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カテゴリ:パンセ
8月14日(日)曇り
明日は終戦記念日だ。77年前の8月15日に昭和天皇の玉音放送が日本国民に向けて流されるまでのエピソードは映画「日本の一番長い日」で描かれているが、この終戦に関わる多くの人たちが命がけで戦争から平和へ舵を切ったか思いを馳せるべきだ。 ポツダム宣言は1945年7月26日、ポツダム宣言には、日本がこれを受け入れない場合、「壊滅あるのみ」と記され、アメリカ軍は8月6日に広島、9日に長崎に原爆を投下。さらに、8月9日にはソ連が日本に対し参戦した。 陸軍があくまで「本土決戦」を叫ぶ中、昭和天皇は8月14日の御前会議で、ポツダム宣言を受け入れて降伏することを決意する。 御前会議から8月15日正午の玉音放送までの24時間が「日本のもっとも長い一日」とも言われるのは、陸軍内部によるクーデター宮城事件が起きていたからだ。クーデターをかいくぐって鈴木貫太郎内閣も玉音放送のレコード盤を作り保管し放送した日本放送協会(NHK)も命がけのことだったと思う。 ポツダム宣言受諾が8月8日以前になされていれば満州での日本人の扱いも北方領土問題も違っていただろうにと思うと残念だ。現在進行形のプーチンによるウクライナ侵略戦争を見ていると戦争をやめる難しさを日本の終戦と重ね合わせて感じる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.08.14 17:29:49
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