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カテゴリ:(小説)『天空の黒 大地の白』
ユベールが軟禁される数フィート四方の小部屋は、本来使用人の支度部屋なのだろう。 隣室へ繋がる二つの扉の外には武装兵が配置され、窓もない空間には突破口がない。 室内を自由に動き回れる代わり、照明器具がなく昼も夜も漆黒の闇に呑まれている。 「・・・!」 古びた蝶番のきしむ音。 扉の奥から差し込んだ光がまぶしく、細めた視界に人型の影がくっきりと浮かび上がる。 「フーベルト・ローレンツ大尉。」 黒獅子の騎士は扉を背にしたまま、ユベールを睥睨する。 付き従う男がランプを卓に置いて退席し、再び密室となった空間には二人のみが残った。 「アルブレヒト・・・様・・・・これは、いかなる仕儀でございましょうか。まるで罪人のように閉じ込められ、詮議を受けることになるとは!」 そう訴えるユベールに向けられた灰色の眼差しは、あくまで酷薄なものだった。 「貴殿には期待していた。」 「・・・・。」 「それゆえ便宜をはかり手も貸してきたつもりが、見事に裏切られたものだ。」 「・・・裏切る?アルブレヒト様を・・・まるで身に覚えのないことです。」 「では、貴公がグストー・イグレシアスと手を結び、この度の暴挙に加担したのではないと?遠くマインツにいても、この耳には届いていた。イタリアでのグストーとの繋がりも、帰国後の密会も。」 「・・・っ!」 アルブレヒトは知っていたのだ。 イタリアでの手痛い敗走の後、グストーの造り出した“隠れ里”にかくまわれた事。 そして故国に戻ったのち、マイン川のほとりで宰相と密かに言葉を交わしたこと・・・だとすれば今回の件も、グストーと結託した行動と見られているのか。 「それは誤解です、私は断じてグストーに従ったのではありません・・・この度のことも直前まで計画は知らされず」 「その計画を策謀したのは誰か。」 アルブレヒトは手にしたサーベルの柄を、ユベールの喉元にひたりと押し当てる。 「それは・・・」 この一件でレティシアが従属的な役割だったとは、ユベールには思えない。 アルブレヒトもユベールの躊躇から、それを察したようだった。 「貴殿なら分かるはずだ。陛下の御心はご自分でそうと気づかれぬほど、宰相に蝕(むしば)まれている。だからこそ、ご自分の身を餌にして公爵に謀叛を起こさせようなどと。」 積年の憤りと苦悩が、触れた剣から伝わってくる。 「貴殿は知るまいが」 彼はユベールの体からサーベルをはずし、視線をわずかに逸らした。 「かつての陛下は、あのようではなかった。廷臣たちの声に耳を傾け、国の調和を保つためご自分の心を痛めることがあっても、決して人を陥(おとしい)れるような御方ではなかった。」 それをグストーが変えてしまったのだ。 智慧と快楽(けらく)を武器に、レティシアの魂をグストーは染め変えた。 「その結果を見よ。」 女王とジークムントの衝突のみならず、レティシアがプロイセン移民に代表されるギルド組織を厚遇することが、フライハルトに階級対立を生み出し始めている。 それは王家と宰相への反感となって、レティシア自身を危地に置きかねないのだ。 「この国のありようを、正道に帰さねばならぬ。」 アルブレヒトはユベールの瞳を覗き込み、諭すように語る。 「それがフライハルトと陛下を守ることになるのだ。貴殿がグストーに与(くみ)していないというなら、真に陛下の御為になることをされよ。」 思えばレティシアに進言し、オーストリア軍の客人であった自分に一軍を与え、活躍の場を整えたのはアルブレヒトであった。 グストーに相対する存在として期待をかけたアルブレヒトにとって、自分がグストーの利益に沿った動きしか見せないことは、さぞかし歯がゆく腹立たしいであろう。 「それは・・・グストーを宮廷から排除するという事ですか。」 この部屋に幽閉されて以来、城の外で軍馬の行きかう音が続いていた。 それも、アルブレヒト指揮下の兵だと説明するには多すぎる数の。 ユベールの中で、徐々に現実が形をなしていく。 「そうなのですね・・・傷を負われた陛下に代わり、名実ともに軍を統帥する権限はアルブレヒト様、陸軍参謀総長である貴方に移った・・・貴方は掌握した国軍の威をもって宰相を・・・。」 アルブレヒトは卓に置かれたランプを取り上げ、ユベールの顔に近づけると、光でなぞるようにゆっくりと真横に動かした。 年若い将校の黄金色の瞳は、戸惑いはあっても恐れを宿してはいない。 彼の暴挙を教会が赦すならば、次代のフライハルトを担う武官にもなれるだろう。 「決断されよ。貴殿が陛下のお命を危うくした償いのためにも。宰相を追放した後、陛下を支える者が必要だ。まだ陛下への想いがあるならば・・・」 「想いならば、あります!フライハルトを離れた3年の間、陛下を想い続けることがどれほど苦しかったか・・・」 言葉が震えるのを抑えることはできなかった。 再びレティシアの隣で、共に時を過ごしていく・・・己の心を幾度糊塗してみせても、それはユベールが焦がれる夢であったはずだ。 「ですが私には、今の陛下がご自分を失っているとは思えない。」 迷いを捨てるために、ユベールは敢えて強く断じた。 あの晩、自分はレティシアに誓ったのだ。 どのような時も彼女の心の側にあり、決断に殉じると。 「宰相放逐の助力をせよというなら、このような密議でなく陛下の御前でおおせ下さい。」 しばらく張りつめた緊張が漂った後で、深いため息がアルブレヒトの口から漏れた。 「・・・貴殿は甘い。フライハルトが凋落し陛下を失う前に、身を挺してお諫(いさ)めしてこそ忠節を果たせるのだ。それを呑み込めるまでは、幾年でもここに居ていただこう。」 アルブレヒトは立ち上がるとユベールに背を向け、扉に手をかけた。 「アルブレヒト様・・・陛下はグストーの追放などお望みではない。貴方がなさろうとしている事は、クーデターだ!」 だがユベールの訴えも、アルブレヒトを揺るがすことはなかった。 「フライハルトにおいて、黒獅子の決断は法を超越する・・・そのために私は、この国に選ばれたのだ。」 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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