走かな~!!
次女は元気に二歳の誕生日を迎えました。昨年は病院への通院で「順調ですね!」「大丈夫ですね!」といった言葉を言ってもらえた。成長自体は多少遅いようだが、身長はほぼ標準に追いついてきたし、良く食べるし心配はしていない。“逆にこんなに心配しなくても大丈夫なものだろうか?”と思ってしまう位だ。最近は、誰が帰ってきても「おかえり~!」自分が外から帰ってきても「おかえり~!」という(笑)。「あんぱんまん・・・いたっ!」を連呼したりする。ゴニョゴニョ何か話をしている姿がかわいい。このまま元気に大きくなって欲しいと改めて感じた日でした。


平成17年8月末 記

順調に成長を続ける次女。
本当に普通の子供と変わらない所まで成長しているようだ。
今年、冷水プール・海水浴に行って気付いたことがある。
水に浸かって5分もすると、次女の唇が真っ青になっていた。
ブルブル震え始めるが、お風呂やプールが大好きな次女は出ようとしない。
ネットで調べてみたが、やっぱり循環器系が弱いんだと思う。
次の受診日に聞いてみようと思う。



いずれ続く…



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