2007/12/22(土)08:16
「清須越し」を再現へ
慶長15年、徳川家康は清須廃城 名古屋築城をすると清須の住民や建物など大部分が名古屋に移され「東海の巨鎮」・「天下の名城」と賞賛された清須城がその姿を消した。
これが有名な清須越しで当時の白引歌はそのありさまは「思いがけない名古屋ができて花の清須は野となろう」と唄っています。
現在の清須市は工場が多く、そのため税収は豊かだが、住みよい町かは疑問符である。
楽市楽座のような庶民も楽しめる起爆剤がほしい。
公募で「清須越し」を再現へ 家康の命で名古屋へ大移動
名古屋市は18日、2010年の名古屋開府400年を祝う記念事業として、名古屋城の築城に伴って慶長15(1610)年に始まった「清須越し」を再現するイベントを開くことを明らかにした。
公募した市民らが当時の装束をまとい、大移動の行列を再現する。
「清須越し」は名古屋のまちづくりルーツに当たり、名古屋城の築城を決めた徳川家康の命を受け、それまで尾張の中心だった清洲城下から約8キロ離れた名古屋へ、武士や町人ら約6万人が移り住んだとされる。
名古屋市は清須市と協力して、2010年秋の開催を目指す。
公募した市民らが当時の装束を着て、荷物を背負うなどして実際に清洲城から名古屋城までの道のりを練り歩く案などが出ている。
ほかにも10年に名古屋開府400年を祝う記念式典を開くほか、記念誌を発行するなど、各種の記念事業を行う。
開府400年にちなんだマスコットキャラクターもつくり、節目の年を盛り上げる。
18日開かれた名古屋市議会の総務環境委員会で市側が示した。
名古屋市は、名古屋城本丸御殿の復元にも取り組んでおり、開府400年に当たる10年に玄関の一部を完成させる予定。
参加人数など詳細は未定。
名古屋市が中心となって来年6月に設立する「名古屋開府400年実行委員会」で検討する。