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人間というのは、本当に身勝手で独善的な生き物だ。
他人がどれほど身勝手で独善的でも、「まあ、そういう人もいるよね」というので片付けられるけど、自分の中の身勝手さや独善さに気づいたときというのは、本当に愕然とする。 そういうのを気づくきっかけって、たとえば、「この人は私にプライオリティをおいてくれてるに違いない」と思っている人が、あんまり構ってくれなかったりするとか、すごく些細なことだったりするのだけれど、この例で言えば、「この人は私を大事にしてくれる」という勝手な思い込みをしている自分の見通しの甘さと、そういう些細なことに我慢がならない自分の器の小ささに、ほんとにびっくりする。 いきなり自分語りになるけど、私は、他人の悪意には耐えられるし対抗もできるけど、自分の悪意には耐えられないという精神構造をしている。 悪意、ということばでいうとあれだけど、つまりはダークサイド。 とはいえ、私も普通の人間だから、色々な悪意や独善や嫉妬は自分の中に抱えているし、時にはそれが噴出することもあるし、ダークサイド全開で人を利用したらもっと人生うまくいくかもなーと思ったりはするのだけど、やっぱりそのダークサイドをコントロールできるだけの理性を持ち合わせていたいと思う。(って、俺はジェダイか?!) なぜなら、私は、人とは、自分にとって利用価値があるかどうかという判断や、嫉妬とかの感情を超えて、信頼とか愛情とかで結ばれていたいから。 (うおおう、俺ってばいまだに青春真っ只中だな。はずかしいな。) でも、こういうことを思えるのは、私が、そういう「自分の中の悪意を理性で乗り越えている友人」をまわりに持っているからだとおもう。 いや、君たちが悪意orientedな人、といってるわけじゃないよ(笑。>友よ。 でも、自分の中の悪意を全く感じなくて正論しか言えないような人であれば、そんな人はつまらない。(と、君たちも思っているはずだw) だけれども、悪意と欲望に身を任せているような人にはなりたくないし、いたとしても(実際よくいるけど)もちろん怖すぎなのでお近づきになりたくない。 でも、たとえ今、こんなことを思っていても、ダークサイドグループに自分がいたらきっと「損してる」って思って苦しくて、「朱に交われば赤くなる」という通り、ふつうにダークサイドに堕ちていくんじゃないかなあ。 しかしながら、私がダークサイドに落ちても、間違いなくパルパティーンや、アナキンレベルのシスになることはなくて、せいぜいドゥークー伯爵レベルなわけです。使い捨てされて終わるわけです。 だったら私はジェダイでいたいしジェダイとしてまっとうに死にたい。 でも、私みたいなココロの弱い人がジェダイでいるためには、ジェダイ・スピリットなサークルにいて、ジェダイな人たちと交わることはとっても重要。 確かに実生活ではポリティックスも重要だし、うまくやってすごくはやく「あがり」を勝ち取る人はいるけれども、まっとうに努力して、地道に成果を出していれば、それを見ている人は必ずいる(・・・と私の人生の先生が何人もそう言うからそうなんじゃないかな。そう信じたいな)。 ・ ・・ってゆうようなことを、一年に一回は書いてる気がする。 まあ、俺も修行がまだまだなアプレンティスってことです。 あー、はやく一人前のジェダイ・ナイト、ジェダイ・マスターになって、こころ穏やかに生きていきたい。 |
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