Me, bittersweet me.
私は、私っすから。今でこそ簡単に言えるけれど。年齢の近い叔父の本棚から20年くらい前に無断で借りたままの一冊の文庫本。タイトルは『ナタリーの朝』という。原題は Me,Natalie.(私、ナタリーよ)。容姿の良し悪しが、自分らしさ・個性をいともたやすく凌駕する時期が少女にはある。そんなティーネージャーの頃何度も読み返した、使い古された言葉で言うならまさに「自分さがし」の「バイブル」。その頃私にとっての限定要因は、他人じゃなくて自身の家族だった。父と母が愛らしいと思うのは自分達に似た妹達。有言無言の比較の中で傷ついて怯えて、でもそれを悟られたくない私に残されたのは道化になることだった。アメリカで原作を探したがすでに絶版となっていて、大学の図書館でやっと探し当てたそれをこつこつコピーした。その頃現在の夫と出会った。とにかく私が何をやろうがどんな酷い精神状態であろうが、君はビューティフルゴージャスグレイトと褒め称えてくれるこの最大の信奉者のおかげで、私はもうお道化る必要がなくなった。だって私は醜くなんかないし、可哀想でも、みっともなくもない。愛車HONDAで颯爽と恋人との愛の巣を去ったナタリー。風をびゅうびゅう切って進むのは気持ちよかっただろうな。つんと上を向いて胸を張ってワンツーワンツー <365歩のマーチ思うに、自分を醜く惨めにしていたのは、誰あろう自分自身だったのだ。姉妹だってそれぞれに得意なこと出来ることは違っていてそれが自然なんだって納得するまで結構な時間がかかり、だから、同じことを同じようにできなくていいんだって、最近やっと両親にも布教が浸透し始めた。でもまーいーか、と。親だって人間でそれゆえ完璧ではないのだ。彼らが知らないことは私が教えてあげればいいのだ。Can be bitter.Can be sweet.I accept what I am. いじわるな自分も優しい自分も全部オッケー牧場。P.S.『ナタリーの朝』は映画化されている。(1969年アメリカ映画)製作:スタンリー・シャピロ監督:フレッド・コウ 脚本:A・マーチン・ツウェイバック 出演:パティ・デューク/ジェームズ・ファレンチーノ/マーチン・バルサムで、なにを隠そうアル・パチーノの映画デビュー作でもあるらしい。どうにか入手しとうございます。