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■『夜と霧』by ヴィクトール・E・フランクル
もうずっとこの本について 書きたくて書きたくて仕方なかったのだが、 言葉にする時間がない間にどんどん時間が過ぎていくので、 とりあえず、先に紹介。 まずは、読んでみて。 買って後悔はさせません。 この本の原題を直訳すれば 『心理学者、強制収容所を体験する』。 この原題からすぐにわかるように、 ナチのユダヤ人強制収容所に収監された、 ユダヤ人精神科医が、解放後書いた、 強制収容所の心理学の本である。 と、書くと、強制収容所に興味ないしぃ~、 という人がいるかもしれないが、 そう思った君は、甘い。 これは、単なる体験記でも、心理学の本でもなく、 生きる哲学の本だ。 (ちなみに、七つの習慣にも紹介されているらしい。 どうしたら人生を他者に奪われることなく 自分のものとできるかという文脈で紹介されているらしい。) だから、 迷っている人も、 これから新しい道に進む人も、 漠然としたフラストレーションを抱えている人も、 さらには、今、満足している人にも、 社会の成功者たちにも非常に読んでほしいと思う作品だ。 迷える子羊たちだけでなく、 英々たる人生を歩んでいる人を含めたのは、 著者も含めて、多くの被収容者たちは、収容されるまでは、 社会のエリート層の人たちだったからだ。 この本の中には、 あまりに心に響いた部分が多すぎて、 引用するのも選ぶのが大変なのだが、 どれほど、素晴らしい本か、片鱗をつかんでいただくため、 少し、紹介すると、 1) 人間の魂は結局、環境によって決せられる、 との印象を与えるかもしれない。 (中略) 人間は、体質や性質や社会的状況がおりなす 偶然の産物以外のなにものでもないのか、 このような(環境の)影響に屈するしかないのか。 (中略:そうではない) 強制収容所にいたことのある者なら、 点呼場や居住棟のあいだで、 通りすがりに思いやりのある言葉をかけ、 なけなしのパンを譲っていた人びとについて、 いくらでも語れるのではないだろうか。 そんな人は、たとえほんの一握りだったにせよ、 人は強制収容所に人間をぶちこんで、 すべてを奪うことができるが、 たったひとつ、 与えられた環境で以下にふるまうかという、 人間としての最後の自由だけは奪えない。 2) 仕事に真価を発揮できる行動的な生や、安逸な生や、 美や芸術や自然をたっぷりと味わう機会に恵まれた生だけに (生きる)意味があるのではないからだ。 そうではなく、 強制収容所での生のような、 仕事に真価を発揮する機会も、 体験に値すべきことを体験する機会も皆無の生にも 意味はあるのだ。 3) 苦しむこととは何かを成し遂げること 4) 不正を働く権利のある者などいない。 たとえ、不正を働かれた者(被害者)であっても 例外ではないのだが、 その当たり前の常識に、 こうした人間(被害者)を立ち戻らせるには時間がかかる。 などなどなど。 もう、文脈で読むとまたぜんぜん違って、 本当にいいですから、ぜひよんでください。 ちょうど、この間、新訳が出たばかりなので、 本屋にいけば在庫があると思います。 ちなみに、私の友達が、この本に関わるコメントとして、 >知識はその披露する場所がないと使用できないが、 >品性はアウシュビッツでも披露できますな。 といっていた。まさにそのとおりだ。 とりいそぎご紹介まで。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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