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2008.07.29
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隈部五夫『機雷掃海戦―第一五四号海防艦奮戦記』(光人社NF文庫,2008) その2

 ◇ メ モ(摘 録)

 ・ 《 》 の内側は私見や所感です
 ・ あくまで備忘録とする為に主観的に気になった点のみをメモしたものです
   内容の要約やあらすじにはなっていません

第一章 卒業と開戦前夜


第二章 応召


第三章 局地警備部隊

・ 捕鯨用キャッチャーボートは南極圏の暴風帯にも耐えられるよう船体は丈夫で、安定性があり、大波に突っ込んでも船内に浸水しない構造であり、舵効きがよく、船橋からの視界も広く、船体の振動も少なかった

・ 特設駆潜隊は船名から見てキャッチャーボートの改装が多かった模様p.46


・ 開戦後の駆逐艦の航海長は予備士官が多かった

・ 特設艦艇でも大型艦には航海長、運用長、機関長、並びに航海士、機関士として予備士官が多く乗っていたが、特設掃海艇には乗組員40名中、艇長として予備士官が1名のみp.50


第四章 第三三掃海隊に編入

《貴重な、海上トラック改造掃海艇の運営者(艇長)としての印象や、対米開戦直前における特設掃海艇への改装作業の様子の証言》

・ 《焼玉エンジンの振動は大きく、しかも船橋が後部にありエンジンに近いため》船橋の振動が甚だしく、双眼鏡を持つ手が揺れて目標が捕らえにくかった。船橋に取り付けられた倍率の大きな双眼鏡は台とともに絶えず振動する為、目標を捕らえるには熟練を要した。p.55

・ 船橋が低く、船首が浮き上がるようになって視界を遮る《海上トラックにほぼ共通》この艇の艇首に砲一門が取り付けられたが、船橋から見ると水平線より上にあるため、死角が非常に大きかった

・ 通常の航行時でも船橋の左右に移動していなければ視界を狭められて安心できなかったp.56


・ 改装においては商船の規則は無視されていた。船底に探信儀用の穴があるほか、船倉が居住区となったため、ハッチの上に兵員の出入口が2箇も設けられ、波で破れそうな木製の扉だったp.57

《この船倉を居住区にした→船倉の蓋であるハッチに兵員の出入口をつける→沈みやすくなる、という貨物船の転用に伴う問題の指摘は大内建二『輸送船入門―日英戦時輸送船ロジスティックスの戦い』(光人社NF文庫,2003)の兵員輸送船についてと同様ですね》


・ 《対米開戦直前の》この頃はまだ未教育者は召集されていなかった

・ 特設艇の艇長は応召海軍予備中尉か大尉、機関長及び分隊士は召集された特務士官であった

・ 特設艇には召集者が多かったが、電信と信号、砲術並びに機銃には現役兵が配置されていたp.61


・ 特設掃海隊として記録に残っている二十五隊のうち、第三三掃海隊のように異なった型の船で編成された隊は他に無かったp.62

・ 《第三三掃海隊 所属の特設掃海艇6隻の要目》
・ 《トン数こそ概ね300トン前後で揃っていますが、主機がレシプロ2隻、ディーゼル2隻、焼玉2隻…》


・ 焼玉エンジンは前進から後進に切り替える時、停止してしまうことがある

・ この為、編隊で一斉投錨する時や着岸するときは非常に苦労したp.65


・ 《掃海方法の説明―当時の係維機雷に対する掃海索による掃海方法》p.68


・ 海軍では毎月左右の錨鎖を交替に片舷に集めて長くし、強風には長く伸ばし、反対舷は短いほうを振れ止めとして錨泊するのが常であったp.87


・ 特設掃海艇にも水中探信義はあったが、焼玉エンジンの音と振動に邪魔されて潜水艦を探し出すことはできなかった。したがって対潜哨戒は専ら肉眼による見張りとなったp.91


・ 第三三掃海隊の初代艇長は昭和17年以降逐次交代し、昭和19年に著者を最後に全員が掃海艇長、輸送艦長、海防艦長に転出p.94


・ 戦後、残された機雷の掃海は掃海部隊によらず海防艦によって行われた。掃海部隊は終戦時には専門家であったが、人員の復員や船の徴用解除を急いだ為p.95


第五章 丁型海防艦


・ 海軍の艦艇は2軸《推進》が普通で、戦闘用の艦艇で1軸は無かったと思うが、丁型海防艦は1軸

・ 丁型海防艦のタービンエンジンは、出入港で機関を頻繁に使用するとき面食らうこともあったが、慣れると不便を感じなくなった。むしろ航行中の音は静かで振動も少なく探信にはディーゼルより適していたかもしれないp.100


