感性と世界の眼
うろこ雲をみると、秋を感じます。真っ赤なナナカマドや、紅葉がキレイだろうなあ。いつまでも記憶に消えない想い出がいくつかあります。 子供の頃、山を描いたときに、山の各部分を赤やら黄色やらで塗りたくった。ここは桜が咲いてる、ここは梅が咲いてるからって。先生の「あら。えらい賑やかな山ね」という一言でこんな色とりどりの山はおかしいのかもと思い、山を緑一色で塗り直した。できあがると、「さっきのほうが良かったのに」と先生。子供の頃の感覚は、非常に繊細だ。指摘された瞬間、非難されたわけでもないのに心を閉ざしてしまうことが往々にしてある。夢中で色を塗っていた時代から、常識に感性を当てはめようとシフトした瞬間だから、記憶に残っているのかもしれない。才能は個性そのものなのだから、受け入れられないものに仕上がるのは多くの場合当然だけれども、才能を磨くためには、世間と向き合わなくてはならない。剥き出しの個性は荒々しく、利己的で見るに堪えないがそれが研磨という過程を終えたあと、誰も見たことのない創造物へと変化する。感性と世界の眼が擦り合わさったとき、偉大な芸術が生まれるのだろうなあ。 12月にも東京に行きますが、2館のピカソ展と、渋谷の明日の神話は必ず見たい。