個性尊重
最近、気持ちよく生きるためには、ほんとうに個人が自立して、自分の道を歩むことが基本なんだな、それが他人を尊重することにつながるんだなと非常に感じます。個性尊重といいながら、違いを違いとして認識し、かつ、それを受容できる人間が、(自分も含め)非常に少ない気がするんですよね。個性尊重には幾つかのステップがあると思うのです。第一ステップ:他者の価値観から抜け出す第二ステップ:自分の個性・価値観を確立する第三ステップ:他者が自分と違うことを認識する第四ステップ:他者の価値観を否定せず、受容し、尊重する第五ステップ:価値観の違いを楽しむと進むと、他人を尊重することにつながる気がします。で、第五ステップが、第一ステップの基盤になるんですね。私は人には基本的に同意や共感を求める傾向があると思っていますし、私自身も、同意や共感が出来る人と一緒にいることが非常に楽しく、周りを見てみると、結局、類友になっている感じはするのですが、では、それで私は、人はいいのか、という気も同時にするのです。でも、なんとなく今って第一ステップをするのも大変で、更にもし上手くいっても、第2、第3ステップの人間が多い気がするんです。そこで、他人なんかどうでもよくて、留まってしまっているかんじ。たとえば、ある物事に対する見解をが一致しなかったとき、否定でも肯定でもなくて、ただ、「あなたはこういう風に考えるんだね。そうか、私とは違うんだね」ということを言うと、「自分を否定された」と思う人が多かったり、逆に、自分自身も心のどこかで、相手の意見を尊重したり、楽しんだりできなくて、どこかで境界線をひいてしまったりすることが多い気がします。小林よしのりが「ゴーマニズム宣言」の中で「人は差別をしないでは生きられない生き物なのだ」ということを言っています。彼がそう言った理由も非常によくわかるのですが、それはとても悲しいことのような気がします。(もちろん彼は、だから諦めろ、というのではなく、だから闘え!と言っているのですが)自分が違う価値観を楽しめないのは、私が、やはり自分を正しいと思い、相手を否定している証拠に他ならず、なんとなく悔しいです。なんだか、人生損している感じがしません?なぜなら、違う価値観を楽しむことが出来たら、誰と話しても楽しいから。誰といても楽しめるって、すごい能力ですよね。自分勝手でなくて、自由で、自立した人間になれたら、そんなひとが増えたら、本当に素敵ですね。私もそんなひとりになりたいものです。本当に、なかなか難しくて、人を傷つけてしまったり、コミュニケーションうまくとれなかったり、関係に甘えてしまったりですけれどね。でも、頑張ろう。なんか今回は笑いがない文章ですみません。