2006/08/21(月)02:39
夏の100冊(2)朗読者
久しぶりに、心動かされる小説を読んだ。
読んだばかりで、まだ、内容についてコメントできるほど、
きちんと作品を咀嚼できていない。
けれど、きちんと咀嚼したい、と感じさせる小説であることは確かだ。
そして、ひとつはっきりと気づく。
私にとって、小説とは、「問いを投げかけてくるもの」だ。
私が心動かされる文学は、物語の形をとった哲学である。
作者が答えをあらかじめわかって書いている文学、
作者の価値判断がはっきりと感じられる文学、
作者が啓蒙的な文学には、私は心惹かれない。
それらが、どれほど美しく、どれほど素晴らしくても、
それらはただ美しく、素晴らしく、完成形としてそこにあるもの、だ。
文学というよりも、むしろ美術であり、鑑賞の対象なのである。
だから、私の好きな文学は、基本的に暗い。
遠藤周作が好きで、ドストエフスキーが好きで、初期の藤沢周平が好き。
どこをどう切り取っても、サガンとか出てこないのである(苦笑。
(いやサガンはサガンで異常に切ないので、この例えは間違っているかも。)
茂木健一郎によると、「感動する」とは「脳に傷をつけられる」ことなのだという。
私が『朗読者』から受けた感覚を、感動と呼べるのかどうかはわからない。
けれど、「脳に傷を付けられた」ことは間違いない。
お勧めの本です。
重くて暗いけど(w。
しかし、『海辺のカフカ』にしろこの『朗読者』にしろ、
15歳ってのは、男子にとってどんな意味があるんだ?
うーむ。。。。
以下備忘で、いくつか、気になった文章を。
「黙殺というのは、数ある裏切りのヴァリエーションの中ではあまり、目立たないものかもしれない。(略)この黙殺行為は、派手な裏切りと同じくらい、二人の関係の基礎を揺るがすものなのだ」
「彼女は常に戦ってきたのだ。何ができるかを見せるためではなく、何ができないかを隠すために」