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帝国陸軍好きの読書ノート

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2014.07.30
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「デフレ」は好ましい事ではない、と言うのは経済学者や中央銀行関係者にとってはある程度常識と言っていいと思います。

しかし、こうした人たちの議論はその時点での景気や為替に対する影響という面から論じることが多く、デフレが社会の在り方に長期的に与える影響、というところまで論じているものはあまり見かけません。
そういう事は経済史家か社会学者の仕事だ、と考えているのかもしれません。

さて、いままでに私が読んだ本の中で、「デフレ」が長期的に社会に与えた影響についてもっとも秀逸だと感じた記述は経済学者や経済史家の書いた本では無く、支那学の宮崎市定氏が書いた『大唐帝国』(中公文庫)の後漢以降の状況に関するものです。

その内容を簡単に説明すると

  •  前漢までは純粋な経済行為で財を成すのがそれ以降に比べると容易だった
  •  それは文明的に程度が低い周辺地域から金が流入したから金が安価だったため
  •  武帝による西方への拡張でシルクロードが開けたせいで、貿易を通じて西アジアに金が流出しはじめ、更には周辺諸国の金の産出も取りつくして落ち込み、慢性的に貨幣量が減少する状態に…
  •  そうなるとみんな貨幣をなるべく使わないように自給自足を目指す。行き着くところが荘園。
  •  荘園ではあらゆる品目を自製し、自家消費した残りを市場に売りに出す。運送費も払いたくないから自分で市場に持ち込む。結果市場はどんどん縮小。

 

  •  貨幣での納税義務がとても重くなる。結果、穀物価格は安く市場に溢れているのに(金が無くて買えないため)人民が飢えている、という状態に…。
  •  仕方なく市民権を捨てて荘園の領民(部曲)になる者が増え、荘園がどんどん強くなる。


というようなお話です。

宮崎氏は世代的に金本位制の時代、特に金解禁騒動を直接経験しており。それがこの観察にもよく反映されているように思われます。

しかし、ハイエクは管理通貨制度の下での人為的な(過度の)通貨発行による通貨への信頼の破壊が経済的自由の土台を崩すものである、として批判していましたが、デフレも経済的な自由を破壊し身分を固定化し行き着くところ政治的な自由を破壊する、という意味では少なくとも同等以上に大きな問題があるものではないかと思われます。

以下に上のような議論が述べられている箇所のうち、主要な部分を抜粋しておきます。

 



『大唐帝国』より抜粋(ページ数は文庫版)
「史記には億万長者のことを自記した「貨殖伝」が立てられ、漢書もこれを受けついでいるが、後漢書には貨殖伝がない。しからば後漢には金持ちがなかったか、というとそんなはずはない。ただしその金のもうけ方、金持ちのあり方は大いに変わってきているのである。」p32

「古代資本家たちによる富の蓄積が、純粋な経済行為によるものであったことは注意されるべきである。古代においても君主や大官など権力者の収奪による蓄財が大いに行なわれたことはもちろんであるが、それらは、史記の著者のいうところの貨殖家の中にははいらないのである。」p33

「すなわち前漢時代は、古代資本家が優に政治権力者に対抗して気をはくことができる時代であったのである。
ところが後漢の時代にはいると、一転して中国の経済界は停滞しだしたのである。経済成長はとまり、金銭の動きはにぶり、交易は不活発となり、一度手をはなれた金銭は容易にもどってこない。こういう社会では、三たび千金を獲得するなどは思いもよらぬ。金もうけということが極度にむずかしい世の中になったのである。
ただ権力者による収奪は別物である。ここに中国社会は、富める権力者と、貧しい人
民という階級の別ができ、それがそのまま固定化する傾向を生じた。どうしてこんな世
の中になってきたのだろうか。」p34

「中国の古代においては、黄金と銅銭とが貨幣として用いられた。戦国時代からさかんに銅山が開発されて銅銭が鋳造されるいっぽう、中国の周囲から黄金が中国めがけて流れこんできた。
いったい黄金は砂金の形でいたるところに産出するので、どんな低開発の人民でもそれを採集することができる。そこで中国の文化が周囲へ波及するとともに、異民族は中国の生産物を買うために砂金を提供したのであって、それが中国へ集まってきたから、その価格は今日から考えると異常に低廉であった。
漢代は、黄金一斤が銅銭一万個に相当するのが普通であったが、一斤の重さは当時の銅銭の七七個分にひとしいから、結局金銅の比価は、一三〇対一となる。これはおどろくべき金の安値である。」p.35

(つづく)





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最終更新日  2014.07.30 12:02:22
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