・ 甲板は平らで湾曲が無く、雨が降れば上甲板の雨水が部屋に落ちるのでバケツで受けて部屋中が濡れるのを防いだp.101


・ 昭和20年2月7日第一五四号海防艦竣工。艦体は脆弱で機器も故障が多かった。速力試験中に操舵装置の故障(軸受が焼きつき)。操舵装置の故障は全く考えたことが無かったので、驚くというより愛想が尽きたp.106

・ 艦底の潤滑油パイプの継ぎ手の接合不良により《主機の》潤滑油にビルジが混入。主機タービンの羽が錆びていたp.109

《 いくら粗製濫造といっても、操舵装置と主機がこれでは…。さすがは統制経済》


・ 2軸の艦は操艦が容易で潮の流れに関係なく接岸できるが、単軸では潮の流れを考慮し更に錨を使わないと接岸できないp.114

《海兵出身者を小型艦艇乗せない、と批判してきたのですが、実は海兵出身者を小型の特設艦艇や丁型海防艦の艦長にしない理由はこのあたりにもあったのかもしれませんね。》



第六章 米軍投下機雷の掃海の苦闘

・ 当時B29により投下された機雷を磁気機雷と呼んでいた。感応機雷であることがわかったのは海岸や地上に落下した機雷の頭部の起爆装置を分解し調査研究をしてからp.121


・ 掃海作業は漁船2隻と大発2隻で実施。いずれも掃海艇として改装はされておらず、三式掃海具二型磁 式(鋼索に鋼の棒を吊り下げ2隻で曳航する対檻式)と発音弾を積んでいたp.124


・ 掃海索には10メートル間隔で鋼の棒を吊り下げていたp.125


・ 前夜の投下を見て翌日掃海しても機雷を処分できなかった。これは掃海具が機雷《機雷の起爆装置に対し》不十分だったため

・ この機雷は艦船の大小、喫水の浅深に係わらず起爆するので、係維機雷と異なり喫水の浅い掃海艇でも危険p.129


・ 機雷は1分足らずに7から9個が落下。落下傘が付いており、着水間隔は300メートルくらいp.136


・ 《著者の米軍が投下した感応機雷の起爆装置に関する所見》p.142-


・ 陸上からの監視では機雷の投下位置と個数を正確に掴む事は難しく、海上で機雷投下海域に錨泊することは危険ではあるが監視し掃海を指揮する上では最適だったp.147


・ 応召以来3年間掃海隊にいたが、感応機雷についてもその処分方法についても聞いたことが無かったが、昭和19年には高雄に既に投下されていたと後になって知らされたp.150


・ 司令部が《関門海峡の》航行禁止解除を発令する際には50トン以下の小型船から解除した

・ 当時50トン以下の船は内航海運の機帆船くらい。船長が夫で機関長が奥さんという組が多かったp.155


・ 《米軍の感応機雷による艦種別の沈没状況概観》p.157-

・ 木造、焼玉エンジンで50トン程度の機帆船でも感応機雷は起爆p.158


・ 触雷し沈没しそうになっている船が航路を塞がないように移動させるのも掃海隊の仕事と考えていたp.161


・ 関門海峡東部の機雷戦開始以来の通行艦船は小型船舶が多く、沈没も小型船が多かったp.163


第七章 わが軍敷設の機雷を掃海

・ 海防艦は、後甲板の砲と爆雷投射器をはずして掃海甲板とすればあまり手を加えないで掃海に使えるようになっていたp.190


・ 海防艦はすべての点で《特設掃海艇より》操艦も作業も容易であったp.193


・ 応召海軍予備仕官名簿で現在厚生省に残されているのは、昭和19年9月1日現在のものが最後となっている

・ 応召予備士官と戦没予備士官を調べようとしたが、この名簿にはそれ以降の商船学校卒業者が含まれておらず、また、昭和19年9月1日に召集解除となった人を調べる必要があるp.214


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最終更新日  2008.07.30 21:19:22
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